ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

草の根の歴史研究家達

2012年11月26日 | 随筆・短歌
 2012年11月19日の日本経済新聞の記事に、ふと心を奪われました。「道楽家たちの金字塔」と題した吉成勇氏の記事でした。アマチュアの歴史家が1959年以来発刊し続けた「歴史研究」という雑誌が今年4月号で600号を迎えたとありました。
 普段は別の職業を持つ人達が、それぞれ自分が興味を持った歴史を深く探求し、道楽の域を越えた研究成果を出しておられるということが解りました。
 途中で存続の危機に遭って、私財を投じたり、寄付をして下さる方も沢山あり、やがて会社組織にして現在に至ったとありました。登録会員数は1万6千人を超えたそうです。
 半世紀を超えて一つの地道な研究の雑誌を出し続けることは、容易に出来ることではありません。それだけ歴史に興味を持っている人だといえるでしょうし、編纂の苦労をいとわず、発刊し続けて来られた人の努力に頭が下がります。
 単に人の書いた歴史を読むだけではなく、自らが歴史を克明に調べていくということは、辛苦な仕事ですが、それだけに新しい発見のあった時は、喜びもひとしおなのだろうと、そうした経験の無い私は、その人たちの心境を察しています。
 中には、家に伝わる先祖の日記や、証文を綿密に調べた論考も多いそうです。私の実家の土蔵にも、古文書が沢山積み上げられていて、弟が編纂した菩提寺で調べた物故者名簿に依ると、享保元年(1767年)が最初の明確な記録になっています。私は相続者ではありませんので、去年家や土蔵を壊してしまった時に、古い記録がその後どうなったか知りません。以前少し古文書の読み方をNHKの通信教育で学びましたが、既に年を取っておりましたので中々覚えられず、とうとう初級を終えた程度で脱落してしまいました。もっと早く若いうちから勉強するのだったと、後悔しました。自分の家の古文書くらい、解読したかったと思ったのです。古い裁判の記録もあり、昔は小さな地主でしたから、戸別の小作米が記入された和紙の台帳も沢山ありました。手書きしたらしい英語の辞書もあって、学生時代によく土蔵に坐り込んで、面白そうなものに何時間も目を通していたものでかす。
 歴史学者の書く歴史を大樹の幹に喩えるなら、この人達は、その幹を支える細かい、しかししっかりと地に張った根と言えるでしょう。 
 私が学生であった頃は、戦後でろくに日本史も学べませんでした。母国の歴史にこんなに無知であってはいけないと、ずっと思い続けて来ました。それが後年NHKの生涯学習講座の日本史学習に繋がったのです。通信教育なので、リポート形式の試験があり、考察や簡単な調査研究もあって、中々面白かったです。
 図書館通いして調べたり、実際に現地へ赴いたり、今まで経験しなかった学習でした。義両親や実母の介護がなかったら、そして古文書が読めたら、やっぱり私ものめりこんでいたかも知れません。
 歴史小説家は、歴史を基に面白可笑しく纏めますので、時折事実から外れてしまうようです。例を挙げると、司馬史観と言われる歴史観が有名です。司馬遼太郎には、登場人物に対する好き嫌いがあり、好きか嫌いかで人物の描き方が異なり、その為史実とは異なっている場合があるようです。作家が小説を書く以上、これは仕方のないことですが、読者は史実として受け取ってしまいがちなので、なるべく正しい歴史観を後世に伝えて欲しいと思っています。
 私は自らが住んでいる日本の歴史を、余りにも知らなすぎることを恥ずかしく思い、退職してから必ず読もうと、十数冊に及ぶ「日本の歴史」の全巻を買い揃えました。ところが退職の頃には、時代が変わり、次々と新事実が掘り起こされて、学問的な歴史は、可成り書き換えられるようになっていました。その上文字も細かくて、とうとう読まないままに全巻捨ててしまいました。残されたのは、僅かな歴史書とNHKのテキスト数冊と文学史や美術誌、またその全集などで、実に恥ずかしい程度のものです。
 私の死後のことを考えて、不要と判断して捨てた書籍も沢山あり、今は、殆ど毎月通い詰めている図書館が頼りです。今回も「敵は本能寺にあり」で有名な明智光秀の反逆には、応援する多くの大名が居たという事実を掘り起こしたDVDを借りて来ました。
 歴史を学ぶことは、自分の生き方を考える上で大いに役立ちます。どの様な時に、人間はどの様に判断して、どの様な行動をするのか。そこから人間とは、どのような存在なのかを、手っ取り早く知る大変良い教材だと思うのです。古来から、人間の心は基本的には変わることなく、むしろ時代をさかのぼるほど、赤裸々な人間本来の姿が現れていて、興味が尽きません。
 自称「道楽歴史家」の皆さんが、埋もれた歴史を掘り起こして下されば、そこから又新しい歴史が開けていくことでしょう。想像しただけで胸がわくわくして来ます。
 私はこの奇特な皆さんのご活躍に、大いに感動し共感をもって、今後を期待しています。

