ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

B72「クラウン」(ピエロ)

2010-04-25 07:57:00 | オーラソーマ

「このボトルはどうしてこういう名前?」シリーズ第三弾です。

B72 このボトルの名前は「クラウン」(ピエロ)と言います。

「ピエロ」というと、皆さんはどういう印象ですか?

ピエロを単なる道化、と思っている人はこの世にはもういないかもしれません。

それはチャップリンの功績(?)でしょうかね。

ピエロ、というと「顔で笑ってこころで泣いて」という寅さんのように(って言っても寅さんが通じなかったりして)表面的には楽しそうに振舞っているけれど、実はこころの内側は傷ついていたり、悲しかったり、ということで全体として“ペーソスあふれる存在”と受け取られているのではないでしょうか。

ではこのボトルもこの「顔で笑ってこころで泣いて」ではないんですか?って?

はい、ご名答~! そのとおりでございますぅ~!

なぁんだ。じゃあ、なんも奥深くもなんともないじゃん。

ネーミングどおりのそういう意味なんじゃん。

まぁ・・・ そうなんすけど・・・

でも、でも、もうちょっと考えてみましょうよ。


「ペーソス」とは「もの悲しい」とか「哀愁」という意味です。

単に「悲しい」のではなく、「もの悲しい」というと、しみじみとじわーっと悲しい感じがします。ハゲのおっさんを見て、「哀愁漂うなぁ」なんて言ったりします。それは、頭が薄いということは見た目には滑稽な場合が多いけれど、「あのおじさんも結構いろいろ抱えてて大変なんだぜ、きっと。」というようなちょっと愛情をこめた言い方だったりします。

このように、ピエロの「顔で笑ってこころで泣いて」は、見た目と内面のギャップを言い当てたり推し量ったりすることが多いようです。

これは私たちがあまりに極端なものに触れるとバランスが悪いような気がして、自身の想像内でその極にある極端なものを勝手に組み合わせて自然に中庸の地点を探し出し、バランスを取ろうとする作用があるのではないでしょうか。

あまりに底抜けに明るい人を見ると「いやいや、人間誰にだって辛いこともあるはずだからああして明るく振舞っているけれど、あの人にもきっと悲しいことだってあるに違いない。」というように。

これは色の世界にもいえることです。

真逆の色の関係のことを「補色の関係」といいます。

それぞれの色をもっとも引き立てる関係のことをそう呼ぶのです。

バイオレットの補色はイエロー。(イエローから見たらバイオレットが補色ということ。)

レッドの補色はグリーン。(同様にグリーンから見たらレッドが補色)

そしてブルーの補色がオレンジです。

このボトルの組み合わせですね。

補色の関係はその色を絵の具としてパレットで混ぜた場合、グレーになります。

それはどの補色同士でもグレーになるのです。

バイオレットとイエローの絵の具を混ぜても、レッドとグリーンを混ぜても、ブルーとオレンジを混ぜても。

これはちょっと感動しませんか。

なんでこれほどまでに色味が全然違う色なのに全部が全部グレーになるんだ?って・・

グレーとは感情のない色です。

このようにして私たちは両極端にあるものを中和することによってバランスを保っているのです。

つまり、底抜けの明るさを見ながら、そこに底抜けすぎるがゆえに悲しみを見る。それによって、それぞれが引き立てあうから余計に明るく感じることがぐっと悲しかったりする。

そして、それはシーソーのように両極をいったりきたりしながらも力点が保たれているから私たちの感情もちょうど真ん中でバランスがとれ、なぜか安心する。

ピエロをみて泣き笑いしても、どこか自分が癒されたように感じるのは、その力点がしっかりしているから自分の内の感情の安定がはかれるのでしょう。

恋人と手をつないで見るサスペンス映画ですっきりするのはそういうことかもしれません。

事実、このボトルをシェイクすると、きれいなエメラルドグリーンになります。(絵の具を混ぜて補色をつくる場合のグレーと、液体の色を混ぜてできる色とは別です。)

それは両極を経験した人だけが、得ることのできる本当のやすらぎの境地のようです。


そういうこともあってか、このボトルは別名「RNA/DNAボトル」とも呼ばれます。

ご存知のようにRNADNAとは遺伝子のらせん状の配列のことです。

あるときデンマークのコペンハーゲンに住むセラピストがボトルに関する音を研究していました。彼女はボトルでステキな音楽を奏でることができたそうです。そしてそうしているうちに、このB72のボトルがRNAに直接効果があることを発見したのです。コペンハーゲンの大学で音と色の効果を研究する多くの人のなかで、遺伝学の教授から確かにこのボトルがRNAに関する直接の効果があるという確証を得ました。

これが、このボトルが別名「RNA/DNAボトル」と呼ばれるようになった所以です。


でもピエロの意味から考えても、このボトルが直接遺伝子を修復する効果がある、というのは何となく納得できる気がしませんか?

