電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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アーネスト・セリアーニから始まったユージン・スミスをめぐる知の旅は、『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』に解説を書いた長倉洋海さんで終わる。夢から多くのことを学ぶ伝統をもつクレナック族を始めとしたアマゾンの先住民を取材した写真集『人間が好き―アマゾン先住民からの伝言』を出したフォト・ジャーナリストだ。ユージンは、取材対象となった人と長い時間をかけて生活を共にするなかで写真を残してきた。長倉さんも世界の紛争地を取材する13年間の体験を通じて、取材に時間をかけるスタイルになっていく。時間をかけることによって初めて見えてくるものがあるのだ。
◆時間をかけることによって見えてくるものがある
『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』
( 土方正志、 偕成社 (2006/2/1)、p113 )
〈 解説 〉
世界の紛争地を取材しはじめて、13年がたった。そして、ときがたつにつれて私はユージン・スミスの写真集を本だなから取りだして見返すことが多くなった。
じつはフリーとなったさいしょのころは、ユージンの写真を見ても、うまい写真だなと思うことはあっても、強くひかれることはなかった。そのころ私が魅力を感じていたのは、ベトナム戦争に代表されるようなはげしい写真だったからだ。そんな私にとって日常のなかで人間の素顔をとらえようとしたユージンの写真は、すばらしさは感じられても自分がめざしている写真とはちがうという思いのほうが強かった。
しかし13年間にわたってさまざまな体験を重ねてきたいま、ユージンの写真を見ると、以前とはまったくちがう思いが彼にたいする共感とともに私の胸にのこる。いまでは、ユージンは、私がもっとも好きな写真家のひとりだ。
その理由のひとつとなっているのは、ユージンが取材にかけた時間の長さだ。「水俣」をはじめとして、ユージンはひとつの取材にじつに長い時間をかけている。取材対象となったひとと生活をともにしている。短時間の取材では、事前にもっていた先入観にそって写真を撮ってしまいかねないところがたしかにある。ユージンは時間をかけることによって、さいしょに自分がイメージしていた世界がくずれて、まったく新しいものが生まれてくるのをまっていたのではないだろうか。時間をかけることによって見えてくるもの。それをユージン自身がおどろきをもって、みごとに映像化しているように私には思える。
そしてもうひとつは、取材対象となったひとたちとの距離のとりかただ。カメラはしょせん機械にすぎない。その機械をかまえて接近してくるカメラマンにたいして、とうぜんのことながら撮影される側のひとたちは身がまえる。身がまえられていてはそのひとの素顔を撮ることはできない。ユージンの写真は、カメラを機械と感じさせないくらいあいてとの距離感をちぢめている。写真のなかに、カメラという機械をこえた、撮る人間と撮られる人間との信頼感が見える。これはユージンがひとつの取材に時間をかけ、回数を重ねたことの結果でもあるだろうが、まず第一にユージンがもつ人間性のあらわれなのではないだろうか。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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アーネスト・セリアーニから始まったユージン・スミスをめぐる知の旅は、『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』に解説を書いた長倉洋海さんで終わる。夢から多くのことを学ぶ伝統をもつクレナック族を始めとしたアマゾンの先住民を取材した写真集『人間が好き―アマゾン先住民からの伝言』を出したフォト・ジャーナリストだ。ユージンは、取材対象となった人と長い時間をかけて生活を共にするなかで写真を残してきた。長倉さんも世界の紛争地を取材する13年間の体験を通じて、取材に時間をかけるスタイルになっていく。時間をかけることによって初めて見えてくるものがあるのだ。
◆時間をかけることによって見えてくるものがある
『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』
( 土方正志、 偕成社 (2006/2/1)、p113 )
〈 解説 〉
世界の紛争地を取材しはじめて、13年がたった。そして、ときがたつにつれて私はユージン・スミスの写真集を本だなから取りだして見返すことが多くなった。
じつはフリーとなったさいしょのころは、ユージンの写真を見ても、うまい写真だなと思うことはあっても、強くひかれることはなかった。そのころ私が魅力を感じていたのは、ベトナム戦争に代表されるようなはげしい写真だったからだ。そんな私にとって日常のなかで人間の素顔をとらえようとしたユージンの写真は、すばらしさは感じられても自分がめざしている写真とはちがうという思いのほうが強かった。
しかし13年間にわたってさまざまな体験を重ねてきたいま、ユージンの写真を見ると、以前とはまったくちがう思いが彼にたいする共感とともに私の胸にのこる。いまでは、ユージンは、私がもっとも好きな写真家のひとりだ。
その理由のひとつとなっているのは、ユージンが取材にかけた時間の長さだ。「水俣」をはじめとして、ユージンはひとつの取材にじつに長い時間をかけている。取材対象となったひとと生活をともにしている。短時間の取材では、事前にもっていた先入観にそって写真を撮ってしまいかねないところがたしかにある。ユージンは時間をかけることによって、さいしょに自分がイメージしていた世界がくずれて、まったく新しいものが生まれてくるのをまっていたのではないだろうか。時間をかけることによって見えてくるもの。それをユージン自身がおどろきをもって、みごとに映像化しているように私には思える。
そしてもうひとつは、取材対象となったひとたちとの距離のとりかただ。カメラはしょせん機械にすぎない。その機械をかまえて接近してくるカメラマンにたいして、とうぜんのことながら撮影される側のひとたちは身がまえる。身がまえられていてはそのひとの素顔を撮ることはできない。ユージンの写真は、カメラを機械と感じさせないくらいあいてとの距離感をちぢめている。写真のなかに、カメラという機械をこえた、撮る人間と撮られる人間との信頼感が見える。これはユージンがひとつの取材に時間をかけ、回数を重ねたことの結果でもあるだろうが、まず第一にユージンがもつ人間性のあらわれなのではないだろうか。
Sekino☆そらといいます。
TBありがとうございました。
長倉洋海さんのことはあのTVで初めてしりました。
ブログを拝見して、ユージン・スミスのことも知ることができました。
どうもありがとうございました。
「人」に焦点をあてていらっしゃる点で
何か共通するものを感じました☆
あまりシネマなどはご覧になりませんか?
一風変わったシネマコラムですが
もしよろしかったらたまに覗いてやってください。
そちらにも遊びに行きます。
それでは◎◎