ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

好奇心のおもむくままに

2019年02月19日 | 随筆
 私は好奇心が強い方で、以前面白いと思って学んだことを、現在でも時折思い出して、「あれは今どうなっているのか」と思うことがあります。
 最近ふと「エンゲル係数」と「エンゲルの法則」という中学時代に学んだことを思い出しました。そこで日頃から良く読んだり、引かせて貰っている総務省統計局のホームページから「エンゲル係数」を引いてみました。
するとそこには、次のように書いてありました。

 <今年は、明治元年(1868年)から満150年の年に当たります。
この約150年前に発表され、いまなお多くの方々に知られる統計指標と法則に、「エンゲル係数」と「エンゲルの法則」があります。いずれも発見者であるエルンスト・エンゲル(1821-1896年)の名前が付けられています。
 それから150年近く経ち、社会経済も国民生活の形も大きく変化しましたが、人が生きていく上で食料が毎日必要であることは今も昔も変わりありません。食卓の風景、食生活のスタイルが変わっていく中で、その時々の国民生活の一面を表す重要な指標として、総務省統計局では、毎月、家計調査の結果においてエンゲル係数の算出を行っています。
 エンゲル係数は、消費支出全体に占める食料支出(食料費)の割合(%)であり、家計調査では、用途分類の食料費(贈答品や仕送り用などの自分の世帯で消費する目的以外の食料支出は含まれません)によって算出しています。
 エンゲルが当時の家計調査の結果から見いだした「所得が高く(低く)なるにつれ、エンゲル係数は低く(高く)なる」というエンゲルの法則は、約150年経った現代の日本においても成り立っていることがうかがえます。>  
 
