verse, prose, and translation
Delfini Workshop
蕪村の俳句(13)
2009-01-16 / 俳句


(写真)仕事
五十嵐さんのところで、フォークシンガー梅田慈将さん(1974-)のことを知る。年明けから、ずっと、iPodに入れて聴いている。ぼくは、フォークに詳しくないのだが、3枚のCDを聴いて、思うのは、言葉をとても大事に考えているシンガーだということ。冬の水のように澄んで、春の風のように柔らかい歌。メロディーを聴いていると、どこかユーモラスで、軽みさえ感じてしまう。自然に体に入ってくる歌。
彼のCDはすべて無料で、ホームページから、申し込むことができる。なんと、送料さえ、梅田くん持ちなのだ。本当に善いものは、すべて無料なのかもしれない。
彼のアルバムは、年を経るごとに良くなっている。とくにアルバム「静寂」の深さと不思議な明るさに惹かれた。
◇
既に得し鯨や迯(にげ)て月ひとり 自筆句帳(明和五年)
■鯨が逃げた後、月が海を照らすのみ。その静謐な風情に惹かれた。「月ひとり」という措辞は面白いと思った。「月ひとつ」と比べると、その風景を見ている自分もまたひとりという孤独感が滲む。
◇
Sound and Vision
Richter & Vedernikov play Bartók: Sonata for 2 Pianos (2/4)
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theoretical mementoes 1

もし自分が馬鹿なことを考え、本当にそう感じたとしても、あわてて闇に葬らない方がいい。その馬鹿なことは、まがりなりにも一度は生まれてきたのだ……。いったいなぜ生まれることができたのか? ちょっと立ち止まって考えてみよう。 ポール・ヴァレリー
■二つの言葉の使い方。概念的にしゃべることと音楽的にしゃべることは、たぶん、好対照をなすのだろう。概念的にしゃべるとは図式的に事態を明示する言葉の使い方で、人間の視覚・イメージ作用に大きく依存している。理論的にしゃべると言ってもいいかもしれない。これは、事態を単純化するので、概念から何かがいくつも零れおちる。だが、事態を明確化し論理的に解き明かす。ときに、事態そのものを変える。音楽的にしゃべるとは、事態そのものになることである。詩人の本来的な役割はここにあると思われる。概念的にしゃべりながら、音楽的であることが、すぐれた散文の条件ではなかろうか。音楽的にしゃべりながら、概念的であろうとすると、詩は失敗する。当たり前かもしれないが。
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芭蕉の俳句(214)
2009-01-13 / 俳句


(写真)千葉のモノレール
日曜は、句会だったのだが、仕事で行けず。先生が出席されたはずなので、残念だった。
昨日、新聞を見たら、朝日の調査で、内閣支持率19%、読売で不支持率72%。麻生は制度の上で開き直っているけれど、実質的には、「自称総理」。自民・公明・創価学会による「偽装内閣」。笑った後に、非常な怒りを感じるね。
新しい形でのインターナショナルやコミットメントに関心があり、関連の文献を調べているのだが、その中に、フランスの社会学者ピエール・ブルデュー(1930-2002)の「新しいインターナショナリズムのために」(1997年)(『市場独裁主義批判』藤原書店 2000年所収)がある。ブルデューが述べている「新しいインターナショナリズム」の対象地域は、ヨーロッパのことなのだが、いくつか、インターナショナリズムとして、実践的で具体的な提言が述べられている。たとえば、
・最低賃金の決定(地域間格差を考慮して差異化した最低賃金)
・直接的な競争関係にある分野の社会的ダンピングを阻止するための対策
・共通の社会的権利を規定した法律の制定
(ある国ですでに存在する権利は取り入れ、まだ存在しない国ではその実現をめざすことで、各国の社会政策を統合していく法律。たとえば、報酬のある仕事を持たずに他に収入源のない人たちのための最低所得の設定。就職権や住居権の設定)
・全体の利益にかなった共通投資政策の策定と実施
今までも言われてきたことも含むが、昨年秋の金融危機以来、国家の拡大、ケインズ主義の復権、ブロック化といった流れの中で、考慮に値するものを含んでいるように思われる。
◇
秋夜
秋の夜を打ち崩したる話かな (意専・土芳宛書簡)
■元禄7年作。この句は、嵐山光三郎の『悪党芭蕉』の中で初めて知った。初め見た時は、斬新で、前衛的な感じを受けた。それは、「打ち崩したる」という措辞が大きいと思う。「秋の夜」というものが、芭蕉の時代ほど、「さびしい」という否定的で共同体を前提にしたとらえ方ではなくなり、むしろ、ひっそりと落ち着いて、読書でもしたくなるような、あるいは、己の人生を振り返るような、そんな個人的で内省的な、肯定的とも言える契機をもつようになったことが背景にはあるだろう。それだけ、周りに「ひそやかさ」がなくなった。だが、芭蕉の意図を知って、読み返してみると、この句は、秋の夜のひそやかさを逆に際立たせ、大きな夜に抱かれている安心感を感じさせて、その意味で、惹かれる。古典の持つ季語の本意は、現代では、隠れて見えなくなってしまった感覚を思い出させ、現代という時代の問題性を浮かび上がらせる。
◇
Sound and Vision
Richter & Vedernikov play Bartók: Sonata for 2 Pianos (1/4)
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ドイツ語の俳人たち:Udo Wenzel(3)
2009-01-10 / 俳句


