崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「製作」とは

2014年12月06日 05時25分25秒 | 旅行
 私は民団系の新聞や毎日新聞(下関)などにコラムを長く連載したことがあり、民団系の新聞には現在も掲載している。先般ソウルで黒田勝弘氏と会った時、彼も一緒に長く連載しているのでそれが話題になった。彼はその新聞社と古い縁があるといい、私も日本留学時代からの縁があることを話した。しかしコラムなどの連載は縁だけでは成り立たない。彼のコラムは毎回ユーモアのある面白い文で私も愛読している。それに比べて私の文は堅く、どのくらい読まれるか未知である。毎回出る筆者の名前が読者にあきないようにしなければならない。連載することはある程度、文に専門的な人でなければならない。地方の新聞などには無名の人が連載するコラムが多い。ただ紙面がもったいないと思う。新聞のコラムは面白さと文章の上手さ、何より繰り返さないこと、鋭利な観察力による新鮮さがなければならない。昨日この地域の山口新聞の一面コラム「四季風」の佐々木正一氏のコラムは別味であった。コラムとして良い例文であろう。ノックするは日本で普通2回、西洋では3回、そしてベトーベンの「運命」などへ進み、それから選挙の話へと時の話題へ戻る構成文であり、素晴らしい。朝日新聞の「天声人語」が有名である。社長が変わって、改革しなければないと言った。小さいコラムや文字一つ、記事一つを大切にするような真の「天声」を聞く新聞に変身てほしい。
 私のエッセイには風刺、皮肉が入っているように書く癖がある。しかしそれが読者へ不快感を与えるのではないかといい、家内により修正されることがある。ドライな論調になる場合もある。最初私の荒い文のままアップしてから家内が読んで修正し、私の納得の上、最終的に更新されるものが多い。ある愛読者の新聞記者に初稿と修正文がキャッチされたことがある。つまり修正の前の文とその後の文まで読んでくれたのである。この度の近刊書は編集者によってさまざまなアドバイスを受けた。十数回メールを繰り返して通信し、最終的にOKとなった。本当にハート出版の編集者である西山世司彦様には大変お世話になり、感謝感謝である。もし筆者が完璧な原稿を出版社に送り、それをほぼそのまま印刷するようであれば、わざわざ出版社を通さなくてよいことだろう。実はそのような本が氾濫する時代になっている。出版社の「製作」の意味は何だろう。今の時代にこそ出版社の製作が必要であると痛感した。