崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

赤江瀑

2013年06月05日 04時59分31秒 | エッセイ
 昨日下関市立美術館で下関出身作家の赤江瀑(泉鏡花文学賞)さんの一周忌記念展覧会『赤江瀑:美の世界』展の初日の午後観覧した。東亜大学で所蔵品を整理しておられた浅井仁志氏もおられて、実行委員の一人である吉岡一生氏が受け付けをされていた。展示会の初日は好調であるというが、私ども夫婦を含めて3組、観客は少ない。万年筆で書いた原稿紙が展示されて、今はやや古い世代の作家であると感じた。偶然にもその場の観客は皆知り合いだった、吉岡氏が私ども夫婦の観覧記念写真のカメラシャッターを押してくれた。
 広く知られている人でありながら出身地、地元に生まれ住んで死んでも下関の人にはそれほど知られていないような作家であろうか。地元に住んで他人のような存在、しかし、舞台は広く活躍した人であるようである。下関の本屋でも彼の本はおいておらず、博物館のショップでも彼の本を買うことは出来なかった。多作の作家の作品がたった一周忌の展覧会で買える本が全くないということはどういうことだろう。彼は未婚、子孫もなく、全国的に活躍した作家なのに地元からの受けのない人であったのだろうか。彼の印税相続人も友人になっているという。
 彼の人生をみて、孤独な、寂しさを感じざるを得ない。しかし出家した聖なる存在感も感ずる。俗世の生き方をせず世俗を冷徹に書いた気がする。彼の作品と人格が復活して生き返るかも知れない。彼は良い作品は必ず残ると思ったであろう。どのように人に記憶されているか、まず作品を読んでみたい。            

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