ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ユダヤ人大富豪の教え

2010-04-05 07:56:00 | 本と雑誌

皆さんは、「お金」についてどんな思いを抱いていますか?

「そりゃあ、あったにこしたことはないよねぇ。」と小さめに、にやにや、ですか?

それとも「はい! お金持ちになりたい!」ですか?

はたまた「いいえ、今ぐらいの生活に困らない程度のお金があれば満足です。あまり多くのお金を持つことは人間を狂わせることになると思います。実際、3億円の宝くじに当たった人で人生狂わされちゃったって人、いらっしゃいますでしょ? あんなになるくらいなら私はどれだけ向こうからお金を上げるといっても断固として今の自分なりの生活を維持します。」でしょうか。


私は最初の「あったにこしたことはない。」派かなぁ。

「お金持ちになりたい!」はどうもお金以外のことをないがしろにして、お金さえあればいい、というように金の亡者になってでもお金を荒稼ぎしたい、かのような言い方に聞こえて抵抗がある。

3番目の「向こうからあげるといっても結構です。」というのも、そりゃあ確かに宝くじに当たった人が人生狂っちゃうことがある、って話は耳にしたことがあるけれど、向こうからあげる、って言ってるのを拒否できるほどの精神力も持ち合わせてません・・・

となると、「あったにこしたことはない」程度の思い方では、先日「平凡に暮らしたいが若者の目標なのか!平凡を望めば、それ以下の生活にしかならないぞ。」と渇を入れたのと同様に、「あったにこしたことないを望むなら、きっとそれ以下にしかならないだろうなぁ。」とおぼろげながら結末が見えているような気がしてなんだかそれも納得できないような気がしていました。

ヨガの先生があるとき、こんな話をしてくれました。

なんでそんな話になったのかは忘れましたが、先生はあるとき、すごくお金持ちの女性に「家に遊びにいらっしゃい」と誘われたそうです。

その方はすごく気難しくて、自ら人との間には塀を立てているようなところがあって、あまり友人はいなさそう、ということでした。

それもきっとお金があるがゆえにヘタに友人を増やせない、というところがありそうだったようです。

先生は喜んで出かけられました。

まずいわれたとおり最寄りの駅に降り立つと、リムジンが迎えに来ていて、そのリムジンは運転席のフロントガラス以外、すべて内側からカーテンが覆われていたそうです。

たぶん、家がどこにあるのか、具体的にはわからないようにするために。

そして家に着くと、それはそれは高台の豪奢な家で、玄関だけでわたし、生活できますわ、というようなシロモノだったそうです。

お風呂にはプラネタリウムが埋め込まれ、ミストサウナがついていて、「好きなだけゆっくりして」と言われた先生は、3時間ぐらいバスタイムを楽しんじゃったそうです。

そしてあるとき先生はその方に相談の電話を受けました。

「・・あのさぁ。さすがに今月わたし、おこづかい使いすぎたと思うんだ。人としてこれ、どう思う?」と言われたそうです。

「何を買ったんですか?」と聞いても、

「それはちょっと言えない。」との返事。

「じゃあ、いくら使ったんですか?」と尋ねたら、

「3億。」


わたくし、この話を聞いたとき、思わず、「えっと、ウォンとかドンとか元とかペソとかじゃなくて、あの、円としての3億?」と聞いちゃいましたもんねぇ。

はぁ~。

金持ちってのは、どこまでも金持ちがいるもんですねぇ。

「ちょっと使いすぎちゃった」っていうのが、「今月のお小遣い」の額ですよ?

一生の買い物じゃないんだから。(私にゃ、一生の買い物でもびっくら、って額ですけれどもね。)

でもこの話の最後にヨガの先生は、

「ま、だけど、何が幸せかはわからないけどね。」と結ばれました。

このとき、ふと私の心に「あぁ、私って人間は『お金にはとらわれるもんか』とか『お金のために生きてるわけじゃない。』と言いながら、邪念いっぱいだなぁ。」という思いが立ち登りました。

だって、こんなお金持ちの人の家に招かれたりしたら、わたしならどう振舞っていいかわからずに萎縮しちゃうね、きっと。

それで、3億のお小遣いの話を聞いてもどう答えていいかわからずに右往左往するだけだろうし、そうでいながら、心の中のどこかでは「いいなぁ。あるところにはあるんだなぁ。うらやましいなぁ。ちっとはこっちに廻ってこないかなぁ。」なんてあつかましいことを考えていそうです。

