いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

地位協定は廃止するべき

2008年05月23日 18時24分00秒 | 政治って?
書いたままで公開しないでおこうと思ったが、やっぱり出すことにする。


ちょっとでも甘い顔をするとこうなる、という見本だな。

刺激的発言多いメア総領事 米政府の意向反映か - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

NIKKEI NET(日経ネット):国際ニュース-アメリカ、EU、アジアなど海外ニュースを速報


米国人の多くは日米の条約締結の歴史なんて知らないだろうから、自分たちの国がどれほど傲慢で勝手なことをやってきたかなんてことは、永久に気付くことはないだろう(笑)。

日米和親条約 - Wikipedia

反捕鯨活動をこれみよがしにやってる米国人は多いだろうが、彼らの国が百年以上前からクジラを乱獲したことについて、何一つ反省などないだろう。米国人は19世紀から長年に渡り、太平洋のクジラを大量に乱獲してきた。日本に開港を迫ったのは、クジラ捕獲の為の「大型船」の寄港地を必要としていたからだ。今人気の大河ドラマじゃないが、米国人は1858年に日米修好通商条約の締結を強要し、1854年の和親条約とともに不平等条約を押し付けられた。150年前も今も、何も変わってなどいない。


日本は被占領地ではないぞ。戦地でもない。
米国は自分たちの勝手な都合で地位協定を日本に押し付けているだけだ。
小村寿太郎が1911年に関税自主権を回復するまで約60年近くかかったが、地位協定も同じくらいの期間が過ぎてしまった。一体、いつまでこうした不平等な扱いを受け続けねばならんのか。ボーイングのシェアが高すぎる、と欧州から不満が出ているというのに(出島よりも種子島を知るべきだ)、未だに米国の占領地政策から日本は抜け出せないでいる。毎度御馴染みの「タカリ」「カツアゲ」を受け続けているのが、日本という国なのだ。日本が今すぐに核ミサイルで攻撃されて、消滅するとか人の住める場所でなくなるとしても、米国にとっては痛くも痒くもない。別に消えたっていいのである。その程度の国でしかない。かえって、「借金がチャラになって、超ラッキー」と考えるくらいのものであろう。

米国が日本を本気で守ろうなんて思っているわけじゃない。ただの出先のベースの一つでしかない。漁船立寄所という程度の場所。単なる居留地付き休憩所だ。日本を生かしておくのは、利用価値があるから。金を持ってこさせたり、パシリとして使えるってだけの話だ。タカるには丁度いい相手なのだ、ということ。彼らが関心を持っているのは、唯一日本が持っている「金」だけであり、その金をもっとよこせ、と怒鳴りたいだけだ。


米国の交渉術は150年前も今も同じだ。基本的に、たった2つしかない。「脅す」か「騙す」かのいずれかである。何たって、銃で脅すことが普通の国だから。日常生活の中においてでさえも(笑)。
米国人は相手がナイフを持てば自分は拳銃を持ち、相手が拳銃で抵抗しようとするとショットガンやサブマシンガンや自動小銃などを構えるのである。相手がカラシニコフを持てば、迷わず重機関銃やロケットランチャーを持つだけだ。常に相手よりも強力な武器で脅す、ということ。
もう一つ、相手の無知に付け込み「騙す」のは、日常生活の基本である。何故なら、「騙されるヤツが悪い」という発想だからだ。チップは10ドルだぜ、と米国人には言わないようなウソを平気で言う。しかも、こっちに気付かれていることに当人が気付かない、というのが本物のアホさを示している。当人は完璧に騙せているつもりになっているのである。まことに滑稽だが、そういう国なのだ。
見るからに薄汚い狡さや、微々たる小銭にピラニアのように飛びつく無節操さが、彼らの特性である。まるでわれ先に獲物に群がるコヨーテと同じなのだ。他人に譲る、なんて美徳は持ち合わせていない。だからこそ、ハリケーンや地震のような災害時には千載一遇のチャンスとばかりに、略奪に精を出す連中なのである。ビジネスでも同じ。そういう性質が広く浸透している国が、米国という国なのだ。

相手側に不利になるであろう条約だろうが、何かのルールだろうが、自分たちに都合が良ければ何だっていいのが彼らのやり方であり、考え方である。相手に執拗に公平を求めるのは、自分たちが狡猾なコヨーテであることを知っており、常に騙すのが当然だからだ。しかも自分たちの頭が悪いせいで理解できない場合には、「俺たちを騙してるな」と必ず難癖を付けてくるのだ。騙してなんかいないのにも関わらず、だ。難しくて理解の範囲を超えると、それは自分の頭の悪さのせいではなく、ルールに原因があるとしか考えられないのである。


日本が絶対に曲げない、という信念を見せない限り、今後も米国の狡猾で卑怯な影響力行使の前に屈するだろう。コメ問題もそうだ。

日本はかつてアメリカの圧力の前に屈した。
中国の米企業買収意欲と為替のこと(追記あり)

今の食糧事情では日本がわざわざ米を輸入する必要性なんかない。米国の嫌がらせのせいで、無駄に輸入を強制されるのは、明らかにおかしいのである。日本の農業政策を転換し、米の価格を自由化した方がいい。どうせ美味くもない「米国米」(笑)なんて、殆ど売れないだろう。弁当やおにぎりにも使えないし、外食産業が使うとしても、普通の調理方法では誰も食べたがらないに決まっているからね。せいぜい日本であればブタの餌(笑)くらいにしか使えないだろう。それなら、他の飼料で済むでしょうよ。そもそも日本じゃなく、必要な国(例えば中国とか)に輸出すれば済むだけの話だろう。米国の農家だって、売れない米を作るよりも、小麦やトウモロコシの方が儲かるのであれば、そちらを作付けすればいいだけだからね。

日本の米は完全に自由化すべきだ。自由化したとしても、日本の米の方が断然美味いので競争力は維持できるだろう。余ってしまい古米になったら、価格を下げて海外にでも輸出した方がいいと思うけど。ああ、それから高級食材としては、海外で需要はあると思うよ、日本米。『sushi』は日本だけじゃなくなったので、海外の高級店なんかには「本格派」の食材としての日本米を提供できるかもしれないよ。日本だって、海外の食材を「本場」から色々と輸入して食べているじゃありませんか。

米価格が自由化されて今よりも相対的に下がれば、値上がりの続いている輸入小麦なんかの優位は若干下がるであろう。米国人のいいなりになって、米を無理矢理に輸入させられるより、米を自由化して競争した方がいい。日本米ならば必ず勝てる。完勝間違いなしだろう。米国人はそういうことが判らんのだよ。味覚が鈍いせいなのかどうかは判らんけど。「米国米が売れないのは、日本のせいだ」と本気で思っているんだろう(笑)。米不足の時、某食堂で「今日はカリフォルニア米です」とか出てたことがあったが、あんな不味いメシを食えたもんじゃなかった。日本の等級外の米の方がはるかにマシだった。


欧州の人たちには、どうして日本がこんなに米国の言うことを受け入れてしまうのか、不思議に思うであろう。でも、それが日本人気質なのだ。従ってしまう、というのが日本人なのだ。だからこそ、GEのエンジンを購入するけど、P&Wやロールスロイスのエンジンは購入できない、ってことなのさ(防衛利権の謎~その2・GEの闇戦略(追記後))。シーファー駐日大使が偉そうに言っていた戦闘機にしても、勿論そう。仏製とかユーロファイターとか、そういう米国以外の装備は買えないことになっているのだ。

常に脅しに負けてしまうのさ。「お前らがYesと言うまで、やってやるぜ」と、とことん嫌がらせをする。取引でも何でも、影響力を行使できるものは、どんな手でも使ってくる。スポンサーとかもそう。それでも彼らのいうことを聞かないと、投機的に為替や株を操作する。日本の行政当局にはそれらを徹底的に取り締まるだけの能力も度胸もないのさ。だから、いいように荒らされる。連中にとっては、やりたい放題。昨年11月以降の日本市場の下げ相場は、彼らの市場操作の結果に過ぎない。「持っていたモノ」を売るというだけなら、あんな売り方にはならない。わざわざ安く売る必要性なんてないのだから。ポジションを解消するにしても、あのような相場にはならない。意図的に操作しなけりゃ無理だろ、って話だな。

彼らの一部が日本を去ってからどうなったかと言えば、「変動幅」が小さくなったでしょ?メチャクチャな変動というのが消えた。結局ヤツラは「荒らし」と同じなのだ。外人が日本株を買わないと値上がりしない、なんてのは、真っ赤なウソっぱちなんだよ。ボンクラ頭の情報操作にホイホイと乗っかるような連中が流したガセネタだろ(笑)。どこに、「日本人が買うと値上がりしないが、米国人が買うと値上がりする株」なんてものがあるんだよ(爆)。ま、彼らにしてみれば、日本市場というのはタダの「砂場」みたいなもんだ。好きなように暴れたり、バケツで砂をぶちまけたり、どんなことをやってもお咎めなし、だから。そうだとしても、米国が傷むわけじゃないから、砂場で無茶をやろうがなんだろうが無関係だし。


米国がお題目みたいに言う、公正だの、平等なルールだの、そういうのは出鱈目だ。見せ掛けのウソに過ぎない。
彼らにとっての公正とは、自分たちが勝つ(有利な)条件を公正と呼ぶだけで、それ以外は「不平等」なんだよ。それは150年前も同じ。そういう気質が染み付いている国が、米国だ。どんな卑怯な手であっても、脅す為に使う。それが彼らの流儀であり、勝利こそが正義だ。他にはない。


中国が軍備を拡張している、とか、台湾海峡が云々とか、色々と理由を付けてくるけど、そんなに中国が危険ならばどうして米空母が寄港しようとしたりするんだよ(笑)。断られちゃったけど。
仮想敵である中国に、自慢の空母を見せるためか?違うでしょ?

