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スイス:Basel(3)


(写真)St. Alban- Tor

このセント・アルバン門には、人が生活している。もちろん、幽閉されているわけではない。自転車を置いたりして、普通に生活しているのである。部屋番号が掛っていた。

スイスで、というより、一般に欧州はどこでもそうなのだろうが、一番困ったのは、飯をどこで喰うか、という問題である。『地球の歩き方』やウェブで、あらかじめ、評判のいい店の目星をつけておき、旧市街を散策して、ライン川沿いのカフェで、昼飯を食おうとしたが、どこも、午後2時までで、ランチタイムは終了。店は閉まってしまう。仕方なく、ミュンスター広場を抜けて、Markt Platz方面へ、Freie Strasseを歩いて行ったが、食事のできる店は見当たらない。Freie Strasseは、車両の通行が禁止され、歩行者天国のようになった区間があり、両側は、ブランドショップやファッション関連のビルで華やかである。日本の感覚では、こういう通りに出れば、カフェの一つや二つ、軽く見つかるはずだが、Baselは、そうは問屋がおろさない。カフェはカフェで、どうやら、かたまっているらしいのである。Markt Platzへ出る手まえを左に折れた細い通りを奥へ、歩いてい行くと、めづらしく、野菜と食肉の小売店があった。スイスの小売店については、また、別途、触れるが、とにかく、めづらしい。大型スーパーのMigrosとCOOPが主要都市には必ずあって、食品の小売と言えば、広場に出る、産直の屋台くらいしかないのである。ま、とにかく、その細い道を先に進むと、カフェがかたまってある狭い広場に出た。その中に開いている店をやっと見つけたというわけである。結構、歩いた。料理は、ラタトゥイユの上に、チーズを載せて、オーブンで軽く焼いたものを頼んだ。かなり美味だったが、写真を撮るのを忘れた。

 セント・アルバン門への道。

  同上。

ご覧のように、黄葉して落葉しているが、植物によっては、まだ、新緑に近いようなフレッシュグリーンだったり、さまざま。ただ、言えるのは、もみじのような鮮やかな紅葉がほとんどないということ。基本は、黄色と緑のグラデーションなのである。

  Basel旧市街。緩やかに傾斜しているのがわかると思う。

  Basler Muensterとトラム。

  Basel旧市街にて。

今後、何回も目にすることになる配色が、この建物にも見られる、窓の緑である。窓は、緑で塗られているケースが圧倒的に多く、赤がちらほら。建物は、どれも非常に清潔で、美しい。Bernの旧市街を紹介する時にも、触れるが(このとき、ちょっとしたサプライズがある。おそらく日本で紹介されたことは、ないんじゃないだろうか。あのヘーゲルが、3年間、家庭教師をした都市貴族のシュタイガー家の建物を写真に収めることができたのである)恐らくは、昔は、一家族が住んでいたものと思う。都市貴族が多かったのではなかろうか。Baselの場合には、オフィスが入っているケースも多かった。Bernになると、集合住宅になっており、一般の人々が暮らしていた。









 


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L・Wノート:確実性の問題(19)


(写真)ラインに流れ込む小川にかかる水車 in Basel



142 Nicht einzelne Axiome leuchten mir ein, sondern ein System, worin sich Folgen und Prämissen gegenseitig stützen.  Wittgenstein Über Gewißheit Suhrkamp 1984    

われわれが受け入れるのは、一つ一つの公理ではなく、結論と前提が相互に支え合う一つの体系である

■この142と143、140を読むと、確実性を形成する命題は、ほかの命題との連関体系の中にあるとともに、一つの命題の中に、すでに結論と前提が含まれていて、それが、一つの体系を構成していることを示している。

143 たとえば、わたしが、ある人が何年も前にこの山に登った、と聞かされたとする。こういうとき、わたしはいつでも、語り手が信頼できるかどうか、この山がそんな昔から存在するかどうか、調べるだろうか。あてになる語り手とあてにならない語り手があることを子どもが学ぶのは、物語られる事実を学ぶよりもずっと後のことだ。子どもは、その山がはるか昔から存在していたことなど、まったく学ばない。本当にそうかどうか、という問いは、けっして生まれない。子どもはいわば、自分が学ぶことと一緒にこの前提も飲みこんでしまうのである。



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L・Wノート:確実性の問題(18)


