偶然発見したのがコレ>二つの公開質問状
(以下、一部引用)
土屋泰昭さん、ご無沙汰しております。
私の高校の先輩でスタンフォード・ビジネススクールでは私の
2年後輩にあたるという関係から、当時確か既にGEジャパンの副社長で
いらしたあなたは私に、1991年頃、同期の守屋を紹介して欲しいと
持ちかけられ、3人で六本木で昼食を共にしたことがありましたね。
上記記事が正しいとすると、当時、GEの代理店は山田洋行ではなく
三井物産だったようですが、あなたは、一体何の目的があって
当時航空機課長であった守屋に接近しようとされたのですか。
その後、GEが代理店を三井物産から山田洋行に変えたことには
あなたも当然関与されたはずですが、代理店変更の理由は何だった
のですか。
また、昨年山田洋行から日本ミライズが分離独立した際、
GEは代理店を山田洋行から日本ミライズに変更しましたが、
その理由もお聞かせ下さい。
=====
今回、山田洋行から日本ミライズに代理店変更した際には、揉めたわけですよ。三井物産から山田洋行に移す時には、これほど揉めなかったのに、です(ちょっとは揉めたのかもしれないが、表沙汰になるほどではなかったかと)。これが謎なのですね。
前の記事に書いたように、絶対的な大物がいて、その人が「ミライズに移せ」みたいに言うなら、山田洋行はかつての三井物産が奪われたみたいにアッサリと商権を取られてしまったはずでありましょう。でも、今回はそうではなかった。どうしてなんでしょうか?不思議ですよね。
推測では、今回は「偉い大先生」を抜きで移したからではないでしょうか。大物に根回しして、山田洋行に文句を言わせないようにする、とか、出来なかったか、やってなかったからなのでは。となると、守屋と宮崎の「自信過剰による暴走」みたいなことが考えられるでしょう。ひょっとしたら久間さんが「何で勝手に変えるんだよ」とか文句を言ってたのかもしれません。日本ミライズがGEとの技術支援契約をしたのが1月だそうです。久間発言は丁度その頃でしたか。あんまり偉そうに言ってくれるな、と。偶然かもしれませんけど。
GE側にしてみると、守屋事務次官の先が短いことは十分知っていたはず。小池さんに切られなかったとしても、1年くらいが関の山であり、もう直ぐ防衛省から去っていくことを考慮に入れていたはず。なのに、なぜ日本ミライズに代理店を移動したのか?いかに守屋が宮崎や日本ミライズに肩入れしていたとしても、あと少しで権力の座から降りることが明白な守屋の言うことを聞かねばならないのだろうか?守屋が事務次官を退官した後、日本ミライズにはどんな権力が後ろ盾についてくれるというのだろうか?GEにとっては、やけに冒険的な話だろう、ということ。
つまり、日本ミライズや守屋の後ろに付いていたのは、かつては久間とかだったのかもしれないが、今では「別な筋」の方々なのだろうと思う。それは小池に切られそうになった時に、官邸に走った守屋が「どのツテ」「どの人脈」を使ったのだろうか?ということだ。阻止に動いて画策していた時、「どこの筋」が支援に回ったのだろうか、ということだ。
上の引用記事中に、おや、と思う部分がありましたよ。
そうですね、「GE」「監査役」「土屋」です。
このキーワードが一致するというのは、例のグレーゾーン金利ものの記事を書いてきたので、よく憶えていますよ。
例えばコレ>貸金業の上限金利問題~その9
この文中に「GEの土屋氏」と書いたし、金融庁資料(このヘンとか>「貸金業制度等に関する懇談…:金融庁)なんかで何度もお目にかかっていたので、よく憶えていたわけです。偶然って、あるんですね。
坂野教授はこんな目に遭わされた>こんなことになるなんて~早大教授のこと
これも偶然に過ぎないのかもしれないけど。でも本当に偶然なのだろうか?何かから目を逸らせようとしているだけにも見える。バッシングされる対象に仕立て上げられてしまったかのように見えるのですよ。
久間さんが色々ネタを挙げられて、マスメディアで攻撃されたのと似てなくもないのですよ。ま、どうなのか判らんのですけど。
まるで番長(=米国)の代弁にしくじったので、罰を受けさせられたかのように見えなくないですか?だって、法案可決は昨年だよ?なのに、今年になって「撃たれてる」んですよ。外資系はロビーをやってたんだ、って何度も書いたでしょ?あれが凄くマズい部分だったのかな?とか、下種の勘繰りをしたりしますね。