日本に「過剰な米軍基地」を置いておく必要性なんてない。大幅縮小でいい。日本はカツアゲされているだけ。150年前から続く「黒船の呪縛」から解き放たれるべきだ。
彼らがどんな手を使い、何をやってきたか、その代償が高くつくということを教えてやるべきだろう。骨身に染みてないのだよ、ヤツラには。

卑怯者にはそれ相応の対処が必要だ、ということ。



薬害なんかなくても感染する

2008年05月21日 20時03分32秒 | 社会全般
昨夜の「プロフェッショナル」を観ましたよ。C型肝炎訴訟の弁護士さんだそうです。番組では、あたかも正義の味方みたいに描かれていましたが、私には到底そんな単純なものには思えませんでした。弁護士としての仕事を頑張ったのでしょうけれども、それと、彼らの行った戦術の狡猾さを考えれば、素直には拍手するという気持ちにはなれませんでした。

これまでに幾度となく指摘しましたが、マスメディアを含めて、誰一人として責任を感じることなどないのです。薬害を国に認めさせた、という勝利に酔う人々にとっては、彼らの一律救済という主張がたとえ誤りであったとしても、それが省みられることなどありません。東国原知事みたいな、「支持率上げたいなら一律救済」なんてことを平気で言うような、マスメディアが過剰に演出しただけの肝炎患者救済など、ただのまやかしに過ぎない。

賠償金額の問題を厚労省側と協議する時、「最大で千人だ」と、その他の肝炎患者をバッサリ切り捨てたのは、「薬害肝炎原告団」自身じゃないか。そういうのを偽善だ、って言っているんだよ。

偽善

薬害利権はこうして拡大する・2

薬害利権はこうして拡大する・3

満足でしょうよ、原告団もマスコミも。
何も考えず判りもしない連中が、揃いも揃って「一律救済せよ」と妄言を吐くのだ。過失原因なんてなくても全部賠償しろ、と過剰な権利を認めているんだよ。その結果どうなるか、ということさえマスコミは考えることができない。マスコミのヤツラはたとえ国が破産しようが、製薬会社が破産しようが、一律救済せよ、と言い張るのだろう。B型肝炎についても、同じく「全部一律救済せよ」と当然言うだろう。だよな?
それともなにか?今更になって、一律救済はできない、とか言うのか?(笑)
B型肝炎は薬害C型肝炎じゃないから、とでも言うつもりか?
無責任な人たちは、好き勝手に何でも言えていいですね。自分の腹が痛むわけじゃないからね。自分が何一つ責任を負わされることがないからね。


前に例で取り上げたことがあるが、HIV感染者は拡大しているのですよ。
血液製剤を投与されたわけでも輸血を受けたわけでもなく、覚醒剤や麻薬常習者なんかではなくても、感染は拡大しうる。何度書いても「薬害なんてなくたって、感染者拡大は起こる」ということを理解できないマスコミの人たちは、未だに大勢いるだろう。

HIV感染患者、新たに1500人判明(産経新聞) - Yahooニュース

大阪は特に陽性率が高く、拡大が危惧されている。

HIV陽性、最悪ペース=1~3月の献血者-大阪が3分の1(時事通信) - Yahooニュース

な?だから言ったでしょ?

B型肝炎訴訟最高裁判決について~精度に疑問あり(一部修正)

HIV感染は薬害なんかじゃなくても拡大するのです。予防接種のせいでもなく、感染拡大が起こるのですよ。同じ血液感染であるけれど、HIVの感染力なんて肝炎ウイルスに比べれば全然弱いのに、ですよ。最も多い感染原因の「同性間の性的接触」を除外したり、薬物濫用なんかを除外できたとしても、他の感染経路なんて必ずしも全てが判るわけではない。元々のHIVキャリアは人口比でいえば全然少ないにも関わらず(少なければ感染機会は当然減る、感染確率も減る)、たとえそうであっても感染者は拡大しているのだ。原因不明であるのに、感染してしまっていることは有り得るんですって。何故そのことが理解できないんでしょうか?
薬害でも輸血でもなく予防接種が原因でなくとも、「肝炎ウイルスに感染することはある」という事実を、どうして認めることができんのですか?
いい加減にしてくれ

原因が判らないと言っているのに、どうして賠償責任を負わせることができるというのか。思考能力の低い連中は、「○○が原因だ」と短絡的に思い込むのだろうが、それが大きな間違いです、って何遍も言ってるじゃないですか。

大阪でHIV陽性率が高いというのと同じく、C型肝炎の陽性率が高い地域というのはあったのですよ。
これも書いた>肝炎訴訟に関する雑考~6

福岡や広島では陽性率が高かったんですよ。
また、参考記事中に示したように、90年代以降の献血者集団での「HCV陽性率者は1.8~4.5程度」(10万人対)だが、HIV陽性者は既に2.065(産経記事より)だ。ほぼ同水準に感染者が存在しているのだよ。別に、薬害や輸血や予防接種のせいなんかではなくても、肝炎患者と同じくらいに感染者は拡大しているではありませんか。HIVでこうなんですから、昔にHCV(やHBV)感染が特別な理由なんてなくても拡大していた可能性が十分予想されるわけでしょう?どうしてこれが判らないんでしょうか?


血液製剤や輸血が原因で感染している例は勿論あった。けれども、その感染原因の真の影響の大きさというのが、誰にも確かめることなんてできないのですよ。まあ上記HIV感染の拡大も、マスコミ人ならば「薬害のせいだ」と言い、最高裁ならば「予防接種が原因だ」と勝手に特定することは間違いないでしょう。




一体誰が食べるんだろ?(笑)

2008年05月21日 16時15分08秒 | いいことないかな
ちょ、ちょっと、これは何の為に…?

と思ったけど、どうも「一番」競争かも。シャレだろう、シャレ。

NYで「最も高価なハンバーガー」、1個1万8000円 世界のこぼれ話 Reuters

ゴージャスでございます。
因みに神戸牛ということで、神戸ギュウ~
関係ないか。オヤジギャグで失礼。
ハンバーガーの本場にも輸出されているんだね、神戸牛。

しかしまあ、通常は価格競争といえば「値下げ」を意図するものだが、「一番高いハンバーガー」のような競争の場合には、一番じゃなければ意味がないので「値上げ競争」が起こってしまう、ということなのだな。これって、結構面白いね。

商品の価格が需給で決まる、というシロモノではなくて宣伝広告費というか、注目を集めるとか認知度を高める為のコストが上乗せされる、ということなのかな。けれど、そうすると「一番安い○○」という商品の場合は、どうなるんだろ?

「一番高い○○」の場合には、余計に高くなるから売れなくなるのに作らねばならない(原材料などを調達しておいたり、期限切れで破棄とか)為に店側が損失分を抱えることになるかな。
「一番安い○○」だと、たくさん売れるかもしれないが原価割れ覚悟なので、売れる程赤字部分が大きくなるので、やはり店側が損失分を抱えるということかも。

つまり、どちらの場合であっても、やはり宣伝広告費というか販売促進費みたいな意味合いのもの、ということかもしれないね。そうまでして「一番高いハンバーガー」の記録を守らねばならない、というのは、中々面白いね。実際、こうしてニュースに取り上げられるということは、広告効果や認知度アップの効果はあったと考えていいんじゃないだろうか。必要経費ってことで。


因みに、世界で「一番高いハンバーガー」は、やはりNYのものなんだろうか。世界は広いから、案外と違ったりして。ロシアとかフランスとか、そういう国に意外に高価なハンバーガーがあるかもよ。高級ホテルのメニューとか。誰か調べてみてくれんだろうか。
ああ、適任者がいましたね>戯画人さん

なんちゃって。




年金試算について

2008年05月20日 13時42分31秒 | 社会保障問題
率直な感想としては、欺瞞に満ちている、と思った。

年金制度の検討における定量的評価

昨日全部読みましたよ。これだけの「バラバラの意見」を具体的なモデルとしてまとめる作業は大変だったでしょう、と思いますが、内容的には一種の「国民に対する脅し」とも受け取れるものでした。はっきり言えば、「こんなに消費税が上がるんだよ、それでもいいのか」という相手の無知に付け込んだだけの脅迫ではないか、という疑問があるのです。

何が重大な欠陥なのか?
それは、事業主負担が「一切ない」という点である。通常の厚生年金だと事業主負担が当然あるのだから、見合いの財源として徴収するべきものであるはずなのだ。それが記載されていない。誰も「これまでの事業主負担は全廃していいですよ」などという国民的同意を与えてなどいない。これには特定の意図を感じるのだな。財界の自分たちだけもうすぐ「棺桶行き」という連中にとっては、日本の将来のことなどどうでもよくて、目先の「企業負担さえなくなればいい」という愚かな思考しかできないのかもしれない。えっ、陰謀論が過ぎてるって?そうかもしれませんが、彼らの言い分は二言目には「企業負担が重い」「人件費をそんなに払えない」とかぬかすんだもの。一体誰のお陰で商売ができていると思っていやがるんだ。