B72
「クラウン」(ピエロ)

「内なる感情的欲求とのコミュニケーションと滋養」。

キーノートは、「内側からコミュニケーションされることの喜びに満ちた洞察」。

アファメーションは、「私は自らのうちなる子供達をうやまい、そのこどもが天の国に入ることができることを知ります」。

特項として、*細胞の構造を変化させると考えられていて、先天的な病気や遺伝的な疾患を防ぎ、本能にハーモニーをもたらす。

    あらゆる性的な課題や身体的虐待をサポート。


もしあなたが今、何か両極端すぎる感情のなかで揺れ動き、自分ひとりの力ではその触れ幅の大きさに耐えられない、と感じていたら、このボトルとワークしてみてはいかがでしょう。きっとあなたの思考や感情にじわじわと作用するというよりは、からっと「あれっ? なんだったんだろう?」というような解決をもたらしてくれるのではないでしょうか。

「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」では、全国どこへでもボトル1本から無料でお送りいたします。

詳しいお問い合わせ、ご質問はchakra@aura-soma.nameまで。




オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM4:30)です。

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オラクルカードによるちょっとした気付き

2010-04-24 07:55:00 | 映画

また、新たなオラクルカードを買ってしまいました。

「インナーチャイルドカード」と「トラスト・ユア・バイブス」という自分の第六感とつながるというカードの2種類です。


Photo 「インナーチャイルドカード」のほうは、大アルカナと小アルカナのそれぞれのタロットに準じているので全78枚もあり、かなりのボリュームで、なかなかのお値打ち感です。

今までは日本語版が出ていなかったにもかかわらず、ひそかに知る人ぞ知るなかで人気だったらしいのですが、今回始めての日本語版がようやく出た、ということらしいです。

Photo_2 インナーチャイルドというので、私は自分の中に眠るこどもの部分を呼び覚ますことができるカードかと思っていましたが、それぞれのカードが「赤頭巾」やら「シンデレラ」などのおとぎ話を象徴する場面になっており、それがテーマが似ているタロットと対応している、という構成そのものがどうやらインナーチャイルドであるようです。

読み取り方は、「これはこう出たら、こうなのだ。」という決め付けでなく、おとぎ話を把握し、タロットを把握したうえで自分が感じるように読み取ればよい、という汎用性が高いものなので、「だからズバリどうよ。」というものがお好きな方はちょっと物足りないかも知れません。

しかし、反対に「こうかもしれない」「あぁ、でもこうとも受け取れるな」と推理を働かせることが好きな人にはたまらないカードとなるでしょう。

私はけっこう後者のタイプなので、夜な夜な最近「ふぅむ」とうなってはこのカードを手繰っております。

だけど、結局、やればやるほど、大元のタロットをもっとよく知らなきゃ、っていうところに行き着いちゃうんだよね。そこまで行く気がないから、こうしたオラクルカードに頼ってるってとこもあるんだからさぁ。

そのへんのところは解説書も配慮してほしいよなぁ。

Photo_3 もう一方のソニア・ショケットの「トラスト・ユア・バイブス」というカードもちょっとそんなところがあります。

「あなたの第六感を信じましょう。」とあるのですが、カードを引くことによって、「あなたの第六感はこういっていますよ。」というものではなくて、第六感を感じるためのヒントとか、注意がうながされている、という感じです。


