ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

オーラソーマや色んなセラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

映画「羊の木」を観ての気付き

2018-02-17 09:02:01 | 映画
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「羊の木」を観てきました。
ある町が市の実験として受け入れを決めた6人は全員が元殺人犯。さて、彼らは何事もなく平穏にこの町で生きて行けるのか? やはりそういうわけにはいかなかった。
ある日の出来事をきっかけに事件は起きる・・。
―――――というお話し。



殺人犯が刑期を終えて出所しても、身元引受人がいないとアパートも借りられないし、就職もできない。
じゃあ、どうする?
どうやって更生できるっていうんだ?
というこの問題に、
「市として過疎化対策の一貫として受け容れる」
という設定は、実際の世の中においても参考になりそうな面白い設定だと思いました。
だから観に行ったんですけど・・・



けれど、いかんせん、映画はつまらなかった・・・。
物語がすすむにつれ、元殺人犯の1人だけに物語は集中していき、はぁ~! なるほど! 全然関係なかった6人がこういうふうに絡んでいくのね、というお話しではありませんでした。
だから
「町に突如やってきた元殺人犯が6人。さぁ、どうなる!?」
というなにやら非常に先が読めないスリリングな展開を予想させる前提そのものが崩れちゃってるじゃないの、って感じでした。
殺人という罪を犯した人間がちゃんと償って社会に戻ってきてもこんなにいろいろと障害があり、なかなか普通に暮らしていくことは難しいのだ、ということを観ているものに訴えたいなら、そこもあんまりうまく描けてはいなかったと思うし。
東野圭吾のほうがそういうのって上手だよね。
このお話しも最近に多い原作は漫画だそうで、物語の結末は映画と漫画では違うそうなので、原作のほうが面白いのかもしれませんね。



というわけで私にとってはあんまりおススメできないレベルの映画だったなぁ、という感想なので、特にこの映画についてこれ以上語ることはないのですが、1つだけ。
「優香ってあんなにエロかったっけ!?」
すみません、しょーもないことで。
私がこの映画を観ての1番の気づきです。
優香ちゃんはもともとグラビアアイドルですから、ある程度セクシーであっても当たり前だとは思うんですが、私は優香の写真集とか見たことないし、男性が
少しエロい目で
「優香っていいよなぁ」
と言っていた時代に、
「どこが? よくわかんない」
と思っていて、
「まぁ、男性目線と女性が感じるセクシーさはまた別モノだからね~ 男性の好みってわからんわ」
と思ってきただけでした。
でも、この映画を観て、
「優香はすっごくエロい」
と思いました。
あ、もちろん、役どころが、ですよ。
でもそれをあんなに存在感たっぷりに演じられる優香ちゃんって・・ やっぱりその素養があるのかしら、とか思わずそう思ってしまいそうでした。



優香演じる太田理江子も元殺人犯のなかの1人です。
どんな殺人を犯したのか、というのは物語も中盤になってから明らかになるのですが、これに関しては物語の大切な部分に全然関係ないので、ご紹介しちゃいますね。
理江子は、錦戸亮演じる、この物語の主人公というかストーリーテラー役の市職員に尋ねられ、こう言います。
「元の夫とのセックスのとき、彼はいつもそのほうがいいからってことでイクときに首を絞めてくれ、って言ってたんですよ。
私はそういうのはちょっと・・だったんですけど。
でも、好きだったから!
好きだったからしてたんです。
で、あの日もそうやって首を絞めたら・・・」
ほんとうに死んじゃった、ということらしいです。
それが公判で通らなかったのか、彼女はかなりの刑を言い渡されたわけですが、「信じて! ほんとにそうだったのよ。」
と錦戸亮演じる月末に訴えたのでした。



いつも何かに怯えているような、おとなしそうな顔をしていた理江子からすらすらと語られたセックスの現場の話にびっくり。
「セックス」とか「イク」とか、そういう言葉自体を、すご~く親しい人、打ち解けられる人とかのわけでもない人にすらすらと話せる人ってこと自体が信じられない。
でも、優香演じる理江子はそんなことは恥ずかしいことでも何でもないことのようでした。
「あ、あのときのスーパーで売っていたお魚の値段はですね・・」
というような口調で日常の一コマを話して何が悪い?という感じで話しました。
その瞬間、私は思ったのでした。
「あ~、こういうギャップにドキッとして男性は惹かれちゃうんだろうなぁ」
と。



