ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

簾と風鈴のある家

2011年06月24日 | 随筆・短歌
 この夏の省エネ対策として、スダレが推奨されていました。そこで我が家でも五月末に簾を買って来ました。居間の南側は、真南ではないため、朝の間だけ約50㎝程陽が差し込みます。
 朝ですから、さして暑くは感じないので、網戸とカーテンにしてあるのですが、隣のキッチン(約6畳)の間の戸を開けて、それぞれの窓を全開にすると南と北の二間を風が通りますからとても涼しく、真夏でも幾日もエアコンを必要としませんでした。加えて隣接する二間を開け、その南北と東側の端の洋間や玄関の網戸からも風が入って、夏はこれらを開け放すと風が通り抜ける家なのです。古い家ですから、昔の日本家屋に似ています。
 しかし年々暑い日が増えて、だんだん居間のエアコンの出番が増えて来ました。そこで今年は試しに居間の窓の外側に、40㎝程離れて簾をさげたのです。ガラス戸四枚の内真ん中二枚分、欄間から床までの長さの大きめの簾をさげました。
 驚いた事に、これでとても涼しくなりました。朝の短い間のたった50㎝程の朝日と思っていたのですが、矢張りジュータンは熱を吸収して、そのまま暑さが保たれてしまうところを、簾がすっかり遮って、風は良く通り、今日も外は31℃を越えていますが、エアコンは使っていません。こんなに涼しくなるとは、思っても見なかったので驚いています。
 我が家はエアコンを使う場合はいつも29℃に設定して、扇風機をエアコンめがけて回しますと、部屋の冷気が攪拌されて部屋の中が等しく涼しくなり、風も少しは当たりますから、これで充分なのです。この様子だと今年はエアコンを稼働しなくて済む日が、もっと多くなりそうです。今年も未だ一日も動かしていません。
 思えば日本は湿気が多く、夏のむし暑さや長雨に対する家の建て方になっていて、庇が深く、部屋のしきりが開放的で、夏が涼しいように出来ていました。最近は完全冷暖房で部屋も密閉され、一年中快適に過ごせるようになりました。
 処が今回の原発事故の為に、現在ある原発を全部止めたら、電力不足の為、エアコンや冷蔵庫は使えない事態が生じてしまいます。企業も仕事が滞ります。しかし、エアコン無しでこの猛暑を乗り越えられるものではありません。
 現存する無傷な原発を稼働するか止めるか、等と議論している時間的余裕はありません。国民全体で、何とかして協力して、この夏を乗り越えなければ成らなくなりました。企業も個人の家庭でもいろいろと工夫して、節電に努力していますが、それでも最近の日本列島の暑さでは、真夏には電力不足で停電になりそうで、それが心配です。
 新しいエネルギー確保には中々時間がかかるでしょうから、それまでの間、最小限必要なだけの原発を稼働せざるを得ないのではないでしょうか。
 我が家では、夏の為に今年はウチワも買いました。手で扇げば思いの他涼しい風を運んでくれます。昔は風鈴をお座敷の外に下げたことも想い出して、「夜響いて音がうるさい」と片付けてありましたが、また付けました。或るところで「マンションの風鈴が是か非か」というアンケートを発表していましたが、駄目だという人が、良いという人の倍も有り、矢張り風鈴も不要な音であり、安眠妨害になるようです。一戸建ての私達も風が強い日とか、夜遅くは外しています。
 冷蔵庫の無い生活は不可能ですし、エアコンが無ければ、熱中症で倒れる人も多く出ることでしょう。この暑さの中で防護服を着て、放射線の多い中を作業しておられる人を思うと、矢張り何とかして努力し、協力していかねばならないと思います。
 今まで、原子力発電所を設置した見返りに、潤って来た筈の地域の人達が、手の平を返したように、「安全でないとしっかり確認できないので、現在点検が終わったものも動かせない」と言うのは、どういうことでしょうか。万一の事故に対する代価を貰って来ていたのですから、今度は国民の為に、万一の事故発生の無いように電力会社に努力して貰いつつ、現存の原発を動かす事に理解を示していただきたと思います。国が悪い、電力会社が悪いと言っていても、既に35℃36℃の猛暑がやってきています。
 原発の稼働を拒否しているところで、この暑さが続いた時に、次は何と言うのでしょうか。安全性に十二分の配慮をしながら、原発を動かす以外に生活が成り立たなくなっていることは目に見えています。
 誰れも危険な発電方法を願う人は居ない筈ですが、あの大災害までは、誰も考えもみなかったことが起きてしまったのですから、この経験を生かしながら、今を乗り切ることに協力しなければ、「お互い様」の美徳を持つ日本人として、恥ずかしい気がします。