天使によって天界からのメッセージを受け取るエンジェルカードもいいですが、

自分が宇宙とつながったところで感じている第六感は、もっと自分自身がどう感じているのかを知るためのツールとして、オーラソーマと似ているような気がします。


早速その日を占うつもりで1枚引いてみました。

そうしたら「Stay in Your Own Skin」~あなたらしく~というカードが出ました。

そこには、

『・・あなたは時々あまりにも共感してしまう傾向があるでしょう。あなたは他人の波動を感じるのみならず、彼らの波動を吸収し、自分のものにしてしまうことがあるのです。これはサイキック的な観点からも不健康であるばかりでなく、もしこんなことをしばしば行うようであれば、あなたは肉体的にも病気になってしまうでしょう。これに対する治療法は、精神的にも感情的にも、自分らしさを保つこと、・・・他人を支えてあげるのは構いませんが、彼らを救助しようとはしないでください。それは彼らの成長を阻み、あなたにも害が及びます。・・・』とありました。

    ・・とこのようなことも私が、自分で第六感として感じている、ということ

ですよね。


このなかで「他人を支えてあげるのは構いませんが、彼らを救助しようとはしないでください。」と言う表現に感じるものがありました。

これはコンサルテーションの真髄を表わしてもいると思います。

コンサルテーションをしていて、クライアントがいろいろと語ってくれます。

聞いているうちに「それはこうすればいいんじゃないの。」とつい結論のようなことを言いたくなるようなときがあります。

どうしてもアドバイスの一言が言いたい、というときは、「これはオーラソーマからの色のメッセージ、ということとは関係がなく、あくまでも個人的な意見だけれど・・」と言って、言ってしまうときもあります。


でも、考えてみればそんなこと誰も求めてないんだよね。

結論がほしいわけでも、ストレートに「ああすれば、こうすれば」というようなアドバイスが欲しいわけでもなく、誰でも自分でそれを解決しようという心積もりは、ある。

だけど、その前に一度それを吐き出す必要がある。

そして、自分を整理する必要が。

それが私たちプラクティショナーの前だ、ということだけなんですね。


だからやはり、私たちにできることは決して「救助する」ことではなく、「このボトルとワークすると、きっと何かしら気付きがあるよ」「この香りをかぐと安らぐとおもうよ。」ということで支えになってあげることぐらいなんだな、と改めて思いました。

こんなことを思ったのも、ふとアカデミー賞のことを思ったからです。

ちょっともう、前のことになってしまいましたが、今年のアカデミー賞は監督賞が元夫婦対決になる、ということで話題になりましたね。

「ハート・ロッカー」という戦争の悲惨さを淡々と描いた作品が元妻のキャスリン・ビグロー監督のものと、その作品と「アバター」の元夫のジャームス・キャメロン監督のものとの。


「ハート・ロッカー」の関係者が票取りを事前に依頼していたという不名誉なことでちょっと有名になってしまいましたが、結果は「ハート・ロッカー」が前評判どおりに栄冠を手にしました。

これについては、元夫であるジェームス・キャメロン監督自身が元妻のキャスリンに、「君の映画の方が賞にふさわしいと思うよ。僕の作品はそれほど深く掘り下げていない大衆娯楽だからね。」というようなメッセージを送っていた、という話もありました。

本人がそう謙遜(謙遜か卑下かわかりませんが・・)して言うとおり、私の周りの友人達の間でも、「そうだよなぁ。アバターは単純な話で浅い。」などの感想を漏らす人が多かったように思います。


でも、今日のオラクルカードを手にしたときに、ふと私なりに「アバター」について思ったのです。

私はこの映画を見て、感動しました。

で、どこに感動したか、というと、全体のストーリーを一言で言うと「文明社会を善と決め付けるのはよくないことだ。」とか、「人類よおごるなかれ。開発もいいかげんにしとけ。」とかそんなことに感動したわけではないのです。

と言うか、多分誰もあの映画からそういった教訓を読み取り、そこに感動した、と言う人はいないんじゃないかな、と思うほどです。

では、どういったところに感動したのか、といえば、「村に古くから伝わる樹が命を持っている。」というところだったり、「自然の荘厳さ」だったり、「ドラゴンと意思疎通ができて一緒に空を飛べること」だったり、です。

コンサルテーションも同じことではないでしょうか。

1時間かけてじっくりといろんな話を聞いて、こちらもメッセージをお伝えして、

「で、ところで今日のコンサルテーションをまとめるとこういうことですよね。」と一言でまとめる必要なんか、どこにもない。

それよりも感じてもらえれば、いい。

クライアントに「あえて言えば、どこが一番印象に残っている?」なんて、後日もし質問することができるのであれば、きっとその答えはこちらが「多分、このことだろうな~」なんていう予想とは全然違う「え! そこ?」みたいなところだったりするんでしょうね。

