ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

「幸福」ってどこにあるのだろう

2017年11月29日 | 随筆
山のあなたの空遠く
「幸」(さいはひ)住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」(さいはひ)住むと人のいふ。


 カール・ブッセ作、上田敏訳の「山のあなた」は誰もが知っている有名な素晴らしい詩です。幸福になりたくない人は居ません。皆、どうしたら手に入るのか、何処へ行ったらあるのかと、常に探し求めていると云ってよいでしょう。
 一方、私の大好きな詩にこんな詩もあります。八木重吉の詩です。

「幸福」を失うた人は
うつむいて考えるがよい
何処かまちがっているかもしれない
「幸福」を押しやっといて
「幸福」を探すなら――そりゃあ無理だ
だが――「幸福」ってあるもんだろうか

 自分の過去を振り返った時、予想だにしなかった人生を歩いて来たと回顧される人も多いのではないでしょうか。それが幸運であったり不運であったりします。しかし長い人生を歩んで来た多くの人達の感想に耳を傾けると、失敗の経験が自分を鍛えてくれたとか、安易な考えで生きていたら自分を見失うことがあるとか、また考えすぎても思うようには行かないとか、努力あるのみとか、様々です。総じて言えるのは、「幸福」という心情は型にはまった定型的なものではなく、自らが「幸福だ」と感じるならば幸福であり、「不幸だ」と感じれば不幸だとしか言いようがありません。
 例えば、どんなに経済的に豊かな人であっても、病気で寝たきりの生活では、自分の足で歩けることが幸福の最低条件になるでしょう。
 私事で恐縮ですが、かねてから痛みに耐えてきた、変形性股関節症の人工股関節置換手術を行いました。もう十年以上も整形外科に通い、経過観察をして来ていたのです。
 ところで、この手術をお願いするきっかけになった、珍しい出来事がありました。丁度9月初めの股関節の定期検診の日に、バスターミナルで、目的の病院へのバス時刻を確認していました。「○○病院行きは……」と表示を見ながら思わず呟いた私の言葉を聞きつけて、「ここですよ、あと5分で出ます」と背後から声がしました。偶然にもこの方は私と同じ医師に股関節の手術をして頂き、今日はその後の検診日なのだそうです。
 見知らぬ二人が同じ病気を患って、同じバスで、同じ医師にかかっているなんて出来すぎの偶然に思えました。
「手術は全身麻酔だったし、痛み知らずで、その後も全く痛くなく、病室の皆さんと親しくなって、とても良い手術経験でした。もうどこも悪くなくて、旅行して楽しんでいます。」と貴重な情報を教えて頂きました。
 私は自分の股関節の痛みは耐えられない程ではなかったので、「一生手術はしたくない」という考えでした。でも1年~半年に一回、どの程度進んでいるのか検査して頂いて、通っているスポーツジムで筋力をつける運動を続けていたのです。
 でも彼女の「痛みは完全にとれて、何処へも出掛けられるような脚になった。」というお話を聞いて、私の単純な頭は180°回転して、途端に「私も手術をして頂こう」となったのでした。
 その日、「手術をして頂きたいです。」と迷うことなく決然とドクターにお願いしたのです。ドクターも「これから先の生活を考えると、良い決断だと思います。」と様々な情報を教えて頂きました。
 考えてみますと、高齢な夫を含めて家族一同元気なこともチャンスと言えそうでした。今年のうちに手術が完了して家で新年を迎えられるのも、みなみな偶然ですが、助かることでした。
 あの日、バス停で出会った方のお名前も存じませんでしたから、私たち家族の間では「神様」と呼ばせて頂いています。
 名医と神様の一言のお陰で、術後の経過も順調で、今は入院しつつリハビリに励んでいます。
 今になって思いますと、あの神様の言葉を聞き流さず本当に良かったと思っています。名医として名高い医師に出会え、入院して以来、看護師さん、理学療法士さん、お掃除の方々も、とても優しく温かくて親切なのには頭が下がります。
 私の身の回りは、この方達が与えて下さった「幸福」で満ち溢れています。この一つ一つがみな幸福だと、しみじみありがたく思える私には、山のあなたの空遠くまで、幸福を探しに行く必要はありません。
 その代わり私の身の回りの人々に、幸福を何らかの形で、例えば言葉や態度で、感じ取って頂けるようにしたい……と思いつつ心がけています。