国民のみなさんに重要なお知らせを致します。もしもそういう日本の為にならない独善的企業があった場合には、国民全体で不買運動を展開し、当然のしっぺ返しを受けてもらわねばなりません。腐れ頭の経営者が「おまえらの為に税金や保険料なんか払いたくない」と主張するような場合には、国外で営業してもらえばいいのです。とっとと日本から消えてくれればいいんです。海外の優秀な経営陣にでもとって替わってもらいなさい。日本人経営者であることの「必然性」なんて、これっぽっちもないんですよ。日本の将来を潰そうとするような企業なんて、国内にいてもらう必要性なんてないからね。「利益は海外で上がっていて、日本国内では利益なんか出てない」とか豪語するような売国奴みたいな経営者たちは、とっとと日本から出て行きなさい。中国でもインドでも、ヨソに会社を移転してしまえ。

日本で利益が出ないんだろ?日本人の人件費が高すぎるんだろ?税金も企業負担も多すぎなんだろ?
そんなに文句を垂れていながら、なんで日本で会社を構えてやっていかねばならんのよ。経営者は頭が悪いね。タックスヘイブンにでもどこでも、店も工場も畳んで、とっとと失せろ。

大体、ロクでもない企業経営者たちが大勢いたからこそ、日本をダメにしたんだろ。根本的に「感謝」が足りないんだよ。頭が悪いくせに、威張るだけで感謝の気持ちというものを知らない。従業員に「よく働いてくれて有難うございます」と言って頭を下げる社長がどれほどいる?社長のお陰でおまんまが食えるんじゃない。従業員が働いてくれるお陰だろ。そんなに経営者さまが偉いんだったら、自分でやれ。
お前らみたいな腐れ頭のハゲの為に、なぜ働いてやらねばならんのよ。ボンクラのロクでもない経営者が、高給取ってメシが食えるのは、誰のお陰か考えてみろ。社員が必死で働いてくれるからだろ?下請けが文句を言わずに尽くしてくれたからだろ?そういう人々の献身のお陰で、お前らみたいな能無し経営者であっても、役員だとかでふんぞり返っていられるんだろ。お前らよりもはるかに優秀な「外国人経営者」なんてごまんといるんだよ。もっと安い役員報酬で経営してくれる優秀な経営者なんて、日本人以外に星の数ほどいるんだよ。お前らを奉っているのは、ダテじゃないんだっての。バカか?日本人経営者であれば、「こういうことが期待できるであろう」という暗黙の了解があるからであって、何でもかんでも「英米式が正しい」みたいに言うヤツは、いらねんだよ。それなら、英米式経営の能力に優れた経営者をスカウトしてくればいいだけだろ。サッカーの監督みたいなもんだな。日本人である必然性なんて、全くないんだよ。日本人の無能経営者を叩き出す国民運動をやることにしたらいいんじゃないか?例のJパワーに限らず、外資に買収されてしまうだのという、泣き言を並べる愚かな経営者が大勢いるが、英米式経営陣に全部変えてもらえ。従業員に払うべき給料すら稼げないのは、経営陣が無能であるからで、そういう連中は要らないだろ?違うの?

「会社がこうして仕事ができるのは、お客様や一生懸命働いてくれる従業員がいてくれるお陰です。本当に有難うございます。」という心からの感謝がないのだよ。いつもいつも、不満ばかり。「お前らは、まだ足りない」と文句をいうだけなのさ。心の底から、「有難うございます」という気持ちなんてこれっぽっちも持ってないような、アホな経営者揃いなのさ。こういう連中が寄り集まった時、何を言い出すかと言えば、「金、金、金」だ。一番効率が悪いのは、お前らの頭ン中なんだよ!
もうそんな経営者はいらない。


話が大きく逸れたが、年金の話だったな。

過去に少し考えたことがあるので、一応。
年金一元化を再び取り上げる

この記事中にも書いているが、企業の保険料(雇用主)負担は約10兆円くらいだ。これを全て「消費税に振り替える」ということになれば、そりゃあなた、大変だわね、って話だろ。企業がこの10兆円分を賃金に回したりなんかしないって。税として強制的に徴収しない限り、払うわけがない。

更に、公務員共済の雇用主負担と追加費用で約4兆円だが、これは現在国庫からの支出となっているので、その分を当然年金に回すに決まっておろうが。なんでこの「浮いた4兆円」を他に使うんだよ。大体で言えば、これら14兆円の負担分を「無くして」、消費税に置き換えましょう、というのは明らかにおかしいだろ。単に「必要となる財源」みたいなのを考える為の試算に過ぎない、ということかもしれんがね。しかし、どの報道の論調を見ても、「こんなに消費税を上げなければやっていけないんだ」みたいになっちゃってるでしょ?

積立金からの取り崩し額にしても、毎年5兆円ずつ取り崩すと約40年くらいはあるだろう。何たって、年金積立金の総額は約200兆円規模だからね。現在でさえ、『厚生年金の給付額が足りない』ので6兆円以上も取り崩しているんじゃないの?
他にも、貴重な積立金を「ハコモノ」だの「過去の失敗」だの、そういった清算の為に6兆円以上すってしまいました、とか言ったらどうかね。生活保護費の給付分は計算に乗ってきていたけど、恩給は出てなかったよね。恩給なんてなくなるから、その分国庫負担を増やせる余地はできるわな。

ま、いずれにせよ「雇用主負担分」を一切消滅させる、という案については許し難い。その分は国民がかぶれ、って話にはならんでしょ、ってこと。企業の減税措置効果、ということを考えているのかもしれないが、現状のやり方を見れば、企業に優遇してやる必要性なんて、一ミリもない。現時点でざっと14兆円使ってるんだから、その分は払ってもらうからな。多くの国民は、試算だけ見せられていても、そういうことを知らされていないから、殆ど騙されているのと同じようなもんなんですよ。


因みに私のプランでは、企業がこれまで正規雇用だけの賃金に対して払っていたものを、全く無関係に「給与総額」に対する税として徴収しますので、これまでフリーター等の非正規労働者ばっか使ってきた企業は、負担増になりますのでヨロシクです。企業規模で適用税率は変えてもいいとしていますけれどもね。フリーターやパートの方々の賃金からは何も引かれません。消費税で払うだけですので。


全部消費税で賄う計算をする、というのはズルイと思うぞ。



障害者の就業のこと

2008年05月19日 00時35分48秒 | 社会全般
違和感が拭えなかったので、書いてみる。

はてなブックマーク - 障害者雇用について語りやすくする名著「チャレンジする心」 - 福耳コラム

名著と評することは自由であるから別にいいのだが、周囲の評価というか受け止め方に違和感があった。
例えば、職業訓練の話が出てくるのだが、本当に陶芸とか農業について「役に立たない」と批評するのもいい。けれど、この本に出てくるような事例が、多くの知的障害者のことを示すわけではない、ということについて、本当に皆が理解できるものなのであろうか。著者も同じようなことを触れていたようだが、知的障害者という一般論として語るというのは難しいことなのかもしれない。

一つ尋ねたいのだが、企業経営的な視点から語るというのを受け入れるとして、農業とか陶芸だのという「役立たない訓練」を直に体験したことがある人たちはどれほどいるのであろうか。いや、私自身多くのことを語れるほどに実体験があるわけじゃない。そうなんだけれども、例えば障害者の人が作った「陶芸品」を買ったりした人たちなどいるのだろうか?買わないまでも、作品展に行って見たりとか、作業している場所に行ったりとか、そういうことでもいい。そんな経験をした上で、尚も「役立たない」とか言うのかな、と思うわけだ。障害者の人たちと会ったことがあって、その上でそういうことを言えるのだろうか、と。


この事例の会社を責めたいわけではないが、彼らのチャレンジは企業の目的や利益に合致するが故であって、世の中の障害者雇用についてどうにかしようといった話ではない。突き詰めていえば、優遇税制や補助金などを都合よく利用しながら、障害者を低賃金で使えて、社会的責任を果たしているかのように振舞える、ということに他ならない。赤字覚悟で障害者に仕事や給与を用意しているわけでもなければ、雇用枠を拡大するということでもない。使えそうな人だけを「選んで」いるだけだ。

知的障害者をもっとたくさん雇用して、普通の企業と同じように企業活動ができ、それで収益事業として成り立たせることができるのであれば、是非ともそうやってもらいたいものだ。数万人の雇用を生み出せるはずではないかと思う。モデルとなった企業の方法が素晴らしいもので、本当にそれが知的障害者の仕事を生み出せるのなら、僅か10数名とかの規模ではなく、もっと多くの障害者を雇用してもらいたいものだ。何故それができないのか、他の企業も含めて障害者雇用が拡大しないのか、疑問は残る。高々数人規模の雇用を達成したというだけで、錦の御旗のごとく「障害者雇用」の問題解決みたいに勘違いされるのもどうかと思うのである。農業や陶芸が知的障害者の職業訓練として云々、みたいに一般化して言えるものなんだろうか。


