ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

エコノミストと経済予測

2014年11月22日 | 随筆・短歌
 この度消費税を10%に引き上げるかどうかについて、GDPの指標が問題になりました。驚いたことに、24人のエコノミストの内、23人がGDPの値が2%以上プラスになると予測したそうです。実際は、マイナス1.6%でした。
 経済学と全く無縁の私は、「マイナス成長になる」と言っていましたし、家族もそう予想していたのです。私は毎日買い物をしていますから、物価が上がっているか否かは肌で、ひしひしと感じています。しかし、私以上に一般の主婦の方達は、良く勉強していて、スーパーでは、遅く買い物に出掛けると、その日の目玉商品は売り切れています。新聞折り込みのチラシに書いて無いものでも、値頃感のあるものは、次々と買われていきます。皆さんの熱心さに、私はとても追いついて行けません。 次々と物価が上がり、一時野菜がとても高くなって、葉物は買えないような価格になりました。今はやっと落ち着いてきましたが、まだまだ高値が続いていますし、まるで便乗値上げのように次々と食料品が値上げしています。キュウリは必要な時に一本で買う(纏めて買うと冷蔵庫で一番先に腐るのはキュウリです)、ジャガイモやタマネギ等、比較的季節により価格が左右されないものや、近海魚や冷凍魚、などを買って、料理の仕方や味を工夫するようにしています。
 地方都市に住む私達がこんな状態で購買力が落ち、中小企業も苦労していると聞けば、GDPはマイナスに決まっています。何故エコノミストの方達がそれを読めなかったのか、驚きだったのです。
 しかし、マイナス成長には多分れっきとした原因があったのでしょう。私は、経済学は、数学だと聞いては居ますが、どう計算しておられるのか、知りません。しかし、経済を左右しているのは、生きて居る人間であることを、忘れてはいないでしょうか。人間の心理は、どういう時にどう感じ、その結果どう行動するか、そこをおろそかにして、高度の数式を駆使しても、それは所詮温かい血や心を持たない乾燥した概念に過ぎないのではないでしょうか。
 加えて選ばれたエコノミストの方達は、お金持ちであまり日常生活の実情に詳しくないのでしょう。

 現在、家計を受け持っているのは主婦が多勢ですが、その内可成りの人は60歳以上の高齢者です。自分の先行きには、図り知れない介護費用があります。それをクリアするためには、どう生きて行かなければならないのかを、多分皆さん考えておられると思います。年金が減って、介護保険や医療保険が高くなり、税金が上がっていくとしたら、将来に不安を抱くのは当たり前です。 現在介護保険を掛けておられて、未だ介護を受けていない人が、自分の将来は今よりも良い介護を受けられるとは思えません。だとしたら、皆さんはどうするでしょう。働き盛りの人が将来年金を受け取るときに今ほど受け取れないとしたら、どうするでしょう。財布の紐を締めるしか無いのです。
 大企業は円安の恩恵を受けていて、多くの内部留保金を持っていますが、その殆どは、「株主の配当」になり、従業員の給料は上がらないと聞きました。何故かというと、社長や役員は自己の地位や立場を護る為に、株主に高い配当を支給しているからだと聞きました。今の時代お金を沢山持っていて、沢山の株を抱えている一部のお金持ちが、益々豊かになって、一般庶民との格差は開くばかりです。
 終身雇用から、何時でも首をきれるようにして、助かるのは誰でしょう。結婚も出来ない子供も産めない社会にしようとしているのは、誰でしょう。喩え子供を得ても、夫婦で一人の子供では、間もなく日本の人口は半減します。誰もが解っていることですが、みんな「今さえ良ければ後世はどうでも良い」と考えて居るとしたら、想像するだけで恐ろしいです。今ほどお金を稼げる人が偉くて、稼げない人は駄目だという風潮が浸透して来ている時代は無いのではないでしょうか。
 先日日本経済新聞にこんな記事が出ていました。ある経済学者が、大勢の学生を使って実験したところ、他人のためにお金を使うと幸福感を味わえるということが分かったそうです。経済学では人間の心理を数式にはめ込む事は難しいのでしょうね。経済経済と言い、みな何とか楽に暮らしたいと思っています。しかし、人間はいつも利己的に行動するわけではなく、他人のために何かをした際にも幸福を感じるということが分かったようで、まあ良かったです。 自分の為だけでなく他人の為に少ない食べ物や衣類などを分け合うとか、寄付をするということから来る幸せ感、これはお金を貯める満足度よりも大きく強いものであると信じたいです。
 仏教などでは何千年も前から分かって、それを延々と繋げてきていることであり、それを経済学はようやく理解したわけですね。
 経済は地球上の全ての人間が、皆幸せになるように考えて、正確なデータを示していかねばならない使命を持っているはずだと思っています。どうか、もっと人間の心をよく知り、それを計算の中に入れて予想して下さい。
 GDPの6割を占めるのが、個人消費だそうです。6割の数値を動かす消費者の心をもっともっと勉強して、人間の幸せに寄与するエコノミストであって欲しいと願っています。








