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一日一句(302)






糸桜いま立春の空を降り





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L・Wノート:Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik(26)


■旧暦1月14日、日曜日、

(写真)枝垂れ桜の空(莟は固いが確か)

なんだか、今日もバタバタしていた。午前中、雑用。午後、特養へ。往復40分のウォーキング。夕方、買い物して帰宅。自宅で、ダンベルの筋トレの再開。何ヶ月ぶりか忘れた。本の片付け二日目。詩の雑誌関係と詩集の整理。

Cioranの未訳テキスト『Solitude et destin』(孤独と運命)が届いた。1930年代にルーマニアで発表されたエッセイが中心だが、北斎やヘーゲルについて書かれたものなど、興味深い内容。ぼちぼち、マイペースで、ここで、読んでいきたい。入手テキストはルーマニア語からのフランス語訳版。

深夜、「宇治拾遺物語」を読んでいて、秦の始皇帝の時代に、天竺から、僧侶が中国に布教に来た、という話があって驚いた(巻第15第10段)。仏教説話なので、始皇帝に怪しまれて幽閉されてしまった僧侶が、釈迦に救援を熱心に祈ると、紫黄金の光の丈六の仏が、監獄をぶち破って助けに来る、という話なのだが、こういう話が伝わっているところをみると、インドの僧がやって来たのは、まんざら、嘘でもないような気がする。仏教の中国伝来は、一般に、後漢(1世紀ごろ)の時代と言われているが、秦の時代(紀元前220年ごろ。釈迦の入滅は、秦の成立よりも260年前になる)にすでに来ていたとしても、おかしくはない。シルクロードに近いものはすでにあったのかもしれない。



28. Der Beweis konstruiert einen Satz; aber es kommt eben drauf an, wie er ihn konstruiert. Manchmal z.B konstruiert er zuerst eine Zahl und dann folgt der Satz, dass es eine solche Zahl gibt. Wenn wir sagen, die Konstruktion müsse uns von dem Satz überzeugen, so heißt das, dass sie uns dazu bringen muß, diesen Satz so und so anzuwenden. Dass sie uns bestimmen muß, das als Sinn, das nicht als Sinn anzuerkennen. Ludwig Wittgenstein Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik p. 164 Werkausgabe Band 6 Suhrkamp 1984

証明は一つの命題を構成する。だが、重要なのは、その証明がどのように命題を構成するかである。たとえば、最初に、証明がある数字を構成し、その後で、その数字が存在する、という命題が構成されることもある。構成するとは、その命題をわれわれに納得させることだというとき、それが意味するのは、この命題は、こんなふうに用いるということを、その構成がわれわれに教える、ということである。つまり、その構成がわれわれを規定して、ある命題は意味があると認め、ある命題は意味があるとは認めない、ということである。

■命題の意味・無意味は、その使い方で決まる。証明が、命題を構成するとは、証明が、命題の使い方を指示する、ということである。ということだと思う。言葉の意味は、その使い方で決まるが、それを命題にまで拡大し、証明の役割は、命題の正しさを承認させることではなく、その使い方をわれわれに指示することだ、としている。この考え方は、証明の外部や命題の外部に真理が存在する、という前提を破壊している。主客の二元論を否定している。その意味で、ヴィトゲンシュタインもポストモダニストと言えるのかもしれない。

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