電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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記者の活動はさまざまである。取材したことを分析し、考え、問題点を見つけて一つの記事に仕上げることもあるし、発表文をそのまま正確に報じることもあるし、この元韓国人慰安婦に関する記事のように、相手の言ったことをうまくまとめて伝えることもある。あるいは評論も随筆もある。しかし、取材の相手によっては、その人が言うことに不審、疑問を感じ、質問し、それでも納得いかなかったら書かないという選択肢はある。
『崩壊 朝日新聞』
( 長谷川煕、ワック (2015/12/22)、p98 )
1981年(昭和56年)から85年(昭和60年)にかけて松井がアジア総局員としてシンガポールに駐在していたことはすでに見た。従って、吉田清治の講演を大きく取り上げた82年の大阪本社発行の紙面から始まる80年代前半の朝日新聞社の吉田証言報道のことは知らなかったか、仮にアジア総局で読んでいたとしても、それらの記事とは無関係だったろう。
しかし、日本に戻る半年ほど前の84年(昭和59年)11月2日付の朝日新聞夕刊に彼女がタイ南部に住む63歳の元韓国人慰安婦のことをシンガポール発で書いた記事は、前章で取り上げたマレーシア関係のそれと同じく、その粗雑さに驚かされる。
「ある日、釜山(プサン)郊外で井戸の水を水がめにくんで頭に載せ
て帰ろうとしたら、日本人巡査が3、4人来た。『待て』と言われ
て身をかわした瞬間、水がめが落ちて割れ、巡査の服をぬらした。
いくら謝っても許してもらえず、殴られたり、けられたりしたうえ、
車の中に押し込まれた。それが人生の岐路となった。留置された部
屋には若い女性がいっぱいだった。10日後に6人がダブダブの軍
服を着せられ、『皇国使節団』として軍艦に乗せられた。1942
年の秋だった。40日間の航海のあと『昭南島』と呼ばれたシンガ
ポールに着いた。(略)挺身隊員としての地獄の日々が始まった」
記者の活動はさまざまである。取材したことを分析し、考え、問題点を見つけて一つの記事に仕上げることもあるし、発表文をそのまま正確に報じることもあるし、この元韓国人慰安婦に関する記事のように、相手の言ったことをうまくまとめて伝えることもある。あるいは評論も随筆もある。
しかし、取材の相手によっては、その人が言うことに不審、疑問を感じ、質問し、それでも納得いかなかったら書かないという選択肢はある。疑問を感じるか否か、どれだけその疑問を消せるか、疑問が膨らむかはその記者次第だろう。吉田清治の例で言えば、疑問だらけである。多少とも戦前戦中に知識があり、勘も働けば、彼の発言をそのまま事実として書くことはありえない。
タイ南部のこの元韓国人慰安婦に関する松井の記事も、やはり呑み込めない。紙面に出ている文面が彼女が送った全てかどうかは不明だ。紙面の都合その他で削られているかもしれない。文章をいじられたり、何らかの手を加えられているか否かも分からない。あくまで紙上の文面にもとづいての疑問だが、吉田清治の虚偽証言が、西部軍の命令によるという官憲の大量の女性狩りだったのに対し、これは、個々の巡査による宗数の女性狩りだ。
いずれも慰安婦にするのが目的というわけだが、松井やよりのこの記事も全く不可解だ。
その出来事は戦中の1942年(昭和17年)のことと書かれている。文献(ブランドン・パーマー著『検証 日本統治下朝鮮の戦時動員 1937~1945』)によれば、1943年時点の朝鮮警察官の3分の2は日本出身なので、記事の「日本人巡査」という表現それ自体はおかしくない。しかし、巡査の服が濡れたとしても、誤って水がめを落としたためで、その女性は謝ってもいる。それでも何人もの「日本人巡査」が寄ってたかって乱暴狼藉を一人の女性に働くものだろうか。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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記者の活動はさまざまである。取材したことを分析し、考え、問題点を見つけて一つの記事に仕上げることもあるし、発表文をそのまま正確に報じることもあるし、この元韓国人慰安婦に関する記事のように、相手の言ったことをうまくまとめて伝えることもある。あるいは評論も随筆もある。しかし、取材の相手によっては、その人が言うことに不審、疑問を感じ、質問し、それでも納得いかなかったら書かないという選択肢はある。
『崩壊 朝日新聞』
( 長谷川煕、ワック (2015/12/22)、p98 )
1981年(昭和56年)から85年(昭和60年)にかけて松井がアジア総局員としてシンガポールに駐在していたことはすでに見た。従って、吉田清治の講演を大きく取り上げた82年の大阪本社発行の紙面から始まる80年代前半の朝日新聞社の吉田証言報道のことは知らなかったか、仮にアジア総局で読んでいたとしても、それらの記事とは無関係だったろう。
しかし、日本に戻る半年ほど前の84年(昭和59年)11月2日付の朝日新聞夕刊に彼女がタイ南部に住む63歳の元韓国人慰安婦のことをシンガポール発で書いた記事は、前章で取り上げたマレーシア関係のそれと同じく、その粗雑さに驚かされる。
「ある日、釜山(プサン)郊外で井戸の水を水がめにくんで頭に載せ
て帰ろうとしたら、日本人巡査が3、4人来た。『待て』と言われ
て身をかわした瞬間、水がめが落ちて割れ、巡査の服をぬらした。
いくら謝っても許してもらえず、殴られたり、けられたりしたうえ、
車の中に押し込まれた。それが人生の岐路となった。留置された部
屋には若い女性がいっぱいだった。10日後に6人がダブダブの軍
服を着せられ、『皇国使節団』として軍艦に乗せられた。1942
年の秋だった。40日間の航海のあと『昭南島』と呼ばれたシンガ
ポールに着いた。(略)挺身隊員としての地獄の日々が始まった」
記者の活動はさまざまである。取材したことを分析し、考え、問題点を見つけて一つの記事に仕上げることもあるし、発表文をそのまま正確に報じることもあるし、この元韓国人慰安婦に関する記事のように、相手の言ったことをうまくまとめて伝えることもある。あるいは評論も随筆もある。
しかし、取材の相手によっては、その人が言うことに不審、疑問を感じ、質問し、それでも納得いかなかったら書かないという選択肢はある。疑問を感じるか否か、どれだけその疑問を消せるか、疑問が膨らむかはその記者次第だろう。吉田清治の例で言えば、疑問だらけである。多少とも戦前戦中に知識があり、勘も働けば、彼の発言をそのまま事実として書くことはありえない。
タイ南部のこの元韓国人慰安婦に関する松井の記事も、やはり呑み込めない。紙面に出ている文面が彼女が送った全てかどうかは不明だ。紙面の都合その他で削られているかもしれない。文章をいじられたり、何らかの手を加えられているか否かも分からない。あくまで紙上の文面にもとづいての疑問だが、吉田清治の虚偽証言が、西部軍の命令によるという官憲の大量の女性狩りだったのに対し、これは、個々の巡査による宗数の女性狩りだ。
いずれも慰安婦にするのが目的というわけだが、松井やよりのこの記事も全く不可解だ。
その出来事は戦中の1942年(昭和17年)のことと書かれている。文献(ブランドン・パーマー著『検証 日本統治下朝鮮の戦時動員 1937~1945』)によれば、1943年時点の朝鮮警察官の3分の2は日本出身なので、記事の「日本人巡査」という表現それ自体はおかしくない。しかし、巡査の服が濡れたとしても、誤って水がめを落としたためで、その女性は謝ってもいる。それでも何人もの「日本人巡査」が寄ってたかって乱暴狼藉を一人の女性に働くものだろうか。