電脳筆写『 心超臨界 』

人は自らの信念の産物である
( アントン・チェーホフ )

「戒深ければ、智慧もまた深し」――伊藤肇

2024-08-28 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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  いわく言い難(がた)し、良寛の慈愛
    法を説くでもなく道を談ずるでもなく……


『人間的魅力の研究』
( 伊藤肇、日本経済新聞社 (2000/11/7)、p34 )
1 深沈厚重の魅力

◆「戒深ければ、智慧もまた深し」

釈尊がのこした名言に「智慧と戒とをもつは沙門(しゃもん)なり。智慧あれば戒あり、戒深ければ、智慧もまた深し」というのがある。「沙門」とは「仏の子」つまり人間すべてである。

「多くの人々の才腕は最後には欠点になってしまう。その欠点は老いるにつれて、ますます明らかになる」とサント・ブープ(フランスの文芸批評家)も指摘しているように、知恵だけで生きてゆくと、人間は「驕慢」になる。その「驕慢」を是正するのは自分自身の「心の約束」つまり「戒律」をもつことだ。その意味でローマの賢帝、マルクス・アウレリウスの『自省録』はいまだに読みつがれている名著だが、その中の「自戒」は特に参考となる。

「私は祖父から、善良な行儀と激情の抑制とを学んだ。父からは謙譲と男性的気品とを教えられた。母からは敬虔と仁徳と、そして、単に悪い行ばかりでなく悪い考えも忌ぶべきこと、さらに高者の習慣とは遠く異なった素朴な生活の仕方などを躾(しつけ)られた。アレキサンダーからは、自分が暇をもたぬということを人に向ってしばしば必要もないのに言ったり、あるいは手紙に書いたりしてはならぬこと、また、それを口実にして、自分と親しい人々の間の交誼に必要な義務を怠ってはならぬことなどを学んだ。エペソ人の文書から、『美徳を行った昔の人々の一人を常に念頭に置け』という訓言を得た。」

良寛の「自戒」と同じく、一つ一つ、噛みしめていくと、深い味わいが出てくる。「戒深ければ、智慧もまた深し」とは、まさしく言い得て妙である。
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