(写真)落書き in Basel



140 Wir lernen die Praxis des empirischen Urteilens nicht, indem wir Regeln lernen; es werden uns Urteile beigebracht und ihr Zusammenhang mit andern Urteilen. Ein Ganzen von Urteilen wird uns plausibel gemacht. Wittgenstein Über Gewißheit Suhrkamp 1984 

われわれが、経験的判断の仕方を学ぶのは、規則を通してではない。さまざまな判断がわれわれに示され、それらと他の判断の関連性が示されるからである。われわれは、さまざまな判断からなる一つの全体を身につけるのである。

■確実性を形成する判断や行動様式は、経験的なテストによる真偽判定を経て学習されるわけではなく、意識的な内省を経て獲得されるわけでもなく、いきなりそこ(社会・文化・時代)へ投げ込まれて、実地に、習得する。これが「信」すなわち行動様式の形成プロセスだが、それは、一つ一つ独立した判断(行動様式)としてではなく、一つの全体として身につけられる。しかも、確実性/不確実性、信/不信は、区分はできても、その違いは流動的で、明確な線引きはできない。そういうことだろうと思う。

判断や行動は、単独ではなく、他との関連の中で身につけられ、ある全体性を構成しているという考え方は、「確実性」の議論を越えて、認識論一般とも関連してくる。経験主義では、個々のものは認識できるが、全体の認識は、信仰の問題として放棄する。つまり、知と信を分離する。科学の誕生である。ヴィトゲンシュタインは、知と信の問題を、確実性の問題として考察し、行動様式(判断様式)獲得の問題として提起している。

ヴィトゲンシュタインは、経験的なテストを、否定しているわけではないが、テストされる領域とテストの規則になる領域を、不確実性/確実性として、はっきり区分している。むしろ、論点は、経験的な検証可能性ではなく不可能性にある。なので、論理実証主義のヴィトゲンシュタイン受容は、イデオロギー論的(科学主義的な)には、興味深いが、ズレた理解だと思う。

ただ、問題は、哲学史上の影響関連だけではなく、むしろ、知と信の問題を行動様式の問題と関連づける解決法が、どういうアクチャリティーを持つかだろう。知と信の区分の変遷を、行動様式から辿り、信のありようの変化を示せれば、面白い仕事になるかもしれない。マイハイムなどの知識社会学は、知識の構造は問題にするが、知のベースの信の構造までは問題にしていないのではないだろうか。確認してみる必要はあるが。





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スイス:Basel(2)

■旧暦9月14日、木曜日、

(写真)バーゼル旧市街の階段。その先はライン川。

そう言えば、シャルル・ドゴールの入国検査はやけに厳しかった。電子機器や液体ははもちろん、上着も帽子も靴も脱がされた。いつもあんなのだろうか。エックス線検査の担当官は真剣な顔だった。テロの警戒情報との関わりが大きいのかもしれない。CDGからBasel空港まで、一時間弱で行く。飛行機は小型で、乗客は滑走路を歩いて搭乗である。搭乗者は、ほとんど、スーツのビジネスマンで、なかに、ちらほら、東南アジア系がいる感じだった。後ろを見ると、機内はガラガラだった。シーズンを過ぎたせいかもしれない。空港も閑散。帰りは、ジュネーブ空港からCDGまでのフライトだったが、こっちは、フランスとの結びつきが強いらしく、大型機で満員の盛況。やはり一時間弱で、パリまで行く。ジュネーブ駅構内には、フランス直行の列車専用ホームが複数あった。

  Basel旧市街を行くトラム。

フランスとスイスの結びつき、ドイツとスイスの結びつきという観点もなかなか面白く、フランス語圏のジュネーブ駅前のホテルには、これでもか、というくらいスイス国旗が立っている。実際、ドイツ語圏のBernからフランス語圏のLausanneに行くと、なんだか、雰囲気が、フランスに来たみたいな感じになる。それは、街と人の雰囲気が変わるからだと思う。ゲルマンの活気のある実直さとも、アングロサクソンの、どこか、芯のあるフランクさとも、まったく別の、開放的な雰囲気が漂う。そうだからこそ、ここは、スイスなのだと、自己主張する必要性もあるのだろう。ドイツとの関連で言うと、BernのThalia書店(スイスドイツ語圏都市にチェーン展開する大型書店:この名前も興味深い。ルカーチやベラ・バラージュが関係したハンガリーのターリア劇場が想起される。関連は聴きそびれた。若い女の子の店員では、聴いてもわからないだろう。ちなみに、Bernの旧市街には、ジョルジュ・ルカーチ博士の精神分析診療所があった。同姓同名である。ユダヤ系と思われる)には、「スイス人は、善きドイツ人か」というタイトルの、ドイツ国旗の赤のラインの真ん中に白抜きの十字が入った皮肉っぽい本が、ベストセラー入りしていた。これらは、スイス人のアイデンティティ問題の複雑さをうかがわせるではないか。