以前、アレンジメントフラワーの先生で、いつも綺麗ですごく若く見える方がいらっしゃいました。
その方があるとき、なにかのイベントに現れたとき、華やかなドレスを着ていらっしゃるのに、アップにした髪が、いかにも「いま、自分でやってきました」というようなまとめ方だったんです。
ううん、今風のわざと後れ毛を出している、とかそういう「演出」ではないことがありありとわかる感じ。
ほんとに、たった今、パパッと自分でやって、これでいいと自分では思ってるんだけど、何か?みたいな感じでした。
それを見たとき、私はその先生のギャップ感に少しドキッとしました。
ドキッとというのは良い意味じゃないですよ。
大丈夫かなぁ、って心配したくなるような感じ。
これだけ身なりを整えた日なら、今日は髪もふつう美容院だろー。
それをこんな疲れ切った場末のおかみさん風にまとめちゃって、と思ったのでした。
で、そのときも
「この人は女性受けというより男性受けしそうな人だなぁ。」
と前から思っていたので、それはこういうギャップから来ているんだな、と思いました。
私はこの先生のことを「ちょっと危なげなところのある人」という風に捉えました。
ふだんはすごくきちんと綺麗にしているのにここぞ、というときにえっ! その髪のまとめ方あり? みたいな感じに見えたのが。
でもたぶん男性的には「いつもきちんと見えている人」が「隙がある」と見えるギャップがとても魅力的に見えるのではないかなぁ、とおもった次第です。




映画を観終わってからつらつらとこの「ギャップ」ということについて考えていたとき、ふとこんなことを思いました。
「人は、ある人のことを『この人はこういう人だと思っていた』という思い込みを大きく外されるようなギャップを目にしたとき、それがどんなものであろうとその人の“素顔”を見ることができたというようなことであれば、たいていそれを好意的に受けとる。
つまり、他人に対しての自分の“思い込み”には寛容だ。
なのに、どうして自分自身のこととなるとある強固な“思い込み”を持っていたことに気付いた場合、すぐに
「あはは、私はこんな思い込みを持っていたんだな。私も可愛いもんだな。」
と好意的になれないのだろう。
人はどうして自分にこんなに厳しいのだろう。



たとえば昨日の話、私は「孫の事なんて自分が好きでもないんだから、あちらからどう思われようが何にも気にしていない」と思っていました。
これが“思い込み”であって、実はほんとうの私は「もっと好かれたい」「嫌われたくない」と思っていた、ということに気付きました。
気付く、ということはそれだけでラクになります。
それは自分の感情に「名前」がつけられるからです。
人は「名前」のつけられないもの、つまり言語化できないものが気持ち悪いんですよね。
だからそのことではとりあえずすっとラクにはなるんです。
でも、自分のことを
「あぁ、こういう思い込みをもってた私、可愛いなぁ。このギャップ、可愛いなぁ。」
とまでは思えない。
まぁ、そう思ってあげよう、よしよし、ってしてあげよう、とは思うんですけどね。
それはごく自然に湧き上がってくる感情では、ない。



不思議なものだなぁ。
私はこれまで自分のことを「自分に甘い」人間だ、と思ってきました。
でもこれ1つとっても、十二分に過ぎるほど「自分に厳しい」じゃないか。
きっと皆さんももし、「私は自分で自分を甘やかしている」と思っていても、きっと結構厳しくしていることっておおいにあると思いますよ。
それに少しでも気づいたら、もっともっと自分に優しくしてあげてくださいね。
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嫌いな人からも好かれたい

2018-02-16 09:01:10 | 身辺雑事
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昨日は、孫に「いっしょに温泉行く?」と尋ねたら、「行く!」と言ったものの、じぃじを独占したいらしく私には
「えっちゃんは行かんといてほしい」
と言い、それを聞いても私は別にショックじゃなかった、むしろしめしめと思った、という話を書きました。