土屋氏の話に戻ります。
>GE Money
このようにお名前が出ているわけですね。
あと、GE法務部関係のもので、ロビー活動も着々とやってるわけですよ、こんな風に。
>GE Japan Legal
工作部隊とも似てなくもないかもね、と(笑)。
上限金利の話に戻って申し訳ないんですけれども、普通、「他の国の法律案」を決めるのにですね、米国大使が直に登場して文句を言いに来ますか?シーファー大使を動かせるほどに、「政治力」を持っているということは確かなんですよ。
で、例えば日本の駐米大使が「米国で用いられる法律案」の審議に口を挟んだり、それはダメな案だから別な法律にしろ、とか言いに行きますかね?貸金業の上限金利なんて、対米制裁法案でも何でもないわけですし(笑)。昔の米国のキチガイじみた「対日制裁法案」のような法律案とはワケが違うのですよ。それなのに、わざわざ「シーファー駐日大使」が担当大臣の元に乗り込んできて、「日本が国内で平等に用いる法律」に対して、文句を言いに来るというのは、どう考えてもオカシイのですよ。そんな国が他にありますか?ないですよ。どこかの特定の国に対して制裁を課す法律とか、名誉を害するとかならば判りますよ。でも、全然違うんですから。米国で法律を考える時に、「日本では~だったから、それと同じように制定せよ」とか駐米大使が言いに行きますか?(笑)
要するに、外資系の中で「政治力」を発揮してシーファー大使を動かした連中が確実にいる、ということ。GEがその根っこにあるとしても、不思議でも何でもない。世界に冠たる企業だからね。で、土屋氏のような先兵となっている人が活躍していても、不思議ではないだろう。贈収賄とかの不正規手段なんかに頼らずとも、表から堂々と工作できる、ってことなのだからね。インフォーマルは必要ないくらいだね、ってこと。
けど、90年代初め頃の話になると、これは状況は違うであろう。
守屋は一介の課長に過ぎず、強力な権力を発揮できる地位にはなかった。「装備局航空機課長」というポストでは、重大な決定権限は持っていなかったであろう。きっと誰かは介在していた。この当時には、まだGEの力は弱く、日本で商売をしようと思えば、「根回し」が必要だということも、「ケイレツ」のような慣行に従うことも必要だと考えていたからなのかもしれない。この頃の日本は、まだ商売の上では「NO」と言えたのだろう。金を持っていたのも成長力が旺盛だったのも日本であり、泥沼に苦しんでいたのは米国だったからだ。
GEには何かの力があることは確かだ。
諮問会議資料にも「ジャック・ウェルチ語録」が採用されるくらいだからね。あのペーパーは誰が書いたのか気になるところだ(笑)。これも偶然だけど。
>「実は傀儡だった」ってー?(追記後)
この文中にありますので、探してみて下さい。
追記:23時半頃
ちょっと昔話にお付き合いを頂きましょう。
中曽根-レーガン時代には、ロン・ヤス関係で日米同盟が重要視されていたであろう。東側勢力との睨み合いも続いていたからだ。しかし、状況が変わっていった。
ベルリンの壁崩壊が89年に起こった。東欧諸国でも次々と変化を来たしていった。ソ連崩壊は91年まで待たねばならなかったのだが。
共産主義に変わる「新たな脅威」が必要になった、ということかもしれない。
日米関係で見ると、貿易摩擦問題が激化していった。日米構造協議が89年から始まり、93年の日米包括経済協議、ウルグアイ・ラウンドなどをはさみながら、97年の半導体問題決着、橋本政権での日米規制緩和対話、01年には小泉政権下の日米経済パートナーシップ、と継続的に進められた。
対日政策の転機となったであろうと思われる89年頃の出来事を思い起こそう。
日本への制裁発動となる「スーパー301条」というのが幾度となく浮上した。制裁発動の強硬派議員たちは、感情的に日本批判を展開していた。
T・ブーン・ピケンズの買占め騒動も持ち上がった(「株買占め」と言葉の由来)。狙われたのは、小糸製作所という防衛産業の一角を担う、トヨタ傘下の会社であった。何故この会社がターゲットにされたのかは不明だ。だが、何らかの意味があったからだろうと思われる。時期的には、日本企業バッシングが燃え盛っていた頃であったし、日米構造協議に何らかの影響を与えんが為の画策だったと見ることもできるからだ。