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友逝きぬ

2017年11月09日 | 随筆
 私には、とても大切な友人が幾人かいて、お手紙や電話、時にはご一緒に食事をしたりして、恵まれた老後を過ごせる事を有難く思っています。年と共に、友人の住んでいる所が遠く離れてしまったり、惜しくも亡くなられてしまって、だんだん少なくなって行くのは、寂しい限りですが、それが人生の真実な姿なのでしょう。
 でもひとたび心の底から信頼しあえる関係を保てるようになった友人は、何年経とうと、遠く離れていようと、最後の一人になったとしても、尚一層有難い友人です。
 先にも書きましたが、もう末期のガンで、ご自分もそれを十分承知していながら、感動するほど見事な生き方を貫かれた学生時代からの友人が、冥界に旅立たれました。ご家族からのお知らせがあり、これまでのご交誼を心から感謝しつつご冥福を祈っています。
 丁度その頃、私は変形性股関節症で手術を控えていて、病院の様々な検査や入院の手続きをしているところでしたから、ひたすら祈るばかりでした。
 学生時代は、教室の最前列にいち早く席を取り、教卓の目の前に並んで、共に学んで来た友人達です。前期・後期の試験が終わると、日頃仲良くしていた皆さん(7人)で、歌舞伎座の隣の小路にあった「お好み焼きやさん」に繰り出して、楽しいひとときを持つのが習いでもありました。
 学生時代は東京でしたから、クラスには北は北海道、南は奄美大島までの友人が集いました。
 彼女は鹿児島の方でした。人生はいつ、何があるのか私達には予想もつきません。彼女は卒後も東京で生活していたのですが、素敵な男性とのご縁を得られて、東京で生涯を送られることになりました。
 そんな彼女に不幸が襲ったのは、2010年2月のことでした。ご主人とお二人で、何時ものように散歩に出られた時、ふとした坂道でご主人が躓いて転倒されて「クモ膜下出血・脳挫傷」という危険な状態で、都内でも有数の信頼の高い病院で開頭手術をされました。難しい手術は成功し、その後リハビリに努められて、在宅で何とか数歩はつかまり歩きが出来る程に回復されたのです。奇跡に近い回復だったようです。しかし、2013年に惜しくもみまかられたのです。
 ご主人は最高学府を卒業された英才でしたし、彼女も鹿児島の女性らしいしっかりした女性で、凜とした気品と優しさがありました。
 私は幾度か鹿児島へ夫婦で旅行をしていますが、その度ごとに偶然出会ったご婦人方の立派だったことが忘れられません。加治屋町の偉人等と云われて、傑出した男性が数多く出ましたが、女性もまた、鹿児島県人は、芯のしっかりした自立心の高い、しかも優しさ・温かさを持った人が多かったという印象を強く持っています。
 つい先日「篤姫」のDVDを全巻見終わったばかりだったので、一層そう思うのかも知れませんが、私にとって彼女は心の底から尊敬し憧れる人であったことは事実です。
 彼女が、ご主人の介護に明け暮れる日々を過ごして居られた頃は、温かいご主人は『ありがとう』と常に心からの感謝を口にして、「二人でTVを見ていても、価値観がほぼ同じであることから、常に共感して鑑賞出来、お互いの心が通じ合って、それがとても嬉しいことでした」と、その頃のお手紙にありました。
 わが家と同じく、女・男の二人のお子さんを持たれ、ご家族の皆さんお幸せ一杯の頃の事です。1995年に奈良で「奈良国立博物館開館百年記念」の特別展がありました。丁度私達夫婦もその年奈良方面の旅に出ていて、幸いな事に「日本仏教美術名宝展」という素晴らしい展覧会に出会えたのです。
 混み合った長い列に加わって、少しずつ移動しながら展示物を眺めて、感動の三時間ほどを過ごしました。外国からの見学者も多く、最後はすっかり疲れて、2キログラムほどはあろうかと思われる出品作品集を買って帰り、今も貴重な鑑賞本として大切にしています。