もちろん、それでいいわけです。

クライアントが何を受け取り、どう感じたか、何に気付いたか、ということが一番大切なんですから。

その気付きがたとえ、「ふぅん、ピンクっていいもんなんだな。」という程度のことでもいいわけです。(それって誰? あたしだよ。・・って古いなぁ。)

そう考えたとき、アカデミー賞となったときに審査員がどこをチェックして点数を入れるか、となるとそりゃあやっぱり、「テーマが深く掘り下げてあった」と言う部分に点数が高くなるんでしょうけれど、映画館に足を運んでチケットを実際に買ったお客さんが「いやぁ、そんなことはどうだっていいんだよ。ボクはこういう些細なちょっとしたセリフがあったろ? あれがやけに好きでさぁ。」なんてところがあったら、それで十分じゃないですか。


ときどき私は友達から「あなたって上から目線だよね。いや、悪い意味で言ってるんじゃないよ。」なんてけなされてるんだか、誉められてるんだか、いや、やっぱりけなされてるんだかよくわからないようなことを言われるときがあるんですが、それはきっと私があまりにも「支える」よりも「救わなければ」と考えすぎるがあまり、コンサルテーションはこちらから「与えなければ」という意識が強いところが「我」となって、現れるためかもしれません。

今一度、プラクティショナーは色の通訳者にすぎず、それを伝えることこそがその人にとって気付きのきっかけとなったり、ひいては支えになることはあっても、救助する、なんてことは不遜なことで自分にできることなど何もないのだ、ということを認識しなくてはいけないな、と思いました。


たった1枚のオラクルカードを引いたことから私なりのちょっとした気付きを得ることができました。








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言葉の虚しさ

2010-04-23 07:52:00 | 健康・病気

心を病んでいる人が多い世の中です。

私もそういう方と話す機会が最近特に多いのですが、そういう方と話していて共通しているな、と思うことは、

「この人は全部、わかっているな。」ということです。

全部というのは、「どうして自分がこういうことになったのか、という原因」「このままではいけない、と言う現状認識」「抜け出すためにはどうすればいいのか」

「将来はもっとこうなるべきだ論」「今の自分に対する周囲の見方」などなど、文字通りぜぇ~んぶ、です。


話を聞いていても「そんだけわかってんなら、その自分がわかっているとおりにすればいいじゃん。」てな感じです。

実際、そういう人に対してこちらは何かアドバイスらしきことを言わなきゃ、と気負って何かを言ったとしても、「あ~! なるほどねぇ。」という言葉は返ってきません。こちらの言葉が終わるのを待つやいなや、「うん、それでね・・・~」と引き続きまた何か思い出したかのように自分の話をはじめ、「あれ? まったく聞いてない・・」というくらいのスルーぶりです。

結局、自分のことに精一杯で、人の話を聞く余裕がない、ということなのでしょう。

「心を病んでいる」というとすぐにそれ、心療内科だ、心理カウンセリングだ、と言いますが、まず医者の話を聞く、こころに留め置く余裕のある状態になってから行かないとそれも意味のないことになってしまうのでは、と思う次第です。

「心を病んでいる人」は、自分が病んでいることを知っていますから、病んでいる自分が人に対してできることなんてない、とあきらめたり、自信を失ったりしています。

その状態とは言い方を変えれば、「自分が人から受け取るサイドに立つことばかりに躍起になっている人」ということもできます。

「してもらう」「してほしい」ばっかり状態なわけです。

それを察知した思いやり深い人は、あれこれと言葉をかけたり世話を焼いたりするわけですが、いかんせん、この状態の人が一番求める「してほしいこと」は「自分の話を聞いて欲しい」なわけですからかみ合うわけはありません。