障害者といっても、どういった区分の対象者なのか、ということについては注意を要するだろう。例えば、ICD-10でもいいしDSM-Ⅳでもいいのだが、雇用対象となった人がどういった障害者なのかということで知的障害という大きな括りでは語れないことは多々あるだろう。上述したように、単に「使えそうな人」を選んで他を排除するというだけであれば、社会的な意味は殆どないのではないかとさえ思うからだ。仮に知的障害を知能指数下位2%程度としても240万人、うち半分は就業困難だとすると120万人が対象者となる。年齢的に就業可能なのが6割としても、72万人いることになる。12人の就業者を有するモデル企業であれば、この72万人から選び出した僅か「0.17%」という事例をもって、成功だの素晴らしい方法だの経営学的示唆を与えるものだのといった議論が可能なのかどうかを考えて欲しい、ということだ。知的障害者に区分されない人たちのうち、特定の0.2%層を選ぶとして、労働人口をざっと6500万人とすると、その成績上位13万人について「経営的にうまくいった方法」が、職業訓練だのOJTだのの成功事例として政策を考える上で役立つものなのだろうか。そういう時には、「それは就業者が~だったからさ」みたいに、特殊な例としてしか認識されないのではなかろうか、と思うのだが。

受刑者の中には、少なからず知的障害を有する人たちがいる、ということは、元議員さんの著書などでも明らかにされていたようだが、これも政策的に考えてみるべきものだろうと思う。そういう人たちについては、刑務所で過して社会復帰しても、再び刑務所に戻ってくる割合がそれなりに高かったりするだろう。そうなると、人生のかなり長い期間を刑務所で過すことになってしまう。暴論を承知で書けば、刑務所よりも離島などに農場を運営しそこで集団生活をしてもらって、半自給自足的生活の場がある方がいいのではないか、とさえ思う。その方が経費も節減でき、刑務所の過密状態も軽減されるだろう。農業が悪いとも思わない。


いずれにせよ、企業礼賛みたいな話で障害者政策が語られることに違和感を持つというのが感想。



占いとか血液型とか

2008年05月18日 16時51分21秒 | 俺のそれ
なんか、大袈裟になっているような気がしないでもない。

事象の地平線---Event Horizon---で、見かけたので。

(一部引用)

このような見方をするならば、「アガリクスでガンが治る」「○○水でアトピーが治る」という主張と、「ありがとうと叫べば琵琶湖がきれいになる」という主張は、規模が違うだけで同種のものであるといえる。いずれも間違っているしそもそも科学ではないし、まともな医学の手柄を横取りするとか、計画を立てて湖の浄化に努力した住民の手柄を横取りするといった弊害はあるが、言及の範囲は自然現象に限られているからである。
 「道徳のあり方を水に決めてもらう」と「血液型性格診断(A型の人はこんな性格、と分類しようとする)」は、他人をきちんと見ないようにし向けるという点で、同種のものになる。ニセ科学を手段として使い、その結論が他人と正面から向き合うことを避けるものになっている言説は、むしろカルトが使用する言説に近い。人間関係に何らかのフィクションや妄想を導入するからである。

=====

「水もの」については、悪徳商法とかまであるから、そりゃ、対決せねばならんな、というようなことはあるだろう。「科学の装い」みたいなこともよくないのも判る。が、「血液型性格診断」とか、禁止するべき事柄なのか?という疑問は残らないでもない。

これは度々問題になっているのだけれども、「血液型性格診断」の存在によって非常にマズい事態というのが起こったりするものなのだろうか。

はてなブックマーク - 血液型性格判断をやめよう


いや、確かに「科学的ですか?」とか聞かれたら、そりゃ「違うでしょ」と答えると思うよ。「何か根拠がありますか?」って聞かれても、特に思いつかないし。血液型性格診断に関連する本とかに出ていたように思います、とか、昔の女性雑誌なんかに出ていたのではないでしょうか、とか(いずれも適当)、あやふやな答えしかできないでしょうけど。調べれば世の中には「血液型性格診断の大家」(オオヤじゃないよ)というような人がいるかもしれないし。それは大した問題じゃないからいいけど、「血液型性格診断」みたいなのをヤメロ、と他人に求めるのって結構難しいんじゃないでしょうか。普通は、「当たったり、当たらなかったりすることはあるよね」という次元のことでしかないのでは。それを科学だ、とか錯覚している人の方が珍しいというか、少ないんじゃなかろうかと思ったりしないでもない。


例えばですね、よくある似たような問題というのは、占いとか宗教とかですかね。
普通の人々は、神社でおみくじを引いたりするでしょ?わざわざお金を払ってまで、するわけですよ。中にはモナー神社で済ませてる人たちがいるかもしれませんが。こういうのも、「一体何の根拠があってこんなことを書いているんだ」とか、いくらでも言いようがあると思うんですね。根拠がない、科学的でもない、だからヤメろ、とか、言うのでしょうか?

最近は東京辺りだと、「占いの館」みたいなものがある(実物を見たことないけど)らしく、様々な占い師がいるらしいんですね。こういうのも、バカにならない料金を取って、「占う」わけです。テレビでも、毎朝「占い」をやってたりしますよね?星座占いみたいなんですが、毎日やってる。雑誌やネットでも、しつこいくらいに占ってる。これらを全て「認めない」、だから「止めろ」という主張なんだろうか、という疑問があるわけです。

おみくじや占いとかは、共通するのは何処にも「根拠」なんてない、ということだ。でも、何故か社会的には認められていて、営業活動もそれなりに行われているわけです。多分、社会通念上、「正確・科学的な情報」とは認識されておらず、重大な影響を及ぼさないから、ということなのだろうなと思うのです。まともに信じ込む人など「滅多にいないはずだよね」ということが前提とされているからでしょうか。もしも万が一、「占い」に結果責任を求められた場合、「占いを信じて重大なビジネス上の契約にしくじった、どうしてくれるんだ」とか、「金運最高だったのに、株で損したじゃないか、どうしてくれるんだ」みたいな話になりかねない、ってことでしょ?
テレビで占いを流す時には、「事実とは異なります」とか、「テレビ局の見解を示すものではありません」とか、全て細かく表示しなけりゃならない、ってなことになるのでは?

普通は、「そんなもんじゃないの」程度の話ではないかな、と。占いを真に受けて全て信じ込んでる人というのは、滅多にいないんじゃないかと思うけど。


これが血液型性格判断ということになった途端に、禁止事項になったりするもんなんでしょうか。同じく、「そんなもんじゃないの」程度の話なのでは。よく女の子なんかが
「アタシって、結構A型って言われるけど実は違うのよ」
「へえー、そうなんだ、ホントは何型?」
「B型」
「やっぱり?アナタって、そういうとこあるもんね」
みたいに会話してるじゃないですか。
こういう会話に遭遇した時、内心「何が『やっぱり』だよ、それなら先にB型って言えばいいじゃないか」と思ったりする。
じゃなかった、「オイラはクワガタ」とかって超さむいオヤジギャグをかましてやろうか、と企てるのでもなく、こういう「血液型性格判断」が普及しているんだな、と感じるわけですよ、心の中で。

こういう時、「ああー、キミ達ねえ、血液型性格判断は間違いだから、それはデマだから」とか言って、彼女たちを失望させるのも可哀想かな、と思うわけです。目の前で、「あー、わかるわかる」だとか、「そうよね、そういうトコあるわね」とか、「当たってるー!」とか、盛り上がっている時に、「そういうの、全部ウソだから、当たってると感じるのは気のせいだから、○○さんが言ってたB型の特徴というのはニセですから」とか言うのもナンだな、と。私には、そんなことはできないだろうな。
女性が「●型ですか?」とか、よりによって私に指摘してきたような場合、「ああ、それはデタラメを言っていますね」なんてことを言えるわけもなく、素直に「ハイ、そうです」とか「惜しいっ、けど違うんですよ、よく●型って言われますよ」とか、全然惜しくなくても(*)それなりに答えてきましたよ。

(*):4つしかないのに、それで外すアナタは運が悪いんですね、と内心思っていても、敢えてそう指摘することは決してない。が、もうちょっと考えておけばいいのにね、と。私がもしも女性だとしたら、きっとこう尋ねるだろう。
「A型っぽく見えるけど、O型ですか?」or「O型っぽく見えるけど、A型ですか?」
これで7割はカバーできる。外れるのはB型とAB型しかいない。その存在割合はそれぞれ約20%、10%なので、あまり出会わないからね。的中率が7割あれば、それはよく当たる、という錯覚をもたらせることになるだろう。見た目で「A型っぽくない時(笑)」には後者を、そうでなければ前者を採用すると、A型又はO型の人には、的中なら「よく判ったね」とかで、「~っぽく見える」方なら「実際、見た目通りなんです」とかになるだろうから。

そういえば、男性同士で血液型が何型、といった話をした経験など一度もない。占いも。そういうのは女性相手でしかしないんじゃないかと思う。男の大半は興味も関心もないんじゃないか。女性がそういう占いとか好きなので、仕方なく相手をしているだけのことが多いと思うけど。だからといって、これらを止めさせるべきものだと思ったりはしない。「そんなもんでしょ」という程度の話、でしかないわけだから。相性を占い(血液型)で決めたのに別れちゃったのをどうしてくれる!みたいに言う人はいないでしょう。おみくじには~と書いてあったのに(以下略)、でもいいんですけど。


なので、血液型性格判断に目くじら立てている人たちの言い分というのが、イマイチ判らんのです。放置しておいちゃマズいんですかね。それとも、おみくじ撲滅運動とかまで発展させるつもりなんでしょうか。占い師なんて、所詮(以下略)ということで、摘発対象とするべし、みたいなことを意図しているのかな、とか。




