崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

AULD LANG SYNE

2014年12月02日 05時30分33秒 | 旅行
昨日萩在住の金氏からの電話で作曲の話をした。彼のお母さんが書いた「在日90年」をテーマにして彼の息子の声楽、その奥さんのピアノ、彼自身の韓国民謡好きの家族の音楽的「和」の作品を作るという。メロディは嫁、パンソリのリズム、そして息子の歌の出現について、私は聞いてその家の「家和万事成」(韓国ではポピュラーな標語)のハモニーに大賛成、激励した。そこで私に聞かれた点はパンソリ名唱への協力であった。私は歌えなくても音楽鑑賞などを楽しんでいて12月にも音楽公演の鑑賞を予定している。
 私の音楽への関心は音楽文化、音の社会性などへに広がっている。以前日本民族音楽会で韓国の音楽について基調講演をしたことがある。私は幼児のときから巫女の歌を聞き葬送歌や民謡などの中で育った。父は民間音楽奏者のスポンサーであった。このような韓国の音や音楽の研究は日韓にもあり、世界的にも多少ある。そんな中、知人の元岡山大学教授の小林孝行氏から面白いメールをいただいた。小林氏は広島で私の研究室を訪ねてきたことのある方であり、韓国社会・文化を研究対象としている。
 ここ10年ほど西洋の影響を受けて始まった近代韓国音楽を音楽社会学的に研究しておられる。奥さんオルガンの奏者のクラシック系、娘は芸大の学理を卒業してからガムラン音楽に入り込み、インドネシアに留学した。息子はDJをしている。一つの家庭の中にいろんな音楽があり、小林一家音楽会などを開けるようになったようである。氏のブログ「ターちゃんの韓国歌日記」は面白い。「惜別の情」について  

 韓国の旧愛国歌と日本の蛍の光は、スコットランド民謡のAULD LANG SYNEという同じメロディを使用していた。
日本の植民地支配のもと、普通学校で歌われていた日本語の「蛍の光」は歌わなくてもすむようになった。
韓国の愛国歌のメロディとして定められる前までは、AULD LANG SYNEが愛国歌のメロディとして使用された。
卒業式で歌われるということは日本と韓国以外ではあまり聞いたことがない。
日本の植民地支配の時期には、そのまま日本語で歌われた。
韓国で卒業式のAULD LANG SYNEのメロディが、歌詞を変え再び歌われるようになったのは、興味深い。

 私もしばしば触れたように戦後にも同様であったことが確認できそうである。*写真はアイルランドを訪ねた時の風景