  Basel旧市街のプラタナス並木。

すぐ右手がライン川。この写真は、実は、左手に、車とバイクが駐車している。絵にならないので、カットしたのだが、この並木を撮った直後、面白い事件に遭遇した。ブレザーを着た中年のアメリカ人が、いきなり、目のまえで、駐輪していた400ccのバイクを足蹴りにしたのである。バイクは激しく倒れて、横の車のバンパーに大きくあたり、車体には疵がついた。目のまえにいた、ぼくらと、老婦人二人に、気がつくと、しきりに言い訳を始めた。その言い訳とは…。Baselに帰った別れた女房が、会ってくれないというのである! あっけに取られたぼくらをしり目に、巨体を弾ませながら、ライン川の渡し船に乗りこんだのである。

  Basel市立美術館正面。ヨーロッパでもっとも古い市立美術館の一つ。

十六世紀から二十世紀までの絵画のコレクションが、余裕のある空間配置で展示されている。入場者も多くなく、快適な環境でゆっくり見られた。ここで、一人の黒人の少女を見かけた。掃除婦である。まだ、若かったが、美術館の片隅で、モップを持って、じっと入場者たちを見ていた。BaselやBernでは、黒人やインド系、東南アジア系が働いている。その働いている場所は、レストランの調理場だったり、施設の清掃関係だったり、ホテルのベッドメイキングだったり、スーパーの食品整理係だったりする。あまり、人目に触れない職種である。人にもよるが、悲しことに心が荒れているケースが多かった。乱暴な対応や、横柄な案内となって、それは現れる。あからさまに、ホワイトが差別をしている様子はなかったが、職業選択の自由が、諸々の条件で、制限されているのは、確かだろう。差別構造は、人目に触れにくい形で存在している。

 カフェ前の広場

ここを抜けると、Thalia書店やブランド店が立ち並ぶ歩行者天国のような大通りに出るが、そこで、大いなる出会いをした。焼き栗である。夕方になると、屋台を出すらしく、人々が群がっている。ヨーロッパの焼き栗は、映画などでもよく知られているが、びっくりするような旨さだった。栗自体が日本のものとは違う。焼いただけなのに、まるでバターを使った一品の料理のような深い味わい。Bern駅前の屋台でも買い求めてみたが、Baselの方が格段に旨かった。Baselから離れるとき、栗林のようなものが車窓から見えたので、近郊で栽培されているのかもしれない。

 Basel 旧市街

スイスは、不愉快なことが少ない国だが、一つ参ったことがあった。それは、喫煙者がやたらに多いことである。鉄道でもカフェでも、道でも、人々は煙草を吸っている。富士山と同じくらいの標高のユングフラウヨッホにも、吸殻が落ちていて、驚いた。男女を問わず、年齢を問わず、ホームやカフェで吸っているのである。もちろん、列車内やカフェ内部は全面禁煙である。これと関連するかもしれないが、街には、不健康な陰りがあまりない。街全体が健康的で、優等生みたいな感じなのである。非常にきれいだが、裏通りの陰りがない。混沌がない。観光が主要産業だから、だろうか、民族的な特徴なのだろうか。だから、と言うわけではないが、煙草はスイス人のストレス解消の一つのような気がしてくる。ちなみに、フランス語圏は、ドイツ語圏よりも、陰りがあるように感じられた。

 カフェのトイレの落書き

Baselは、清潔な街だが、いたるところに落書きがある。これは、Baselに限らず、BernにもLausanneにも言える。鉄道関係の施設や教会内部にまであった。トラムでは、開き直って、車体全部を落書きで埋め尽くしているものもあった。列車から見える壁には、場所を提供して落書きを自由に描かせたスペースもあった。


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10月20日(水)のつぶやき

01:01 from web
thank you @amoz1939 for many retweets. i'm really interested in the cultural difference between German area and French one in Switzerland.
10:28 from goo
スイス:Basel(1) #goo_delfini2 http://blog.goo.ne.jp/delfini2/e/941e2e74684f0c3b75a23802a6e49917
by delfini_ttm on Twitter
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