 ビードロの風鈴の音と共にある浴衣桐下駄綿飴金魚 (実名で某誌に掲載)

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海のほとりで

2011年06月17日 | 随筆・短歌
 先日ようやく少し暇を見つけて、余り遠くない海の傍の温泉ホテルに一泊してきました。日頃は海が見えませんので、夕日の美しい海が見たくなって出かけたのです。幸いホテルは日本海を眼下にした眺望が素晴らしく、その上お魚がとても美味しくて、心ゆくまで海を堪能してきました。
 旅行好きな私達ですが、海の傍まで行って渚に立ち海水に手を浸す、ということは最近特に少なくなりました。家族で海水浴に良く行った頃は既に遥か遠く、考えて見ますと、四国は高知の桂浜、九州は長崎県の平戸島の根獅子(ねしこ)浜、本州は宮古の浄土ヶ浜、北海道は知床半島のウトロ、この辺りが砂浜であり、直ぐに想い出す縁の深い所です。
 手を海水に浸して見ると、この海は何処まで続いているのか、と自然に考えてしまいます。世界の七つの海全てに繋がり、沢山の民族と海を介して手を繋ぎ合っている気がして来ます。赤ちゃんは世界中の何処の赤ちゃんも産声は「ラ」の音だと聞きました。人間のDNAのせいでしょうか。人類は一つ、という気が、海に手をひたしていると益々強く感じられます。
 今は亡き私の兄は、私達に「一度はヨーロッパあたりに行って来なさい。地球が小さく感じられるから。」と何度も勧めましたが、外国へ行くことが嫌いで、日本にはまだ見たいところが沢山あるという夫と一緒ですから、未だ海外旅行には行ったことがありません。
 最近の日経新聞に、塩谷靖子さんの「燈ともせと」という随筆が載っていて、とても興味深く読みました。八歳で失明した全盲の多才な人なのですが、42歳から声楽の勉強を初めて、CDも出しておられると知って聴きたくなり、早速インターネットで取り寄せました。
 「わかれ道」というアルバムですが、その中に寺山修司作詩、中田喜直作曲の「悲しくなったときは」という歌がありました。どの曲もしみじみと心を打つものではありましたが、特にこの詩に引かれましたので、部分的に掲載させて頂きます。
 ・・・
 どんなつらい朝も どんなむごい夜も
 いつかは終わる
 人生はいつか終わるが
 海だけは終わらないのだ

 悲しくなったときは 海を見にゆく
 一人ぼっちの夜も 海を見にゆく

この部分が最後で、この曲は終わります。
 海は沢山の汚れを浄化し、多くの魚貝類や海草を育み、食料を与えてくれています。海がなかったら、人間もその他の動植物も生きては行けません。海水は蒸発して天に昇り、雨となって地をうるおします。広い海を見ていると確かにそこから、母のような温かいぬくもりが伝わって来る気がします。私の問いかけに律儀に応えてくれるような優しさを持っています。
 波の殆ど無い静かな海は、それだけで温かく穏やかに私を受け入れてくれます。海に太陽が沈む時は、私に向かって一直線に黄金色の帯が足許まで届き、まるで私を輝きの中に導いてくれているようです。
 しかし、太陽の沈み方は水平線に近くなると俄然早くなって、みるみる沈んでしまいます。また明日逢えると思っても、この日の太陽はこれが見収めです。美しい夕日に逢えた日は、今日一日がとても幸せだったと思えて、名残惜しさと感謝の念が湧いて来ます。  災害に苦しんでおられる人々や、復興に日夜努力しておられる方達に申し訳なく思ったりしながら、この日の贅沢に感謝しました。

 転がれる波打ち際の虚貝(うつせがい)白きを拾ふ遍路となりて

 殉教の血で紅に染めしとふ根獅子(ねしこ)の海はコバルトブルー
                           (全て実名で某誌に掲載)


