崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「君が代」

2016年05月29日 06時04分11秒 | 日記
 国際スポーツ試合などでしばしば国歌斉唱が行われている。日本の「君が代」は特異な感がしてしょうがない。音楽に無知な私には日本の国歌の「君が代」はかなり雅楽的であり、悲愴的なメロディであり、リズム感がないからである。応援歌などに歌われる行進曲の「君が代行進曲」が別にあるほどである。軍楽を教えていたイギリス軍人フェントンが作曲したのが初代国歌であるという。後に雅楽楽師たちによって現行のものになったという。「君が代」が国家の慶祝歌に格上げされたのは明治政府によってであり、雅楽調になるのも当然だった。
 私は歌詞も知らず、人にしばしば聞いてみると「日本国民もよく知らない国歌だ」と言われたことがある。雅楽の壱越調で作られた曲として威厳も感じられるが、地味で感動もないという人もいる。日本の国歌は多くの人がドイツやフランスなどの国歌のようにリズムがあって力強い行進曲、応援歌になっていないことを指摘する。マイクルジャクソン以来リズムの濫用の振り付けの流行の国歌を望むのであろうか。私は雅楽の悲愴感があって、他の国歌との差もあって良いのではないかと思っている。これが右翼ではない私の感想である。

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2 コメント

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君が代 (西原経徳)
2016-05-29 07:51:11
言われるように日本国歌は陰気な感じがします。
歌詞を吟味すれば内容は素晴らしいのですが全体的に
高揚感に欠けると感じます。
ところで日本では公式の場で国旗掲揚や国歌斉唱を拒否する
人がいますし、ある大学では入学式や卒業式で国歌斉唱も国旗掲揚も
しない所もあると聞いたことがあります。
それについての善し悪しは別として東亜大学ではどうなのでしょうか。
Unknown (崔吉城)
2016-05-30 06:12:26
 国旗掲揚や国歌斉唱などは鑑賞のものではないでしょう。象徴的な儀式、儀礼用でしょう。しかし私は音楽として特徴があり雅楽的な悲愴感があってよいと思っております。東亜大学ではもちろんキチンと国旗掲揚や国歌斉唱を行っています。今の時代には内村のような人はいないですね。

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