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スイス:Jungfrau/Mönch/Eiger


(写真)Zentrum Paul Kleeの落葉

スイスと言えば、自然であり、山と湖と相場が決まっているが、あまりにも、通俗的で、はじめは気乗りがしなかった。だが、行ってみると、やはり、自然は偉大で、人間の思惑などはねのけて、そびえたっていた。言葉でも写真でも、全容を伝えることはできないが、そのときの写真をアップする。Eiger北壁は、日本の登山家との関わりも深く、Jungfraujochは、日本の観光客も多いらしく、地元の人たちは、かなり親日的。カフェでは、かたことの日本語で話しかけられることも多かった。「マタキテネ!」には笑った。



Jungfraujochへの車窓より、Grindelwald付近。



Eiger北壁



Jungfrau



Jungfraujochのスフィンクス展望台から。雲海



氷河



雲海、標高3,400m



Joch



キバシ鴉、アルプスの動物、保護指定。小ぶりで、かなりきれいな鴉だった。標高3,400mの谷間を舞う。



アルプ鉄道



登山鉄道



Kleine Scheideggの一風景



同上



Jungfrau



Kleine Scheideggのカフェ近く、奥の山はEiger北壁。



Kleine Scheideggからのハイキングコースにて



同上



同上



同上



登山鉄道でWengenへ










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L・Wノート:確実性の問題(21)


■旧暦9月17日、日曜日、

(写真)Augusta Raurica出土の石板

なんだか、疲れて午後まで眠。

10日間ほどの、平凡な観光旅行にすぎないが、今度のスイス旅行で一番の収穫だったのは、この社会とは違った社会のありようが可能だという感触をかすかに得たことだった。これは、ぼくが海外は初めてだったこととも関係あるかもしれない。機会があれば、今度は、旅行者ではなく、生活者として滞在してみたいと思った。

旅というのをそれほどしているわけではないが、旅を旅たらしめる条件は、二つあるように思う。一つは、集団の旅ではなく個人の旅であること。二つは、歩くこと。芭蕉の「奥の細道」も言ってみれば、名所旧跡をめぐる観光であるが、個人であることと徒歩であることが、旅の深さにつながったように思える。



253. Am Grunde des begründeten Glaubens liegt der unbegründete Glaube

基礎づけられた信念の基礎にあるのは、基礎づけられない信念である

■この前段で、「わたしに両手がある」という信念について、議論している。ヴィトゲンシュタインは、別の個所でも議論してるが、こうした信念を基礎づけているのは、行動だと洞察している。「われわれに両手がある」という確信は、空中に浮いた信念ではなく、われわれが社会関係の中で、活動しているところから基礎づけられている。信念は、社会関係の中で、形成され、これに規定されている。ヴィトゲンシュタインも、「行動」ということで、同じことを言おうとしていると思うが、徹底さに欠けるときがあるように思う。それは、論理学から出発しているせいだと思う。








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10月23日(土)のつぶやき

09:25 from goo
L・Wノート:確実性の問題(20) #goo_delfini2 http://bit.ly/9ouWYU
17:01 from goo
スイス:Augusta Raurica(2) #goo_delfini2 http://bit.ly/b8zQ3w
by delfini_ttm on Twitter
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