崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

水拷問

2014年12月15日 05時16分51秒 | 旅行
 私は朝鮮戦争で国連軍の性暴行などの体験からいろいろと考えて今度新刊書を出した。平和を守り、平和を作るための戦争であっても戦士は天使ではない。イラクやベトナム戦争でアメリカの兵士が残虐な拷問をしたニュースを聞いて「戦争は正しくない」と強く感ずるようになった。戦争だけの話ではない。数人の担当者による過度なこととはいえ、政権や制度に関わる問題である。「犯罪人に犯罪」のダブル構造となっている。今ブッシュ大統領の時代のCIA(中央情報局)が水拷問の米上院情報委員会の報告が世界的衝撃を挙げている。アメリカは民主主義と正義の国として時々中国などへ人権問題を指摘してきたが、今度中国のしっぺ返しのようにアメリカへ、つまり非民主主義の国が民主主義国家のアメリカへのコメントを出した。滑稽な皮肉に感ずる。
 韓国の水拷問を思いだす。独裁者朴正熙が暗殺されて、横取りした軍事政権が1987年内務部治安局の中で性拷問や水拷問をしたことが漏れ広がり、群衆が怒り立ち上がった。以前は学生中心のデモであったが、大きい民衆蜂起になった。これで韓国の民主主義が大きく進展したのである。植民地日本の警察の悪行を戦後韓国や北朝鮮が負の遺産として行っていた。今日本では刑務所の中に福祉が行われているという。「拷問」が悪いが、刑が福祉と思われても困る。アントン・チェホフはサハリンの流刑囚人を調査して書いた『サハリン島』(1895)で罪、罰、刑、仕事などの関係を深く考えている。罰や刑は「苦」「不幸」を意味するが帝国ロシアの流刑制度は労働移民的な要素があり、それをどう考えるか、彼は述べている。罰と刑についても考えるべきであろう。