シルバー向けの商品を

2012年11月17日 | 随筆・短歌
 日本人のうち65歳以上の人の占める割合が、昨年(2011年9月15日現在)に3374万人となり、初めて3000万人を越えました。勿論私もこの中の一人です。
 近年は、老人と云えどもおしゃれで、気力体力に満ちあふれて、一年のうちに何度も旅行に出かける人、コンサートや展覧会に良く行く人、スポーツに打ち込む人などが多くなりました。昔のように生涯働いたり、家に大家族で過ごす高齢者が少なくなって来たように思います。
 ですが、高齢者向けのおしゃれな衣類や、操作の簡単な機器などが店頭に置かれて居ないように思っています。今後10年もすれば、インターネット位出来ないと、生活に不便するのではないかと気になります。家に居て、本が買えるということがどれ程便利か、年をとって歩くことが出来にくくなった時、配達してくれる企業がどんなに助かるか・・・。
 近年近くの本屋さんが次々に廃業して、私は専らネットで本を買うようになりました。またバスで10分ほど行けばとても大きな本屋さんがありますので、今のところそこを利用します。でも往復バスに乗る時間や労力・費用を考えると、ネットで買った方がずっと安く確実に手に入ります。ぶらっと寄って、暫く沢山の本に囲まれる幸せや、思いがけない本を手に入れる楽しみも嬉しいですが、やはりネットは便利です。
 きっともう10年もすればネットなどで注文し、配達して貰う事が当たり前の時代になるのでしょうが、果たしてその恩恵に浴せる知識や技術を身に付けている人が、現時点でどのくらいいるのでしょう。映画も囲碁やその他のゲームも適度に機器で楽しめれば、老後の生活が充実します。
 やたらと不要な機能を組み込み、高価で操作しにくい商品は、好奇心に溢れた若者向けには良いかもしれませんが、これからどんどん増える高齢者には向きません。アイパッドなどのタブレットの操作も簡単になったとはいえ、高齢者にも身近になるように、丁寧な説明が欲しいですし、操作に困った時の対応も不安です。ネットに対する注意も十分承知していないと、困るのではないでしょうか。難解な横文字が多すぎることも気にまります。
 買ったは良いけれど説明書を読みこなすのに大変で、途中で動かなくなった場合どうしたらよいのか、となるとなかなか手も出ません。そんなことにならないような操作の簡単な製品の開発をすることが、落ち込んでいると云われる電気・電子機器製品のアイディアの一つにならないでしょうか。
 こんな話しをしていましたら家族に、もう10年もしたら、どれ程進歩しているかは図り知れないけれど、音声で教えて呉れたり、バーチャルな画像で指示してくれるので心配は要らないと言われました。本当にそうでしたね。既に間違うとピッと教えてくれもします。
 私は年をとってから、以前よりもおしゃれに気を遣うようになりました。決してむやみに若作りをしたい訳ではありません。老醜をさらけ出していたくない見栄もあり、着る楽しみも欲しいのです。ですから、年ごとに新しい洋服や履きやすい靴を買ったりします。薄くて温かい下着が開発されれば、直ぐに求めます。
 デパートや専門店には、若者向けの衣類や子供服は多いですが、高齢者の男性・女性をターゲットにしたお店は、どのくらいあるのでしょう。高齢者の購買力はさしたるものでないとは、これからは云えない時代だと思います。高齢社会白書(2011年版・内閣府)によると、2015年に27%だった65歳以上の人口が、2025年には30.5%になり、2055には40.5%になるになるとありました。
 ある大手衣料品メーカーから、アンケートを求められることが良くあって、その都度、シルバー向けのおしゃれな衣類をと、もう10年以上書き続けているのですが、いまだにそのメーカーが希望に叶う衣類を新作発表したと云うニュースを聞きませんし、そんなコーナーも見かけません。。
 私の通っているフィットネスには、高齢者が多くなりました。皆さん最後迄元気で居たいと考えている人達です。その人達がロッカールームで、醤油などの瓶の蓋が開けにくくて困るという話しになりました。なぜこんなに力をいれないと開かないのか、私も痛切に感じていましたから、大いに同感でした。開ける道具もあるのですが、それを遣わなくては開かないというのは、欠陥容器です。メーカーはなぜこのことに気付かないのか、不思議でなりません。承知していても、自己防衛を優先させているのではないか、と思えてなりません。使い安いということは、消費者サービスの大切なポイントであることを忘れないで欲しいものです。
 秋になったばかりの頃に旅先のお土産として、美しいステンレスの箸(取り分け箸)を何組か貰いました。漆塗りの箸は、滑って掴みにくく、気付かぬうちに傷が付いていたりして、お客様には特に気を遣うところがあります。いぶし銀のようなこの箸は、細かい溝が箸の先の方に入れてあって、頭を丸くし、先端が尖りすぎてもいなくて、実に使いやすいのです。軽くて持ちやすく、春雨のように滑り落ち安いものもつまみ損ねることもありません。世界的に有名な洋食器を作っている会社の製品ですが、素晴らしいアイディアだと感心しながら愛用しています。
 熟練の職人さん達が研究開発した技術のようでした。いつでも清潔で美しいので、私は持っていた塗り箸の大部分を捨てました。
 長く使うものは、安くあれば良いと云うわけにはいかず、家族数が減って小人数になればそれに相応しい、しっかりしたよい製品が欲しくなります。何時までも真新しいようにみがきあげれば、愛着もひとしおで、もはや手放せない器具になること請け合いです。日本は、すさまじい速さで高齢化社会に入って来ました。物を作る会社も売る企業も、高齢者の存在を忘れては、成り立って行かないことでしょう。

