ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

この世に最も美しいもの

2019年10月25日 | 随筆
 かなり以前の上司の訃報が届きました。とても温かい人でした。それとなく良く褒めて下さる上司でした。私はさして能力も無く、何時も全力投球でないと上手く仕事がこなせないので、余裕をもって仕事に励むと云うよりも、「目の前の仕事に精一杯取り組み、何とか凌いで来ていた」というのが真相です。振り返って見ると「良く無事に終点にたどり着けた」というのが実感です。乗り切らなければならない苦労も、沢山あったのでした。
 私は褒められるような優秀な人間ではありません。ただ与えられた仕事が「何とか上手く運べたのかな」と思っている時に「とても上手く運びましたね」とか「頑張っていますね」等とさりげなく声を掛けて戴いた事が嬉しくて、今も忘れられません。
 今思うと、そのような一言に励まされて、日々が何とか無事に過ごせたように思いますが、このような上下関係の中で働けた事が、今更のように有り難く思い出されるのです。
 最近夕食後の娯楽になっているレンタル・ビデオに、夫が「鬼平犯科帳」を一本加えて借りてくることが多くなりました。人情が溢れていて、鑑賞後は何となく温かい思いが胸に残ります。長編ですが一話ずつ完結するので、肩が凝らずに見られるのです。
 鬼平は鋭い捜査で犯人を追い詰めます。部下には以前は犯罪者だった人たちも居て、今は立派に一人前になり鬼平の部下として働いています。鬼平はその人たちにも慕われています。その理由の一つは、それらの部下達を、鬼平は「ご苦労だった」とか「良くやった」と事ある度に労をねぎらって、褒めるのです。人は「褒めて育てよ」と云われますが、まさに褒められて一層力を発揮するのです。
 夫は「上司たる者、あのようにして褒めたり、ねぎらったりする事が大切。そうしてこそ心が通じる。心が通じれば、あの人の為なら死んでもよいとすら思うものなのだ。これは現代社会にも通用する大切なことだ。」と良く共感しながら見ています。時代物の映画であっても、人間の心は普遍的ですから、現代社会を生きている一人として、一層共感を覚えるのでしょう。

 最近「スエナガアマネ心の原風景」(10月21日)『心の栄養は足りていますか?』と言う題のブログに出会いました。
『人は他人に愛情をかけられることで輝き(持ち味を発揮し)、生き甲斐を得て喜びを味わい、結果的に夢も叶うのだ』とありました。愛情を掛けられると目が輝き始め、生き生きとして努力するようになる若者を、この著者は頼もしく眺めているようです。
 『愛情はまさしく“心の栄養”である』と書いてあり『人に愛情をかけるようにしていれば、その愛情が自分の心をも豊かにし、潤しますから、自分もまた生き生きとしてくるはずです。一つの愛情が相手を生かし、自分を生かします。』とも。本当に心の奥深くで共感を覚えました。

 この度の台風15、19号の風水害は、多くの人達に苦難をもたらしました。亡くなられた人も多く、倒れた家屋、土砂や水に埋もれた家屋等、か弱い子供やご老人の居る暮らしを危機に陥れています。
 最近は大地震や、風水害等の自然災害に見舞われる事が多くなって、「命を守る行動」を促される報道を見聞きすることも増えました。
 上流で土砂崩れがあったりすると、川は直ぐに土石流になりがちで、それが道路にまで及びます。逃げ出すタイミングをわずかに外せば、たちまち命がけになるようです。
 このような災害に見舞われた人たちにとっては、ボランティアの方達の献身的な働きは、手を合わせて拝みたい位の気持ちにさせるようです。
 こんな時は同居の家族があれば、判断・行動共に助かりますが、最近は少子高齢化が進み、単身世帯が増加していて、家族の機能が衰えがちに思われ将来に不安を感じる気もします。人々の心が疲弊しないように、復旧が捗れば、社会は安定して力も漲って来るでしょう。一刻も早くそうなって欲しいと願っています。

 私は日頃から「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」と云う言葉のやり取りに、とても温かい心を感じます。家族であろうとご近所さんであろうと、そこには温かな心の交流があり、ずっしりとした安定感のある心が存在しています。
 こような温かい心の交流が、社会全体を覆う時、私達はおおいに励まされ、活気に満ちた社会が築けるように思えます。いたわり合い励まし合って、困難を乗り切りたいものです。
 何も出来ない高齢者ですが、少しずつの義援金も、集まれば大きな力になると思います。支え合う仲間の一人になりたいと考えています。
 もし、この世に愛がなかったならば幸せはあり得ないでしょうし、人間関係は殺伐として醜いものになるでしょう。  
 
