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Cioranを読む(94): Hegel et nous(3) 1932


■旧暦1月23日、火曜日、、ヴァレンタインデー

(写真)無題

neuhausというベルギーのChocolatierがある。ここの製品に、カカオの生産国別に包装された小さなチョコのシリーズがある。TANZANIA、PAPUA、ECUADORとあり、なるほど、と思っていると、中に、SAO TOMÉ(サントメ)という国があって、なんだろうと思ってしまった。どこだと思いますか(写真は、ここから>>>)。アフリカ西部のギニア湾に浮かぶ、小さな島。ここは、旧ポルトガル領。ポルトガルがユダヤ系住民の流刑地として利用していた元無人島らしい。世界最貧国の一つ。このチョコレートは、島の歴史ように苦かった。



C'est porquoi certains s'attachent d'emblée à Hegel, tandis que d'autres lui sont étrangers à jamais. Ce qui prouve qu'il ne laisse indifférent aucun de ceux pour qui la philosophie est essentielle. L'importance de l'élément vivant pripre à un mode de vie spécifique, toujours présent derrière la construction théorique, explique qu'on ait tellement insisté sur la nature romantique de Hegel.
Cioran Solitude et destin(1991) p.164

そういうわけで、ヘーゲルとは永遠に無縁の人もいれば、すぐに強い親近感を覚える人もいる。むしろ、ヘーゲルにはまったく関心がないと言う人ほど、ヘーゲル哲学が必要なのである。ヘーゲルの哲学で重要なのは、ある具体的な生の様式に合致し、普段は、理論的構成の背後に隠れてしまっている生き生きとした要素である。この点に注目すると、ヘーゲルのロマンティックな性質が、これまで強調されてきたことも理解できる。

■面白い。バタイユをシオランはどう思っていたのか、知りたいところ。確かに、ヘーゲルもマルクスも、その文章に冴えた文学的表現が顔を出す。二人とも、文学青年を経由している。これは、意外に重要な点かもしれない。ヘーゲルは、フランス革命に熱狂し、ヘルダーリンと親友でもあったのだのだから、ロマン主義的な傾向があったのは、確かだろう。

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一日一句(307)






ヴァレンタインの日中年の背にも羽





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