 偶然彼女の娘さんも鑑賞しに奈良へ行って来られたようで「とても重い本を買って帰って来ました」というお手紙を頂いたことも忘れられません。
 私はご主人が倒れられてから、折りにふれての彼女の手紙を大切に保管してあります。一言一言心に沁みる美しい文章で綴られていて、達筆な文章のお手紙やハガキ(鹿児島の知覧の武家屋敷やサントリー美術館)は、何度読み返しても心に響くものでした。
 平成28年11月には、「この世の生には限りがあると思います。日々目にする自然も人々もとっても美しく、いとおしく、感じられるこの頃でございます。」とあります。何と言う深い言葉でしょう。
「娘や息子、私の弟の嫁さんたちのやさしさ、心の美しさ、この世も地球も困る事が多い乍ら、輝いて見えます。」と綴ってあったものもありました。
 主治医に「素晴らしい!僕など下ばかり向いて、目の前の事にとらわれている。」と褒められたと喜びつつ、「口の中の乾燥や皮膚の湿疹、足のむくみなど・・・電話での会話も困難です。」と書いて、「ご当地も大雨や暑さなど、不順でございますね。どうぞご自愛下さいますように。」と元気な私に迄気配りして頂いて、本当に涙が出そうに思われ、自然と頭が下がります。
 私達のクラスは、皆さんとても仲睦まじく、年一回のクラス会を、つい先年までずっと続けて 来ました。私は勤めがあったりその後は義父母の介護があったりして、ついつい失礼する事が多かったのですが、この友人が出席の時は、集合写真の他にスナップ写真を送って下さったり、なにかとお手紙で皆さんの近況を知らせて下さったので、クラスメイトのお顔や近況は、良く分かっていました。写真は今もアルバムにあります。
 この方以外にも、矢張り学生時代からの心優しい友人が八王子にいて、今も親しくお電話したりで、有難いことだと思っています。彼女は旅好きで、幼い頃から東京ですから友達も多く、しょっちゅうあちこちお出かけです。
 お互いに年齢と共にいろいろと不具合の所が出来て来るのは、仕方のないことですが、そんな中でも、無理しない程度に小旅行や、趣味を生かして何かと打ち込んで、生き生きと人生を過ごしておられる事には、敬意を覚えます。手仕事がお上手で、様々の作品を頂きました。思い出の品は大切に使わせて貰っています。
 私は、毎夜ベッドに入ってから、必ず有名人の詩や短歌を読むことにしています。これも私の大切な友人の真似だと過日書きましたが、知的で良く気配りの効く友人が、わが家の近くに住んで居ます。「遠くの親戚より近くの他人」という言葉がありますが、毎月必ず一回は、食事を共にする人です。
 彼女はご夫婦でコーヒーを飲む時、カップを一週間日替わりに決めているそうです。私もお邪魔した時に薫り高いコーヒーをマイセンの器に入れて頂きました。また能登の輪島塗の幾重にも重ね塗りした、微妙な光を発する高価な器で羊羹など出して下さることもあり、センスの高い日常生活を過ごしておいでです。
 彼女は百人一首や漢詩など、ずっと古くから暗記しているものを、朝目覚めに繰り返し、それから一日が始まるという人です。私の習慣は彼女に触発されたもので、心地よい睡眠への不可欠な導入剤です。
 みなみな私の人生の師なのです。「吾以外みな師」これは吉川英治の名言だそうです。私もこのように多くの「師」に恵まれた人間です。良く聴き、良く見て、深く感じて・・・残された日々を私も充実したいです。
 たまたま教室の最前列の席に座ったご縁で、今日迄数え切れない多くの教訓を与えて下さった畏友が先立たれた事は、この上も無い辛く哀しい事でした。彼女が残した人格や価値観や死生観は、これからの私の努力目標として、残された日々を一日一日大切に生きていきたいと思っていす。                                合掌
 

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