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Cioranを読む(93): Hegel et nous(2) 1932


■旧暦1月22日、月曜日、

(写真)無題

今日も、本の整理。最近、妙な趣味ができた。100円シャープペンの収集である。正確には、100円未満がほとんどだ。コンビニや100均、スーパーの文具売り場などにも出ている。シャーペンは、翻訳でよく使い、塾の指導でも使うので、いろいろ、試してみた。芯の太さもさまざまに替え、シャーペン自体もコレクションみたいに増えて行った。そんな中に、数年前、お金を崩すために、気まぐれにコンビニで求めたPILOT SUPER GRIP 0.5というシャープがある。100円以下なので、振り向かず、一二度使用しただけでほおっておいたのだが、これを何かの拍子に使ってみて、驚いた。非常に書きやすい。書くことだけに特化している。いろいろ、試した結果が、これに落ち着くことになったのである。それから、いろいろなメーカーの100円シャープを試しているが、どれも、総じて書きやすい。大きな消しゴムがセットされていて、便利である。値段の安さは、リサイクルプラを使用している点にあるようだ。



La pénetration intuitive s'impose pour en surprendre le caractère original car, plus que tout autre système philosophique, celui de Hegel comporte un vécu spécifique, une attitude particulière inaccessibles à une approche purement théorique. Cioran Solitude et destin(1991) p.164

それで、ヘーゲル哲学の独特の性格を見抜くには、直観的な洞察力が必要になる。というのは、何よりも傑出した哲学体系であるヘーゲル哲学は、純理論的な考え方とは相容れない特殊な体験や独特の態度を含んでいるからだ。

※en surprendreのenの役割が今一つわからない。

■とても、面白い。生の哲学にも、文学にも通じている。ヘーゲル哲学を認識論的に理解するよりは、文学的に理解した方が、その起源に近い気はする。ヘーゲルの存在論的な解釈というのも、生の哲学との関わり抜きには考えにくい。


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