verse, prose, and translation
Delfini Workshop
蕪村の俳句(87)
2010-09-13 / 蕪村

■旧暦8月6日、月曜日、

(写真)無題
今日は、一気に、真夏に戻った感あり。蒸し暑い一日だった。ドイツのtwittererが言うには、彼の地では、菩提樹の紅葉が始まっているらしい。朝、いつものように、叔母の様子を見に行く。クーラーが効かないので、フィルターを掃除したが、ファンを取り外しての本体クリーニングが必要と判断し、手配する。午後、往診に立ち会う。夕方、修理に出していた自転車を取りに行く。娘が、旅行でいないので、火の消えたように静か。夜、激しい秋の雷雨。その後、虫の声しきり。
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月天心貧しき町を通りけり 明和五年
■月天心は、天の中心に月がかかる様子。月の煌々と出た晩に、貧しい町を通った。それだけであるが、心に残るのは、その町の様子が、月に照らされて、心に具体的に思い描くことができるからだろう。痩せた猫も、横切ったかもしれない。犬も遠くで吼えていたかもしれない。月が、その貧しい町を祝福しているよう。
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蕪村の俳句(86)
2010-09-12 / 蕪村

■旧暦8月5日、日曜日、

(写真)無題
今日は、0時に寝られたので、体が楽だった。一日、雑用に追われる。部屋のキャビネットの資料を相当数処分する。家人が疲労ぎみなので、代わって夕食を作る。またしても、茄子のタジン鍋。かなり好評。今日は、肉料理を二品作る。仕上げは、キムチ茶づけ。
朝、英文学者で詩人の水崎さんから、電話をいただく。来年3月に出る俳句のアンソロジーに参加しないか、とのお誘いを受ける。英語とドイツ語の俳句に、日本語訳を付ける。面白そうなので、お受けすることにした。
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夕がらす秋のあはれを告にけり 年次未詳
■鴉は、人間に身近な鳥であるから、四季折々の風情を持っている。正月の一声も、台風後の一声も、深雪晴れの一声も、味わい深いと思う。秋は、夕暮れの鴉が、たしかに、郷愁を感じさせる。鴉とその鳴き声は、切り離せないものがあるが、その漆黒の姿も、なかなかいいんじゃないだろうか。虚飾をまったく排した黒。夜の普遍性を体現するかのような黒。秋の夕べの鴉を発見しているところに惹かれた。
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Sound and Vision
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蕪村の俳句(84)
2010-09-10 / 蕪村

■旧暦8月3日、金曜日、

(写真)電柱
昨日、今日と、クーラーなしで寝ている。非常に涼しい。やっと秋めいてきた。太陽の光にギラギラしたところがなくなり、風が軽くなってきた。早くも、金曜日。
先日、鳴海英吉研究会で、主催の鈴木比佐雄さんから、次回の研究会で、詩人「村松武司」について発表してみないか、という提案をいただいた。村松武司は、「荒地」、「列島」の母体とも言える、「純粋詩」を福田律郎と、市川の下総中山で、敗戦後、いちはやく出した詩人である(昭和二十二年の第一回純粋詩賞は田村隆一が受賞している)。のちに、「列島」の創刊にも関わる。三代続く京城生まれ。詩人であり、「数理科学」の編集者、朝鮮問題とハンセン病問題にも深く関わった。村松さんには、不思議な縁を感じている。ぼくが、関西の生活を切り上げて、関東に戻ったとき、最初に紹介された詩人が村松さんだった。そして、他の出版社なら、まず出してくれないような、危険な(w)インターネット関連の本を出してくれた恩人、皓星社社長・藤巻修一さんが、村松武司の弟子にあたるのである。これは、すべて偶然だが、なにか必然的なものを感じる。俳句を書いてみないか、と清水昶さんに言われたときもそうだったが、ぼくは、人様になにかやってみないかと言われると、どうも気が乗らないたちで、しばらく、判断を保留する傾向がある。村松さんについて、この数日、思いを巡らし、藤巻さんとも話したりして、徐々に、偶然の中の必然を感じるようになり、これはやってみるべきだなと思うようになってきた。二年後になるが、徐々に、資料を収集していきたいと考えている。
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もろこしの山も見ゆらし秋の天 夜半痩(天明二年)
■「らし」という言葉に惹かれた。英語のmust beである。現代語の「らしい」は、伝聞や可能性が不確かなときに使うが、古語の「らし」は「違いない/きっと…だろう」で、強い推定である。現代語の感覚で読み解くと異なったニュアンスになるところが面白い。「もろこし」は中国。秋の空の高く澄んだ様子を、中国の山が見えるくらいだと表現した俳人は、後にも先にもいないのではないだろうか。
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蕪村の俳句(83)
2010-09-06 / 蕪村