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カラスの復讐から思うこと

2011年06月10日 | 随筆・短歌
 つい先日のことです。近くのAさんがカラスと猫が餌を争っているのを見かけました。Aさんは思わず小石を拾ってカラス目がけて投げつけました。カラスは直ぐに逃げたそうです。それから数時間後のことです。Aさんがバスに乗る為に三分程の距離を歩いていましたら、途中の電柱のてっぺんに止まっていたカラスが急降下してきて、帽子すれすれに襲いかかって来たそうです。Aさんは咄嗟に頭を縮めて難を逃れました。ところが直ぐに又急降下してきて襲って来たそうです。もしそのまま歩いていたら、帽子を足に引っかけられる位だったそうです。バス停に着くまでの150mほどの間で三回襲われました。これは明らかに復讐だとAさんは思いました。バスを待つ何人かの人も「危ない!」と叫んで驚いていたそうです。
 そう言えばカラスはとても賢く執念深く、虐められると一ヶ月間も覚えていて襲われた人もいると、聞いたことがあります。その話を聞いた時、思わず「カラスって嫌な鳥だ」と私は思いました。ですがふと、カラスと猫とどちらが良い動物とは言えないのではないかと思ったのです。カラスは黒くてその上声が悪いので嫌われがちですが、彼等も生きて行く為に、食料を自分で探さなければならず、きっと必死だったことでしょう。猫は冬は暖かく、夏は涼しい家の中で大切に飼われていて、三食昼寝付きでぬくぬくと生きています。カラスは何故人間は自分を排除しようとするのか、こんな理不尽なことをする人間は許せないと思ったのではなかと思い初めました。
 そう考えて見ますと、一方的にカラスを嫌うのは、偏見だったと気付いたのです。真っ黒な羽根と、あの鳴き声を可愛いという人は少ないかと思われますが、カラスに温かい目を向けた詩人がいたことに気付きました。
 私は野口雨情の「七つの子」という歌が好きです(カラス何故鳴くの・・・というあの歌です)特に「可愛 可愛 とカラスは鳴くの」という部分と「丸い目をしたいい子だよ」という詩が母性愛を象徴しているようで、温かくてとても好きです。雨情はカラスも子供を愛し、大切に育てている優しい生き物なのだと思ったに違いありません。
 黒いから嫌いというのは、ある種、黒人への偏見や少数民族への偏見に近いようで、恥ずかしくもなりました。私の好きな俳優のモーガン・フリーマンや、大リーグでも多くの黒人選手がとても素晴らしい活躍をしています。アフリカの飢えている少年達の、あの黒くて丸くてきらきらしている目を見ると、痩せていても子供達はこのように美しい目をしている、と感動さえ覚えます。子供達はこうでなくては、とも思ったりする位です。
 ああだから、こうだからと外見で分け隔てするのは、良くないことだと恥ずかしくなりました。人間も動物も一生懸命生きているという点では同じです。特に五月頃のカラスは子育て時期に当たり、攻撃的に成りやすいと何かで読んだ覚えがあります。子育ては本能ですから、子育ての為に是非必要な餌を奪い合っていた所を、石で追われては叶いません。山田無文という禅僧が述べておられるのですが、「親と子ではない、親の子であり、子の親である。先生と生徒ではない、先生の生徒で、生徒の先生だ。社長と社員ではなはない、社長の社員、社員の社長でなければならない。これが、日本流である。」とあり、なる程と思いました。対立する形にならべると、そこに不満が生じて来るわけです。最近、何かというとあれが足りないこれが不足だと、要求することが多くなって来たようです。それがかえって不幸感を募らせているように思います。政府は与えるべき人で、国民は与えられる権利のある人と分けて考えるからそうなるのではないでしょうか。与える立場の人も与えられる立場の人も皆税金を納めて、それを当てているだけです。お互いに与えたり与えられたりする人間同志であると思えば、そう不平不満に満ちた状態にはならないように思うのです。
 相手を思い合って考えれば、自ずとよい方向に解決して行くことでしょう。カラスと猫の餌の取り合いから、改めて気付かされたことでした。

 曲解と諭されつつも疼きゐる心を緑の雨に慰む(実名で某誌に掲載) 

