電脳筆写『 心超臨界 』

人生は歎き悲しむよりも
笑いとばすほうが人には合っている
( セネカ )

悪魔の思想 《 向坂逸郎――高橋是清に見る軍需工業と国家経済の関係/谷沢永一 》

2024-05-25 | 04-歴史・文化・社会
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国民のすべてが復興の努力に没頭して余念のなかったこの過渡期、そして日本型の民主主義が加速度をおびて着々と形成されつつあったこの時期、向坂逸郎の心眼にだけは、わが国の「民族意識」がヒトラー待望の念に燃えていると見えたのですから、何をか言わんやです。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p227 )
マスコミを左傾化させた放言家・向坂逸郎(さきさかいつろう)への告発状
第10章 最も無責任な左翼・教条主義者

  向坂逸郎(さきさかいつろう)
  明治30年生まれ。東京帝大卒。社会主義協会代表、社会党顧問、
  九大教授を歴任。社会党左派の理論的支柱。昭和60年没。

  マルクスとエンゲルスに心酔した向坂逸郎は、共産主義ソ連におい
  てはマルクスとエンゲルスによって論じられた理想主義が、そのま
  ま理論の通りに運営されていると信じこみ、この世の理想郷である
  ソ連にくらべて、日本はなんと駄目な国であるかと喚(わめ)き散ら
  す一本調子で、厖大な著作を残しました。共産主義は絶対の真理で
  あるから、その共産主義を表看板にしているソ連は、世界で最も自
  由で最も豊かで国民の教養が最も高い国であると、日本人に説教し
  つづけました。


10-2 高橋是清に見る軍需工業と国家経済の関係

人の世の社会的な施策においては、絶対善も絶対悪もありえないのであって、すべて物事は梶の取り方によっていかようにもなると、経済の機微を深く心得ていたのが高橋是清でした。

ひとたびは内閣総理大臣となった身でありながら、そののち乞われて何度も大蔵大臣を務めたこの現実主義の財政家は、陸軍の過大な予算要求を一方では押さえに押さえましたので、青年将校から極度に憎まれ、2・26事件では最も多くの弾を受けて惨殺されたのですが、一方では、ぎりぎりの線でやむをえず陸軍の要求を容れました。

ただし、その予算の使い道を可能なかぎり軍需工業の育成に注ぐという方針を堅持したのです。当時のわが国は、まだ繊維産業など軽工業が中心だったのですが、高橋是清は軍需産業というかたちをとって、実は日本経済の軸心を重工業に移行させるべく努めたのでした。

この巧みな措置によって、わが国はようやく景気を回復し、重工業が徐々に育成されましたので、その経過措置あってこそ戦後の復興が進んだのです。向坂逸郎流の観念的な善悪論では、経済の成行きを事実の問題として観察することができないのだという一例ではありますまいか。

  軍需工業益々盛んにして、衣食住は次第に不自由となり、國民はま
  すます餓えるということになる。
  (昭和27年10月『文藝春秋』「日本を危うくする思想」)

レーガン政権の時代に頂点をきわめるまで、アメリカの「軍需工業」はたしかに「益々盛ん」でありましたが、それによってアメリカ国民は「ますます飢える」結果になったでしょうか。向坂逸郎にとって、事実を見つめる必要はまったくないのです。軍需工業は飢餓を生む、という頭の中だけで作りあげた大原則を咆哮することだけが、彼の言論活動なのでしょうね。そして向坂逸郎の見るところ、前方にはもっと難儀な事態が待ちうけています。

  國民はそうなる前にひと苦労しなければならなくなる。それは、再
  軍備と軍需工業の波にのつて、ファシズムが擡頭(たいとう)してく
  ることである。敗戦によってもたらされる日本國民の民族意識は、
  ちょうどヒトラー、ドイツを擡頭させたような條件を與(あた)えて
  いる。
  (同前)

日本国民に対する侮蔑も、ことここに至って極まれりと痛感せざるをえません。繰り返しますがこの発言は昭和27年10月の雑誌に掲載されているのです。国民のすべてが復興の努力に没頭して余念のなかったこの過渡期、そして日本型の民主主義が加速度をおびて着々と形成されつつあったこの時期、向坂逸郎の心眼にだけは、わが国の「民族意識」がヒトラー待望の念に燃えていると見えたのですから、何をか言わんやです。

ドン・キホーテの論法 へつづく
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