外国人労働者について

2008年05月17日 17時43分18秒 | おかしいぞ
これまでにも幾度か書いてきたので、一応確認ということで。

参考記事:

右翼化する時代

女性がみんな働く社会環境をいち早く整備すべき


近頃、またこの話題が蒸し返されているみたい。少し前に、切込隊長氏も書いてたね。

こんな話題だそうで>はてなブックマーク - EU労働法政策雑記帳 舛添大臣の大正論

そもそも、日本国内の若年労働者の面倒さえきちんとみきれてないのに、この上「海外労働者」だとか「移民」だとかを管理できるのかな、とは思いますな。まるで、自分の家の子どもさえ満足に教育できてないのに、新たに「養子を連れてきて」と無理なお願いをしている人みたいです。
低賃金労働者を求めるのであれば、それなりの整備が必要。しかし、国内の失業が多いのに、その解決が先決だろう。特に「あの世代」の問題は残されたままだ。

高度な人材?を、というのも、何で政府がやらねばならんのか、とは思う。何故なら、日本が魅力的なのであれば、外資系企業とかは自由にやってくるし、それに伴って外国人の方々も大勢日本にくるからだ。ビジネスやポストを求めて来ている人たちは、それなりにいるだろう。判りやすいのは、「英会話教室」などの講師だろう。NOVAで問題になったが、あれだって大勢日本にやって来ていたではありませんか。政策的にどうにかしたからやって来た、って話ではないだろう。そうじゃなくて、日本に来たいという人たちは、特別に呼ばなくても来てくれているよ。


もしも本格的に外国人のことを考えるのであれば、 唐変木みたいな連中の言うことを聞く前に、外国人の方々に話をしてもらえばいいんだよ。

有名どころで思いつく程度ですが、例えば、こんなメンバーで審議会とか(敬称略)。
ツルネン・マルテイ(参議員)
ピーター・フランクル
ダニエル・カール
セイン・カミュ
パトリック・ハーラン(パックン)
ミハイル・カンディンスキー(ピアニスト)

みんな日本に住んでくれていて、中には帰化してくれたりする人もいるでしょ。政府が呼ぶと来てくれる、とかじゃないと思うけど。ああ、デーブ・スペクターとかに聞いてもいいかもしれないが、つまらんオヤジギャグを言うだけなので時間の無駄かも(冗談です)。
あと、Jリーガーとか、その他スポーツ選手とか、帰化してくれてる人たちはいるよ。

何が辛かったか、不便だったか、改善するべき点は何か、そういうことを実体験のある外国人の方々から詳しく聞けばいいだけなんじゃないの?ワケの判らんことしか言わないような、頭の固いオッサン連中(=政財界)の意見なんて、百害あって一利なし、ではないかな、と。


大資本家の目論見としては、自分の言うことを聞かない連中が腹に据えかねるので、「お前らの代わりを用意したゾ、ファーハッハッハッハ」みたいにできるといいな、ってことでしょ。違うの?
ハリウッド映画なんかにも出てくる話で、「俺たちゃ、安月給じゃ、やりたくねーぜ、ストしちゃうぜ」みたいに抵抗したら、「じゃあいいよ、他から連れてくるから」みたいに「三流助っ人(選手)」をかき集めてくる、みたいなもんじゃないか。安い給料でも働いてくれるから、という理由でしょう。介護士や看護師を入れる、って話にしても、元々は「安い人件費だから」ということ以外の理由なんてないでしょ。


外国人労働者を大量に入れて出稼ぎに来てもらったりすると、通常は自国の家族なんかに送金してしまうので、経済成長にはあまりメリットなんてないんだよ。サウジなんかもそうだと思うよ。オイルマネーで出稼ぎ賃金を払って雇うのだけれど、自国民は生産能力が低いままだし、海外労働者が働いたお金をどんどん送金してしまうので、国内消費に回されるわけじゃないからね。

大体、非正規雇用をこんだけ抱えているというのに、更に低賃金でも耐え抜ける人たちを海外から呼び寄せて就業機会を奪うのであれば、必ず失敗するだけだろうと思う。まず国内の問題を何とかしろ、ってことだ。




「TAXi④」観たよ

2008年05月17日 16時38分14秒 | 俺のそれ
段々マンネリといいますか、駄作化していくのが気がかりです。ギャグもイマイチになっているかと。
エミリアンよりも署長の方がウケる為なのか、署長の孤軍奮闘って感じです。

車の見せ方という点では、悪い方向にきているのではないかと思えます。これなら『トランスポーター』シリーズ(最初はBMW、2はアウディ)の方が断然いいです。プジョーにとっては、「負け」てるのではないでしょうか。

プジョーで思い出すのは、唯一、「プジョー205ターボ16」です。
当時の最強マシンでした。
プジョー・205ターボ16 - Wikipedia

まさにモンスターマシンです。今のM3にも引けを取らないよ。
WRCモデル(公道を走れないよね)ではなくとも、市販モデルは同クラスの中でとび抜けた存在だった。鮮烈な個性と4WD車という希少性があった。クワトロは4WDではあったが、外見が平凡でタダの輸入高級車でしかなかった。しかも、WRCでクワトロ軍団を蹴散らしたのは、圧倒的強さを誇ったプジョー205だった。日本車の4輪駆動はスバルレオーネが一応あったけど、昔のハードトップの方がデザインはマシだった(段々デザインが悪化した例がレオーネ。最終形態は最悪でオッサンしか見向きもしない感じになってしまった)。

映画中で登場するプジョーにはあまり魅力を感じることはなかった。アウディがTTモデルを復活させたので、プジョーも205タイプを復活させてみたらいいんじゃないか?と思うが、どうなんだろうか。ゴルフも「小排気量+ターボ(+インタークーラー)」で燃費と動力性能をカバーしているから、対抗できるかもよ。

次回作では、この復活版「伝説のプジョー205ターボ」とかを採用すれば、ひょっとしてバカ売れかも?
(自己責任でお願いします>プジョー殿)



野垂れ死にが47万人?の怪

2008年05月16日 16時47分04秒 | 社会保障問題
どうして落ち着いて考えるということができないんだろうか。

はてなブックマーク - 河野美代子のいろいろダイアリー 日本は本当に姥捨て山になる。


殆どがデマだろ、デマ。煽り過ぎだっての。
中身をみると、47万人が「その他」―つまり路上死する、みたいなことが書かれているが、こりゃウソだろ。

厚生労働省が47万人の難民が出ることを知っていながら、「路上死しろ」と主張しているかの如く、一般人を誤認させる内容になっている。
本当にそんなことを言っていたんですか?>河野美代子氏(って、ところで何処の誰?)


まず、情報の出所を探した。
コレ>暮らし・後期高齢者医療制度は「団塊うば捨て山」 (2)2030年には47万人の終末期難民が出現

今年2月の記事だね。この「47万人説」を採用している人たちは、大体同じ情報源だろうと思う。河野氏はそういうのを繋ぎ合わせて書いた程度の内容でしかない。パクリン?(笑)ですか?
さも、自分が大発見したみたいに大袈裟に書いているが、全然ダメダメじゃないかと思うが。JANJANの方が詳しいよ。

資料自体は記事によれば「07年10月21日に青森市で開催された第16回青森県老人保険研究会の特別講演で配布された資料」ということだそうですので、厚生労働省が作成したかどうかは不明なんじゃないですか?というより、研究会関係の方が作成したんじゃありませんか?


河野氏は「その他」について、
『「その他」とは何ぞや。病院でも、自宅でも、施設でもない。参考までに、2005年の死んだ人の割合の中で「その他」とは、路上や公園などで死んだ人のことを指している。』
と書いている。
まるで野垂れ死にみたいに書いているが、多分違うでしょうね。
通常、死亡する場所が交通事故であったりすることは珍しくない。職場で急死することもあれば、産業事故もある。海水浴等の海での死亡、登山や雪崩等の事故もある。スポーツ事故なんかだと、グラウンドやプールなんかもある。そういう死亡数の方が、ホームレスみたいになって「路上や公園」で死亡する数よりも、恐らく圧倒的に多いだろう。別に姥捨て山みたいに、公園などの空き地に捨てられるわけじゃない。人々の恐怖心や不安を煽っているだけなのだよ。普通に考えれば、死亡する場所が自宅や病院ばかりではないことくらいは判るのだが、人々はついつい「路上や公園」という記述に囚われてしまうのだ。
大体、孤独死(餓死とか病死とか自殺とか)だって、通常は「自宅」死亡だろ。


こういう言説に引っ掛かりやすいのが世の常なのである。煽りには弱いのである。
元々の47万人の根拠というか意図としては、病床数を削減するのだから一般病院死を増やさないように仮定してみたらどうなるか、ということであろう。病院や介護施設や自宅でなければ、他はどうなりますかね、という提起をしているのであって、実際に公園や路上で死亡するということを意味するわけではないだろう。

統計資料はこちら>第5表 死亡の場所別にみた死亡数・構成割合の年次推移

ざっと言うと、100万人死亡数で、病院が80万人、自宅が13万人、施設+老人ホームが2.7万人、診療所が2.8万人、残りがその他2.8万人だ。医療機関での死亡が約8割、残りの大半である13%が自宅、あとはチョボチョボってことだ。今の病床数でこうなのだから、将来死亡者数が160万人以上になれば、その増加分(約60万人)の大半が「行き場がない」かもね(=47万人が難民化)、ってことを指摘しているのだが、そうであるとしても「自宅で死ねない」とかって話にはならないのは明白だ。

数字を見れば判るように、1980年には自宅死亡割合が38%あった。今の3倍くらい、ということ。病院死亡は約半分でしかなかった。160万人の4割が自宅死亡であれば64万人ということになり、ジャンジャンの資料で指摘する自宅20万人+47万人の合計くらいにはなるね。つまり、1980年頃と同じくらいにしていくようにしましょう、ということを想定しているのであって、自宅死20万人になれなかった人たちは路上死せよ、とか言っているわけではなかろう。


それから、前に書いたが、自宅出産の礼賛みたいな連中がいたと思うんだが、過去の数字をよく見るといいよ。
サンバの幻想?