問題は、温泉にたっぷりと浸かり、「やれやれ」と温泉を後にしようとした時でした。
やはり根尾は岐阜市内とは全く天候が違い、来る時にもチラチラと雪が舞い、道路のはしっこや田畑の日の当たらない場所には雪が積もったままになっているのが見受けられたのですが、帰りにはなんと猛吹雪になっていました!
横殴りに降りつける粉雪。
いかにも積もりそうな感じの雪です。
道路はすでに場所によっては何センチか積もっていました。
街燈などついているわけもない田舎で、普段なら何度も来ている道だし、わかっているのですが、もう前が見えない状態。
車のライトをアップにすると、横殴りに降りつける雪にもライトが当たってしまい、かえって道がわからなくなる。
かといってアップにしていないと道と側溝との境がわからない。
ひょっとして道だと思っていたら思わぬタイヤを側溝にとられる、なんてことにもなりそうです。
「ひゃ~、これは恐いね~ ゆっくり走ってよ」
とわたし。
ダーリンは一応スタッドレスを履いてはいますが、もうスタッドレスではなく、チェーンじゃないと走行できないんじゃ?という天候になってきているように見えました。



後部座席で気を揉みながらシートの合間から顔をのぞかせ、私もいっしょになってフロントガラスを一心に見つめる。
こちらがそんな状態のときに、ですよ。
ふと孫をみやると孫は助手席でお気楽にも任天堂の3DSでゲームに夢中。
いっさい、前を見ていない。
まぁ、良く言えばそこまでダーリンの運転に信頼を置いているといえなくもないが、こんなときぐらいおまえ1人がそんなにお気楽でいいんか~!と言いたくもなりました。



孫は4歳ぐらいまでは一切ゲームはやらせない、という方針のなかで育ったんです。
別に本人も誰と比べられる環境にある、ってわけでもないので、それならそれで何も不自由は感じていないようでした。
しかし、4歳になり保育園に通うようになるとそうもいかなくなったようです。
それに、大人のほうがゲーム機を子どもに与えて置いたほうが自分が楽だ、ということに気付いてしまったんですね。
前はいったん車に孫を乗せると、もううるさくてうるさくてたまらなかった。
覚えたばかりの歌をうたいまくり、私たちにもいっしょに歌うことを強要する。
助手席でもシートベルトをすぐに外してしまい、車のなかで後ろの席に行ったり、また助手席に戻ったりと動き回る。
それでさんざ遊んで疲れるとコトンと寝てしまう。
あとにはつき合わされて疲れ切り、そんな風に簡単に寝落ちすることもできない大人が取り残されるって寸法、。
しかし、ゲーム機を与えて置けば一心不乱にそれをやっているので、大人はラク。
1度ダーリンが娘に、
「こんなにゲームばかりやらせていいのか」
とちょっと非難がましく言ったら、
「だったらパパだったら、この子にゲーム機与えずにずっと面倒みられるっていうの!?」
と逆切れされ、たしかにできません・・とすぐにカメの子よろしく頭をひっこめたのでした。



だから彼が今、ゲームに夢中になっているのは大人が仕組んだ、望んだ状況だから仕方がないのかもしれません。
でもすぐ横で大人たちが
「わぁ~! 大丈夫かなぁ!」
とか
「タイヤとられそうだよ」
とか
「すごい吹雪! 前が見えない」
と言ってるなかでよくまぁ無視して一瞥もくれることなく、集中していられるわ、お見事、と思いました。



そしてこのとき、私は自分が「えっちゃんはいっしょに行かんでほしい」と言われたときよりもよほどイライラしていたのでした。
そこで、私は先日の「潜在意識活性セミナー」を思い出し、
「どうして私はこんなにも孫がゲームに熱中していることにイライラするのか」
を掘り下げてみました。
まず、起きている<現象>は、
「こちらが運転にハラハラしているなかで一切顔をあげることなくゲームに夢中になっている孫がいる」です。
そしてそれに対して私に起こっている<感情>は「イライラする」です。
その<思考>は、「ゲームやるな! 少しぐらい前を見てみろ!と言いたい」です。
どうしてそう思うのか、と言えば、
「1人だけ異世界にひたってしまって現実をみようとしないでは、せっかく一緒にいるのにもかかわらず、現状を共有できないから」です。
どうして「現状を共有できないとイヤなの?」とさらにまた自分に問い掛けてみました。
一瞬うっ、と私は詰まりましたが、
「それはやっぱり・・ 一緒にいるなら共感しあいたいから」
と言いました。
「共感しあいたい、ってどういうこと? もっと簡単に言ってみて」
自分に問い掛けました。
するとなんと私から
「仲よくしたいから」
という答えが返ってきました。
これには自分でもびっくり。



