ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

イノチのプレゼント

2010-04-02 08:04:00 | 身辺雑事

拙ブログに時々コメントを下さり、ボトルも購入してくださったぺーこさんが、ボトルを送った際に手紙を下さり、さらにその中に小さな絵本をプレゼントしてくださいました。

思いがけないプレゼントに最初は、「あれ? なにかな?」とその手紙の厚みに戸惑いました。


Photo それは、まさにオーラソーマチックな「にじいろのキモチ」と言うタイトルの白い猫ちゃんが、それぞれの色に対して想う気持ちを綴ったものです。

ぺーこさんは、私の古いブログで、かつて飼っていた猫の花奴が老齢のため天国に逝ったときのものを読んでくださって、「これは、花奴の些々羅さんに対するキモチだと思って、プレゼントします。」と言う意味のことが書かれたカードを添えてくださいました。

Photo_2 「パープルの夜はちょっとせつないけれど、君を想う時間をくれる」

もうこれだけで涙があふれて止まらない、というおバカな私です。

花奴を亡くしたときは、なぜかそれほど泣けませんでした。

それまでは花奴が死んだら、とても耐えられなくて1週間は会社を休まなくてはならないだろうな、と思っていたほどでした。

でも実際には、「もうこれ以上頑張らなくてもいいんだよ。」というくらい最期は苦しそうに息をする花奴の様子を見て、亡くなっても悲しみよりもほっとした、という気持ちもあってか、それほど泣きはしませんでした。

亡くなった当日さえ、「あ、すいません。ちょっと猫を火葬場まで連れて行かなくてはならないんで、少し遅れます。」と会社に連絡を入れただけで、実際に火葬場に連れて行ってすぐそれから出社し、結局1日も休みませんでした。

「あれ? 今日遅いね。どうしたの?」という事情を知らない取引先の人に対しても、

「あぁ、ちょっと飼い猫が死んだものですから、バタバタしてて。」とそのままのことを笑って話していたくらいでした。

一度、一番泣くべきタイミングを外すと人間、あとはそれほど泣けないものですね。

それからも、なんだか気持ちよく泣く、ということなく日々は過ぎていったのでした。


でも、この「にじいろのキモチ」を頂いて、最初のページから、さんざ泣いて、泣いて、「花奴に会いたい」とつぶやいてまた泣いて・・・

そんな泣いている私を不審に感じて、なんだか精神的に動揺をきたしてしまったような表情にみえる「ちゃわんて」を見ては、いけない、いけない、今ここに「ちゃわんて」が居るにもかかわらず、泣いてはいけない、と言い聞かせて泣くのを我慢して喉がつまりそうになり・・

目の前にいる命に眼を向けず、死んだものを想って泣くなんて・・と。

泣くのはいつでもできるんだから、今は「ちゃわんて」を思いっきり可愛がってやらなくちゃ、と思ってみたり。


でも、とふと思う。

やっぱり、「泣くことなんていつでもできる」ってわけでもないんだよな、今、“心が動いている”んだから、その感情を大切にしたい、という気持ち。

あのときだって、会社に行って、なんだか泣くタイミングを逃してしまったんだから。

もし人に、動物に、限りのない永遠の命があったとしたら、こんなにも心が動く、ということがあるんだろうか、と思ってみたりする。

花奴がどんなに可愛い仕草をしても、「あぁ、こんなことぐらい、これからずっと永遠にある命、また見られるでしょ。」と思って感動しなかったかもしれない。

私の言葉を覚えて反応する様子を見ても、「まだまだこれからいくらでも覚えていくんだって。」と思ってそんなことぐらいなんとも思わなかったかもしれない。


小さかった花奴が、大きくなって立派なホワイトライオンのような毛並みと気品を漂わせるようになったときの誇りあるたたずまい、そんな花奴がだんだん老いていって、なんだかふわっとしていた毛並みがぺしゃっとしてきて、だから余計にやせてみすぼらしく見え始めても、背骨が少し曲がり始めても、そんな年月がまた愛おしかったあの頃・・・

それらは全部、時間の経過というものがあってこその想いだった。

天使には「愛」の気持ちしかない、と言います。

それを素晴らしいことで、うらやましいとも思っていましたが、喜怒哀楽がないということは本当に幸せなんだろうか、と思いました。

幸せの価値って、喜びや愛だけの感情しかなくてわかるものだろうか。

今の私は、「もう一度生まれ変わるとしたら、天使と人間とどちらかを選べますが、おまえはどっちがいい?」と聞かれたら、「やはり、もう一度人間で。」と答えます。

そんな私の様子を天界から天使たちが眺めていて、

「ばっかだなぁ。みすみすのチャンスを逃しちゃって。あんな苦しいことが多い人間界の何がいいんだろうねぇ。」

「いやいや、彼女はこちらの良さを知らないから、ああいう発言がでるんだよ。こちらの世界に居たときの記憶があったら、もう二度と人間界に行きたいなんて思わないはずだって。」

