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theoretical mementoes 1

(写真)炎


もし自分が馬鹿なことを考え、本当にそう感じたとしても、あわてて闇に葬らない方がいい。その馬鹿なことは、まがりなりにも一度は生まれてきたのだ……。いったいなぜ生まれることができたのか? ちょっと立ち止まって考えてみよう。
 ポール・ヴァレリー

■二つの言葉の使い方。概念的にしゃべることと音楽的にしゃべることは、たぶん、好対照をなすのだろう。概念的にしゃべるとは図式的に事態を明示する言葉の使い方で、人間の視覚・イメージ作用に大きく依存している。理論的にしゃべると言ってもいいかもしれない。これは、事態を単純化するので、概念から何かがいくつも零れおちる。だが、事態を明確化し論理的に解き明かす。ときに、事態そのものを変える。音楽的にしゃべるとは、事態そのものになることである。詩人の本来的な役割はここにあると思われる。概念的にしゃべりながら、音楽的であることが、すぐれた散文の条件ではなかろうか。音楽的にしゃべりながら、概念的であろうとすると、詩は失敗する。当たり前かもしれないが。
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