結局、私は孫と「仲よくしたくて」「孫に好かれたい」と思っているんだ!
じゃあ、そんなに自分は孫が好きなのか?と問いかけると、やっぱり「別に」というそうでもない気持ちにも嘘はない、という私がいる。
なのに、仲よくしたくて、好かれたいんだ! わたし! と驚愕。
友人で
「私は、私の嫌いな人からも好かれたい」
と冗談まじりに言う人がいて、私もそれを聞いて「あはは」なんて笑っていましたが、冗談じゃなくて、私自身、本気でそう思っていたんだ、ということに心底驚きました。
この、人間の「人から嫌われたくない」「好かれたい」っていう気持ちはものすごく根深いものがあるのねぇ、と思ったことでした。
ま、人間という生き物は古来から集団で生きる、集団でしか、孤立しては生きられない(非常に生きにくい)生物でしょうから、そう思うのは集団的無意識のなかに強く強く、この世で生き抜いていくためのサバイバル、レッドの意識としてこびりついているんでしょうね。
この前のセミナーでわかったように、孫に対して抱いている気持ちの根っこはこれだけではないかもしれません。
でも少なくとも私は「仲良くしたくて」「好かれたい」と思っている自分を認めなくてはならない、と思いました。
そのために今よりもっと遊んでやろう、とか会いたい、とか全然思わないんですけどね(笑)
だったらどう処理していったらいいんでしょうね。
何か代替のことで昇華させたほうがよさそうだなぁ。

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それには腹は立たない、と思っていたけれど

2018-02-15 09:02:50 | 身辺雑事
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世が3連休だった先週(残念ながら私たち夫婦は連休ではありませんでしたが)、義両親の誕生日だったため、プレゼントを届けに行きました。
なんと2人とも1週間と違わない誕生日なんです。
だからいつも2人一緒に祝う。
プレゼントとお寿司を届け、その後私たちはその足で根尾温泉まで行こうか、と言っていました。
実家を訪ねると嬉しそうに孫が出てきました。
「なんで!? なんで、今日は来たの? 遊んでく?」
孫はダーリンが大好きなんです。
そりゃいつも言いなりだし、なんだって買ってもらえるし、嫌いになるわけがない。



するとダーリンが、
「これからえっちゃんと温泉行くけど、おまえも行くか?」
と聞きました。
孫は温泉も大好き。
1も2もなく
「行く!」
と言いました。
3歳ぐらいのときには母親の顔色を見て、
「お母さんも行く?」
と聞き、お母さんが行かないとなると自分も行かないと言ったり、「え~、どうしてお母さんは行かないのぉ」とぐずったりしたけれど、6歳になる今は、もうダーリンが一緒なら母親は一緒じゃなくてもよくなりました。
「じゃ、行くか」
と腰をあげようとすると孫はもじもじしはじめ、なんと
「えっちゃんは行かんといてほしい。えっちゃんは家で待っててくれないかなぁ。」
と言いました。
「はぁ~!?」
とわたし。



すると寸暇を置かず娘(つまり孫の母親)が、
「何言ってるの! えっちゃんとは入らないからいいじゃないの。温泉はじぃじと入るんだよ!? だから恥ずかしくなんてないじゃない。」
と言いました。
続けて、
「この子さぁ、最近、私以外の女の人には恥ずかしいって気持ちが芽生えたみたいなのよ。そのくせ、『くれよんしんちゃん』の影響なのか、同じくらいの年ごろの女の子をみると『あの子のお股みたい』とか言うからもうほんとにびっくり。この子ぐらいになると女湯にいっしょに連れて行くとやっぱり同じ年頃の女の子がすごく嫌そうな顔するからさぁ、もう私は女湯にはいっしょには連れていけないのよ。」
と言いました。
そして、
「さ、えっちゃんに謝りなさい! 一緒に行こうね、って言いなさい。」
と孫に向かって言いました。
しかし、孫は「え~~~」と言いながら、もじもじニヤニヤしたままダーリンの後ろに隠れて、謝ったり、一緒に行こうね、とは言いませんでした。