(写真)無題
昨日は、TJ大学にレクチャーに行ってきた。学生さんは、かなりしづかに聴いてくれた。抽象的な話もあったのだが、初めにしては、うまくいった方かも知れない。近いうちに、レクチャー原稿をPDFでアップしておきたいと思っている。どうやってアップロードするのか、実はまだ、よくわからないのだが。
帰りに、某所でI先生と飯を食いながら、いろいろ話したのだが、そのときの話が非常に面白かった。「ユダヤは西欧世界の中の他者である」というテーゼから、かなり、いろいろなものが鮮明に見えてくるのであった。また、「倫理」には、その基盤に対面的な人間関係があるという指摘は、とても示唆的だった。ここから、機械に媒介されると大量殺戮が可能になるという現象が、うまく説明できるからだ。技術は一面で、人間と人間の距離を引き離す。その結果、倫理的な基盤が崩壊していく。身近なところでは、ネット上のコミュニケーションや討議に倫理性が欠ける理由もここからよく説明できる。
◇
Am Kirchwiesenrain
blühen Glockenblumen.
Ein Schlafsack dreht sich.
教会の草地の先に
風鈴草が咲いている
ねじれた寝袋
■教会の草地に寝袋があるのが、どういう状況なのか、よくわからない。率直に言って、さほどの句ではないと思う。そう思うなら、選ぶな! と自分に突っ込みを入れておく。
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Sound and Vision
Anne-Sophie Mutter - Mozart Violin Concerto No. 5 (K. 219) 3rd movement
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作品1
2009-01-08 / 詩


(写真)梅の花芽
今、コールサック社の鈴木比佐雄さんが、『大空襲詩集』というアンソロジーを編集している。これに参加すべく、去年から、試行錯誤してきたのだが、当初は、ドイツのドレスデン爆撃をモチーフに詩を書く予定だった。いろいろ資料を調べスケッチしてみたが、知識だけでは、詩にならず、結局、断念した。そうこうしているうちに、イスラエルのガザ空爆が始まり、地上侵攻まで始まった。どうせ書くなら、今、目の前で起きているこの空爆を書くべきだと考え直し、いろいろ、考えてみた。イスラエル=悪=米英=加害者、パレスティナ=善・被害者という単純な図式では、歴史は把握できない。しかも、日本という遠方の国にいて、入ってくる情報は、限られている。当事者の痛みや苦悩は、本当のところは、わからないし、わからないという地点から歩き出すしかない。できることは、ごく限られている。ぼくがしたことは、この戦争をやめさせるある国際的な署名運動に参加したことと、以下のテキストを書いて、『大空襲詩集』に送ったことだけである。今、テキストと言ったが、これは、詩かどうかのぎりぎりの線にあると思うからだ。表現に凝ったり、気の利いた思想を述べたりするゆとりはなかった。
◇
ガザ2009
ここにはその詩はない
だから これは詩ではない
その詩はどこにあるのか
突き刺さるものの中にか
あふれ出るものの中にか
かっと見開いたものの中にか
ここにはその詩はない
女のまなざし
座り込んだ背中
散らばったサンダル
天のしづけさ
わたしは笑うことも
歌うことも
悲しむことも
怒ることもできない
夜の雪はめまいであり
冬の銀河は耳鳴りである
◇
Sound and Vision
Anne-Sophie Mutter - Mozart Violin Concerto No. 5 (K. 219) 2nd movement
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Jack Kerouacの俳句(5)
2009-01-07 / 俳句


(写真)凍み大根
叔母の見舞いに行ってきた。幸い順調な回復。退院の日取りを決めてきた。今日は、保険関連の手続きの電話やらなにやら。午後、仕事。詩も俳句も、どうにか提出することができた。とくに、俳句は、一日一句を一年間継続してみて、いろいろ、考えるところがあった。「笑い」の追及をめざしたが、なかなか、うまくいかず、今後に課題は持ち越された。
見舞先の近くの喫茶店で、カレーオムライスなるものを食した。オムレツ専門店にはよくあるメニューらしいが、ぼくは、初めてで、なかなか、旨かった。普通、想像すると、オムライスのあのトマトケチャップの効いたライスとカレーがそれぞれ、自己主張して、調和しないのではないかと思うのだが、そこが上手く工夫されていた。両方とも控えめなのである。
◇
Mule on the seashore
One thousand foot
Bridge above
海辺のスリッパ
それを跨いだ
一千の足
■海辺に打ち上げられたスリッパを見てそういう想像をしたところに惹かれた。ぼくなら、one thousand feet bridgesと複数にしてしまうと思うが、単数にしたときの感覚がよくわからない。
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Sound and Vision
Anne-Sophie Mutter - Mozart Violin Concerto No. 5 (K. 219) 1st movement
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蕪村の俳句(12)
2009-01-04 / 俳句