心療内科や心理カウンセリングに行くと、そういうところの先生はまずほとんど自分からしゃべりません。相手の話を「うん、うん」と黙って聞くばかりです。

「これで治療?」なんて、健康な人が見ると思うわけですが、これでいいわけですね。

まずは「自分の話を聞いて欲しい」という欲求をクライアントは満たしたい、というのが一番なのですから。


昨日もたまたまTVを見ていたら、自殺志願者を教会で集団生活させることによって立ち直らせることに一助している牧師さんの話をやっていました。

その牧師さんが自殺志願者になんとか自殺を思いとどまらせて、その次に何を行うか、ということを3ステップで話していましたが、それは「1.まず、食べる習慣をつける。(自殺志願者は自殺という最後の手段を行う前にも自暴自棄になり、自分を健康に生かすためのことをしてきておらず、緩やかな自殺をすでにしてきているようなもの。それまでに何日も食べていない人がほとんどだからまずは食べることに一生懸命になってもらう。) 2.何もしない。(何もしなくてもいいのだよ、という時間をどっぷりと味わってもらう。) 3.それから目標をもつ。」でした。

これを自殺まではいかなかったにせよ、心を病んでいる人に当てはめるならば、やはり、「1.食を大切にする。(インスタントやレトルトなど、簡単なもので済まそうとせず、きちんと作ったものをきちんと時間をかけて味わう、ということをする。) 2.何もしない。(こうすべき、ああすべき、とか悶々と考えずに一歩踏み出せないなら、思い切って今は休養だ、と割り切る。) そしてその次に、3.人に自分が感じていることを吐露し、真摯に受け止めてもらう。」がくるのでしょう。

そしてその次にようやく「4.人のアドバイスを聞く。」という段階になるのでしょうね。

全部わかっちゃってる心を病んだ人は、全部わかっちゃってるがゆえに、「私は本当ならこうすべきだというのはわかってるんだけど~」とか、「いつも~というふうに考えちゃって、それじゃあいけないってわかってるんだけど。」とかいう発言が多く見受けられます。

ところがそれだけ自分のことをわかっている人が、ではどうして全く前に進めないのか、というと、逆に言えば、わかりすぎているがゆえに「~すべき」が多すぎて、自分をがんじがらめにしてしまっているのです。

だから、「先行きのことばかりを心配して、肝心の『今』を見ていない。」

「今」をみていないから、人の話も聞けない、ということなのでしょうけれど。

こういう人に出会うと、「私にできることなんて何もないのだな。」ということを本当に実感して、言葉をつむぎだすのが虚しくなります。

何を言っても堂々巡りだからです。

言葉は宙をさまよい、「それは言われなくても、もう自分でわかっているんですけど・・」と言ってまた同じことの繰り返しの自分の置かれた境遇とやらなければいけないことと、しかしどうしてそれができないのか、という理由の話になります。

そして反面、ヴィッキーの言う「偉大なる教師は自分の内側にいるのだ。」というこのオーラソーマのシステムの偉大さを改めて思います。

ヴィッキーが初めてイクイリブリアムボトルを創り上げた頃は、心の問題よりも肉体そのものに作用することが主眼点として置かれていました。

しかし、そういうつもりでボトルを使った人の感想を聞いているうちにヴィッキーはだんだん気づいていったのです。「どうもこのボトルは肉体よりも心の問題を解決しそうだぞ。」ということに。

ボトルが人の言葉より雄弁にその人のこころの奥の奥の細かいヒダにまでもぐりこんでくれるのです。

そしてついにはその人は他でもない、自分の心の奥の深いところから、もう声をあげたくて仕方がなくて、という自分の再生のための産声に気付くのでしょう。

プラクティショナーとして私にできることは、せめていかにその人がボトルを使う気になるまでをスムースに導いてあげるか、だけです。

最後にそれでも一言、言葉でアドバイスさせてほしいのですが、心を病んでいる人は、「どうして?」を自分に投げかけすぎです。

「どうしてこんなことになっちゃったの?」

「どうして私はここから抜け出せないんだろう?」

「どうしてこう思っちゃうんだろう?」

「どうしてあの人はそんなことを言うの?」

どうして?・・・ どうして? どうして?