■旧暦7月28日、月曜日、

(写真)無題
早朝から仕事に入る。午後、掃除。なかなか、本が片付かない。夕方、南西風が強くなる。季節の変わり目に入ったのだろう。そろりと、身体トレーニングを再開。昨日、タジン鍋で茄子を丸ごと蒸してみた。ほくほくに仕上がり、からし醤油で食したところ、かなりいけた。キャベツを下に何枚か敷いておいたので、一緒に食すと、いっそう美味だった。タジン鍋は、非常に簡単にできるので、今日は、タマネギを丸ごと蒸してみた。時間がかかったが、これも自然な甘みが強調される仕上がりになった。ポン酢で食す。夜、本屋で『Macbeth』と『へうげもの』9、10、11を購う。今、円高だから、洋書が安い。Macbeth、500円。
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秋の空きのふや鶴を放ちたる 安永六年
■広大な秋の空に鶴が舞っている。その鶴は、過去からやってきた。そんな感じにとらわれて惹かれる。蕪村には、「きのふ」という時間感覚の句がよく出てくる。近現代俳句は、眼前の事物を詠むのが基本なので、時間は「今」に特化している。「きのふ」と言われると、たんに、一日前の時間というよりも、空間的に、奥行きが出てくる。今日の秋の空の奥にきのうの空が顔を出しているように。今に過去が同居する世界は、生の根源をはらむ。鶴は、そんな根源からの使者なのではないだろうか。
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蕪村の俳句(82)
2010-08-31 / 蕪村

■旧暦7月22日、火曜日、

(写真)無題
朝、買い換えたデジカメの操作を勉強してから、病院へ。買い物して帰宅。外は、灼熱地獄。午後。昼寝。夕方から仕事に入る。病院の受付で、若い看護婦さんに、「そのTシャツ、可愛いですね」と言われて、どう反応していいのか、わからず、困った。若い女の子から気軽に話しかけられるのは、それだけ、オヤジになってきた証拠でもあろう。8月も終わりか。
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秋風の吹きのこしてや鶏頭花 夜半叟(安政七年)
■鶏頭花の鮮やかさが、秋風に吹きのこされる、という措辞で際だつ。この点に惹かれた。
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蕪村の俳句(81)
2010-08-28 / 蕪村

■旧暦7月19日、金曜日、

(写真)無題
午前中、仕事。午後から、翻訳セミナーに出席。翻訳通信主宰の翻訳家、山岡洋一先生の講演を聴く。ユーモアのある面白い講演だった。ただ、やはり出版翻訳だけで喰うのは、難しい状況だなと改めて感じた。最近は、会長職に退いて、演劇活動にいそしんでおられるという柴田耕太郎先生にも、久しぶりにお会いできた。
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朝がほや一輪深き淵の色 明和五年
■朝顔の藍色に淵の深い色を重ねたところに惹かれる。この句を知ってから、紺色の朝顔は、どれも、淵の色に見えてくるから不思議である。この句には、前書きがあって、「澗水湛如藍」(碧巌録八十二則)とある。この禅語を踏まえているようなのだが、その意味はよくわからない。禅は、いつか、まとまって勉強したいと思っているが、なかなか...。
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蕪村の俳句(80)
2010-08-25 / 蕪村