なぁ~んて、会話してるんでしょうね。


それぞれがそれぞれの立つところを一番よし、として生きている。

まぁ、それでいいし、だからこそこの世界に生まれてきた意味も価値もある、と思います。

こんなことをつらつらと考えることができたのも、ぺーこさんの心あたたまるプレゼントのおかげでした。

命のことを考え、自分がこの世に生きている意味も考え、まさに命のプレゼントでした。

ぺーこさんからは、その後、こんなプレゼントもいただいたんです。

Photo_3 ぞーさんのタオルハンカチ。

私が「私のパワアニちゃん」というブログをupしたとき、ぺーこさんが、「自宅はパソコンが使える環境にない」ということをコメント欄に書き込んでくれていたのを思い出して、ナレーションを起こして差し上げたら、そのお礼に、とくださいました。

ぞーさんは私のパワアニちゃんです。


「ぞーさんモチーフってめずらしいと思って。最後の1枚だったし。」とぺーこさん。

Photo_4 タグには「zoo-to-issyo」とあります。

このタグを見てなんだかまた泣けてきてしまったわたし。

zoo-to-issyo」というのは、文字通り「zoo」つまり動物園にいるいろんな動物をモチーフにしましたよ、ということと、「ずっと一緒」の掛け言葉になっているのでしょう。

「些々羅さんが、パワアニちゃんとずっと一緒にいられますように」というメッセージの温かさに思わず嬉し泣き、って感じだったのです。


プレゼントそのものも嬉しいですけれど、何かを見つけたとき、見かけたとき、「あ、これあの人にあげたらピッタリだな。」

「あの人にあげたいな。」と思ってもらうシーンに私が登場したのだ、と思うことが何より嬉しい。

一粒で二度おいしい、じゃないですが、1つのプレゼントには2つも3つもそんなシーンがあって、結果、それがこれなんだ、とおもうとき、ほんとに嬉しくて胸がつまりそうになります。

そういえば、先日、TVで、セロトニンについての知識をやっていて、ほぉ!と思ったことがありました。

セロトニンとは、脳内に存在する、人間にやすらぎをもたらす物質です。

これが極端に減ると人はうつ病になります。

だから、うつ病の人は、セロトニンの錠剤を処方されるはずです。

セロトニンとは、食べ物から摂取できないので、こうして薬で摂るしかないのです。

ここまでは知っていました。

じゃあ、どうすれば脳内のセロトニンを増やすことが出来るの?

これについてこのときの番組では、

「簡単な方法があります。それは感動の涙を流すことです。」

と紹介していたのです。

実際に番組では被験者にかつて自分がもっとも感動した、というお話をDVDで持ってきてもらって、それを見て思う存分泣いていただく。

そして実験前、実験後でセロトニン物質の量を測定する、ということをやっていました。

持ち込まれたDVDのタイトルを見て、これは・・ もはや、ノアの箱舟をしても涙の大洪水となり、船は転覆してしまうのでは、という数々の作品が集まってきていました。

「母を訪ねて三千里」のような古くからの名作から、最近の韓流の涙なくしてはみられないドラマまで。


ちなみに余談ですが、私の生涯で一番最初に出会った涙、涙の作品は、といえば「安寿と厨子王」です。

今は・・ ここずっと「火垂るの墓」かなぁ・・・

あれ、終戦の時期になると毎年必ずTVでやるんだもの。

観たら必ず泣くってわかってても観ちゃうんだよなぁ。

んでもって、もう話がわかってるだけに、最初の幸せな頃の妹が無邪気に「あたし、お造りが食べたい」なんて言うところで泣いちゃう。

あとは、もう、動物ものがたいていダメ。

こちらは観ることさえできない。

この前なんて、「犬とわたしの11の約束」って映画のDVDが発売になりました、ってCM見ただけで、ダーリンと大泣きだよ。

話がそれましたが、被験者たちはやはりDVDを観る前と観た後とでは、セロトニンの量が大幅に増えていたのです。

この「セロトニンを増やすには感動の涙を流せばいい」という話が私には眼からうろこでした。

感動の涙は肉体の疲れさえ多少のことならふっとばす力があるそうです。

オーラソーマでも、「浄化の涙は我慢せずにどんどん出してよい。」とよく言いますが、その秘密がわかりました。

たんにすっきりする、ということ以上に物理的なこんな効果があったんですね。

だったらうつ病の人にもセロトニンの錠剤を処方するより、感動のDVDを渡したほうがよっぽどいいんじゃないのかしら?

まぁ、うつ病にはいろんな段階があるから、今にも突発的に死んでしまう可能性のある人や、何をやるのもまったく無気力で手がつかない、という重症の人にはちょっとショック療法すぎていけないのかもしれないけれど、ちょっと治ってきたときにはどうなんだろう?

ここ数日で私の脳内セロトニンはめちゃめちゃ増えていると思います。

だから、大量に泣いたけど、心の芯はどこか静謐で穏やかです。

んでもって、多少の睡眠不足もものともしていません。

皆さんも、誰か気になっている人にサプライズなイノチのプレゼントをして、セロトニンの輪を広げませんか?

この場をお借りして、改めてぺーこさん、ほんとにありがとうございました。




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