崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

朴正煕生家

2013年07月10日 06時12分48秒 | エッセイ
7月9日火曜日韓国慶尚北道亀尾市にある朴正煕大統領の生家を訪ねていった。山の中の盆地、農村なのに「先端技術の都市」という看板が見え、その風景には相応しくないように感じた。itやデジタルが主産業だと言う。工業団地の家族が多く住んで地域の経済を支えていると言う。それは亀尾市が朴正煕に恩を大きく受けていることを意味する。朴大統領が自分の生まれ故郷に輸出工業の工業を誘致建設して農業と合わせて、今は40余万の都市に発展させた。「朴正煕路」や「セマウル路」などを過ぎて「朴正煕生家」へと車を走せた。
 金尾山の麓に藁葺家が視野に入った。風水地理的に英雄が出る「名堂」と言われている。山間地域の山の麓の貧乏な農村で生まれて師範学校を出て聞慶普通学校の先生となり、一躍軍へ入隊し、陸軍士官学校を卒業して満州軍の将校として解放され、刑務所と釈放、クーデター、大統領になった彼の人生経路の略図を浮かべながら見てた。農村出身の出世回路が分かりやすく展示されている。試験地獄から名門大学へ、高官への現在の出世回路とは異なる風水説である。
この真夏の暑さでも9時からの開館時間に2台の観光バスと20台弱の乗用車が駐車している。貸し切りバスや車は駐車場に多く留まっていても館内には観覧者は少ない。私は真面目な観光客になったようで熱心に見て回った。電子芳名録に住所などを書き、大統領夫婦写真と並んで記念写真を撮った。
 直径15、高さ10メートルの円形のハイパードームの12分の映像スクリーンには椅子もないカーペットに座ったまま360度に広がる。映像による詳しい内容は判らなくてもただただ圧倒されて、偉大は人物だというイメージを受けた。もちろんここにはクーデター、長期政権と人権弾圧、暗殺などは一切展示されていない。彼の人生の暗い部分は削られている。いわば人生の一部が強調されている。したがって総合的な資料館ではない。英雄館的なものである。素朴な生家は金日成生家と変わりはないように感じた。
銅像へ向かって歩いた。遠くから現れる朴正煕氏は私のイメージとは非常にかけ離れた。小さい身長の軍人ではなく、長身の紳士が立っているではないか。背が伸びたのか、変身したのか、英雄化とはこいうものか、戸惑った。それに比べては金日成の英雄化が死後までリアルに近い。朴大統領の悲劇性自体が英雄性であるのに、闇の部分は削られて変身した英雄からは感動を受けにくい。朴正煕氏の本場で本当のことを知ることが出来ない。
レストランや記念品店も閉まっている。資料と情報を求めても「知らない」という。李氏はここで生まれて言論と政治に関心を持って活躍してきたが今はインターネット新聞に注力しているという。もっと資料が欲しかったが資料販売店は整理中休務となっている。朴正煕の映像資料や本は全くないと言う。本屋で近刊である本体の帯に『娘を大統領にした朴正煕』という分厚い本を買って来ただけであった。
亀尾から金海空港まで直行のリムージンバスに乗った。客は私一人であった。贅沢な旅行であって、きつい調査であった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