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総選挙が近いとか

2014年11月12日 | 随筆・短歌
 過日私が住んでいる市で市長選挙がありました。推計学が進んで、出口調査をすれば、極端な場合、投票が締め切られて未だ一票も開票しないうちから、「○○氏当選確実」とテレビにテロップが、出たりするようになりました。勿論開票率0%です。それにしても、どうしてそんなに急いで発表しなければならないのかと疑問に思っています。
 このような場合の多くは、選挙民も結果がどう出るか、解っている場合が多いです。折角の選挙ですから、私達は必ず投票し、棄権したことがありません。決まっているのに、時間の無駄と思うこともありますが、矢張り権利を正しく行使するのが、国民の義務であると思って、ブツブツ言いながらも投票に出向いています。
 ところで何年か前に衆議院選挙の会場で、出口調査をしているマスコミがあり、夫が掴まりました。「私は誰に投票したなどと、人には言わないことにしていますので」と丁寧に断っていました。ところが相手は何を勘違いしたのか、それとも 断られた事に自尊心が傷つけられたのか、「これは法律的に違法ではないのですよ」とやや居丈高に言いました。「そんなことは解って居ますが、お断りしているのです」と夫も後へは引かず、振り切って帰って来ました。
 そんな想い出話をしながら今回も二人で出掛けましたら、何と先ず私が、続いて出て来た夫が掴まってしまいました。誰が見ても後期高齢者の夫婦の顔をしていますから、無理もないのでしょうが、鄭重にお断りさせて頂きました。どちらも「そうですか、失礼しました」とあっさり引き下がってくれました。不快な思いをさせないように気配りしていて好感がもてました。前回は公共放送で、この度は民放と新聞社だったと言うことに気付いて、矢張り末端の社員までも、立ち位置が違うのか、と思ってしまいました。
 私はどういう訳か、時折○○調査の対象になります。現在もある調査に当たったそうで、一週間に渡って日常生活の一端を記録しています。
 簡単なものは良いとして、一ヶ月の家計調査に当たった時はとても大変でした。毎日何にいくら支払ったか、入金はいくら有ったか、と書くのですから、生活の中身が全て晒されます。別に悪いことをしている訳でもなく、どうせ私達は年金暮らしですし、毎日家計簿をつけていますから、費目が異なる面倒さはありますが、二冊の家計簿つけを一ヶ月何とかやりおおせました。調査員の人には、感謝されましたが、日頃書き慣れない人には大変な作業だと思いました。
 10円100円と細かい計算が合わない場合は、普段は食費にして帳尻合わせをするのですが、調査は正確でないといけないと思い、徹底的に追求しましたので、時間を取られて大変でした。
 何人に一人というように住民基本台帳によって選んでいます。とありましたが高齢者には無理な場合もあるでしょうから、本当に無作為にに抽出しているのかしらと、疑問を禁じ得ません。
 ところで意識調査などや、内閣支持率は、電話調査と聞くと、それは正確でない気がします。なぜなら、現在の若者は固定電話を持っていません。調査員が電話している時間帯は、日中でしょうから、必然的に電話の相手は日中在宅している人に傾きます。 携帯電話やスマホの人はどうなっているのでしょう。夜中に働いている人はどうでしょうか。恐らく除外されているでしょう。とすれば、必然的に老人の比率が高くなっている筈です。田村秀「データの罠」(集英社新書)
 政治家は尤もらしいスローガンを高々と掲げますが、その殆どはスローガンだけで消えてゆく、一酔の夢であることは、みな知っています。私達はそのたびにがっかりしています。例えば「経済政策を第一に考えています」と言い、ある時は「拉致被害者の問題を第一にしています」と言うのを聞きます。その前に政権交代時の約束だった筈の、「議員定数削減の約束」、「一票の格差是正」なども在るはずですが、また頬被りする積もりでしょうか。
 大切な課題として、全てを言わず、都合の良い1、2について云うだけのことも多いです。それも出来るだけ希望が持てるようにやや誇大にいうとか、どちらとも取れる曖昧な表現に留めるとか、実に巧みに行われています。こっそり問題を隠してしまうこともあります。何を置いても先ずやらなければならない事をしないでいる、ということを、国民は忘れてはいけないのですが、人の噂も75日と言われる様に、忘れっぽいことも格言どおりのようです。選挙は私達国民が直接政治に関わるたった一つの手段ですが、後悔のないよう行使しましょう。投票率の低さは、その国民の民度や国家観を示す数値と言えそうです。

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