「どうして?」というのは過去~現在を問い詰める質問です。

でもこの「どうして?」を「どうしたら?」という言葉に変えてみたらどうでしょう? すると、未来に対する質問に早変わりします。

「どうしたらここから抜け出せるだろう?」

「どうしたらこう思わないようになるだろう?」

「どうしたらあの人はああいうことを言わないようになるだろう?」

どうですか? 少なくとも無意味に自分を痛めつける質問はしなくても良くなりそうな気がしませんかねぇ。




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オレンジのポマンダー

2010-04-22 08:07:00 | オーラソーマ

今日は、オレンジのポマンダーをご紹介したいと思います。

ポマンダーはそれぞれ香りを嗅ぐと、「ふぅん・・ これは何の香りだろう・・?柑橘系ってことだけはわかるけど。」とか「スパイシーってことだけはわかるけど。」というように、一言では言い表せない香りが多いのですが(当たり前ですけれどもね。何種類ものハーブが配合されていますから)、このオレンジだけは嗅いだとたんに、「あ!オレンジだね~」というストレートなオレンジそのものの香りがします。みかんではなくて、サンキストオレンジって感じの香り。

このオレンジは、B26「ハンプティ・ダンプティ」と同じような効用があり、深いショックやトラウマがあるときなどに良い、とされます。

また、精神的なことでなく、肉体的な疲れも癒してくれます。

私は、疲れて夜深く眠りたい、と言う場合もラベンダーの香りはあまり好きではないので、このオレンジのほうが癒されすこやかな眠りにつくことができます。

そのほかにも「今日はゴルフで疲れた~」とか、「何にもやっていないんだけど、何でだろう?何か疲労感がある」というときなども使うので、結構オレンジの使用頻度は高いです。

「オレンジ」とは肝臓を表わす色です。

肝臓とは、自分の体にとって必要なもの、必要でないものを選り分ける仕分け作業を行う場所です。そして必要でない、と決めた老廃物はどんどん体外に排出します。

オレンジも同様の効果を促す色だと言われています。

「人であれ、モノであれ、自分にとって必要だ、必要でない」ということを本能的に選り分けさせてくれる色だ、ということです。

事実、オレンジがソウルカラーだなぁ、と思う人は選り分けが非常に上手な人である場合が多いように思います。

「選り分ける」というとちょっと表現が過激で、冷酷無比のような感じがしますが、そうではないんです。

ごく自然に、本能的にそれをやれる人なんです。物事の本質を即座にとらえて、洞察力、直感力にすぐれている、と言いましょうか。

ま、確かに我が強く、人に任せることが嫌いで、自分で何でもやってしまいたがるので自己中心的にみられるきらいは否めませんが・・・

この「選り分け上手」ということと、B26が「ショックボトル」と呼ばれ、深い落ち込みやトラウマを癒す色、ということとは一見全く関係がないようでいて、実は1本線上に結ばれている原理なのです。

というのは、「選り分けをする」ということは、「選択をする」ということとほぼ同義語です。

選択をする、ということは、同時に何かをあきらめたり、捨てたりすることでもあります。

そこにはなんらかの挫折やショックが伴ってきてしかり、です。

感受性が強いので、そのぶん、傷つきやすい。失敗することに対する恐怖心も持っているのだけれど、自分の人生で選り分けをしていく、ということを選択した人は、そういう面も持っているのです。

「オレンジの人」を突き動かす原動力は「向上心」です。

何かを達成して人から注目されたり、名声や地位を手に入れたいと思っています。「私は評価されている」という実感、充足感がオレンジの人には圧倒的に必要なのです。その達成目標がわかりやすく単純なことであるほど、オレンジの人はほかの人からみると、猪突猛進で、人生の機微には疎い、心のひだのようなものはわかってくれない単細胞の人にみえるかもしれません。

ただオレンジの人にとってみれば、自己主張が明確で、前向きなチャレンジャーであるだけなのですが。自分にとって必要なことだ、と思えばどこまでも頑張れる人です。

また、オレンジは初期のキリスト教会では、「栄光、美徳、大地の色」を表わしました。それは他人に影響を与え、支配したい、という願望の色でもあります。

なので、オレンジの人は、周囲のすべての環境に勝利しようとするために精神を肉体に従わせようとします。それはまるで動物界で自分が最も賢く、最も強いとみなすためのようです。

肉体的な勇気を要求されるチャレンジ、スリルや興奮が大好きです。

そのようにして、他人の尊敬や恐れを集めますが、他人が自分の行動をどう思おうと全く関心を払いません。行動はすべて他人のものではなく、自分自身のためのものだから。

そういうわけで、オレンジの人はこの初期キリスト教会の色の意味からしても、徹頭徹尾自己中心的に見えるため、孤立しやすく、事実、チームプレイは苦手、という面があります。

有名人で、「オレンジの人」と言われるのはヒラリー・クリントン氏です。

納得できますか?