91年の湾岸戦争の時には日本にも負担を求められ、130億ドルという巨額拠出をすることとなったが、米国に召し上げられることになっただけで、国際的には評価されないものであった。そもそも、そのお金はどこにどのように使われたのか、未だに日本では不明のままにされているらしい。こうした時期に特別なコネクションみたいなものができていったのかもしれないが、判らない。
湾岸戦争頃に米国政治中枢近辺にいたのが、チェイニーやラムズフェルドらであった。
(ご存知のように、パウエルやアーミテージも勿論周辺にいた。今回の問題が生じてきたのは、パウエルやアーミテージが政府を去った後からであり、米国筋の力学関係にねじれのようなものが起こってきたからなのかもしれない。対日政策に変化が感じられるのは、そうした断面を見ているからなのかもしれない。)
当時、米国では日本脅威論が大袈裟に喧伝され、日本が譲歩すべきだということを求められていた。その線上にあったのが、防衛政策であった。まず、F-2の開発に関して共同開発を強いられることになり、90年に開発が開始された。92年には非常に高額なAWACSであるE-767購入が決定された。当時、E-2Cホークアイとか、それよりも高額だったE-3などがあったが、いずれも選ばれなかった(91年頃までは、E-3が有力視されていたようだったが)。これらは日米貿易摩擦の緩和を意図されたものと思われる。この経緯で重要になるのは、機種選定やエンジンの選定ということであった。特に、エンジン選定はその後の契約にも大きな影響を与えるものと予想されたであろう。
F-15やF-16エンジンには、P&W社製のF100系のものがあったが、GEのF110系も採用されていた。P&W社製エンジンは、F-22ラプターやF-35でも採用されており、主要なエンジン供給メーカーである。日本での選定において、初期の契約を獲得できれば、その後のメインテナンスや部品調達関係などを押さえられるという期待が当然あったであろう。つまり、F-2エンジンばかりではなく、E-767のエンジンも競合関係であった。GEはF-2以降、E-767、KC-767(空中給油機、極めて高額な装備である)、C-X、これらのエンジンの獲得に成功したのだ。
C-Xに採用されたGEエンジンのCF6-80C2は、多様な機種で採用されており、日本においてE-767で採用して以降であれば、整備、部品調達や互換性などの点でコスト低減には有効となるであろう。C-Xでの採用が特別に異常な事態、ということにはならないであろう。エンジン選定の不透明さ、ということよりも、その調達体制での問題ということになるであろう。
今後P-Xでのエンジン選定ということが考えられるかもしれないが、GE製を止めて他のメーカーにするメリットというのは、あまりないのかもしれない(調達関係だけ考えると)。1つの機種だけ別メーカーのエンジンとする意味は、多分なさそう、ということだ。例えば会社のパソコンが殆どHP社製なのに、少数だけMacを調達してもしょうがない、みたいなものかもしれない。社保庁のIT投資メーカー選定で初めに選んだNTT系がその後継続的に担当するようなもので、途中で変えることのデメリットみたいなものはあるかもしれない、ということはあるからだ。
これら背景があったので、90年頃においてGE社がエンジンメーカーに選定されるということは、その後の調達に大きな影響を与えることになったであろう。今回の山田洋行の問題という以前に、ずっと昔の時点において、90年~92年頃に何らかの力学が働いていたであろう。恐らくその末席にいたのが、装備局航空機課長であった守屋であり、その上の方には大物の関係していた何かがあったのだろうと推測されるのである。
バブル期に日本脅威論が米国を席巻するようになったのは、三菱地所がロックフェラーセンターを買収したことが引き金となったように思われていたであろう。奇しくも、ロックフェラーセンターを象徴するような存在で、70階建という最も大きなビルは1933年に建てられた「GEビルディング」だった。