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地域の人々から戴く温もり

2011年06月03日 | 随筆・短歌
 長く同じ所に住んでいますと、友人知人が少しずつ増えていきます。最近はマンションなど、隣にどなたが住んでいるか分からないという、孤立社会になってしまいました。私達の地域は、戸建てのせいもあり、まだ昔の名残が少しあって、町内会も健在です。田舎都市のせいもありますね。
 最近ご近所を見渡してみると、年上の人が亡くなられたり、体調を崩されて、いつの間にか夫も次第に「ぬし」の様な年になってしまいました。特にこの三月まで五年間くらい町内会の役員をしていましたので、その関係で知人も増え、いろいろと相談事を持ち込まれたりします。
 夫は、毎朝ゴミ捨てが仕事なので、ゴミ捨ての仲間も出来ます。挨拶を交わしている内に、次第に仲良くなるらしいです。男女とか、年齢を問わず、夫の知り合いは、私の知り合いになり、逆もありでそれぞれ会えば立ち話もします。犬や猫を介したり、庭の花や苔を介したりして、ウォーキングの道筋にも、様々な知り合いが出来ました。
 私達は毎日二人でウォーキングをして、帰りに郵便局や銀行で用を足したり、八百屋やスーパーで買い物をして帰ります。九時開店が多く、開店時間に丁度そこに着くように家を出発します。スーパーは最後の買い物場所ですが、荷物係りをもって任じている夫が、籠を持ってくれるのは有り難いのですが、何時もさっさと自分の興味のあるところへ行ってしまいます。私は遅れて野菜や魚を手に持って、後から夫を追いかけて籠に入れるのです。あちこち回っては、夫の籠に入れて、買い物が済むと、二人揃ってレジへ行くのが何時もの日課です。
 レジに行くといつの間にか夫の好物がチャント入っています。買い物籠を持たない主婦は滅多に居ませんので不審人物のようですが、もうスーパーの皆さん慣れておられて、私達を不思議がりもしません。今日はうっかり見知らぬ紳士が帽子をかぶって一人で買い物をして居られたところへ、私が夫だと勘違いして、「玉葱が一つしか無くなったので・・・」と言いつつホーレン草と玉葱をその人の籠に入れてしまいました。「アァッ」とその人は驚いた声を出したので、私もハッと気付いて、「済みません。主人と間違えてしまいました」とお詫びして、慌てて入れた物を取り出し、夫を探しました。夫は何時も帽子をかぶっていて、荷物のある日はリュックを背負っています。私も何時もリュックです。似ても似つかない渋いカッターシャツの立派な紳士を、どうして間違ってしまったのか、不思議です。店内は省エネで薄暗く、丁度この辺りに居ると思われるところにその人が居られたからでしょう。時々見かける人で何時もお一人で買い物をしておられます。帰り道に夫にその話をすると、「そうか、あの立派な方と間違えたか。それは無理もない」と独りで満足していました。家ではすっかり笑い話の種になりました。
 ウォーキングのコースにはバラ屋敷があって、ご主人が熱心に手入れをしておられ、顔を合わせれば、今年のバラの話になったり、苔のとてもきれいな庭のある家のご主人は、どっかりと座り込んで草を抜いていることがあり、今日も私はそこで足が止まり、門扉の外から、苔の育て方や、片側にずらりと並んだドウダンツツジが、年々美しくなったという話になりました。
 夫婦で一緒に歩いているというのが、一種の安心感に繋がるのか、毎日殆ど同じ道を歩いているせいか、、知らない人によく挨拶されたり、話し掛けられたりもします。
 虐待されていたらしい犬を、貰い受けて育て始めた独り住まいの女性がいます。その人の家の前の道路は、途中で人は通れますが、車が通り抜け出来ないようになっていて、安全なので良く道路で犬を遊ばせて居られます。警戒心が強く、手を出してもなかなか近づいて来なかった犬が、やっと女性の愛情でびくびくしたところが無くなり安定してきて、少しずつ近寄る様になりました。今は手を出すとのどを撫でさせて呉れます。でも夫の方が私より好きと見えて、直ぐに夫の方へ行きます。犬は賢いので、優しい人が分かるのだと思って感心しています。
 我が家の白木蓮が美しいと、いろいろな角度から写真を撮って持って来て下さったり、俳句に詠んだものを披露して下さったりする人もいます。現職時代はなかなか偉かった方も今は気の置けない友人として、冗談を言い合って暮らしています。夫はこの人なら冗談が通じると思うと、結構羽目を外して冗談を言うのですが、お互いに言い合って楽しそうです。私は頭の回転が鈍くて付いて行けないので、笑って傍に立っているだけです。
 お互いに年を取ってきましたので、この地域でこの病気には、どの医師に診て頂いたらよいか、などという相談や、住民同士のいざこざの相談もあります。みな一生懸命に、より健康に幸せに生きようと努力しておられて、傍で聞いている私は良い勉強をさせていただいています。
 先日旅行のお土産を持って、同じ市に住んでいる夫の姉夫妻の家を訪ねました。そこは、私達よりずっと新しい団地なので、挨拶程度の人が僅かにいるけれども、皆プライバシーを尊重する余りか、それ以上の付き合いは無いと寂しがっていました。繋がる相手がインターネットを介してだけ、というのでは、余りに寂しいと思います。「遠い親戚よりも近くの他人」という諺がありますが、困った時に助け合えるように、ご近所の人間関係を大切に温めていきたいと思っています。

 姑(はは)逝きて亡舅(ちち)丹精の薔薇咲きぬ「先に逝くなよ」夫はポツリと

 市街化にいつしか蛙(かはず)の声消えて夜の静寂(しじま)の淋しき五月

 聴き耳を立てて俯くスミレ草河岸(かし)いっぱいに春風光る(全て実名で某誌に掲載)


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