その様子を見ていて、娘はどこまで本気で思っているのか、私に気を使ったのか、女の人といっしょのお風呂に入れなくなってきたから、恥かしがるようになったから、というのが理由だと言ったけれど、私はただ孫はじぃじを独り占めしたいからなだけじゃないかな、と思いました。
だって、娘の言うように「女湯のほうに入ると思っていたから、それはさすがにちょっと照れるようになったから」というのが理由だったとしたら、「いっしょにはいるのは男湯のほうだよ」
と言った時点で、
「あ、そうなの。なら、いいよ。」
とケロリと言うはずではないか。
絶対にじぃじを独り占めしたいに違いない。
それには私の存在はただ邪魔なだけだから。
でも、これを聞いても私は全然ショックでも何でもなかったです。
そりゃ「遊びに行くよ~」と言っても私だけ「あなたたちで行ってきなさいよ」と一緒に行く回数も少ないし、一緒にいても抱っこやおんぶはしてやらないし(もう重くてそんなことしたら腰を痛める)、何か買ってやる場合に私が財布を取り出しても、孫は常にそれはじぃじのものなのだ、と思っているから私には一切感謝の気持ちもないだろうし、要するに彼にとって私は居てもいなくてもいい存在だろうなぁ、とは思うからです。
そしてそれを私自身のぞんでいるのだから、「いっしょに行かないでほしい」と言われたって「ですよね~」って感じでショックでは、ない。
ショックでないどころか、むしろ内心「しめしめ」と思っていたのです。



それはなぜかと言ったら、ダーリンはおめでたくもまだ私が、孫の事を
「そこいらの子どもよりは可愛いと思ってるだろ?」
と信じて疑わないのですが、
「えっちゃんはいっしょに行かないでほしい」
という現場を見たら、そんな孫が可愛いわけないだろーという私の気持ちをわかってもらいやすい、と思ったからでした。
今後、ダーリンがもし私に
「おまえもいっしょに行ってくれよぉ」
と無理強いしてきても、私は
「はぁ? この前の態度見たでしょ。同じ態度をあなたが取られたらあなたはそんな孫が可愛いといえるの? 自分が思えないことを人に強いるのはやめてよね。」
と堂々と言える! と思って「しめしめ」とほくそ笑んだのでした。



しかも、今回は寸暇をおかずに娘が孫のことを
「なんてこと言うの! えっちゃんに謝りなさい!」
と言ってくれたので、私は溜飲を下げることが出来ました。
これが周りの大人たちがみな「ははは」と苦笑いするばかりで何も言ってくれなかったらムカムカしたことでしょう。
だから自分で、孫に向かって
「私とじぃじが行きたいから行くことにあんたを誘ってやってんだよ。だから私が行かなくなる、ってことはありえないの。やめるならあんたなの。」
と言うしかなくなる。
それを聞いたら義母は
「なんてことを言うんだろう! なんて冷たい嫁だろう!」
と思う事でしょう。
まぁ、思われたっていいんだけどもできるだけ波風は立てないにこしたことはないから。
なにせ義母は娘のことも、
「あんなにいつも自分の機嫌によって孫を叱りつけなくてもいいのに」
と批判的です。
私が見ている限り娘はむしろよくあの程度しか怒らずにすんでるなぁ、と思うくらいなのに。
だからこれからだけしても親子三代にわたっての同居って大変ですよねぇ。



ここまでの流れからして、私が
「向うが私のことを嫌いだったり何とも思っていなかったりしたら、私も相手のことを嫌いになったり何とも思わなくても構わないだけだから、そのことに痛みは感じない。」
という人間だということがおわかりいただけますでしょうか。
これまで自分では自分のことをそう思ってきました。
けれど、このあと「あれ? 違うのかな」という出来事があったのです。
それは長くなってきましたので、また明日。
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窮地でも自分以外の人のことが考えられるか