とても先生のように「ま、何が幸せかはわからないけどね。」なんて達観し、あの人はあの人、私は私、って言うふうには超然とはしていられないでしょう。

全然お金についての考え方が1本筋が通ってないなぁ、わたし・・・と思っていたそんな矢先、1冊の本に出会ったのです。

それは、「ユダヤ人大富豪の教え」という本です。

以前にも「ハウツー本」は嫌いだ、とどこかで書いたように、このストレートなタイトルといい、ハウツー本の体裁といい、本屋さんで見つけたなら、絶対手に取ることも買うこともなかった本でしょう。


しかし、これが「七田右脳開発」からくるメルマガのなかで、「ハウツー本としてではなく、人間味あふれるすごく良い本だ。」と大絶賛されていたので、ちょっと興味を持ちました。

それでアマゾンで探してみると、表紙には「お金の話なのに泣けた!」とあるではありませんか。

ふぅん、とますます興味を持ち、買うことにしました。

読み終わり、私は泣けはしませんでしたが、確かに良い本でした。

これは著者の本田健氏が、まだ若かりし20歳の頃、単身武者修行でアメリカにわたったときにひょんなことからであったユダヤ人の大富豪のおじいさんが彼に語ってくれた話で、本の第1章、第2章という進行は、大富豪の家に泊まりこみでそのノウハウを教えてもらうことになった本田青年が、大富豪から金持ちになるための手ほどきを受けるかたちで進んでいきます。

そのなかでも特に、私が長年疑問に思っていたことで疑問が氷解したことがありました。

大富豪が初日にいきなり本田青年にこう問いかけるのです。

「君は、一生懸命頑張れば金持ちになれると思うかい?」

本田青年は、「はい、頑張れば何とか道は開けると思います。」と答えます。

すると、大富豪は続けてこう尋ねます。

「では、世の中には同じ年齢でも、年に500万稼ぐ人間と、5000万円稼ぐ人間と、5億円稼ぐ人間がいるね。5億円稼ぐ人間が500万円の人間の100倍働いたと思うかね?」と。

そういわれて本田青年は、「はぁ、それは無理でしょう。」とテンション下がりつつ答えます。


そりゃあ、そうですよね。

1日は誰にとっても24時間。

500万の人間だって8時間働いているとしたら、5億円の人間は800時間働かなければならないことになってしまいます。


大富豪はこう続けます。

「まず間違いないが、年収500万円の人間がいちばん忙しくて、一生懸命毎日頑張っているだろう。そして年収5億円の人間は自分のビジネスを所有していて、年収5000万円の連中を経営者に迎え入れている。そして5000万円稼ぐ経営者は、職を求めてやってきた年収500万円の連中を従業員として雇ってビジネスを切り盛りしているのだ。」

・・・道理ですわね。


でもここで、「だから5000万や5億円稼ぐ人間は、汚いのだ。さほど労をせずに多額に搾取している。」と卑屈な考えを抱くのか、「そこには必ず納得できる宇宙の法則が存在するはずだ。それは何だろう?」と考えるのでは雲泥の差が生じると思います。

前者の人間は、きっと何に対しても不満を抱き、「こうなってしまったのも社会が悪い。政治が悪い。」と自分以外のところに怒りをぶつけ愚痴グチ言うだけで人生終わってしまうことでしょう。

後者の人間には、いつか真理に達するかもしれない光明があると思います。

私は、ここの「何だろう?」で長年踏みとどまってしまっていた、と思いました。

皆さんも気になりますよね~

それはーーーーーーーーーーーーーーー

あーーーーーーーーっ!!

長くなってしまった。

これ以降は明日にします。

卑怯だって?

ふんふん、そうかもしれない。

私も、数少ない読者を惹きつけるのに多少の策は弄するのですよ。ぐふっ。

私がせっかくの皆さんのなかで消化して考える時間を奪ってしまってはいけませんからね。

1日あるなかで、是非、皆さんもいま一度、ユダヤ人の大富豪からの問いかけの答えを考えてみてください。




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