電脳筆写『 心超臨界 』

人生は良いカードを手にすることではない
手持ちのカードで良いプレーをすることにあるのだ
ジョッシュ・ビリングス

アメリカ人入植者がクーデターを煽動し、海兵隊が王宮を占領してしまいます――倉山満さん

2012-09-25 | 04-歴史・文化・社会
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『嘘だらけの日米近現代史』http://tinyurl.com/8v643f2
【 倉山満、扶桑社 (2012/9/1)、p46 】

1848年、メキシコとの戦争に勝利してアメリカ大陸西端のカリフォルニアを獲得したアメリカは、さらに西へと向かい太平洋に進出します。内戦(南北戦争)が終わった1865年以後は、その進出は活発化し、グアムやサイパンなどを次々と併合していきます。

これに危機感を抱いたハワイのカラカウア王は明治14年(1881)日本の明治天皇に助けを求めます。山階宮を、後継者であるカラカウア王女の婿養子に迎えようとしたのです。さらに「ハワイからペルシャまでの有色人種大連合の盟主になってくれ!」とまで言いだす始末です。さすがに明治政府は、「清や朝鮮と仲良くできない」と丁重にお断りするのですが、友好は約束しました。自分たちがアジアで生き残るのに必死ですから、太平洋くんだりまで出かけていってハワイを助けられるはずがないのは当然です。

日清戦争前年の明治26年(1893)、カイウラニ王女の治世に不満を持つアメリカ人入植者がクーデターを煽動し、海兵隊が王宮を占領してしまいます。この時に日本は居留民保護のために軍艦浪速(東郷平八郎艦長)を派遣し、無言の圧力を加えます。ここでアメリカと戦争をする気はないが、アメリカのあまりにも利己的な不正義を見過ごすつもりもない、という姿勢を示したのです。

外交的には、アメリカと事を構えないまでも、ハワイへの友情を示す最大限の姿勢だったのです。なお、この時の海兵隊の行動は、「あまりにも不道徳」として、本国の民主党政府からも承認を拒否されるほどでしたが、翌年には傀儡によるハワイ共和国を建国します。

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