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超涙目~映画字幕のこと

2008年05月10日 19時20分26秒 | 俺のそれ
ヲイヲイ、大丈夫か、と心配になるけど、実際どうなのかは判らない。

「ナチスって何?」…字幕読めない若者増加に映画業界困った!(産経新聞) - Yahooニュース

(一部引用)

しかし、ここ数年、13字の字幕を読み切れないという若者が増加。映画離れを食い止めようと、製作、配給会社では苦肉の対応を余儀なくされている。字幕づくりの現場では、10字前後で区切って行数を増やしたり、漢字を省いたり…。さらに、字幕を必要としない吹き替え版へシフトする動きもある。

 東宝東和では8月から10月の3カ月間で計3本のハリウッド大作を公開するが「吹き替え版を過去最大級の手厚さで用意する」と話す。ワーナー・ブラザーズ映画も「ハリー・ポッターシリーズの場合、吹き替えが6割で字幕版を上回っている。その他の作品でも吹き替えの比率は年々高まっている」と説明する。

 字幕以前の問題も。ある映画会社の製作担当者は「スパイ系作品の試写会後『ソ連って何ですか?』、『ナチスって何ですか?』との感想が寄せられ、本当に驚いた」と打ち明ける。

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そんなに深刻なのか?
いちいち客の要望を満たそうとするからよくないんじゃないか?判らんヤツは放置して、黙って見とけ、ってことでいいんじゃないでしょうか?
因みに、吹き替えても「ナチス」や「ソ連」はそのまんまじゃないですか!(笑)
結局、全員にわかりやすくする、という試み自体が無理なんじゃないでしょうか。

昔、映画館に吹き替えなんてなかったから、字が難しかったり意味が判らなかったりしても、映像との組み合わせで文脈から判断していたじゃないですか。そういうのが外国の文化や歴史なんかを知るいい機会だったように思うけど。子どもやファミリー向け映画なんかでも、タイトル忘れたけど、子ども時代にあった「ロッキー山脈に住んでる家族」の物語とか当然字幕だったよ。


それと、字幕が無くなったら、字幕業者の人たちだって困るじゃないですか。字幕は残して欲しい。
参考>「paperboy」と「待つ人」

時々、声質が気になってしまうことがあって、どうも役者さんと声が合わないな、とか感じることがある。テレビの映画放送の時に、そういうことを感じるんですよ。あと、別な作品で別な役者さんを担当している声優さんだと、そのイメージがカブったりとか。なので、私はほぼ字幕派です(英語が聞き取れないので、笑)。

シュワちゃんの「I'll be back」みたいな定型句のジョークとか、吹き替えだと判らんし。
Fで始まる罵倒セリフとか、そういうのも判らんし(笑、これは関係ないか)。


これからは、字幕推進派になってみるか。




ひょっとして「オレって、天才?」と感じた時

2008年05月10日 14時55分33秒 | 俺のそれ
天才に関して、そろそろ一言言っとくか。
今の時代には天才が掃いて捨てるほど溢れているらしい(冗談です)。

ちょっと便乗して書いてみる。
というか、以前もそうだったね。
『「これをやったら急激に頭がよくなった」という方法』に群がるのは何故なのか?


子どもの頃、自分のことを「頭がいい」とか宣言する場合って、大体決まっていたと思う。

・雑用や家事などをしなければならない場合に、楽して作業できるとか効率的にできる方法を考え付いた時
→思わず口をついて出る言葉:「あったまいい~」

・友人の家に遊びに行った場合に、タンスの裏とかに落ちたまま放置されていたモノを回収してあげる時
→友人たちから称賛される言葉:「お前って、かしこ~い」


これらよりもはるかに凄い、「オレって、天才?」と感じたエピソードは…

短くなった鉛筆(2~3センチ程度?だったか)を石炭ストーブに入れて燃やし、芯だけ回収した。芯の部分は、コンパスの芯の部分に使えるからだった。お陰でコンパスの芯を一度も買わずに済んだのだった。この時、ひょっとして
 「オレって、天才?」
と思った。が、ごく当たり前に普通だった。

基本的に、天才というのはあんまり重大な努力は必要ないのではないかと思う。知能が高ければ、一度説明を聞けばそれで習得できる、一回本を読めば頭に入る、みたいなもんだろうと思うので(実際そうなのかどうかは知らないけど)。将棋をやったら、あっという間にオヤジのヘボ将棋くらいには強くなる、数ヶ月でアマトップクラスになれる、とか。ゴルフも数年でプロになれる、とか。

だけど、天才であっても、新たなものを生み出せるとは限らない、ということではないかな。それには地道な努力や訓練みたいなものが必要、ということかと。知能が高いからといって、人々を感動させるような小説が書けるわけではない。知能の高い人がみんな重大な発見や、新たな定理なんかをもたらせるわけではない。天才的棋士であっても、新手や新定跡を生み出せるとは限らない。多分そういうのは、「天才ですら」苦しまないと生み出せないのだろうと思う。天才的ゴルファーであっても、練習に練習を重ねないとタイガー・ウッズみたいにはなれない。エジソンが言った通り、99%は努力ということだろう。

天才の人にも、何かの誘因というか動機が必要で、それがないと努力することには結びつかないのだろうと思う。トップクラスに猛烈な速度で到達できるけれども、そこから先の未知の領域は天才にとっても苦しみの荒野なのだ、ということなのではないかな。
能力の高い人が10年かかる(凡人なら一生か、一生かけても到達不能か)ところを、天才はその数分の1で到達できる、って感じ。だけど、何倍も早く到達できても、そこから先の新たな領域は自分で開拓しなくちゃならないから。そういう開拓能力には、努力プラス特殊な才能が必要、運も必要、ということなのではないかな。だから天才であっても苦労するし、歴史に名を残している先人たちは偉いと思うんですよ。

ま、単なる感想ってことで。