ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

人生は自分で決める

2010-04-12 07:55:00 | テレビ番組

先日、テレビで「口コミで大人気の占い師たち」というような番組をやっていました。(タイトルはうろ覚えです。たぶん、間違ってます・・)

私は占いが大好き!というタイプではありませんが、ある意味、占いはオーラソーマのライバルです(笑)

自分が今後どうなるんだろう・・?とか、このことにどう対処したらいいんだろう・・?と悩んでいるとき、「タロット行こうかな、占星術でみてもらおうかな、それともオーラソーマ行こうかな」と同列のなかで人が迷うことになるのは道理だからです。

というわけで、番組をどれどれと興味本位で見ました。

見ていて、いろいろと考えさせられることがありました。


番組の冒頭で、ある重い病を患っている女性が、「これから結婚して子供も産みたいのだが、こんな私でも子どもを産めるでしょうか?」という悩みを抱えて四柱推命の有名な先生のところへやってきました。

そこで、占い師は一言、「大丈夫、産めるよ。」と太鼓判。

「えっ! ほんとですか?」とぱっと顔が輝く相談者。


この瞬間私は、「あぁ、うらやましいな~ いいな~ 占いだと言い切れちゃって。」と思いました。

四柱推命とは東洋版占星術のようなものです。生年月日などから星めぐりをみます。

それからいったら、その女性の何歳かぐらいの星めぐりのときに「新たな生命」を示すような漢字が浮かび上がったのでしょうね。


オーラソーマは占いではなく、あくまでクライアントの心のなかを照らし出すものですから、せいぜい「あ~、このピンクをそう解釈すればいいのか。あなた自身は赤ちゃん、欲しいな~と思っていますよね。」ということが言えるだけです。

それだと、「自分じゃなくって、もっと天からの啓示のようなもので、大丈夫!って御墨つきがほしいのよ。」という人を納得させてあげることはできません。

いくらヴィッキーが言うように

「未来のことはその角を曲がるまで誰にもわからない。」がそのとおりだと思っても、そして、

「最高の教師はあなたの内にいるのです。」がごもっとも、とわかってはいても、迷ったとき、悩んだときは自分を教師とするのではなく、誰かに頼りたい、誰かからの言葉で勇気付けられたい、と思うのもまた人間の心理として責めることはできませんでしょう。

そういう意味で、あ~、うらやましい、そのときはそう思いつつ見ていました。

第一、先ほどの「私って、こども授かるでしょうか?」というような単純な問いかけになら、まさに宿命を読み解くことが出来る占星術やら四柱推命やらならお手の物であって、特に有名でよく当たると評判の占い師でなくとも、ちょっとかじった人であれば誰だって答えることができるものでしょう。

でも、「できますよ」とか「無理ですね」とか二者択一のはっきりとした答えを必要とするものに、まさにビシッと答えられることができること自体がうらやましいと思ったのです。

そして、数々の占い師が実際の相談者、芸能人の誰それさんがためしてみました、という形で紹介されていきました。

そのなかに沖縄のユタの方がみえました。

この方の鑑定はすごかった。

この方は、相談者に「名前、生年月日、家族構成」を聞くだけです。

「見える」人なのか、「聞くことが出来る」人なのか、「感じる」のかなんでそんなことがわかるのか全く一般人にはわかりませんが、とにかくビシバシ言い当てちゃうんです。

この方をひいきにしている相談者は全国にあまたいらっしゃるようで、ある人などは、「もぅお、何をするにもこの方の意見を聞きに行きます。彼の意見を聞かないことには、動けない。」っておっしゃるくらいでした。

あるシングルマザーが「こどもために私は再婚したほうがいいでしょうか?」という質問を引っさげて現れました。

「今の彼氏とはやめたほうがいいね。ずっとお友だちでいなさい。」とアドバイスしたあと、「あなた、複数の男性がいるように見えるんだけど・・」と言いました。

えっ、とちょっと言いよどんだあと、そのシングルマザーは、「実は、元旦那が復縁してくれ、って最近すごいんです。こどものためにはやっぱり本当のお父さんがいいのかな~なんてことも考え始めて・・」と打ち明けました。