(写真)passing
今日は、掃除してから、とくに何もせず、ぼーっとしていた。夕食にカレーを作る。
◇
思ふ事いわぬさまなる生海鼠哉 「落日庵」(明和七年)
■なるほどと感心してしまった。あの海鼠の姿は、そう言えばそう見える。テキストによると、徒然草第19段に「おぼしきこと言はぬは腹膨るるわざ」とあるらしい。ここから着想したのだろうが、それを知らないで読んでも説得力がある。
◇
Sound and Vision
Mozart - Piano Concerto No. 27 - III - Ursula Oppens & Dennis Russell Davies
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飴山實を読む(95)
2009-01-03 / 俳句


(写真)初詣
『チェーザレ』(惣領冬実)を読んでいて、夜更かししてしまった。日本語未翻訳のイタリア語資料を渉猟してある。今では変わってしまった建築物なども、資料から再現しているのだ。物語も面白い。これを読んで、チェーザレ・ボルジアのイメージが変わってきた。
今日は、歌い初めで、カラオケに行く。L'Internationaleを歌うつもりだったが、やはり、載ってない。この歌の起源はパリコミューンまで遡り、フランスの詩人と作曲家の手による名曲である。代わりに、新井英一の「清河への道」を歌う。全部で48番まであるのだが、さすがに、カラオケでは8番までしか登録されていない。
◇
畑なかの猫とねめあひ日向ぼこ 「花浴び」
■笑える。おかしい。「ねめる」は「にらむ」の古風な言い方。猫と一瞬の睨みあい。ぼくもよくやるので惹かれた。「畑なかの猫」というところがいい。
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Sound and Vision
新井英一 清河(チョンハー)への道
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ドイツ語の俳人たち:Udo Wenzel(2)
2009-01-02 / 俳句


(写真)初空
朝、年賀状を出しに郵便局へ。風が冷たい。今日は家人が雑煮担当。ぼくと家人では、雑煮が異なるので、毎年、2種類の雑煮を食することになる。
正月はいつも、詩人の柴田三吉さんから、『Junction』という詩誌を送っていただく。これを読むのが年頭の習慣で、いわば、読み始めとなる。この詩誌はとても魅力的で、柴田さんと草野信子さんという二人の詩人の詩と散文よる対話だけで構成されている。
そのちいさな穴から
まだこの世のものとも定まらぬ
いのちが出入りしているのだという
ひよひよ うすい膜をふるわせて
いのちはときに
たわいない擬態語で
つかまえられる
柴田三吉「ひよめき」部分
■命は深いもの、尊いもの、という面だけに、考えが向かうとき、意味とは異なった「ひよひよ」という音楽に耳を澄ますのは、大事なことかもしれない。
◇
Am Neujahrshimmel
Sterne gleich glitzerndem Glas,
getauscht gegen Gold.
初空
玻璃のようにまたたく星々
それは黄金にも匹敵する
■ヴェンツェルさんが、新年の挨拶句をアップしているので、訳出してみた。
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Sound and Vision
Friedrich Gulda & Herbie Hancock - Night & Day
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芭蕉の俳句(213)
2009-01-01 / 俳句


(写真)無題
早朝から起きだして、近所の神社に初詣。その後、江戸川を初ウォーキング(30min: pulse 61/64: objective 117)。風が非常に冷たい。耳が痛い。初富士は雪化粧であった。帰宅して、担当の雑煮を作る。
◇
十三日は住吉の市に詣でて
升買うて分別かはる月見かな (正秀宛書簡)
■元禄7年作。おかしい。ただただおかしい。住吉の市で升買ったら、月見に行く気がなくなったという。調べてみると、実態は、月見に誘われていたが、途中で悪寒が起こって行けなくなったことを詫びた挨拶句のようである。だが、考えてみるに、この句は、そうした体調の悪さをユーモアで包んだなかなかの句だと思うが、月見の会に来ていた連衆の側から見ると、どうなるだろう。率直に、体調が悪いと言った方がいい気がする。恐らく、この情報は伝わっていたと思われる。でないと、このユーモアのユーモアたる深みが伝わらないからだ。
◇
Sound and Vision
Dream (1948) by John Cage
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