 確実に幸福になるただ一つの道は、人を愛することだ。
                          トルストイ

 天にありては星、地にありては花、人にありては愛、これ世に美しきものの最たらずや。

                           高山 樗牛
 

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義父の愛情

2019年10月10日 | 随筆
 佐藤春夫の詩に「秋刀魚の歌」があります。あまりに有名ですし、多くの人は過去に教科書などで学んだ経験をお持ちでしょう。
 紀伊半島の先端近くに紀伊勝浦と云う駅があります。駅前にこの佐藤春夫の「秋刀魚の歌」の歌碑があるのを、私達夫婦は何年か前に見て来ました。佐藤春夫は紀伊半島の東牟婁の人です。何代も続いた医師の家系に生まれています。佐藤春夫の記念館が、南紀の新宮・熊野速玉大社境内に開館したのは平成元年(1989)だそうです。 
 佐藤春夫のこの歌は、春夫のしみじみとした感慨と、離婚と再婚を経たなさぬ仲の妻の連れ子との情愛を歌っていて、私の好きな詩でもあります。秋になって秋刀魚の捕れる時期になると良く思い出します。多くの方達も、同じように思い出しておられるのではと思います。
 佐藤春夫は骨太の男性ですが、あの体の何処から「あはれ秋風よーーひとりさんまをくらひて思ひにふける」などとロマンチックな言葉が紡ぎ出されてくるのでしょう。
  
  秋刀魚の歌   佐藤春夫

あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児(こ)は、
小さき箸(はし)をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝〔なれ〕こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非(あら)ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりりし幼児とに伝へてよ
ーー男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩っぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて、
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

 この歌を理解するためには、佐藤春夫と谷崎潤一郎との「奥さん譲り渡し事件」を知る必要があります。

 『谷崎潤一郎の二度目の妻、千代子夫人は、わがままな谷崎に献身的に仕えました。食通でも通っていた谷崎は食べ物にもうるさかったのです。天保年間に出た「豆腐百珍」などという古い本を持ち出して、これにある豆腐料理を全部作れなんて命令したりします。お千代さんは何ヶ月もかかって百種の豆腐料理をこしらえます。食べた谷崎は「このうちどれとどれは旨いが、あとはダメだ。」なんてうるさいのです。

 そんなとき谷崎家に出入りしていた佐藤春夫は、お千代夫人に同情するあまり、その思いが次第に愛情に変わっていきました。それによく見ていると、谷崎はお千代さんに未練もなさそうでした。(谷崎は女癖が悪く、当時は千代子夫人の親戚の女性と恋仲になり、お千代夫人を構わなくなっていた)そこで佐藤は、「君の細君をぼくにくれ」となりました。 ところが谷崎にはお千代夫人との間にできたお嬢さんが一人いて、谷崎はこの娘のことがかわいいから、佐藤春夫のところにやりたくない。それでお嬢さんに聞くことにしました。このまま谷崎家にいるか、それともお千代さんと一緒に佐藤春夫のもとに行くかと。家族三人で相談した結果、この娘さんはまだ自分で判断するには無理な年齢だから、それが出来る年齢まで待つことにしたのです。その間佐藤春夫が谷崎家に出入りするこは禁止にしたといいます。
 いよいよ娘さんが年ごろになって聞いたら、「私はママと一緒に行く」と云いました。それで正式にお千代さんは谷崎と離婚して佐藤春夫のもとに嫁いだのです。谷崎は娘の教育ができるような人間ではなかったので、これは正解だったのでしょう。ここで両家連名のあいさつ状を出したのです。「この度、谷崎潤一郎妻千代子は谷崎家を離縁して佐藤春夫の妻になりました。子供は千代子のほうについて行くことになりました」と新聞に発表したのです。そしてこの娘さんは、のちに佐藤春夫の姉の子供と結婚します。そのため谷崎潤一郎にも佐藤春夫にもかわいがってもらいました。しかも、お千代さんはデキが悪いからと谷崎潤一郎が決して寄せ付けなかった谷崎の弟の一人を、佐藤春夫と一緒になってからも献身的に面倒を見ていたといいます。

 お千代夫人のえらいところは、二人の夫に誠意をもって仕えたことです。それに応えたかのように、両人とも、自身が妻の座にある間に文化勲章を受章したのです。日本の歴史上、こんな女性はほかにいないはずです。ただし、ご自身が幸せだったかどうかは、本人に聞いてみなくてはわかりません。』参考:主として雑誌「噂」1972年今東光の文壇巷談から。

 このように離婚と再婚によって、新たに親子の関係になることは、以前から普通にあった事ですが、それらの人間関係は、中々に難しいことです。最近増えている離婚の結果、このような立場になる親子も多い筈です。残念ながら、なさぬ仲の子供を虐待したとか、殺めたというニュースが増えました。罪のない子供の苦しみ、悲しみに心が引き裂かれる思いをすることがあります。
 しかし、佐藤春夫のように、妻とその連れ子に対する温かい愛情をそそぐ人もいることに、心が和む思いが致します。「世の常ならぬまどゐ」を夢ではない、と云う歌に心が温まります。
 愛する人と結婚した筈なのに、その人の生んだ子供が憎いとか、愛せないという昨今の事件の心理は、どう理解したら良いのでしょう。


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