verse, prose, and translation
Delfini Workshop
刑務所の中
2006-10-09 / 映画
月曜日、。旧暦、8月18日。
どうも風邪らしい。めったに引かないのだが、昨日は悪寒がひどく、今日は体が重い。熱はないが、予定していた作業は中止して、ぼーっとすごす。
◇
映画「刑務所の中」(崔洋一監督、山崎努、香川照之他、2002年)を観た。この映画の原作は、花輪和一の同名のコミックである。数年前に読んで、面白かったので、映画化されたと聞いて、楽しみにしていた。封切りは観られなかったので、前からTSUTAYAで探していた。
銃刀法違反で懲役3年の刑を受けた花輪さん自身の旭川刑務所での体験がそのまま描かれている。体験自体が特異なので、映像はどこを取っても驚くようなことばかりである。それでいて、暗くない。むしろ、コミカルである。そのコミカルさは、現実のある面が極端化され、それを大真面目に行うところにあるように思う。房の外では、歩き方や歩数まで決められており、トイレは許可を得なければならない。作業中にトイレに行くときには、手を上げて「ねがいまーす」と大声で刑務官に願い出るのである。刑務官は、教壇のような高いところにいて、作業を監視し、手を上げた受刑者に応えて、指差すのであるが、その指し方が意識的で大仰で実におかしい。何かを指差すときには、いきなり指すのが普通だが、刑務官は、いったん、指先を背中側にもってきてから相手を指差す。腕の動きは180度を動くことになるので、実に派手な指差し方なのである。
この映画で印象的だったのは、受刑者・刑務官の体の動きである。とりわけ、監視される受刑者の体の動きは面白い。房(5人一部屋)の中は別として、いったん外に出て作業場に向かったり運動場に向かったりするときには、指先まで監視が行き届き、管理されている。集団で行進するときなどは、ある種の美しささえある。まさに、刑務所は極限の管理社会である。
面白いのは、反抗する人間がほとんどいないことだ。むしろ、支配されることに喜びを見出し、進んで服従しているふしがある。花輪さん自身、房内で「不正連絡」をしたかどで、懲罰独房に入れられるのであるが、ここの居心地が集団房よりいい。個室で、風呂も一番風呂。作業は独房内で行い、薬局で使用する紙袋の作成作業という軽作業(花輪さんは自発的に、一日200個作成に挑戦して実現している。ノルマはなさそうだった)。ただし、トイレは個室内に設置されているが、自由に使用できない。ここでも許可を受けなければならない。その他は、実に良さそうなのだ。花輪さん自身、ここで一生すごせと言われたら、3日泣くけれど、諦めがつくだろうな、と回想している。刑務所生活で一番の思い出になったところらしい。
刑務所の食事は、意外にいい。普段は米7割麦3割の飯を主体に、少量のおかずが3品くらい、汁物が1品。中でも、正月三が日は、娑婆以上かもしれない。2、3キロ太るという冗談が出るくらいである。24時間監視され、刑務官にしょっちゅう「たるんでいるぞ」と大声でどなられたり注意されたりするものの、作業は週休2日で、休日には映画鑑賞もある。
日本の「刑務所文化」の起源・モデルは、たぶん、日本帝国軍隊にあるのだろう。刑務官はいわば、上官で受刑者は初年兵である。映画では、刑務官の暴力はなかったが、数年前に刑務所内の暴力が社会問題化したことがあった。刑務官の絶対的な権力を見ていると、そこから物理的な暴力までは近いなという気はした。
極限の管理社会にプライバシーはない。どこまでも刑務所内の空間は明るく透明で、「個人」はない、「内面」はない。食欲・性欲・睡眠欲は、ミニマムに抑えられている。種々の欲望が抑制されているという点で、刑務所は、おそらく、日本でもっとも非資本主義的な社会圏の一つだろう(刑務所の画面を見ていて美しく感じるのは、こっち側の欲望まみれの現実がそう感じさせるに違いない)。けれど、人間である。欲望はあるはずだ。抑えられればそれだけ溜まる。一説では、北朝鮮の兵士は、若い女性が笑っただけで、射精してしまうとも言われている。食欲・睡眠欲は統制できるとしても、性欲はどうしているのだろう。その辺の現実も描かれていると、コミカルを超えたディープでブラックな味わいが出たかもしれない。