 私は中学時代に、エンゲル係数について学び、消費支出全体に占める食費の割合(%)で、「所得が高くなるにつれてエンゲル係数は低くなる」ということを知りました。
 私が中学生であった頃、当時の日本のエンゲル係数は、およそ45%近くだったように記憶しています。(昭和20年代前半)これに比べてアメリカは約15%近くだったでしょうか?日本の食生活の貧しさを如実に示しています。当時はすでにアメリカでは一軒の家に車は複数台の時代でしたが、日本はというと、多分ほんの一部の所得の高い家庭にしか、車は無かったのです。
 戦後昭和史に依ると、昭和33年のエンゲル係数は40%を越えていて、食堂・レストランなどでの食い逃げもあったとありました。そうだったかな、と記憶を辿っても「食い逃げ」とは耳を疑う位です。
 当時はこのエンゲル係数で生活のレベルも推し量れましたが、最近では当然のことですが、「エンゲル係数が低いことが食生活のレベルの高さを現している」とは言えない状態です。(エンゲル係数が高い程、美味しい高価な料理を食べている、とも言えるからです。)
 総務省統計局の発表資料に依りますと、世界の<主要国>では、エンゲル係数の高い順に見ると「イタリア、日本、フランス、スウェーデン、英国、ドイツ・・・米国」という順になっています。(総務省統計局2018年)アメリカがダントツの低さですが、これにはフアストフードの国らしいところもあるようです。ハンバーガーだけ食べている人達もいますから、一概に「低いから豊かな食生活だ」とは言えないというのも納得させられます。
 終戦直後の日本のエンゲル係数は66.4%でした。食べるだけで精一杯の様子がこの数字からも解ります。1985年(昭和60年)では、日本が27%アメリカ19%となっています。この頃の生活を振り返ってみると、日本も可成り食生活も向上し、個人で車も持てるようになって、共働きの人は一人一台の車を持っていました。
 エンゲル係数は、戦後年々数値は下がって、グラフは右肩下がりです。最低だったのは、日本では、2005年(平成17年)の21.5%でした。しかしこの後日本のエンゲル係数は次第に上がり、2016 、2017、 2018年と上昇しています。(総務省統計局)これは、食生活が貧しくなって来たというのではなく「外食が増えたり、グルメになった為でもある」と解説されていました。
 食生活が豊かになって、日常的に美味しい物を食べ、外食をし、食事にお金を掛ける生活が実現されるようになりました。しかし、現在は貧富の差が大きくなりつつあって、未だにお腹いっぱいに食べられない人達もいる事を忘れてはいけないと私は思っています。
 少し付け加えて、ついでに引いた資料に依りますと、日本の貧困率は世界第4位だとありました。ひたひたと格差社会が広がり、十分食べられない子供達が増えています。何だか胸が苦しくなって来ます。
 加えて「エンゲル係数と高齢化」(第一生命経済研究所 2018年8月30日)という資料を見つけました。これを見ますと、「二人以上の世帯平均でのエンゲル係数」は2017年の家計調査では、全体では23.8% ですが、60 代では25,2% 70代では 27,3%となっています。
 過去10年の内、家計の品目別物価で上昇が目立つのは、食料費と水道光熱費で、それぞれ11,8%と12,3%です。消費者物価は、2007年~2017年の10年間で僅か3.3%の上昇率です。ここにも現代の生活様式の変化が見られます。
 また高齢者のエンゲル係数が2~3%高いのは何故なのか、という疑問が湧きます。若くて食べ盛りの子供を持つ世帯よりも、高齢社世帯は、余り豪華な食事はしていないようで、手作りして暮らす事を楽しみにしているように思うのですが、そうではないらしいのが矢張り気になりました。
 しかしその原因は、高齢者の収入源は年金であり、この収入は固定しており、物価スライドが毎年行われる訳ではないからだ、とあり一応納得しました。
 しかし、統計資料なども、「読む人それそれが、自分に都合の良い読み方をする傾向がある」とあります。すると私も、一概にエンゲル係数の上昇をもって、生活が苦しくなって行くとは言えない、と捕らえて、エンゲルの法則を勝手にややねじ曲げて捕らえているのかも知れません。
 普遍的といわれるエンゲルの法則は矢張りそれだけの重みがあり、指標として大切にしなければなりません。広く様々な資料を読んで、社会情勢と照らし合わせて、理解しなければならないと思いました。
 1980年代では、「魚介類」「穀類」「野菜・海藻」「肉類」といった素材食料が中心で家庭で料理を作ったのですが、最近は「外食」が増え、総菜や弁当、冷凍食品などの「調理食品」が食料支出の牽引役となっているそうです。スーパーには調理済みの商品が沢山並び、コンビニにも直ぐ食べられるものが並んでいます。
 二人の高齢者家庭では当然調理食品が増えますから、エンゲル係数もそれに従って高くなるのだとあります。素材食品が減って、「外食」「調理食品」「飲料」等の支出が増加したと解説してありました。
 料理好きの私としては、料理は頭と心を活性化して、楽しく暮らす手段のようにさえ考えて来ましたが、年齢と共に矢張り既製品が増えて、食卓に並ぶ調理済み食品の味気なさを密かに恐れてもいます。
 しかし、料理を作る楽しさは変わらないのですが、手の掛かる料理は体力的に敬遠しがちになるのは、致し方あません。
 旺盛な好奇心もやがては体力の減退の前に衰微して行くのかと思うと、一抹の寂しさを禁じ得ません。
 総務省統計局には様々な統計が発表されていて、学ぶつもりになれば、これほど興味をそそるものも少ないでしょうか。
 望まない世相も見えて来る気がしますが、広く知識を獲得して、現実を正しく知り、充分理解して、私も少しでも世の中のお役に立つように、心して行動したいものだと思っています。

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その如月の望月の頃

2019年02月04日 | 随筆
 年を取る程に一日が早く過ぎると云われますが、もう一月も過ぎ去って、二月になりました。二月は旧暦では如月(きさらぎ)といいます。私は「きさらぎ」と云う音(オン)が好きですし、旧暦なのに、新暦二月を指して、たまにこの如月という言葉を使うことがあります。売っている暦にも2月に如月と書き加えてあるものもあります。でもよく考えてみると、この使い方は矛盾しているように思えます。
 旧暦の立春が今年は2月4日で5日が旧暦の元日であります。新年は春の始めなです。年が改まると春というのも、何となく心が弾むようです。

 願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃

と詠った西行の歌は、そのまま二月に当てはめて十五夜の日を調べても、今年は二月十九日ですから、寒くて花だよりも届きはしません。旧暦如月の望月は、新暦の三月二十一日に当たりますから、これは桜もしっかり咲いていましょうし、西行も心安らかに死ねるでしょうけれども。
 西洋歴に慣れ親しんでしまった私達には、季節と暦がズレていて、何となく残念な気がします。大自然の季節の移り変わりをことのほか愛した日本人の長い歴史を思うと、このズレに少し戸惑いと同時に寂しさを感じます。何かと旧暦を調べるのは、私のような老い人の特徴でしょうか。新暦に旧暦の二十四節気を書き入れた暦で、事を足らしている現状ですが。
 
