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蕪村の俳句(57)

■旧暦6月7日、日曜日、

(写真)無題

午前中、仕事。午後、昼寝、夕方から、『チェーザレ』(惣領冬実)7巻を読む。かなり面白かった。いくつか、面白い点があったのだが、一つは、チェーザレのボルジア家の側近、使用人が、ほとんど、ユダヤかマラーノで占められていた点。異教徒を抱え込むことは、教皇の座を狙うボルジア家にとってマイナスだと思うのだが、なぜなのか。一つ、考えたのは、ボルジア家そのものが、スペイン系であり、イタリアでは、外国人だったこと。差別・疎外を受けるという点では、ユダヤと共通するものがあり、アウトサイダーへの共感があったのではないか、ということ。もう一つは、ボルジア家そのものにユダヤの血が、入っていたのではないか、ということ。欧州の多民族性から考えて、まったくの荒唐無稽とも思われない。ユダヤはユダヤを保護する。

『チェーザレ』7巻で、面白かったもう一つの点は、「カノッサの屈辱」に係る。普通、「カノッサの屈辱」と言えば、皇帝(ハインリッヒⅣ世)が教皇(グレゴリウスⅦ世)の破門を解いてもらうためにカノッサ城で3日間、懺悔した事件を指す。この屈辱的な行為によって、皇帝の権威が失墜し、教皇の権威・権力が高まったとされている。「カノッサの屈辱」というネーミングからして、皇帝側の敗北を示唆するし、学校の世界史などでも、教皇の権威が高まったという文脈で理解されていたように思う。しかし、当時は、皇帝側の勝利を意味した。教皇から破門を解かれたことで、教皇側から廃位寸前に追い込まれていたハインリッヒⅣ世が、その地位を保ち、逆転したと理解されたからだ。実は、ハインリッヒは、その後も、教皇から破門されている。この繰り返しにより、もはや破門は、効力がなくなってしまった。悔悛は、教皇の権威を示すどころか、たんに、儀礼的なものになってしまったのである。現に、その後、ハインリッヒⅣ世は、グレゴリウスⅦ世を廃位に追い込み、幽閉してしまう。では、なぜ、カノッサの「屈辱」なのか。それは、教皇が皇帝の破門を解いたことの歴史的な意味を意図的に読み替える作業が、聖職者側によって行われてきたからである。学(者)というものが、皇帝ではなく教皇(キリスト教)を中心に発展したこととも関係があると思う。学と権力の関係というフーコーの着目した問題にも関わって来るのではないだろうか。

これは、とおい昔のわれわれに無関係な話ではない。歴史的事実は、社会的認識に関与する社会的諸力による持続的なゲームで形成されることを意味するからだ。それはつまり、歴史に所与はありえないことを示している。そして、すべての存在は歴史的なのである。『チェーザレ』の中で、惣領冬実は、チェーザレ自身にこんなことを言わせている。

「そう… 時間さえかければ、どのような事実でも捻じ曲げることができる。カノッサの屈辱のように」



木の下に柿の花ちる夕べかな   落日庵(明和年間)

■こういう情景は、よく見かける。散って初めて花が咲いていたことを知った。その様子が的確に表現されていて惹かれた。

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