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琉球と沖縄・沖縄の文学(13)

■旧暦10月1日、土曜日、

(写真)首里城を守るシーサー

今日は、朝6時まで仕事していた。どうにか、サイバー8章を終える。後は、最終的な見直しをかけて脚注の検討を行ってからFさんのとこに送付する。そんなこんなで、起きたのが昼前。電気炊飯器がいかれたので、飯を食べてから、柏に買いに行く。




芭蕉布

                    山之口 貘


上京してからかれこれ
十年ばかり経っての夏のことだ
とおい母から芭蕉布を送って来た
芭蕉布は母の手織りで
いざりばたの母の姿をおもい出したり
暑いときには芭蕉布に限ると云う
母の言葉をおもい出したりして
沖縄のにおいをなつかしんだものだ
芭蕉布はすぐに仕立てられて
ぼくの着物になったのだが
ただの一度もそれを着ないうちに
二十年も過ぎて今日になったのだ
もちろん失くしたのでもなければ
着惜しみをしているのでもないのだ
出して来たかとおもうと
すぐにまた入れるという風に
質屋さんのおつき合いで
着ている暇がないのだ


■この歳になって、母親の無償の愛みたいなものを、それはそれとして、ありがたく受け取れるようになったが、若い頃は、ただただ、うっとうしく、どうにもべた付いて、理解を欠いた一方的な愛情のように思われたものだった。血縁の息苦しさは、愛情とエゴイズムがなかなか切り離せないところにあるのかもしれない。ニーチェではないが、愛情の深さは、生命力の強さの現われなんだろう。

この詩のお母さんは、さりげない。さりげなく、見守ることを知っている人だったのかもしれない。作品全体に漂う飄逸なユーモアにも心惹かれた。
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