ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

花泥棒に見舞われて

2009年05月27日 | 随筆・短歌
 我が家は市道に面していて、私道との角地に当たります。市道に面した塀にハの字形の広めの階段を二段上がって門が有りますが、門扉はありません。階段の左側を門の近くまでの長さに区切って、アプローチと同じ高さに小さな花壇をしつらえて貰って、以来四季折々に何種類かの花を好みに植えて楽しんで来ました。
 又、玄関までのアプローチがやや長く広いので、右側にプランターを一列に幾つか並べて、いずれも四季折々の花を植えて、楽しんでいます。松や白蓮、モッコクなどの木々とさつきと庭石等といった前庭植栽の色取りとして、プランターは毎日水をやったり花殻を摘んだりする楽しみがあって、私の生き甲斐の一つになっています。
 ところがこの玄関前の植え込みの花とプランターの花がしばしば盗まれるのです。どうしてこのような事をするの人がいるのでしょうか。一寸高価な花苗の場合、盗まれる事が多く、何時でしたかクロトンを植え込みの色取りに植えましたら、三日目には消えていました。
 冬は植え込みもプランターも花甘藍一色にして、様々な形と色を楽しもうと、花卉センターへ出かけて買って来るのですが、ある年などは一夜の内に全部根毎抜き取られて消えていました。可成り量が多いので、個人の家庭で植えて楽しむには多すぎる量ですし、もしそうしているとしたら、他所の庭から盗んで来た花を美しいと観賞出来るものなのでしょうか。正常な罪悪感を持っていたら、そんな感情等持てる筈はありません。
 そう思うと、どうも商売をしている人が、丈夫でよく育っている苗を持って行っているとしか思えないのです。ご近所の方達も同じ被害にあっていて、同一犯と思われますが、門の前なら未だしも、いくら門扉が無いと言ってもずっと玄関奥迄入ってきて持って行かれると、薄気味悪い思いもします。何とも情けない時代になったものと暗澹たる気持ちになってきます。
 所でそろそろ歳を取って、門の前の植え込みに手が掛かりすぎますし、万一病人でも出て手入れが出来ないような状態になっても困らないようにする為に、門の前の植え込みを払い石を一つ置いてはどうか、と言うことになりました。植え込みは丁度大きめな石を一つ置けばそれで形が取れそうに思えました。
 以来思いついたように庭園専門の石屋さんに行っては、主に青い石を見て回っていたのですが、丁度手頃な伊予青石を見つけて、これを持ってきて置いて貰いました。
 白い砂利を敷いた上に石はピッタリとはまってけっこう気に入る形になって喜んでいます。砂利では草が生えて来ないか心配しましたが、今は下敷きに良い材料があって、排水も良く草も生えないと聞いて安心しました。
 庶民のささやかな楽しみを、僅かな空間が叶えてくれています。流石の花泥棒もこれではどうにもならないでしょう。
 右隣も左隣もお花好きのご家庭で、玄関先は花で一杯です。花の咲く家、花の香る路地花に彩られた街、花は常に人間の心を和ませてくれています。



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