(以下、一部引用)
土屋泰昭さん、ご無沙汰しております。
私の高校の先輩でスタンフォード・ビジネススクールでは私の
2年後輩にあたるという関係から、当時確か既にGEジャパンの副社長で
いらしたあなたは私に、1991年頃、同期の守屋を紹介して欲しいと
持ちかけられ、3人で六本木で昼食を共にしたことがありましたね。
上記記事が正しいとすると、当時、GEの代理店は山田洋行ではなく
三井物産だったようですが、あなたは、一体何の目的があって
当時航空機課長であった守屋に接近しようとされたのですか。
その後、GEが代理店を三井物産から山田洋行に変えたことには
あなたも当然関与されたはずですが、代理店変更の理由は何だった
のですか。
また、昨年山田洋行から日本ミライズが分離独立した際、
GEは代理店を山田洋行から日本ミライズに変更しましたが、
その理由もお聞かせ下さい。
=====
今回、山田洋行から日本ミライズに代理店変更した際には、揉めたわけですよ。三井物産から山田洋行に移す時には、これほど揉めなかったのに、です(ちょっとは揉めたのかもしれないが、表沙汰になるほどではなかったかと)。これが謎なのですね。
前の記事に書いたように、絶対的な大物がいて、その人が「ミライズに移せ」みたいに言うなら、山田洋行はかつての三井物産が奪われたみたいにアッサリと商権を取られてしまったはずでありましょう。でも、今回はそうではなかった。どうしてなんでしょうか?不思議ですよね。
推測では、今回は「偉い大先生」を抜きで移したからではないでしょうか。大物に根回しして、山田洋行に文句を言わせないようにする、とか、出来なかったか、やってなかったからなのでは。となると、守屋と宮崎の「自信過剰による暴走」みたいなことが考えられるでしょう。ひょっとしたら久間さんが「何で勝手に変えるんだよ」とか文句を言ってたのかもしれません。日本ミライズがGEとの技術支援契約をしたのが1月だそうです。久間発言は丁度その頃でしたか。あんまり偉そうに言ってくれるな、と。偶然かもしれませんけど。
GE側にしてみると、守屋事務次官の先が短いことは十分知っていたはず。小池さんに切られなかったとしても、1年くらいが関の山であり、もう直ぐ防衛省から去っていくことを考慮に入れていたはず。なのに、なぜ日本ミライズに代理店を移動したのか?いかに守屋が宮崎や日本ミライズに肩入れしていたとしても、あと少しで権力の座から降りることが明白な守屋の言うことを聞かねばならないのだろうか?守屋が事務次官を退官した後、日本ミライズにはどんな権力が後ろ盾についてくれるというのだろうか?GEにとっては、やけに冒険的な話だろう、ということ。
つまり、日本ミライズや守屋の後ろに付いていたのは、かつては久間とかだったのかもしれないが、今では「別な筋」の方々なのだろうと思う。それは小池に切られそうになった時に、官邸に走った守屋が「どのツテ」「どの人脈」を使ったのだろうか?ということだ。阻止に動いて画策していた時、「どこの筋」が支援に回ったのだろうか、ということだ。
上の引用記事中に、おや、と思う部分がありましたよ。
そうですね、「GE」「監査役」「土屋」です。
このキーワードが一致するというのは、例のグレーゾーン金利ものの記事を書いてきたので、よく憶えていますよ。
例えばコレ>貸金業の上限金利問題~その9
この文中に「GEの土屋氏」と書いたし、金融庁資料(このヘンとか>「貸金業制度等に関する懇談…:金融庁)なんかで何度もお目にかかっていたので、よく憶えていたわけです。偶然って、あるんですね。
坂野教授はこんな目に遭わされた>こんなことになるなんて~早大教授のこと
これも偶然に過ぎないのかもしれないけど。でも本当に偶然なのだろうか?何かから目を逸らせようとしているだけにも見える。バッシングされる対象に仕立て上げられてしまったかのように見えるのですよ。
久間さんが色々ネタを挙げられて、マスメディアで攻撃されたのと似てなくもないのですよ。ま、どうなのか判らんのですけど。
まるで番長(=米国)の代弁にしくじったので、罰を受けさせられたかのように見えなくないですか?だって、法案可決は昨年だよ?なのに、今年になって「撃たれてる」んですよ。外資系はロビーをやってたんだ、って何度も書いたでしょ?あれが凄くマズい部分だったのかな?とか、下種の勘繰りをしたりしますね。
