崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「乙未年へ」

2014年12月30日 03時53分42秒 | 旅行
 日本に住み始めてから25年ほどになるが、在日にはなっていない。在日とは大きい違いがあるからである。それは長と短の長さではなく、生育の時代と環境が異なるということである。私は韓国語が母語で韓国で青少年期を過ごした生活文化を持ち、韓国で社会生活をしてから日本に留学して日本では外国文化として生活してきている。日本人から見ると在日のように見えるかもしれないが在日に成れない限界がある。民団や総連にも所属していない。在日に対しても外からの見方にしかできない。この数年来、年1回だけ民団新聞に寄稿させていただいている。2015年「乙未」年新年号がすでに届いた。新年の干支に関する内容である。
遊牧民の代表的な家畜の羊(未)の年である。新年には羊から和と温厚な習性を見習い、難くなった日韓関係が一日も早く、友好になることを願い、予言したい。私は一九九〇年韓国文化の起源を探るというテーマで朝鮮日報からの派遣でモンゴル調査に参加したことがある。それが私と遊牧文化との初の出会いだった。韓国文化とは異質のものだと思った。馬に乗って羊の群れを連れて歩く場面、私が住所を訪ねた時の戸惑った表情は忘れられない。移動する遊牧民に住所はないからである。定住農耕民と移動遊牧民族との違い、本当に新鮮なカルチャーショックであった。
 私は牛乳が飲めない。戦後アメリカの援助物資として粉乳を飲んだことがあるが、生の牛乳でお腹を痛くして以来、遠ざけてきた。それは私だけではなく、さらに韓国人だけでもなく、熱帯地方の民族にも起きる現象である。北ヨーロッパの人々のようにビタミンを牛乳から取るラクターゼという酵素を多く持っている民族において好まれることは中学時代からの常識である。牛乳文化と縁のない韓国人にとっては、遊牧文化とも縁が薄い。その点は日韓においても同様である。牛乳が輸入されて食用化されたのは明治以降、日本植民地時代に韓国にも影響したが、一般化されることなく戦後幼児用だけ普及した 。 ところで、韓国文化は遊牧民族とは全く関係がないかというと実はそうではない。歴史的に韓国文化はいわば「満蒙」の旧満州やモンゴルなど、北方文化から影響を受けてきたことは常識である。したがって韓国文化の起源をモンゴルなどに求めるのが普通である。日本では騎馬民族起源説が有名である。考古歴史的な研究はさておいて韓国は日本に比して肉食文化を持っている。代表的な家畜は牛であり、焼肉やコリアンバーベキューが有名であり、私は在日韓国人の焼肉文化を理解するために調査して「焼肉の文化人類学」を書いたことがある(『韓国民俗への招待』風響社)。
 韓国では代表的な家畜として牛を農耕と肉食に利用している。モンゴルの5大家畜は馬、ヤク、羊、山羊、ラクダである。牛科のヤクは遊牧民の家畜として、荷役用、乗用、毛皮用、乳用、食肉用に使われている。特に遊牧民族であればあらゆる家畜の乳を絞る。馬の乳を絞って作る馬乳酒は有名である。韓国では家畜の乳を搾る文化とは対照的に動物の乳を搾って飲むような文化はまったくない。牛は農耕や食肉など広く利用され、血や舌まで料理があるが牛乳を搾ることはしない。しかし輸入された牛乳をよく飲むようになって韓国が遊牧民族になったのような錯覚をするほである。韓国文化でもっともモンゴルや満洲から強く影響されたのはシャーマニズムである。私はシャーマニズムの調査のためにシベリアや満蒙地域を回った。それは長い間迷信打破の対象であってソ連時代にシャーマンたちは強く迫害された。シャーマニズムは人が神になる信仰である。それは激しい踊りなどで興奮の絶頂に達し、トランス状態で神になるということで、韓国人の気質や性格に大きく影響した。いま韓流ドラマなどで登場人物が失神する場面が多いのはそれであろう。
 新年は終戦70周年、韓日国交正常化50周年を迎える記念すべき年である。歴史認識が問われる。それは如何に問っても問い過ぎることはない。日本はいわば壬申倭乱という朝鮮征伐出兵により隣国を侵略し、韓国を大きく傷をつけてしまった。植民地化、太平洋戦争を起こして大変な痛みを残している。まだ韓半島では同族間の戦争6.25により厳しい休戦線を挟んで敵対視している。私にとって1965年は記憶に新しい。朴正熙大統領の日韓国交正常化と京釜高速道路建設には学生が中心に国民的に反対した。いわば独裁開発への反対、独裁政治への反対に朴大統領は人気や世論の反対を押し切って実行した。そして経済発展の基礎を作ったのである。しかし私は独裁政権は嫌であった。血を流して折角民主化運動に成功したのに独裁へ戻すことに不満があった。朴氏は当時の民衆や私のような学生のレベルをはるかに超えた独裁者であった。人権や独裁は朴正熙氏が暗殺されてからも長く続いたが、1970年代に「セマウル運動」を行い、経済開発と近代化を成し遂げた。それまで疲弊していた農村を、コメの自給も実現した。長い歴史上で彼をどう評価すべきか。王朝のような人権意識の欠如時代であっても立派な王様が存在したように彼は英雄であろうか。
 先日産経新聞の黒田勝弘氏にソウルで会って放談をした。その際彼に悪い日韓関係の改善の展望を求めた。異色な見解を述べた。新年は日韓国交正常化50周年になる記念すべき年、父・朴正煕氏がセマウル運動を断行したように、娘も両国関係の改善に向けて力を発揮してくれるだろう。私もそう思う。