崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

翻訳を終えて

2010年03月07日 05時15分08秒 | エッセイ
 昨夜数ヶ月間かかった『朝鮮の巫覡』翻訳を脱稿した。本文と付録700ページの大作業を終えて、最高峰に登頂したような気持である。本文だけを見ながらタイピングする若い時になれた指が良く動いてくれた。読む、訳、打つのが脳を刺激するのか、かなり疲れながらの作業であった。精読ができるので続けたが時には難壁にぶつかった。「恢方」と「六カ敷し」などのことばは文脈からはニュアンスで分かっても正確な意味が分からずいろいろな辞書、韓、日、英のインタネットなどから探してみた。恢方は「病気がなかなか治らないときやその状況」であることが分かった。やっと「六カ敷し」が「難しい」であることを知った時は無駄な時間浪費のようにも思った。早速家内にクィズのように題した。その「六カ敷し」はやはり家内にも分からない「難しい」言葉であった。翻訳を終えた瞬間不思議なメールが送られてきた。韓国の中学校の同級生の廉泰鎬君から中学校1年生の時1953年に級友三人で写した本当に懐かしい写真が添付されている。彼は医科大学の名誉教授であり精神科の医師として現役で働いているという。私にとって貴重な写真を送ってくれて感謝である(写真)。