土屋氏の話に戻ります。
>GE Money
このようにお名前が出ているわけですね。
あと、GE法務部関係のもので、ロビー活動も着々とやってるわけですよ、こんな風に。
>GE Japan Legal
工作部隊とも似てなくもないかもね、と(笑)。
上限金利の話に戻って申し訳ないんですけれども、普通、「他の国の法律案」を決めるのにですね、米国大使が直に登場して文句を言いに来ますか?シーファー大使を動かせるほどに、「政治力」を持っているということは確かなんですよ。
で、例えば日本の駐米大使が「米国で用いられる法律案」の審議に口を挟んだり、それはダメな案だから別な法律にしろ、とか言いに行きますかね?貸金業の上限金利なんて、対米制裁法案でも何でもないわけですし(笑)。昔の米国のキチガイじみた「対日制裁法案」のような法律案とはワケが違うのですよ。それなのに、わざわざ「シーファー駐日大使」が担当大臣の元に乗り込んできて、「日本が国内で平等に用いる法律」に対して、文句を言いに来るというのは、どう考えてもオカシイのですよ。そんな国が他にありますか?ないですよ。どこかの特定の国に対して制裁を課す法律とか、名誉を害するとかならば判りますよ。でも、全然違うんですから。米国で法律を考える時に、「日本では~だったから、それと同じように制定せよ」とか駐米大使が言いに行きますか?(笑)
要するに、外資系の中で「政治力」を発揮してシーファー大使を動かした連中が確実にいる、ということ。GEがその根っこにあるとしても、不思議でも何でもない。世界に冠たる企業だからね。で、土屋氏のような先兵となっている人が活躍していても、不思議ではないだろう。贈収賄とかの不正規手段なんかに頼らずとも、表から堂々と工作できる、ってことなのだからね。インフォーマルは必要ないくらいだね、ってこと。
けど、90年代初め頃の話になると、これは状況は違うであろう。
守屋は一介の課長に過ぎず、強力な権力を発揮できる地位にはなかった。「装備局航空機課長」というポストでは、重大な決定権限は持っていなかったであろう。きっと誰かは介在していた。この当時には、まだGEの力は弱く、日本で商売をしようと思えば、「根回し」が必要だということも、「ケイレツ」のような慣行に従うことも必要だと考えていたからなのかもしれない。この頃の日本は、まだ商売の上では「NO」と言えたのだろう。金を持っていたのも成長力が旺盛だったのも日本であり、泥沼に苦しんでいたのは米国だったからだ。
GEには何かの力があることは確かだ。
諮問会議資料にも「ジャック・ウェルチ語録」が採用されるくらいだからね。あのペーパーは誰が書いたのか気になるところだ(笑)。これも偶然だけど。
>「実は傀儡だった」ってー?(追記後)
この文中にありますので、探してみて下さい。
追記:23時半頃
ちょっと昔話にお付き合いを頂きましょう。
中曽根-レーガン時代には、ロン・ヤス関係で日米同盟が重要視されていたであろう。東側勢力との睨み合いも続いていたからだ。しかし、状況が変わっていった。
ベルリンの壁崩壊が89年に起こった。東欧諸国でも次々と変化を来たしていった。ソ連崩壊は91年まで待たねばならなかったのだが。
共産主義に変わる「新たな脅威」が必要になった、ということかもしれない。
日米関係で見ると、貿易摩擦問題が激化していった。日米構造協議が89年から始まり、93年の日米包括経済協議、ウルグアイ・ラウンドなどをはさみながら、97年の半導体問題決着、橋本政権での日米規制緩和対話、01年には小泉政権下の日米経済パートナーシップ、と継続的に進められた。
対日政策の転機となったであろうと思われる89年頃の出来事を思い起こそう。
日本への制裁発動となる「スーパー301条」というのが幾度となく浮上した。制裁発動の強硬派議員たちは、感情的に日本批判を展開していた。
T・ブーン・ピケンズの買占め騒動も持ち上がった(「株買占め」と言葉の由来)。狙われたのは、小糸製作所という防衛産業の一角を担う、トヨタ傘下の会社であった。何故この会社がターゲットにされたのかは不明だ。だが、何らかの意味があったからだろうと思われる。時期的には、日本企業バッシングが燃え盛っていた頃であったし、日米構造協議に何らかの影響を与えんが為の画策だったと見ることもできるからだ。