どうも風邪らしい。めったに引かないのだが、昨日は悪寒がひどく、今日は体が重い。熱はないが、予定していた作業は中止して、ぼーっとすごす。
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映画「刑務所の中」(崔洋一監督、山崎努、香川照之他、2002年)を観た。この映画の原作は、花輪和一の同名のコミックである。数年前に読んで、面白かったので、映画化されたと聞いて、楽しみにしていた。封切りは観られなかったので、前からTSUTAYAで探していた。
銃刀法違反で懲役3年の刑を受けた花輪さん自身の旭川刑務所での体験がそのまま描かれている。体験自体が特異なので、映像はどこを取っても驚くようなことばかりである。それでいて、暗くない。むしろ、コミカルである。そのコミカルさは、現実のある面が極端化され、それを大真面目に行うところにあるように思う。房の外では、歩き方や歩数まで決められており、トイレは許可を得なければならない。作業中にトイレに行くときには、手を上げて「ねがいまーす」と大声で刑務官に願い出るのである。刑務官は、教壇のような高いところにいて、作業を監視し、手を上げた受刑者に応えて、指差すのであるが、その指し方が意識的で大仰で実におかしい。何かを指差すときには、いきなり指すのが普通だが、刑務官は、いったん、指先を背中側にもってきてから相手を指差す。腕の動きは180度を動くことになるので、実に派手な指差し方なのである。
この映画で印象的だったのは、受刑者・刑務官の体の動きである。とりわけ、監視される受刑者の体の動きは面白い。房(5人一部屋)の中は別として、いったん外に出て作業場に向かったり運動場に向かったりするときには、指先まで監視が行き届き、管理されている。集団で行進するときなどは、ある種の美しささえある。まさに、刑務所は極限の管理社会である。
面白いのは、反抗する人間がほとんどいないことだ。むしろ、支配されることに喜びを見出し、進んで服従しているふしがある。花輪さん自身、房内で「不正連絡」をしたかどで、懲罰独房に入れられるのであるが、ここの居心地が集団房よりいい。個室で、風呂も一番風呂。作業は独房内で行い、薬局で使用する紙袋の作成作業という軽作業(花輪さんは自発的に、一日200個作成に挑戦して実現している。ノルマはなさそうだった)。ただし、トイレは個室内に設置されているが、自由に使用できない。ここでも許可を受けなければならない。その他は、実に良さそうなのだ。花輪さん自身、ここで一生すごせと言われたら、3日泣くけれど、諦めがつくだろうな、と回想している。刑務所生活で一番の思い出になったところらしい。
刑務所の食事は、意外にいい。普段は米7割麦3割の飯を主体に、少量のおかずが3品くらい、汁物が1品。中でも、正月三が日は、娑婆以上かもしれない。2、3キロ太るという冗談が出るくらいである。24時間監視され、刑務官にしょっちゅう「たるんでいるぞ」と大声でどなられたり注意されたりするものの、作業は週休2日で、休日には映画鑑賞もある。
日本の「刑務所文化」の起源・モデルは、たぶん、日本帝国軍隊にあるのだろう。刑務官はいわば、上官で受刑者は初年兵である。映画では、刑務官の暴力はなかったが、数年前に刑務所内の暴力が社会問題化したことがあった。刑務官の絶対的な権力を見ていると、そこから物理的な暴力までは近いなという気はした。
極限の管理社会にプライバシーはない。どこまでも刑務所内の空間は明るく透明で、「個人」はない、「内面」はない。食欲・性欲・睡眠欲は、ミニマムに抑えられている。種々の欲望が抑制されているという点で、刑務所は、おそらく、日本でもっとも非資本主義的な社会圏の一つだろう(刑務所の画面を見ていて美しく感じるのは、こっち側の欲望まみれの現実がそう感じさせるに違いない)。けれど、人間である。欲望はあるはずだ。抑えられればそれだけ溜まる。一説では、北朝鮮の兵士は、若い女性が笑っただけで、射精してしまうとも言われている。食欲・睡眠欲は統制できるとしても、性欲はどうしているのだろう。その辺の現実も描かれていると、コミカルを超えたディープでブラックな味わいが出たかもしれない。
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