周産期死亡がかつては非常に高かった、って言ったろ?
病院ではなく、自宅出産だの、助産院だので出産していたから、死亡する確率は高かったのだよ。
上記人口動態資料では、助産院での死亡数は昭和35年で791人、昭和40年で774人だ。この数がどういう意味なのか考えて見るとよい。今と比べると、かなりの高率で死んでいたんだよ。昔はそれが普通だった。いちいち訴えたりはしてなかったけど。

出産は自宅推奨で、終末期は自宅じゃ無理だ、っていうのも、調子のいい主張に聞えますね。あっち系の人たちが、自宅で産めだの自然分娩せよだの、運動しているんだけれども、在宅死もそういう運動みたいなのと何ら変わりないんじゃないの?あっちだか、そっち系だかよく判らんけれども、自宅死を推奨しているような「患者側代表」?だか「国民の意見の代表」?だか知らないが、そういう「消費者側の視点」(笑)に立った「代表者」が頑張った成果が、「病院で死んだら高くつくから、自宅で死んでこい」という制度を生み出すのにかなりの貢献をしたことは間違いないでしょうな(笑)。

「姥捨て山だ」とか散々批判する人たちは、「そっち系の連中」を叩けばいいものを、何故だか政治家や官僚を憎むわけです。こういう制度の元を辿れば、大体はナントカ審議会だの有識者会議だの、そういう偉そうな肩書きを持つ連中の会議に行き着くわけで、そこから出されてこなければ官僚たちだって素案を組んだりなんかできんのですよ。強くプッシュする人たちがいるからこそ、こういう制度のたたき台が上がってくるわけで。何もないところからは、生み出せないですって。

また使ってみるか。
>みのもんたさん江
朝スバによく呼ばれる元宮城県知事の浅野氏ですけれども、彼は社会保障関係に詳しいらしく、知事時代なんかに審議会のメンバーによく選ばれていたりしましたので、是非とも彼のご意見を伺うといいのではないかと。浅野氏は後期高齢者医療制度を作り上げる過程に、深く関わっていたはずではないかと思いますので。制度を主導する役割を担っていたのは一体誰なのか、よく聞いてみて下さい。いつもは好きなことを言える批判側の立場でしょうけど、浅野氏が何と答えるか見てみたいです。



皆さん!安易に煽動されないようにご注意を。
まずは疑え、です(笑、冗談です)



ちょっと追加。

別に今の後期高齢者医療制度に大賛成しているわけじゃないけど。何遍もいいますが。
でも、ニセ情報に踊らされるのはよくないよ、っていうこと。

それと、自宅死の割合を1980年頃と今や将来とを同じ水準にしよう、というのは、数字が同じ位であっても社会情勢が当時と今とでは全然違う、ということを考慮するべきだと思う。
当時は、専業主婦がかなりの割合を占めていたこと、一人(一組)の親に対して子ども世代が多かった(兄弟が何人もいた)こと、同居世帯が多かったこと、などがあるだろう。

しかし、現在や将来見通しとしては、
・専業主婦が少ないので親の面倒をみることを期待するのが難しい(女性の就業率は将来上げていかねばならないので)
・少子化で一組の子ども世代が2組の親の面倒をみる、というような状況(実質的に負担が大きく難しいだろう)
・高齢者単独世帯が増加しているし、将来も増えるだろう(子ども世帯と親世帯は距離的に遠いことが多々ある)
ということで、高齢者世帯が在宅で取り残されてしまうことが起こり得る。

なので、在宅医療の方向に進めるのであれば、自分の子ども以外の社会資源を活用する以外にはないだろう。つまりは介護サービスや地域社会の人々(行政、警察、訪問看護、医療職等)の支えが必要。その為の対価を社会全体で分担することになるだろう。
金銭的に余裕のある人たちは、高齢者向けマンション等に入れるだろうが、余裕のない人たちは(運が良ければ)公的介護施設入所か自宅(当然借家や公的住宅含む)しかない。家族が自力で面倒をみない代わりにお金を払う(サービスを買う)か、お金を払えず時間を持つ人たち(仕事に就かずにいてお金を持たない人たち)は自分で面倒をみてもらうか、高齢者が単独で自力生活するか、というような選択を迫られるであろう。

そういう選択社会がいいかどうかは、国民に判断が委ねられる。
もしも多数派の人たちが、「過去に頑張ってこなかった人たちの老後まで面倒をみきれません」と言い出したら、やはり自力である程度頑張ってもらうしかない、ということ。お金を出せないのなら、家族で支えてあげてください、支える家族や親族がいなければ、自力でお願いします、ということかと。

これまで国保や介護保険料を滞納してきた高齢者は、少なからずいる。そのことをどうするか、ということもある。結構ニュースなんかでも指摘があるのだけれど、給食費や公立の授業料の滞納については、若年世代がバッシングに遭うわけだが、これが高齢者になると責任を問われずともいいのか?

日本の高度経済成長期を謳歌してきた世代であるはずなのに、道徳なんかも叩き込まれてきたであろう世代であるはずなのに、高齢者の国保納付率は高いとは言えないわな。だから天引きされるって話になるわけだ。そういう指摘を誰もできなかったんだよ。何かといえば、年寄りを苛めるのか、って話になるから。

いずれにせよ、よく考えるべき問題だと思う。



米兵の軍法会議

2008年05月16日 15時26分32秒 | 社会全般
痛ましい事件のこと。

asahicom:不起訴の在沖縄米兵、軍法会議で有罪 少女暴行事件 - 社会

「告訴取り下げ」で日本の検察が手出しできなくなってしまったのだが、米側にも正義を忘れなかった人たちがいた、ということだろう。広島の事件に続いて、沖縄の事件も軍法会議によって裁かれた。


これで米軍基地があってよい、という結論には繋がらないのは勿論だが、それでも昔のように黙殺・事件を有耶無耶に済ます、ということだけは避けられた。ケジメをつけるのは当然なのだ。


日本の政治家は、こうした場合に断固戦うということをしない。叩き出すくらいの気迫で臨まなければ、相手には判らないのだよ。自分が戦おうとしないで、おんな子どもを守れるか、っての。

また不起訴ですか

あまりに無力・無念だったけれど、結果的には米側が事態収拾の為に動いた。少女の傷が消えるわけではないのだが…。




ご多忙のところ、ご苦労さまです(笑)

2008年05月16日 13時21分31秒 | 社会全般
最近、例の公安絡み裁判等でご活躍されている落合先生ですけれども、別件もあったようです(笑)。

はてなブックマーク - ESPIO 別件だけれども・・・


そうでしたか。
知りませんでした。

猫猫先生は、以前にも本人訴訟でしたので、段々と要領を得てきたので自信がついたのかもしれません。

関連>
公共交通機関の禁煙措置は違法か?

敗訴は織り込み済みでは?(笑)


JRには完敗であったと思いますが、その後どうなされたのか気になるところです。高裁へ戦場が移っていたりして。

多分それはないんじゃないかと思います。本人訴訟2件抱えているとなれば、既に立派な弁護士並みですよね(笑、冗談です)。きっとJRとの闘争を諦めて、今度はもっと身近な相手にしたのではないでしょうか。
印紙代とかがもったいないようにも思えます。それ以上に、時間と労力が…あ、いや、世の中には「1円訴訟」だの「10円訴訟」だの(?)があるくらいですから、そういう方々にとってはコストの問題ではないんですよね。もっと大事なもの―すなわちプライスレスであるものの為に、戦わねばならない時がある、ということですね。


色々と、頑張って下さい>落合先生



インフレ率と為替変動

2008年05月15日 19時27分57秒 | 経済関連
ちょっと気になったので、メモ。

=====

はてなブックマーク - インフレ目標の失敗 - 池田信夫 blog

こういう記事らしい。

『スティグリッツによれば、現在の「新型スタグフレーション」に対応するには、各国で採用されているインフレ目標をやめるべきだという。

いま世界的に起こっているインフレはマネタリーな現象ではなく、天然資源の価格上昇というリアルな要因が各国に「輸出」されたグローバルな現象であり、一国の金融政策ではコントロールできない。中国のインフレは8%、ベトナムは18%を超えている。これを金利の引き上げで2%程度に抑制することは不可能であり、暴力的な金融引き締めを行なえば、不況がさらに深刻化するだけだ。

グリーンスパン時代にアメリカ経済が安定していたのは、彼の巧みな金融政策のおかげではなく、中国などからの輸入デフレによって物価が安定していたからだ。いま起こっているのは逆に、資源コストの上昇による輸入インフレなので、金利を上げても止まらない。必要なのは、先進国も途上国もインフレ目標を廃止し、物価よりも実体経済の安定を目標にした経済運営を行なうことだ。』