91年の湾岸戦争の時には日本にも負担を求められ、130億ドルという巨額拠出をすることとなったが、米国に召し上げられることになっただけで、国際的には評価されないものであった。そもそも、そのお金はどこにどのように使われたのか、未だに日本では不明のままにされているらしい。こうした時期に特別なコネクションみたいなものができていったのかもしれないが、判らない。
湾岸戦争頃に米国政治中枢近辺にいたのが、チェイニーやラムズフェルドらであった。
(ご存知のように、パウエルやアーミテージも勿論周辺にいた。今回の問題が生じてきたのは、パウエルやアーミテージが政府を去った後からであり、米国筋の力学関係にねじれのようなものが起こってきたからなのかもしれない。対日政策に変化が感じられるのは、そうした断面を見ているからなのかもしれない。)
当時、米国では日本脅威論が大袈裟に喧伝され、日本が譲歩すべきだということを求められていた。その線上にあったのが、防衛政策であった。まず、F-2の開発に関して共同開発を強いられることになり、90年に開発が開始された。92年には非常に高額なAWACSであるE-767購入が決定された。当時、E-2Cホークアイとか、それよりも高額だったE-3などがあったが、いずれも選ばれなかった(91年頃までは、E-3が有力視されていたようだったが)。これらは日米貿易摩擦の緩和を意図されたものと思われる。この経緯で重要になるのは、機種選定やエンジンの選定ということであった。特に、エンジン選定はその後の契約にも大きな影響を与えるものと予想されたであろう。
F-15やF-16エンジンには、P&W社製のF100系のものがあったが、GEのF110系も採用されていた。P&W社製エンジンは、F-22ラプターやF-35でも採用されており、主要なエンジン供給メーカーである。日本での選定において、初期の契約を獲得できれば、その後のメインテナンスや部品調達関係などを押さえられるという期待が当然あったであろう。つまり、F-2エンジンばかりではなく、E-767のエンジンも競合関係であった。GEはF-2以降、E-767、KC-767(空中給油機、極めて高額な装備である)、C-X、これらのエンジンの獲得に成功したのだ。
C-Xに採用されたGEエンジンのCF6-80C2は、多様な機種で採用されており、日本においてE-767で採用して以降であれば、整備、部品調達や互換性などの点でコスト低減には有効となるであろう。C-Xでの採用が特別に異常な事態、ということにはならないであろう。エンジン選定の不透明さ、ということよりも、その調達体制での問題ということになるであろう。
今後P-Xでのエンジン選定ということが考えられるかもしれないが、GE製を止めて他のメーカーにするメリットというのは、あまりないのかもしれない(調達関係だけ考えると)。1つの機種だけ別メーカーのエンジンとする意味は、多分なさそう、ということだ。例えば会社のパソコンが殆どHP社製なのに、少数だけMacを調達してもしょうがない、みたいなものかもしれない。社保庁のIT投資メーカー選定で初めに選んだNTT系がその後継続的に担当するようなもので、途中で変えることのデメリットみたいなものはあるかもしれない、ということはあるからだ。
これら背景があったので、90年頃においてGE社がエンジンメーカーに選定されるということは、その後の調達に大きな影響を与えることになったであろう。今回の山田洋行の問題という以前に、ずっと昔の時点において、90年~92年頃に何らかの力学が働いていたであろう。恐らくその末席にいたのが、装備局航空機課長であった守屋であり、その上の方には大物の関係していた何かがあったのだろうと推測されるのである。
バブル期に日本脅威論が米国を席巻するようになったのは、三菱地所がロックフェラーセンターを買収したことが引き金となったように思われていたであろう。奇しくも、ロックフェラーセンターを象徴するような存在で、70階建という最も大きなビルは1933年に建てられた「GEビルディング」だった。