■旧暦7月16日、水曜日、

(写真)空腹
朝から、仕事。部屋の片付け。夕方から兼業。夏期講習もほとんど終わった。古文と社会がとくに面白かった。この一月ほど、昼間は、別の仕事に専念していて、翻訳ができなかったので、そろそろ、再開したいと思っている。夜は、虫の声が急に大きくなった。
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染あえぬ尾のゆかしさよ赤蜻蛉 明和五年
■赤蜻蛉をよく観察している。尾までは確かに赤くない。近代・現代の俳句に通じる観察による気づきだと思う。
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※ 数十年前、マーラーが爆発的に流行ったことがありましたな。最近、CDで聴き直している。ユダヤ的な音というものがあるのかもしれない。
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蕪村の俳句(79)
2010-08-22 / 蕪村

■旧暦7月13日、日曜日、

(写真)無題
途中、夜なかに目が覚めてしまったが、9時まで眠る。家人の実家より、梨、幸水が届く。今年は、夏の前半、風雨が多かったので、味はどうかな、と心配していたが、甘く濃い味わいだった。午後、昼寝。ゆっくり過ごした。夕方、叔母の様子を見に行く。元気に動いているので、安心した。夜は、久しぶりに外食。娘の就職祝いである。これで、一つの区切りがついた。
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蜻蛉や村なつかしき壁の色 落日庵(明和五年)
■村の壁の色という着眼に惹かれた。壁の色を見て、故郷の村の様子を思い出しているのだろう。回想の中の村から、秋の日の土の匂いまで伝わってきそうである。
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蕪村の俳句(78)
2010-08-21 / 蕪村

■旧暦7月12日、土曜日、

(写真)無題
午前中、叔母のところに来た往診の歯科医に立ち会う。歯医者さんまで、最近は、長く歩けない高齢者のところへ往診に来てくれる。助かる。次回は、なんと、レントゲンを撮るという。モバイルの撮影セットまであるらしい。午後、柏へ。雑用をいくつか済ませる。帰宅して、家で獲れたゴーヤを天ぷらにする。前回の経験を踏まえて、厚めに切って揚げる。市販のものよりもゴーヤ本来の苦みがあって、ビールのアテにちょうどいい。今日の夕食は、オリオンビールにパパイヤのイリチー、タコライス、もずくを加えて、沖縄尽くしとなった。
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稲づまや浪もてゆへる秋津しま (明和五年)
■蕪村を読んでいると、ときどき、こうした鳥瞰的な句にめぐり会う。蕪村の空間的な想像力に惹かれる。画家であったから、空間に関する感受性と想像力は、人一倍、研ぎ澄まされていたのだろう。蕪村がこの句を作ったとき、国土の空間的なイメージは、どうだったのだろうか。この句が作られた明和五年は、西暦1768年になる。伊能忠敬が、測量を開始するのが、1800年であるから、蕪村の国土のイメージは、現在のものとは、異なっていた可能性がある。1770年に作成された「大日本道中行程細見記」は、こんな感じである。アバウトだが、イメージは、それほど大きく異なっていない。ただ、北海道と西南諸島が、まるまる抜けている。
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Sound and Vision
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蕪村の俳句(77)
2010-08-20 / 蕪村

■旧暦7月11日、金曜日、

(写真)無題
金曜か。暑い一週間だったが、朝晩は、秋の気配が濃厚に漂い始めた。クーラーがいかれて、温度設定を低くしないと正常に稼働しないので、いったん作動させると寒くて、夜は毛布をかぶって寝ていた。起きると、のどが痛くなり、体が冷え切っているので、この二日は、クーラーなしで、扇風機だけで過ごしている。
内田百原作、一條裕子漫画の『阿房列車』(小学館)を読む。元祖鉄の百先生は、実に愉快。頑固さがそのまま笑いになっている。一條裕子の絵が非常に上手く、また、味があって、効果を上げている。女性漫画家は、『チェーザレ』の惣領冬実もそうだけれど、絵が上手い人が多い気がする。お供に連れて行かれるヒマラヤ山系くんが、まことにいい味である。
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四五人に月落かゝるおどり哉 (明和五年)
■英一蝶の絵の賛。「月落かゝる」という措辞で月の大きさが際立ってくる。そこに惹かれた。踊り手は四、五人。
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Sound and Vision
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