2018-02-14 09:02:17 | テレビ番組
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連日、平昌オリンピックの報道が盛んになってまいりましたねぇ。
私はウィンタースポーツは何もやりませんし、普段その観戦すらいたしませんが、やはり期待されていた選手たちのメダルがかかった試合は思わず力が入ってしまいます。
先日、1500mで銀メダルに輝いた高木美帆選手の試合なぞはもう何度もテレビでやっていて録画だとわかっているのに、最後の直線になると
「ここで頑張って応援したら、ひょっとしたら奇跡が起きるのでは・・!」
という気持ちになってしまい、思わずこぶしをギュッと握り、テレビに向かって
「頑張れ~!」
とか言ってしまいます。
あの銀メダルを「惜しくも銀メダル」「金メダルをのがした」と捉えるのか、「すごいぞ、銀メダル」と捉えるのかで全然違ってきますものね・・
彼女が滑り終わったあとに見せた表情、コーチと何か一言二言言葉をかわし、2人で抱き合う姿を見ると、私は彼女のこれまでの人生を知りませんが、それでもずっと知っていたかのように同調してしまっている自分がいました。



さて、スポーツつながりでもないですが、先日、テレビで「奇跡体験! アンビリーバボー」の再放送を見ていました。
それは伝説のライダーのお話。
バイクスタントのショーをやっていたブルース・クックは前人未到の大技にチャレンジし、そして失敗し、大けがを負い下半身不随となりもう人びとの前から姿を消す、と思われていました。
しかし彼は全く動かない下半身をオートバイにくくりつけ、1年9か月後、またスタントショーに現れました。
なんと全く下半身に力が入らない中で、バイクで一回転するという大技をやってのけたのです。
このショーによって、ナイトロサーカスというスタントショーの中では最高峰のショーにおいて「伝説のショーが2つある」と言われるようになりました。
1つは、前人未到の大技にチャレンジして失敗したブルースのショー。
そしてもう1つはその1年9か月後に彼が復帰して下半身不随のまま成功させたショー。
この2つにより彼は伝説となった、というお話しでした。
このお話しの詳しい内容を知りたい方はこちらをどうぞ。



番組では、彼が下半身不随になったにもかかわらず不屈の闘志で復活を果たし、それによって伝説と呼ばれることになった、というところに力点を置いて放送されていたようですが、私はちょっと違う場面に感動してしまいました。
それは、彼がスタントに失敗し病院でいろんな機器につながれまだ酸素吸入器すら外せない状態でいるとき。
彼のもとに仲間たちからのエールが届きました。
それはサーカスの何十人という仲間たちが「ブルース、がんばれ!」というプラカードを掲げ、笑顔で写っている写真。
それを見たとき、彼はこう思ったのでした。
「彼らの笑顔を消してはいけない」
と。



スタントというのはもともと危険な匂いに満ちている。
それを今回の自分の失敗によって「やっぱりな・・ こんな危険なものなんて見たくない」と観客が離れてしまったら、彼らはどんなに傷つくだろう。
ボクは自分だけが傷つき、苦しんでいると思っていた。
けれど、傷つき、苦しんでいるのはボクだけじゃない。
仲間たちもそうなんだ。
彼らのためにボクはこのままで終っちゃいけない。
ブルースはこう思うんです。
そしてなんと彼は怪我をして10日目にはもうリハビリを開始しました。
ありえん・・・
脊椎損傷の大けがを負って、その痛みさえまだ耐えがたいものであろうに、もう動いてみるどころか、リハビリ開始・・!?
しかし、彼の仲間を想う気持ちは強く、1年9か月後にはまた舞台に立ったのでした。



