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蕪村の俳句(76)


■旧暦7月9日、水曜日、

(写真)無題

もろもろ、人生が忙しくて、写真を撮るのをしばらく忘れていた。去年のものを使ったりしていたのである。今日は、雲の新作! そう言えば、年頭に立てたテーマをすっかり忘れていた。「雲と水」後半戦は、このテーマを追求するw。「へうげもの」3、4を読了。表現は、まったくの漫画だが、戦国武将と茶の関わりが具体的に見えて、とても、興味深い。俳諧と戦国武将も、相当、関連があるので、この方面を調べてみようか、とも思っている。



秋風をわすれて居たる寝覚哉   夜半叟(安永六年)

■秋風を感じる頃になると、まず、思い出すのが、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬ」(藤原敏行)の歌であり、多くの人がそうではなかろうか。蕪村の俳句は、この歌の「おどろく」を目覚めと取って、気がついたら、秋風が吹いていたという景に転じている。寝覚めは、秋風で起きたのに秋風に気がつかない。ぼーっとしている。和歌に対する飄逸な応答になっていて惹かれた。



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蕪村の俳句(75)


■旧暦7月7日、月曜日、、七夕(旧暦)、送り火

(写真)無題

今日は、一日、異様に暑い日だった。夜になっても暑い。外へ出れば、サウナの中を行くごとし。タジン鍋をはじめて使用。水の少ないモロッコで、いかに、素材本来の水分を生かすか、という発想で生まれた伝統的な鍋。素材の水分が蒸発せず、鍋の中を循環する構造になっている。おもに、煮込み料理に使われる。野菜の上に鳥肉を載せて、タジン鍋で煮込み、胡麻だれで食した。タレは、いろいろ、工夫の余地がありそう。ウェブで検索すると、レシピもいろいろ、あるらしい。料理自体も、簡単で早くできる。始めて食べた感想を言うと、野菜から、これまで食べたことがないくらい、本来の甘みが引き出されていた。



秋風におくれて吹くや秋の風   落日庵(明和六年)

■「秋風」と「秋の風」の語感の微妙な違いを捉えたところに惹かれた。「秋風」は秋の訪れを告げる風。「秋の風」は秋に吹く一般の風。「の」という格助詞一つで、これだけ微妙な表現を生むところが面白い。俳句の言葉の面白さは、一つは、「微妙さ」にあると思う。現代では、テクノロジーの発展と存在の商品化、社会の合理化によって、「微妙なコンテキスト」がすべて平板なものに均されてしまっている。このため、微妙さを捉える感受性自体も消えかかっている。俳句が、反時代的なプロテストたりえる所以だと思う。



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蕪村の俳句(74)


■旧暦7月6日、日曜日、、盆、敗戦忌

(写真)無題

朝から、掃除。午後、ゴーヤの天ぷらを作る。上手く行ったが、少し、細く切りすぎた。夕方、ぶらりと、本屋へ。井上ひさし、最後の長編『一週間』を購う。シベリア抑留という重いテーマを、どう読ませ、考えさせるものに仕立てているか、興味津々。お盆休み最終日。



心太さかしまに銀河三千尺   夜半叟(安永六年)

■心太を啜りあげる様子を、逆さに銀河を吸い上げる様にたとえた面白さに惹かれた。奇抜だが、言われてみると、日常の中に宇宙を感じ取る面白さがある。日常も宇宙なのだから。



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蕪村の俳句(73)


■旧暦7月4日、金曜日、、盆迎え火

(写真)花火

今日は、クーラーを見に柏へ行く。途中、何度か眩暈を起こす。クーラーの説明を聞いても、まったく、頭がついてゆかない。これは、疲れているのか、夏バテなのか、よく寝ているのに、変だな、と思う。帰宅して横になっていると、家人がやってきて、肩がひどく凝っていると言う。整体で習って来た二種類のストレッチを勧めるので、やってみた。これが、非常に効いて、頭がクリアになり、ふたたび、意欲が戻ってきた。そのストレッチとは、ごく簡単なもので、片腕ずつ腕を伸ばして、時計回りと反時計回りに10回~20回ずつ廻すものと、腕を折って、指先を肩に着けた状態で、同じように廻すもの。肩こりは、女性がなるものという先入観があったので、はじめから、この可能性は排除していた。自分の体は、案外、自分ではわからないものだなと、改めて思った。ドイツ・イデオロギーが言うように、精神は、身体に取りつかれている。



端居して妻子を避る暑かな   安永六年

■一読笑った。昔も今も変らない真実だが、妻子がなければ、涼しさも、また、違った味わいになるのだろう。



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蕪村の俳句(72)


■旧暦7月3日、木曜日、

(写真)花火

15年使ったクーラーがとうとういかれた。通常の2倍も使用したのだから、いいとするか。この暑いのに、クーラーなしである。午前中、『ドイツ・イデオロギー』を検討する。午後、昼寝。夜、仏花などを買いに出る。暑くて、何もやる気になれないが、夜の川風に吹かれていると、そのたけりように秋を感じるときがある。ゴーヤは実が二つ、雌花が7つになった。



舟遊び都の人を上坐かな   夜半叟(安永六年)

■遊びなれている都人を上座に迎えた、というのだと思ったら、京都に舟遊びはないらしい(蕪村の時代はともかく、嵐山あたりには、今では、ありそうな気もするが)。この句では、舟遊びを都人に誇る風があることになる。俳諧は、中央に対して、常に、アンビバレントな接し方をする。そこに惹かれる。

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蕪村の俳句(71)


■旧暦7月2日、水曜日、

(写真)バンチャン

お盆休み第一日。午前中は、ヴィトゲンシュタインを読んだり、俳句を作ったり。昼寝。その後、ボローニャ国際絵本原画展に行く。板橋区立美術館で15日まで開催されているのだが、アクセスが不便で困った。日本人作家のレベルが高く、印象に残った。二色のクレヨンだけで描いた作品や墨だけで描いた作品など、そのユーモアと諧謔味に惹かれた。夕方、待ち合わせて、新大久保の韓国料理店「おんどる」へ。ここは、安くて美味しかった。ただ、喧騒の中で食べるので、ちと落ち着かない。それもまたいいのかもしれないが。若い女性のグループやカップルが多い。韓国料理は美容にいいとの情報もあるらしい。お酒では、梨サワーとコーン茶ハイが美味しかった。



風鈴や花にはつらき風ながら

■風鈴の音を楽しみながらも、花のことを回想する心は凄いものだなと感心してしまった。



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