池田氏の記述が正しいということにはならない、ということに注意すべきではないかと思う。

=====


★中国やベトナムの高インフレ率は、必ずしも「インフレ目標の失敗」を意味するものではない。

これは言っておくべきかと(笑)。
何故なら、両国とも為替による調節機能が不十分であるからだろうと推測している。ともに管理為替である。

ベトナム;為替管理制度

あと、インフレ目標の有無には関係なく、アメリカの金融政策で中国やベトナムのインフレ率をコントロールすることはできないし、インフレ目標を設定している国々の金融政策では有効な対処となるはずもないでしょうね。それらの国々では、国内事情の方が大事ですので。


①架空のモデルで考えてみる

通貨「ドル」のA国と通貨「ギル」のB国があるとする。輸出入は完全に均衡していて、双方とも経常収支はゼロ。
通貨の交換比率が1ドル=2ギルであるとする。両国には同じ品物であるパンPがあるものとしよう。A国でPの価格は5ドル、B国では10ギルである。為替通りの価格ということ。
さて、B国でインフレ率が10%であったので、次の年にはPの価格が11ギルになったものとする。すると、為替が変動せず1ドル=2ギルならば、A国でのPの価格は5.5ドルであるはず、ということになる。しかし、A国のインフレ率が20%であったなら、Pの価格は既に6ドルになっているだろう。

ここで、単にA国とB国のPの価格を比較すると、同等品なのであるから等価であるはずで、11ギルのPと6ドルのPは同じ価値ということになります(近頃よくある比較はビッグマック指数とか)。となれば、為替はどうなるかというと、6ドル=11ギルとなるので、1ドル=約1.83ギルということです。前年の2ギルから比べると「ギル高ドル安」になっているはず、ということです。為替が自由に変動する場合には、インフレ率の高いA国と、低いB国ではインフレ率の差が為替で調節され得る、ということだと思います。高インフレ率のA国の通貨は相対的に「減価」となる、ということです。ギルがドルペッグで為替が動かないとなれば、A国で6ドルになってしまうと、B国では12ギルの価格で売られてしまうことになってしまい、高インフレが招かれることになるでしょう。

経済成長率がある程度高く、貿易黒字で利益を獲得していくと、国内通貨での価格表示が増大するか通貨価値が増大して国内通貨表示では大きく変動しないかのいずれか、ということではないでしょうか。

ある期に外貨表示価格100ドルであった財があるとして、それが次の期では外貨表示価格が105ドルになっていれば、国内通貨(ギル)価格表示だとどうなるか。
・為替変動がない場合(1ドル=2ギル):200ギル→210ギル(=105ドル×2)
・為替変動した場合(1ドル=1.95ギル):200ギル→204.75ギル(=105ドル×1.95)
となるので、為替変動で調節された方がB国内での価格表示される数字の大きさは、見掛け上小さくなる。けれども、価値が変わってるわけではなくて、単なる表示される数字の問題です。B国での物価指数を考える時には、これら「国内通貨表示価格」が集められてきて考えることになるので、為替変動がある方が「高インフレ率」を招くのを防ぐ効果が期待できるでしょう。


②なぜベトナムではインフレ率が高いのか

国内物価を見て金融調節で対応しようとしても、限界がある、ということはあるかもしれません。いくら金融引き締めを行っても、輸出が伸びて獲得外貨が増加し、その富が国内に還流してしまえばマネーが増大していることには違いありません。通常の為替変動相場であると、ベトナム通貨は増価し相対的にドルは下落する、ということになるかと思います。
が、管理為替であるために、その調節弁は十分に機能していないのではなかろうか、ということです。ベトナム経済が輸出のウェイトがあまり大きくなくて獲得利益が国内経済規模に比べて十分小さいのであれば、インフレ率には大きく影響しないかもしれません。けれども、恐らく近年のベトナムの輸出額は増加しているであろうと思いますので、そこから利益が多く得られるならばベトナム国内に還流してしまうのは止むを得ないのではないのかな、と。高インフレ率の大きな要因として、こうした硬直的な為替変動があるのではなかろうか、ということです。中国でも為替変動は極めて小さく管理されているのですから、似たようなものですね。


③日本の狂乱物価を思い浮かべると

finalventさんが今日は沖縄返還の日だ、と日記で述べて(2008-05-15 - finalventの日記)おられましたが、狂乱物価はまさしくその時期でした。沖縄でも返還後には猛烈な物価高となったらしいです。

ニクソン・ショックの71年以降、国際為替の調節はまともに機能しなくなってしまった時期だったのではないかな、と。
変動相場制 - Wikipedia

そこに追い討ちとなったのが、石油危機でした。中東戦争に端を発するオイルショック、というやつですね。
この時期には先進国で高インフレが軒並みとなり、日本でも異常なまでの物価高となりました。スタグフレーションというのが起こった時期でもありました。
これらが終息していくのは76年頃で、為替というのは色々と問題を起こすことがあるかも、ということかなと。


④狂乱物価はそれだけではないかも

いくら為替による調節機構が十分機能しなくなったとしても、それだけで物価上昇が月単位で数十%ということは中々考え難いわけですね。全くの素人考えなんですけれども、やはり人間の予測行動の問題なのではなかろうか、と。

たとえば中国地震の被災地のような状況を考えてみましょう。
目の前にカップラーメンがあるとして、これが今は150円だとします。自分の周囲の人たちを観察すると、欲しいと考える人たちばかりです。そりゃそうですよね。食べるものが少ないわけですから。で、きっとみんなカップラーメンを買いたがるでしょう。品薄だから、明日とか明後日になれば、2倍か、3倍か、いや、もっと高値になっているかもしれません。そういう心配というか恐怖というか不安が増大しているわけです。

そうすると、誰しも先を争って目の前にある「1個150円のカップラーメン」に飛びつくわけです。この現象が何日か続いてみたらどうなるでしょうか?たぶん毎日、値段が上がっていく一方となるでしょう。
人々の心に、「品物が大量にあって今すぐ買わなくても大丈夫だ、安心だ、これから暫くは値段が上がらないだろう」というような安堵がもたらされるまでは、我先に買いたがるからです。お金として持ってる100円や千円よりも、「現物」つまり実物価値のあるものに置き換えないと「大変なことになる、手に入らなくなる」という恐怖感に支配されると、値段は次々と上がっていき、そのことが更に人々の不安心理を加速してしまうのです。
(例のサブプライムショックで株式市場暴落みたいな、投売り続出のオンパレード状態とも近いかも)

なので、今日150円だったカップラーメンは、明日には300円に、明後日には1000円に、という具合に、優先順位の高いものは価格がうなぎのぼりになっていくはずです。実物信奉じゃないんだけど、ゲンナマよりも実物を最優先にしなくちゃいけないと考える時がある、ということ。その場合には狂乱物価のようなことが起こる。

けれど世の中の物価指数は今すぐに必要じゃないものもたくさんある為に、全ての価格が一気に上昇するとは限りませんよね。ダイエット商品だの、化粧品だの、ゴージャス下着だの(笑)、そういった商品価格が一斉に上がるわけではないので。そうすると消費者物価指数全体では、カップラーメンのような上昇率とはならず、平準化された上昇率ということになるでしょう。


⑤まとめ?

そういうわけで、為替の調節機能がイカレるとインフレ率は変動する範囲が大きくなることは考えられるかな、と。管理為替制だと外部からの攻撃(アジア通貨危機の時のようなヤツ)には耐性があり、変動幅を小さくできるメリットはあるものの、調節機能を奪っていることが考えられるので、自由な変動による調節が働く方が望ましい。なので、中国やベトナムに限らず、湾岸諸国のドルペッグも含めて、為替による調節機能が働く方が、国内の金融政策は行いやすいのではないかな、と思う。

天然資源の価格上昇があったとしても、各国の輸入(或いは輸出)比率がどの程度なのか、ということがある。日本のように経済規模がある程度大きく、石油依存度が小さくなっていれば、(天然資源価格上昇による)輸入物価上昇が、必ずしも全ての物価上昇を招くわけではない。現に日本だと、これほど天然資源の価格上昇が言われている中で、消費者物価上昇率に与えるインパクトは弱く、高々数%に過ぎない。他の要因―例えば輸入によって低価格が達成されてきたもの、円高で輸入価格が下落したもの、デジタル製品等の性能向上による価値下落、携帯電話料金やネット接続料金の下落―などによって一部相殺されているので、消費者物価指数に対しては資源価格上昇の影響度が高インフレ国みたいに出ているとは思われない。

経済の成熟度がそれほどでもなく、為替による調節機能が弱く、貿易の比重が割と大きい(特に輸出優位の)国においては、高インフレ率となってしまうことが有り得るのではないだろうか、と。


これら現象は、インフレ目標の有無だとか失敗云々という問題ではないのではないかと思われるが、賢明な諸兄はどのようにお考えになるであろうか。



天災から見える国の違い~ミャンマー、中国、アメリカ

2008年05月15日 13時22分38秒 | 社会全般
ミャンマーのハリケーン被害も中国の地震被害もともに深刻であるのに、救助作業への大きな障害を抱えている。ミャンマーにおいては、軍事政権の支援拒否が大問題で、更に救援物資の独占、役人・軍人等の腐敗ということがある。また、中国でも同様に海外からの人的支援は拒否し、資金援助は受けるという姿勢である。米国政府は中国へ僅か50万ドルの支援金を申し入れたが、外交儀礼の一つという程度であろう。日本も同程度でいいと思う。