私がもし、2度と自分の力では立つこともできな、という大けがを負い、ベッドにいるとき、仲間たちからの笑顔で「がんばれ~」という写真が届いたら、どう思うだろう? と想像してみました。
きっと
「ケッ! いいよな。お前らは気楽で! 」
という疎外感、憎しみ、怒り、歯がゆさ・・そんな負の感情満載じゃないかなぁ。
なのにブルースは自分の身より彼らの将来、バイクスタントの将来を想った。
すごい人だなぁ~と思い、私はこのシーンに1番心が動いたんです。
実際に彼が復帰して成功させたショーよりも。



人はきっとこのブルースのように、自分のためだけ、に何かをやるよりも、人のため、と思ったときに自分でも思わぬ力を発揮することができるのでしょう。
もちろん「自分のため」に何かをすることが悪いわけじゃあ、ない。
それどころか真っ先に「自分のため」にやるべきだ。
けれど、「自分のためだけ」というと、ちょっとワケが違う。
それではきっと100%の力をそこに注ぐことはできないように私たちという生き物はなっているような気がします。
自分を大切に想いながら、その次に「同じ意思や夢をもつ仲間のため」。
それは自分のためにもなるから想いやすいですよね。
そうしたら次にもう少し広げて「その夢に、こんなところでも関わってくれる人がいるわけだよなぁ」という人のため。
ブルースの場合はそれは興行師の存在でした。
ずっとボクを応援してくれていたトラヴィス。
彼はボクの失敗によって、ボクにすまなかった、無理をさせた、と思っているだろうし、これからの客数にも影響してくるだろう、とブルースはそんなことまでベッドの上で考えていたのです。
こうして自分を中心として、そこから関わって行く人をどんどん広げていき、その人たちのため、と思ってすることは、その人たち全員のエネルギーも味方につけることができるから、とてつもなく大きなパワーになるのだ、と思います。



実はこのお話しのオチは、ブルースは今、興味は四輪駆動のバギーで悪路を走る、というサーキットレースに夢中になっているようです、というところで終わりました。
・・・あ、ただのスリル好きってことだった?みたいな。
じゃんじゃん。
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東京、大阪でのアップデートは満席になったそうです

2018-02-13 09:01:37 | オーラソーマ
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昨日友人からLINEが来て、今度日本人ティーチャーによって東京と大阪で行われるアップデートが満席になったことを知りました。
その友人はずっとアップデート参加を迷っていて、ようやく「やっぱり出よう!」と思い申し込んだら満席だ、という返事がきたとのことです。
・・・だったら、満席になった時点でどこかにそれを発表しといてよ。
なんか不親切よね。
やっぱりアザイアクトが無くなったことですごくまたイギリスとの乖離を感じるわ~



そのメールには、そういったリクエストが沢山あるのでまた改めてアップデートが行われる可能性がある旨がちらと述べられたあとに
「6月にはイギリスとヨーロッパでもアップデートがあります」
と書かれていました。(直接そのメールを彼女が見せてくれました)
簡潔な文章のなかに私は
「そんなにアップデートを望む人数が多いとは知らなかったのでまた行う可能性は高いけどいつになるかわからないし、少なくとも6月に行うイギリスより早くもう1度日本で行うという可能性は低いから早く受けたい、って希望があるならそちらで是非出て下さいな」
というニュアンスを感じました。(これはあくまで私が行間から読み取ったニュアンス。だからこれを「決定」とは受け取らないでね。まぁ、そうそう間違ってはいないと思うけど)
・・・あのね。
「あ、東京に漏れた人は、横浜でもやるよ~」とか
「大阪に参加したかった人は、京都でも近々やるよ~」とか
そんなレベルじゃないですよ。
日本とイギリスですよ。
飛行機で13時間半かかるところですよ。
飛行機代だけで何十万とかかるところですよ。
それ、わかって本気で言ってるの!?
このメールを見て、
「あっ、そうなんだぁ。だったらイギリスのに出ますからいいですよぉ~」
と気軽に動けるって人が日本にいったい何人いるって言うんだろ?
マイクが1年を通して世界中を旅してることは存じ上げてますよ。
だからって全世界にいるプラクティショナーたちもそんな感覚でしょ?と一緒にしてもらいたくないわ。
え? 違うの? オーラソーマが好きなら地球なんてちっちゃいぞ~とどこまでも気軽に行かなくちゃ~ ですか?
冗談じゃない。