器にも魂あらむとささやかな魚菜を盛りて夕餉整ふ(実名で某紙に掲載)

懐かしい歌に誘われて

2012年11月09日 | 随筆・短歌
 「歌は世につれ世は歌につれ」という諺があります。誰もがきっと人生の中で、その時代に流行ったり習ったりした、忘れられない歌を持っていることと思います。私の場合は「ソルベージソング」がその一つです。高校時代に選択科目で音楽を選びました。書道や体育も選択科目でしたが、運動が苦手な私は楽な音楽にして、クラブ活動も合唱部でした。
 ある時ソルベージソングを教えて頂きました。「冬は逝きて、春過ぎて春過ぎて、夏も逝きて年経(ふ)れど、年経(ふ)れど、君が帰りをただ我は、ただ我は、誓いしままに待ちわぶる、待ちわぶる・・・」と黒髪に霜の降るまで待ち続けるという歌詞です。グリーグのペールギュント組曲の、ソルベーグの悲しい物語を、切々と歌い上げるのです。
 多感な青春時代でしたから、その一途な気持ちが切なくて、胸に迫ってきて、忘れられない歌となって、今もなお残っています。よく自家用車で夫婦して遠出した時に、CDから流れるその組曲に、昔を偲びました。
 次に啄木の「初恋」の短歌に曲がつけられた歌です。「砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日」というあの有名な短歌です。
 遠い昔のことですが、現役時代に宴会があって、順番にどうしても歌を歌わなければならなくなることがありました。私は流行歌を殆ど知りませんでしたので、この「初恋」を良く歌いました。それから万葉集の山上憶良の「瓜食(は)めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲ばゆいづくより来りしものぞ眼交(まなかひ)にもとなかかりて安眠(やすい)し寝(な)さぬ」「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」と、反歌も続いて一曲になっています。これも又、高校時代に学んだ大好きな歌です。
 私は声が悪く、高い音が出にくく、ハモるほうが好きでしたから、合唱のパートは、専らアルトでした。高音が上手く出ないのに、無理をして歌うのですから、下手に決まっています。宴席では順番の娯楽ですから、仕方がありません。重ねるうちに、人前で歌うことを、さして恥だと思わなくなってきたことが不思議でした。
 やがて合唱組曲「流浪の民」も習いました。これはコンクールの曲でした。勿論私はアルトですし、独唱の部分は上手い人が受け持ち、その他大勢の仲間でした。拉致被害者の横田めぐみさんが、小学校時代に歌っていたそうで、驚きをもって聞きました。流浪の民というのは、ジプシーのことで、その心をくみ取って歌うように、と音楽の教師に大変しごかれた思いがあります。それだけに一層想い出深く愛着を感じます。
 職を退いて、ごく僅かな期間でしたが、まだ介護が必要無かった頃に、市の女性コーラスのグループに入れて頂いて、「オン・ブラ・マイフ」等歌っていました。歌うことを楽しむという気持ちで、何とか迷惑を掛けないように付いて行っていました。下手でも歌うことは楽しいことです。その後暇になってから、夫婦でカラオケルームへ出掛けました。
 この頃は、いろいろな流行り歌も歌えるようになっていて、二人きりなものですから、二時間ほど、交互にマイクを握って勝手に歌うのです。島崎藤村の「惜別の歌」になると、私が三番まで歌うと夫が曲を繰り返して、六番迄歌うのです。変な老人夫婦だと自分でもそう思います。 
 今日は、義母の命日です。私は何はともあれ、夫を産んで呉れて、私達がこうして家族で暮らしていることに感謝しています。義母の好きだったお団子を仏前に供えて、お参りも済ませました。
 子供たちが幼かった頃に、義母は良く子供たちに歌を歌って呉れていました。「一年生になったら、一年生になったら、友だち百人出来るかな」というあの歌が一番想い出深く残っています。
 思えば、たかが歌されど歌、一つの歌が当時を彷彿と思い出させて呉れるから不思議です。自分の誕生日を目前にして、また一つ年を重ねるというのに、恥ずかしいくらい幼稚な自分をさらけ出しています。

捨て去りし筈の思ひが突如湧くソルベーグの歌街に流れて(実名で某紙に掲載)