むしろ、現地の日本系企業は、「自分たちの社員」(勿論中国人だ)を守るべく食糧等の援助物資を供給することが必要だろうと思う。中国の役人たちに横領されたりするのが当たり前だろうと思うので、日本や沿岸地域から物資を送っても、必要な人たちに届かない虞があるだろう。それならば、民から民へ、つまり企業間の物資輸送みたいにしないと現地の被災者たちには届かないのではないかな、ということだ。

状況を更に悪化させるのは、中国の人口が多いということだろう。被災人口が大きいので、当たり前の支援規模では全然足りない、ということが考えられる。また物流手段や援助物資の分配等、想像もつかないくらいのロジスティックス能力みたいなものが必要とされるからだ。


今日の読売朝刊の1面記事はこれだった。

被災者が支援物資奪い合い、運搬中の車に殺到…四川大地震 国際 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

先に奪った者勝ち、ということだ。これが現実なんだ。


こういう事態は別に中国だけじゃない。アメリカのハリケーン被害の時に起こったのは、似たような略奪行為だった。

ブロガーは見た--ハリケーンに襲われたニューオーリンズの惨状ニュース - CNET Japan

(一部引用)

Barnettはさらに次のように続けた。「政府が完全にお手上げ状態であるため(いずれにせよ、何もできなかっただろうが)、われわれはこの街の治安回復を真剣に検討している。いくつかの報告によると、警察が略奪行為を行っており、またQuarter近くのある警察管区では自動小銃が発射されたため、まともな警察官は各管区内で包囲されているという」

 「危険は承知しているが、私はForeign Internal Defenseについて多少の経験がある。まるで『Planet of the Apes(猿の惑星)』のようなこの混乱を鎮めるチャンスがあれば、誰かが最初の一歩を踏み出さなくてはならない。つまり、現在あちこちで『Lord of the Flies(蝿の王)』の世界が展開されている。まさに無秩序状態だ。私有財産も人命も全く尊重されない」

 さらに同日、しばらく経ってからBarnettは次のように書いている。「警察が略奪行為を行っているが、これは複数の情報源から確認が取れている。略奪行為の一部は『正当』と言えるかもしれない。もっとも、この状況で『正当』という言葉に何らかの意味があればの話だが。警官らはATM荒らしや金庫破りもしている。これらも確認済みだ。実際に複数の目撃者がいる。また、彼らは公用の名目で自動車ディーラーから十数台のSUVを持ち出し、さらに銃器店や質屋から銃などの小型の武器を略奪した。おそらく『犯罪者』による略奪行為を防ぐためと思われるが、彼らの真の意図など誰にも分からない」

=====


カトリーナ被害の時に限らず、アメリカで起こったロス地震やロス暴動の時にも、やはり同様に略奪行為は行われた。それもごく少数の悪者が悪事を働く、というレベルではなく、もっと大規模に行われるのである。上記引用記事のようなことは珍しくも何ともなく、警官たちの中にだって「これ幸い」と持てる強権を利用して略奪するのだ。これは国民性なのか何なのか判らないが、そういう国なのだ。


日本では、殆どこういう光景は見られない。暴動に関しては、以前記事にも書いた。
災害救助活動の検討3

日本人だって極限状態におかれたらどうなるか分らんよ、という意見があるかもしれないが、それでも日本人はこれまでの災害時にそういう暴徒と化して略奪を行ったりはしてこなかった(昔の打ち壊しみたいなのは当然あったよ)。そういう国民なんだ、ということ。実際全部を確かめたわけではないけど、被災地域では互いに助け合うし食糧も分け合うし、概ね整然と並ぶ。他人の家とか店とかから奪っていく人たちなんて、まず見ないと思う。

警官や自衛隊や消防隊だって、全力で住民を守ろうと頑張るし、命懸けで整然と組織的に働いてくれる。悪徳警官みたいな人が現れて、「大チャーンス」みたいにあちこちから奪っていくなんてこともない。自衛隊が組織的暴力を企て、放置されたATMから根こそぎ金を奪ったりはしない。日本とはそういう国なんです。

アメリカや中国では、法の秩序というものが崩壊した環境にあっては、生き抜く為には自分の持つ「暴力的な力のみ」が唯一頼れるもので、暴力が支配する場面というのが訪れるのだ。まさしく、「北斗の拳」に出てくるような世紀末世界みたいなものだ。けれども、日本は違うのだ、ということ。殆どの場合、秩序は保たれている。暴力ではなしに。


ネット界隈では、日本人のいいところみたいな記事が人気を集めたりしていますが、それとも通じるかも。拙ブログでも随分昔に書いた。
エリート教育は国際競争力を高めるか


田舎に住んでいると見かけるかもしれないが、国道の脇なんかに農産物が売られている店があったりする。店番なんて勿論誰もいないんだけど。台の上に、とうもろこしやトマトなんかが、「ひとカゴ 100円」という具合に売られている。傍らにはお金を入れる缶みたいなのがあるだけで、誰も見てないんだから、勝手に持ち去られても気付かれないんですよね。けれど、野菜も、お金も、そこにきちんと残されているんですよ。誰も勝手に持っていったりはしない。いや、確かめてみたわけじゃないから判らないんだけど(中には不届き者も少しはいるかもしれんが)。こういう商売って、日本くらいでしかできないんじゃないかと思うわけですよ。朝早く来て、野菜をカゴに入れて並べる。多分、夕方くらいに残った野菜やお金を回収に来る、ってことですよね。最初見た時には、ちょっと驚いたんですが、そういうもんなんだな、と思いましたよ。これをアメリカや中国でやったらどうなるかというと、並べた途端に全て持ち去られてしまうでありましょう、きっと(笑)。お金が入れられた缶があれば、それは当然なくなっているでしょう。でも、日本だと、どちらもきちんと残っているんです。

ごく稀には賽銭箱から盗んだりするような罰当たりな人もいるかもしれませんが、そういう不届き者というのは少ないんじゃなかろうか、というのが私の印象です。道端のお金がずっとそこに普通に残っているんですから。国民全体としては、「完全主義の文化」とか誠実さや信頼度の高さというのがあると思うんですよ。そのことを日本人はもっと自信を持っていいと思うのですよ。たしかに偽装云々とか散々報道されたりして、残念に思う部分はあるのですが、自信を失う前にこれまで培ってきた日本人気質のいいところに目を向ければいいと思います。



「声に出して読みたい」ニュース

2008年05月14日 15時31分19秒 | いいことないかな
ニューススタジオにて。

ハイ、用意、スタートッ!


女子アナ「たった今、ニュースが入りました…」


ニュースはコレ>

「国宝級」美人アスリート・郭晶晶が妊娠、五輪選手チームから離脱へ!―中国(Record China) - Yahooニュース

「2008年5月13日、高飛び込み競技のアテネ五輪金メダリストで、「中国トップの美人アスリート」ことグオ・チンチン(郭晶晶)に妊娠が発覚。五輪選手チームからの離脱が認められたという。人民網が伝えた。

かねてから、香港の資産家・霍啓剛氏との交際が伝えられていたチンチン。先日は、2人が交わしたラブラブ携帯メールがネット上に流出し、世間を騒がせたばかり。

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ごめん。小学生の男子みたいなことを言って。
別に、意味はない。
そんだけ。


実際、女子アナの人にこの原稿を読ませるとどうなるか、実験して欲しい(笑)。冗談ですけど。



追加情報:21時半頃

どうやら誤情報かもしれない、と。名前の「音」もチンチンじゃなくジンジンだそうです。声に出して読んでも全然大丈夫だね。ごめん。

誰が郭晶晶を妊娠させた? 虚報・競技妨害の陰謀説も(サーチナ・中国情報局) - Yahooニュース



プレミア史上最弱?―― ダービー

2008年05月14日 01時21分42秒 | いいことないかな
新聞を読んでいてふと気付いてしまったのが、今季のプレミアリーグでの記録のこと。
ダービーは38試合中1勝しかできていない。1勝29敗8分、勝ち点11とダントツぶっちぎりの最下位。超かわいそう過ぎ。日本のJリーグチームでどんなに弱いといっても、これ程ではないから是非とも安心して欲しい(笑)。

30試合以上勝ち星なし、ということになると、流石に応援する方も萎えるだろうね。泥沼というか、地獄というか、泣くね。得失点差でも、60点以上のマイナス。恐るべし。

ぐぐってみると、過去の記録に関してはこちらが詳しい。
哀れな生贄の羊 えるぷらんてーる

まさに狩りまくられるヒツジさん、ってことか。


けど、日本でも似たようなチームはあったみたい。アルテ高崎。
スポーツナビ サッカー|Jリーグ|聖地での開幕戦=宇都宮徹壱のJFL定点観測(2/2) JFL2008前期第1節 横河武蔵野FC対アルテ高崎

昨シーズンは1勝29敗4分、得失点差-54、連続無勝試合は34試合ですと。泣き。
無勝記録はシーズン跨いでの記録みたいなので、何とも言えないか。

07年の横浜は数々のワースト記録をうち立てたと思うが、それでも4勝26敗4分、勝ち点16、得失点差-47、でダービーよりはマシだな。上には上がいるということか。