電脳筆写『 心超臨界 』

悲観論か楽観論かの問いにはこう答える
私の知識は悲観的なものだが私のやる気と希望は楽観的だ
( シュヴァイツァー )

貧しい人は美しい――バイマーヤンジン

2024-09-29 | 06-愛・家族・幸福
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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チベット声楽家・バイマーヤンジンさんは、日本にくるまで、家族の喧嘩というものを知りませんでした。チベットでは家族の喧嘩が一番の恥とされているのです。自分を育ててくれた親の恩を忘れ、大人になったからといって親と口論するなど、絶対に許されない、と思っています。


◆貧しい人は美しい――バイマーヤンジンさん

『致知』2003年3月号【特集・縁尋機妙】
「12月度木鶏クラブ――私の夢」 チベット声楽家・バイマーヤンジン

現在チベット民族の小学校就業率は、都会で90㌫、農業地域で60㌫、そして遊牧民は20~40㌫。こう言うと、大学まで卒業した私はすごいお金持ちのお嬢様だと思われますが、実はもっとも就学率が低く、貧しい生活を送る遊牧民の家庭に生まれました。私が学校へ行けたのは、とにかく両親のおかげなのです。

私の母は字が読めません。字など読めなくても遊牧民は生きていけるのです。ところがある日、母は思い病気にかかってしまいました。チベットの山奥ではどうにもならず、四川省の都会の病院へ診察に行ったところ、一番困ったのがトイレだったそうです。私が小さい頃、遊牧民は見渡す限りの草原で用をたしていました。しかし都会のトイレは立派な建物が二つあって、そこには字が書いてある。字が読めない母は、たまたま男性トイレに入ってしまいました。居合わせた漢民族の男性は、「男性トイレに入ってくるなんてやっぱりチベット人は野蛮だ」などと母を叱りつけたそうです。その時母は「自分はこのまま一生終えても、子どもたちには絶対にこういう思いはさせまい」と誓い、私たち八人きょうだいを学校へ行かせてくれました。

私は猛勉強の末、四川省の国立音楽大学へ入り、それまで続けていたチベット民謡と西洋オペラを勉強しました。その後、縁あって中国に留学していた日本人男性と結婚し、来日することになりました。日本に来て驚いたのはとにかく便利なこと! 飛行機に乗れば私の住んでいる大阪から北海道まで日帰りできるし、東京までも新幹線ならあっという間です。私の生家に行くには、飛行機を乗り継いでチベットの都会まで行き、そこからバスで二日間かかります。道もガタガタで、手すりにつかまっていないと乗客は飛ばされてしまうし、窓ガラスも割れたまま。ところが、日本のバスは座席がソファーのようにふかふかで、どこか引っ張ると寝られるようになっている。スーパーには冬でも緑の野菜や果物がたくさん置いてあるし、家の中はすべて機械化されています。スイッチ一つでお湯が沸き、洗濯が済んでしまう。日本の母親は子育て大変、子育て大変と言っていますが、チベットでは子育てプラス牛育て、馬育てがあるのです。朝4時に牛のミルクを搾って、子どもたちにご飯を食べさせて学校へ行かせる。それに比べれば日本の生活は夢のようです。もちろん、文化や食生活の違いなど、乗り越えなければならない壁も多くありましたが、いまは日本に来てよかったと思っています。

その中でも特に私が驚いたのは、搾乳機でした。日本では搾乳機のボタンを押せばサーっと牛のミルクが搾れる。チベットでは早朝の氷点下26度の中、手でミルクを搾っているのです。もう手が冷たくて痛くて、折れそうです。「よし、絶対お金を貯めて搾乳機を両親へ送ってあげよう」と思い、私はハンバーガーショップでアルバイトをはじめました。ところが、母にその話をすると、「そんなややこしいものは送ってくるな」と言うのです。チベットでは一番生活が苦しい地域に電気が通っていません。また、識字率が低いため説明書を読むことができないのです。私はショックでした。チベットでは便利な生活を望んでも便利なものが使えないのです。なぜ? どうして? 結局は教育の差だと思いました。ならばチベットに学校をつくろう。高度な教育機関は無理でも、せめて小学校をつくり、字が読めて、牛の数が数えられるようにすることなら自分にもできるはずです。それから私は日本各地で歌を歌い、そこで得た資金をもとにチベットに小学校を建てました。多くの方々のご協力によりいまでは6つの小学校ができあがりました。本当に幸せな気持ちでいっぱいです。

私は日本の小中学校から招かれて講演をする機会が多いのですが、その度に日本の学校がきれいでぴかぴかなことをうらやましく思います。体育館があって、プールがあって、当たり前のように自分の机と椅子がある。本当に恵まれています。しかし、私が日本の子どもたちに「皆さん、幸せですね」と言うと、「別にぃ」とか「ふん、分からへん」とか言う。さらに男子生徒はズボンを地面に付くようにして穿(は)いているし、女子生徒は上履きをスリッパのようにして履いています。なぜあれが許されるの? 先生や親。周りの大人はなぜ注意しないの?

日本にこういう問題が出てきた一番の原因は、家庭教育にあると思っています。私は主人と義父の喧嘩を見るまで、家族の喧嘩というものを知りませんでした。チベットでは家族の喧嘩が一番の恥とされているのです。その時、私は主人に「喧嘩の理由はともかく、あなたが悪い」と言いました。

われわれはいま、大人になって仕事をし、一人でも生きていけるようになりましたが、赤ちゃんの時どうだったでしょう。日本では紙オムツがありますが、チベットでは布オムツです。私も弟二人のオムツを洗ったことがありますが、「ああ、嫌だな。でもお母さんはいつもこんな汚いのを洗っているんだ」と思いました。そのことを忘れ、大人になったからといって親と口論するなど、絶対に許されないと私は思うのです。

それから間もなく義父は亡くなりました。心筋梗塞で、突然の死でした。その時主人は、「親孝行ができなかった」と言って、マンション中に響き渡るような声で泣いていましたが、亡くなってからでは遅いのです。親孝行というのは、温泉旅行に連れて行くことや豪邸を建ててあげることではありません。「ありがとう」「おつかれさま」の一言で十分なのです。家族は一番小さな社会です。そこから地域社会が生まれ、国となって世界になる。私がチベットに学校を建てたいと思うのも、自分を産んでくれた親、民族、国への誇りと感謝の気持ちからなのです。     (要約抜粋・文責編集部)
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