ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

人やさき人やさき

2009年07月16日 | 随筆・短歌
 先日親戚の大切な人が癌で亡くなりました。私達夫婦も葬送の儀式に出席して、別れを惜しみ、残された家族を思い、また人生のはかなさを思いました。
 浄土真宗のお葬式でしたので、お通夜の読経の時に、本願寺第八代法主の蓮如上人の「白骨のお文」が読まれました。この白骨のお文を聞く度に、私は人生の無常が、深々と心の奥にしみ込んで来るように感じるのです。
 私の学んだ仏典から、取り出して掲載させて下さい。

 夫(それ)人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。さればいまだ万歳の人身をうけたりといふ事をきかず、一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき人やさき、けふともしらず、あすともしらず、をくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりしげしといへり。されば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに無情の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)のよそほひをうしなひぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外にをくりて夜半のけむりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふも中々をろかなり。されば人間のはかなき事は老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏まうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

 野辺の送りをすませた後は、重い心を引きずってぐったり疲れて帰宅し、家に籠もっていました。夫が学生時代の友人にメールで、白骨のおふみが身に沁みたと書き送りましたら、その友人は、ご主人が「人やさき、人やさきと思って凡人は油断をして生きている 」と仰ったと返事を下さいました。夫にその話しを聞いてはっと胸を突かれ、なんという名言だろうと目の覚める思いがしました。
 確かに、おふみの言葉に心を揺さぶられても、何処か、人や先、人や先と思ってしまっている自分に気付かされたからです。
 いたく感動して、我やさき人やさき、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身だという事を、しっかりと心に刻んで、今を生かしていただいている事を感謝しつつ、これからを生きていこうと心に誓ったのでした。

 いかに生きんいかに生きんか書を読みて出口の見えぬ夜は更けゆく
          (実名で某紙に掲載) 


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2 コメント

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お初に・・・ (yo-サン)
2009-07-19 21:27:08
失礼致します。
久々のネットサーフィンでお邪魔致しました。
全部を拝読致した訳ではありませんが、記事それぞれに
感じ入りました。またゆっくり拝読致します。
向暑の砌、ご自愛なさって下さいませ。

(自分のブログの更新もままならい昨今ですが、
きょうは皆様のブログを拝読出来てよかったです) 

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yo-サンにお礼 (あずさ)
2009-07-22 18:28:41
お立ち寄り下さいまして、有り難うございました。わざわざのメール有り難うございます。何となく、感じたことを書き散らしているだけですので、不出来で恐縮です。機会がありましたら、またお立ち寄り下さい。
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