まぁ、我々はアメリカ国民ではないので、海外ニュースのコーナーでたまにお目にかかる以上に彼女の本質に迫れるわけではないと思いますが。

オレンジは赤と黄を混ぜてできる色なので、赤のメッセージと黄色のメッセージの両方を持ち合わせています。

赤は「情熱的、パワフル、エネルギッシュ」、黄色はまた、イエローのポマンダーをご紹介するときに詳しく説明しますが、「神経を細やかに使う人」なので、その両方を持ち合わせているといわれると、「パワフルでエネルギッシュに事と進めながらも、周到に神経を使い、こまやかに周囲の状況も把握している人」という意味においては、何となくヒラリー・クリントン氏を言い表しているような気がしますね。

今回もスーザン・シュムスキーの「オーラ・ヒーリング」より、オレンジの色が働きかける影響として、「助長する」ことには、「勇気、共感、精神的澄明、交際術、内面の強さ、洞察力、他人への敬意、楽観主義、友好性、創造的なアイディア、食欲、骨の成長」などがあります。

なので、

    勇気をふるいたたせたいとき

    なにかに共感したいとき

    精神的に澄んだ気持ちになりたいとき

    人とうまく交際していきたいとき

    内面が強くなりたいとき

    洞察力を深めたいとき

    他人に対する敬意を払えるようになりたいとき

    自分が悲観的になっているな、と思い、もう少しラクに生きたいな、と思うとき

    みんなと仲良くやっていきたいとき

    創造的なアイディアが湧き出す状態にしておきたいとき

    食欲がないとき

    成長期にあるこども、あるいは骨粗しょう症が疑われる年齢にさしかかったとき

などにオレンジのポマンダーは有効だといえそうです。

そのほかに「癒す」ものとして、「筋肉痙攣、声帯周辺、残虐性、過去へのこだわり、破壊的傾向、習慣的パターン、不信、腸内ガス、不安、偏見、疑い、呼吸系、批判的な傾向」などがあります。

なので、

    筋肉が痙攣を起こしそうなとき(あるいは起こしたときの緩和)

    呼吸系、声帯周辺に異常を感じたとき

    残虐な気持ちや破壊的な気持ちを抑えるのに

    過去にどうしてもこだわってしまうとき

    どうしても習慣的なパターンから抜け出せないとき

    人に対して不信がつのるとき

    腸内にガスがたまっているとき

    何かわからないけれどもやもやとした不安を感じるとき

    自分が偏見や疑いを抱いてしまう傾向があるな、と思ったとき

    すべてにおいて批判的な傾向があるな、と思ったとき

などにも良さそうです。


反対に、「悪化させる」こととして、「わがままかって」「享楽主義」「過食」「浅薄性」「依存」「社交家」とありますので、

    自分がわがままかってになっているな、と感じるとき

    享楽主義に走っているな、と思うとき

    過食傾向にあるときの食事前

    思慮深くないな、と思うとき

    なんらかのものや人に対して依存性があるとき

    やたら人が集まる場所にでかけるのが楽しくて仕方がないとき

などは、その傾向をさらに悪い意味で助長させることがあるのでやめておいたほうがよいでしょう。

この記事を読んで、オレンジポマンダーが使ってみたくなった人は、是非「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」までご一報ください。

1本 \3800(税込み\3990)です。

1日2,3回の使用なら、1年以上もちますので、とてもお値打ちですよ。

お問い合わせ・ご注文は、chakra@aura-soma.nameまで。

全国どこへでも1本から無料配送。







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場所は、名鉄岐阜駅から徒歩5,6分のところです。(駐車場1台分有)

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生命力

2010-04-21 08:05:00 | 健康・病気

我が家のベランダで少々の野菜を栽培しているという話を以前に書いたことがありますが、皆さん、普段口にしている野菜の花を見たことがありますか?

農家をなさっている方はもちろん、家の近くに田畑がある方は「そぉんなこと、あったりまえじゃな~い。」という花を私はほとんど知らない、ということに気づきました。


というのは、我が家で栽培していた何種類かの野菜、収穫しながらも一気にもいじゃう、ということがないために花を咲かせたもの、収穫時期を逸して花が咲いちゃったものがありまして・・

それで今回発見いたしました。

「食べられる野菜の花は、たいてい菜の花系。」(学術的にあってるのかどうか知りませんが、少なくとも見た目は。)ということに。

Photo_2 こちら、見ていただけます?