ユタはこれも「ダメだね。この男は金にパッパラパーだから、また同じことの繰り返しになるだけ。」とバッサリ。

「ありがとうございました。」と帰ろうとするシングルマザーに何かを感じたのか、「アッ、ちょっと待って。あなたのお姉さんを呼んできてくれる?」と言いました。

彼女は、いま自分の幼い息子と自分の実の姉との3人暮らしで、息子の面倒をお姉ちゃんもよくみてくれる、と話していました。


2時間後、お姉さん、登場。

そうしたら、ユタはいきなり、「で、やっぱり、沖縄を出て行こうと思ってるの?」とたずねました。

えっ! どうしてそんなことわかるんですか!?と絶句する姉。

「実は・・ 3月にも出て行こうとしてたんですよね。それも妹たちには旅行、って言ってそのままいなくなろうと思ってた。やっぱり私がいることで妹は頼っちゃってるからいつまでたっても自立できない気がして・・」と言いました。

これに対してユタは、「今、出て行っちゃダメ。今そんな出て行き方をしたら、妹さんはお姉さんに裏切られた、って思って傷つくよ。そしてなにより、妹の息子さんが傷つくよね。あなたのことを本当に好きだから。今、あなたは家族のなかで父親の役割をしているから。出て行くなら、本当にふたりからお姉さん行ってらっしゃ~い!って明るく送り出してもらえるようにしなさい。そうなるまではまだ当分、出ていってはいけません。」と言いました。

どこまでが個人的なアドバイスなのか、どこまでが天の言葉を通訳しているのかわかりませんでした。

このお姉さんは、いきなり「沖縄を出て行こうとしていた」ことを言い当てられたこともあり、のっけからもうこのユタの言うことはすべて信じるしかない、というポジションに置かれました。

だから、多分、このお姉さんはこのユタの言うとおり、当分、沖縄を出て行くのは取りやめることでしょう。

ここまで見た瞬間、ふぅむ、やっぱり私は占い、うらやましくない・・と思いました。

こんな人生決められちゃうようなこと言われて、そいでもって、そのとおりにしなかったら確実にその方が悪いことあるよ~みたいなカードチラつかせられて、私なら反発感じながらも、「てやんでぇ! 自分の人生、自分で決めらぁ。ほっといておくんな。」というほどの度胸もなく・・・ 言われたとおりにしながらも悶々としたものが残る・・・ と言うことになりそうだ、と思ったからです。

そもそも「自分の人生、自分で決めますから。」という人ならば、占いなどには行かないでしょう。

最初にこのユタの絶大なる支援者って方が「もう、何をするにもこの方に聞かないと動けません。」と言っていたのが、象徴的です。

その支援者の方はもちろん、そのユタがいかに当たる人か、ということを訴えかけるためにそう言ったのですが、自分の人生下駄あずけちゃって、その人に何かいちいち指示してもらわないと動けない、なんてちょっとぞっとしませんか。

みんな、どこか迷いがあるからそこを一押ししてほしい気持ちがあって、行く。

でもそこで自分が密かに決めていた方向と同じことを占い師から言われたら、まさに最後の一押しとなって意気揚々だけれど、違うことを言われたとき、素直にはい、そうですか、とその占い師の言うとおりにできるだろうか、と思うと揺らぐよねぇ。

占い師の言うとおりにしても後悔が残るような気がするし、かといって、蹴散らしてやっぱり自分の思うとおりの方にするという度胸もないし、で。

このあと、このユタのところには、芸能人の山本モナさんが体験でみてもらいました。

すると彼女を眼にしたとたん、このユタは、山本モナさんが実は「占いなんて信じないわ。」という考えの持ち主であることを見抜いたのです。

だから最初に、「私の言うことはあくまでアドバイスだからね。」と、“決めるのはあくまで自分なのだから、アドバイスとして聞くだけ聞けばいいのだよ”ということを念を押したのです。

この眼力にまた舌を巻きながらも、私は、ちょっとまた何かのパズルが合わないような違和感を感じていました。

ほどなく、それに気づきました。

それは、このユタが「私の言うことはあくまでアドバイスとして聞けばいいのだから。あなたの人生はあなたの人生として自分で決めればいいのだから。」と言いながら、それまでの相談者に対する口調がすべて、「今、こうしたらダメ。」と言うような非常に断定的なものであったことに対して、言ってることとやってることが違うじゃん、という気持ちになったためでした。