そもそもマイクのアップデートに出なくて今回のアップデートには出ようとしている人たちの中には
「マイクのだと高いから・・ これを見送ってもきっとこれよりお値打ちな値段で日本人ティーチャーによって行われるでしょう」
と思ったから、という人もかなりいらっしゃるのではないでしょうか。
それほどコースの値段にも敏感なのに、
「次はイギリスでだったらやるから~」
と気軽に案内してくるのは、私たち庶民の気持ちとイギリスアカデミーの考え方があまりにも乖離している証拠ではないでしょうか。
そしてこういう気持ちの乖離っていうのは、この先どこかで致命的なものとなる、って感じるのは私だけでしょうか・・



乖離を感じた、ということでいえばもう1つ。
これまでずっと私はこれが全然わからなくて不満だったんですが、
“今回のアップデートを受けなかった人はどうなるのか?”
について。
いや、“今回の”を受けなかった人には、「またやる可能性あるよ」とは言っているわけですが、私が聞きたいのは去年のマイクのアップデートから始まるこの“一連のアップデート”を受けなかった人。
つまり、今年中くらいにもしもう1度あったとしてもそれも見送る。
来年かさ来年かにはまたその気になるかもしれない。
そのときにはどうなるの? って話。
これまではプラクティショナー更新に該当するコースなりOGEDを受けなくて数年経過してしまったとしても、「もう1度プラクティショナーやりたい!」と思えば、該当するコースを受ければすぐに復帰できました。(私はこのブランクの期間に規定がないのもどうなのかな、とは思っていましたが。だって1年ブランクがある人と10年ブランクがあるっていう人とではもう全く違うじゃないですか)
今回はどうなるのか?
そうしたらその友人はあるティーチャーから聞いたとのことで、
「もう1度レベル1から取らなくてはいけないらしいよ。」
とのこと。(これも確かな情報ではありませんので、気になる方はイギリスのアカデミーに直接問い合わせるしかないと思います)



さもありなんとは思ってたけどこれが本当だとしたら、イギリスアカデミーは本気で、これまで育て上げてきたプラクティショナーたちを切り捨てることになってもいい、と思ってるんだなと私は思いました。
新しくシステムが変わりました。
教育の内容も変わりました。
これまでの資格保持者がそのアップデートに関する情報を受け取らないまま、資格を復活させたいというのなら新しく変わってからのシステムの授業を受け直して下さい、というのは一応筋は通っています。
しかし、“新しく変わる教育の内容”とは、あえてこんな言い方でいいますが、“しょせん以前のものから多くをそぎ落してスリムにしただけのものでしょ”。
であれば、元のコンプリートされたもので教育を受けている人がどうしてそぎ落しただけのものをもう1度受け直さなくてはいけないの?と思います。
3STARSはもう教えない、ブルーのボウル、イエローのボウル、レッドのボウルの概念も教えない、やれあれも切る、それもやらない、とシンプルに色の概念だけを教えてほんとうにこれまでオーラソーマが大切にしてきたものが伝わるのでしょうか。
私はむしろこれまでオーラソーマの授業を受けてきて感動したものは色そのものにまつわる授業よりもその周辺の“私たちの魂が本来あるべき場所を志向しているがゆえにこういう事が起こっているのだ”ということがわかる授業の部分のほうが好きでした。
いやもともと「カラーセラピー」なんだから、といったって色のメッセージだけを携えたプラクティショナーがワンダフルなセッションができるとは思えないんですけど。
そして自分たちが勝手に変えたシステムについてこれないなら、ついてくる気になったところで
「1からやり直して」
って冷たい態度だな~ って思います。
それを「冷たい」だの「もうついていく気なくなった」という人はついてこなくて結構、と思えるからこその制度だよね? と私には見えるわけです。
少なくとも日本でのオーラソーマ人口は減るだろうな~と初めて実感したことでした。
私も今回はアップデートに参加することにしましたが、来年以降はわからない・・
そして「新システム移行後のプラクティショナー」と名乗るより、「元ティーチャー」「元プラクティショナー」という名乗り方のほうが自分にとっては誇りに思えるわ、という私がいるのでした。





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