これ、何だかわかりますか?

なんと、水菜なんですよ。スーパーで売ってるものほどどうしても背丈が大きくならなくて、もう食べちゃおうかな、どうしようかな、としているうちにこんな花が咲いちゃいました。

Photo_3 それから、こちら。

これはブロッコリーです。

これも一度は収穫したんですが、「あ、しまった! ちょっと緑のつぶつぶが開きかけた!」と思ったときにはすでに遅く、咲いちゃいました。

Photo_4 そして、これがチシャバ。

これは重宝いたしました。

下の方から食べるぶんだけ千切って千切ってしているうちに、レタスやキャベツのように球を結ぶことなく背がどんどん伸び、ついに花を咲かせました。

どうです?

なんかみんな菜の花系じゃないですか?

菜の花ってすごいなぁ、菜種油もとれるし、もりもり食べられるし、とその生命力に感嘆いたした次第でございます。

そんな野菜たちの生命力にため息をついたのもつかの間、先回のつづき、「私は脂肪肝だったのか?」のその後です。

先回はたまたまいつも処方してもらっている花粉症の薬をもらいにいっただけのつもりだったら、いきなり腹周りを触られ、「ふぅん、ちょっとヤバイんじゃない。」と体重と体脂肪率をはかられ、薬を処方されてしまいました、というところまででした。

今回は血液検査の結果とエコー検査です。

まずは、血液検査の結果。

LDLコレステロールに異常値がみられました。早い話が悪玉コレステロールってやつです。さらに早い話が、デブんなりゃたいていのヤツがあがる数値ってことです。これが女性の場合、「145mg/dl」の範囲内でないといけないのが、「155mg/dl」でございました。

それから一応許容範囲内ではあるけれど、高値ギリギリというのが、r-GTというアルコールによる肝臓障害などで高値になることが多いという数値。

そのまんまじゃん。

これが「30u/l」を超えるといけないんだそうですが、「27u/l」のギリ。

そりゃ毎晩たらふく飲んでるもんね~

そしてお次はエコー。

冷たいゼリーのようなものをおなかにぬりぬりして、画像を映し出します。

「あ~、こりゃ脂肪肝だ。」と先生。

「えっ! そうなんですか? ショック~」

「まぁ、まだまだ序の口だけどね。いい、これを見てごらん。脂肪がついていると、臓器が乱反射するように色が薄くしか映らないんだよ。これが腎臓。腎臓には脂肪はつかないからね。ほら、こんな濃い色をしてるでしょ。んで、これがあなたの肝臓。こちらすい臓。両方とも白っぽいでしょ。まわり、脂肪ぬらぬらよ。」

げっ!

ほんとだ・・・

フォアグラ状態だ・・・


「まぁね。まだ大したことはないから、十分ちょっとやせれば正常に戻る余地はあるからね。はい、じゃあこの薬飲んで。」と以前の薬の倍の量を処方されました・・・


はぁ~

情けない。

好きなだけたらふく食べて飲んで、それが自分の体を異常にし、また今度はそのせいで薬を飲まなくてはならないなんて。

自己管理ができてませんでした。

おまけに肝臓は無言の臓器だから、何にも感じなかったし。

きっと私の肝臓とすい臓は次々に送られてくる食物とアルコールを処理しきれずに、「これは自分の身を守らないとやっていけないぞ! もっと脂肪をたくわえて守るんだ!」とせっせせっせと貯えちゃったんでしょうね。

ひとつひとつの臓器が独立した生き物として言葉を発せられるんだとしたら、確実に私の臓器は、オーバーワークなのに有給休暇も与えられず、それでも文句のひとつも言わず、もくもくとひたすら業務をこなしている状態だったんでしょうね。

「やってらんねぇよ。俺ら」といいたかったことでしょう。

悪いことしました・・・ 反省します・・・

これからはいくらダーリンとの夕食が1日の大きな楽しみだからといって、ちょっとは控えます。

しかし、逆に言えば、それぞれの臓器たちは、その仕事を果たすべく自分の身を守りながら、いきなり仕事をストップさせちゃうこともなく、すごい生命力だなぁ、と思いました。

今日はベランダの野菜たちとともに、物言えぬものたちの生命力をひしひしと感じた1日でした。




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