本当に心の底から「私の言うことはあくまでアドバイスですよ。」というスタンスに立ってやっているのなら、「私のみる限り、今はこうしないほうがよさそうだ、とは出ているけれど、まぁ、決めるのはあなたですよ。」という言い方をしてもよさそうなものだけれど、鑑定中はいっさいそんな言い方をするところはなかった。

「ダメ」とまで言われたら、誰でもそれを押してもそうしたときには、なんかたたりでもあるんだろうか、ぐらいびびっちゃいますよねぇ。

でも、よく当たる占い師とは、ぐずぐずといろんなエクスキューズの言葉をつけていたりしたらいけないんでしょうね。すべて大根を切るようにいさぎよく、ズバッ、ズバッといかないと。

こういうことを思ったら、クライアントの人生を左右するようになるかもしれないこと、私はとても言い切れないわ、と思い、占いでなくてよかった、オーラソーマで、と思ったのでした。

しかし、そう思ったのもつかのま、また私のなかには1つの別の側面の考えが頭をもたげました。

それは“沖縄のユタ”という歴史についてです。

沖縄のその前の琉球王国の時代には、国がシャーマン(巫女)の存在を公的な神事、祭事をつかさどる者として制定していました。

いわば、国家公務員です。

シャーマンが国家公務員であるのに対して、ユタは民間の自営業でした。

しかし、自ら「ユタを職業にしよーっと」と思ってなる、というものではなく、大きな事故にあったり、身内の死に遭ったりなどをきっかけに自らが大病を患ったようなさまざまな症状に見舞われ、それから立ち直ると不思議な能力を授かっていました、というものらしい。

そうすると、周りもその人のことを「ユタになるべく運命づけられた人なのだ。」という眼で見るし、その能力を今度は人のために使ってやってくだされ、と祀り上げられるので、ユタの人の多くは、「好きでなったわけではない。」ということが多いそうです。

だからこそか、ユタは単なる霊能力者ではなく、信仰上、自らを神と人間の介在者と位置づけており、「神人(かみんちゅ)」と呼ばれます。

そう呼ばれるのには、ユタが人身を惑わすとして迫害された悲しい歴史のために「ユタ」というだけで、ちょっと蔑んだような意味合いがあるからだとか。

だから私は蔑んでなんていませんよ、という意思表示のために「神人」と呼ぶこともあるんだそうです。


だけど、昔のほうが本当に「ユタは神のメッセージを伝えてくれる人だ。神の人だ。」という意識は強かったでしょうね。

神の伝達者というならモハメッドも同じですものね。

本当にそう信じるがゆえにまた畏怖する気持ちも生まれ、そんな人々の弱みにつけこんで悪徳商売する偽ユタもあらわれ・・・って感じなんでしょうね。


しかし、神の使いという人の言うことを信じ、恐れにも似た畏怖を抱く、というのは信心深い人であればより当たり前のことです。

そして、そういう人は(うぅん、人、というより村ごとそんな感じだったんでしょうね。)、当たり前のこととして、ユタの言われたとおりに物事を決め、生活していたのだと思います。

そこに「ふん、何言ってるんだい。まぁ、一応アドバイスとしては聞いておくけれど、決めるのはあたしだからね。決してそのとおりにするかどうかはわかんないよ。」という人がいたでしょうか。

「昔のことだから・・」「文明が発達していない田舎でのことだよ。」で済ませてしまうのは簡単なことかもしれませんが、神の御託宣を信じてユタの言うとおりに生活する人たちのことを、“自分の人生、自分で決めずに生活している精神的に未発達、未開発の人たち”と決め付けることは、はたして正しいのでしょうか?

ふとそんな気が沸き起こったのです。

これはもう、どちらが正しいとか間違っている、という話ではない、というのがひとまずの私の内での落ち着きどころです。

占いのことを「当たるも八卦、当たらぬも八卦、自分の人生は自分で決めるのだ。」という言い方は一見正しいようですが、そのなかには「占いで出た結果の通りにするということは情けないことだ。自分の意志がないも同然だ。」という意味が隠れています。

占いで出た結果の通りにする、という人は、「占いで出た結果の通りにする」という決断をしたわけですから、決して自分の人生、自分で決めていない、というわけではないわけですよね。

それより、「どれだけ自分の居住まいをちゃんと正して生きていくか」ということが大切なんだろうな、という気がしました。




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