 ところで西行は「この如月の望月の頃」に死にたいと云っていますが、生あるものは全て死ぬのですから、例外なく誰にも死は訪れます。その時になって、「死にとうない。死にとうない。」と云っても無理です。一休宗純と仙涯和尚がそう云ったと記憶していますが、何時死んでもいいと言っていても、いざとなると死にたくなくなるのは本能であって、納得のいく人生を生きて来た人ほど、そう思うのかという気もします。
 もうそろそろ死んでもいい、と思う人も居られるかも知れませんが、死には一人称の死(私)と二人称の死(あなた)と三人称の死(彼・彼女 他人)があると「死を忘れた日本人」(中川恵一 朝日出版2010年)にあります。それには、「二人称の死が一番辛い」とありました。「私」は死んでしまえばもう解らないのですから、その死を自分が悲しむことはありせん。
 二人称の死は、夫や妻の死がそれに当たります。共に長い年月を支え合いかばいあって生きて来たのですから、共有する想い出が沢山あって、事あるごとにそれが蘇って、想い出す度に辛くなることは十分推察できます。経験されて悲しい思いを沢山された方達の前で、このような事を取り上げる私は、申し訳ないと感じています。高齢になっても、その現実に直面した時どんな心づもりで対応したらよいのでしょうか、今もって把握出来ません。
 三人称はあの人となって、繋がりは一段薄くなり、比較すれば悲しみも少ないと云えましょう。私の年になりますと、可成りの同年者は長年連れ添った夫や妻との別れを経験していますが、矢張り言葉に絶する程の悲しみのようです。長い間この悲しみが続いて、笑顔で亡き人の想い出が語れる迄には、「7年掛かる」とも聞きますし、私も娘が先だっていますので、「7年」に納得しています。3年や5年では悲しみも癒えず、笑顔で故人の話しをするには到らないと云うことです。
 幸いにと云いますか、日本人は仏教信者が多く、死んだ後に様々な行事があります。7日間は毎日、その後週一回、菩提寺の僧が読経に来てくれます。49日の法要が終わる頃には、心の整理も少し進んで、幾分は落ち着きます。でもホッとするそんな時が又精神的にポッカリ穴があいた様になって、何もする元気がなくなってしまう事もあります。
 「宗教があるから救われる」ことも多いのです。外国では「無宗教です」と云うと変わり者として警戒されると聞きました。日本人には八百万(やおよろず)の神が居て、仏教があって、さして熱心な信者では無くとも、いざとなると神仏頼みで、何とか凌げているようです。縋る何も無いと言うことは、荒野に一人ポツンと立ちすくんでいる光景が思い浮かんで、立ち直るのに時間がかかると云えそうです。
 「誰かが守ってくれている」と感じる事は、有難い事で、何か困難事があって、それが上手く処理出来たりすると、「誰がが守ってくれた」と云う感謝が湧き起こります。私も何回か困難に直面した時に、思いの外すんなりと越えられる事があると、「誰かが守ってくれたに違いにない」と思わずいは居られません。今振り返って見ると、そう思える事が沢山ありました。そんな時は、先だった娘や両親・義両親、加えてご先祖様にも守って貰えたと感じます。不思議に神・仏よりも、共に生きてきた人達が先ず浮かびます。
 仏壇と神棚は同じ部屋に置いてあって、仏壇に向かって毎朝般若心経を上げていますが、何時も最後は「お守り下さいまして有り難う御座います」と心の中で感謝いたします。
 
 しっかりとした死生観を持つ事が大切だと云われます。「死をどのように捕らえているか」「人生の終わりをどのような形で迎えたいか」について考え、準備することは、「今をどう生きるか」につながる前向きな行動として大切だと識者の皆さんは説いています。しっかりした死生観を持つと、自分や家族の「死」と自然に向き合うことが出来ます。また、死に対する漠然とした不安や恐怖心が軽減され、残りの時間を充実させることができると言うのです。死について考え、様々な準備をしておくと、自分にとってより良い最期を迎えられるばかりでなく、残される家族を困らせないために書かれた書物が書店の棚に多く並ぶようになりました。
 終活という言葉がはやって、多くの人が身仕舞いを考える時代になりました。これから先、自分はどう生き、どう死を迎えたいか、残される家族や友人・知人にこころからの感謝を伝える為の、工夫がなされているようです。せめて「あ・り・が・と・う」の五文字はしっかり伝えたいものですね。
 西行は望みどおり、「如月の望月の頃」に身罷られたそうです。死生観を確立した人の最後とは、こういうものでしょうか。


死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。
 
 ソーントン ワイルダー  (アメリカ 劇作家・小説家)

 
 

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