ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

終(つい)のすみか

2018年02月18日 | 随筆
 是(これ)がまあつひのすみかか雪五尺

 有名な小林一茶(1763年6月15日~1828年1月5日)の俳句です。長野県の野尻湖からそう遠くない黒姫駅の近くに「柏原」というところがありますが、そこが小林一茶の故郷です。
 晩年の一茶は故郷柏原に戻って過ごしました。弟との間の遺産争いに苦労しましたが、遅くなって妻をめとりました。やがて火災で母屋が焼失した後、残った土蔵に住んでいました。私達が訪ねた時もその土蔵は残っていましたし、近くに一茶記念館も出来ていました。
 かつては多く人々は、故郷を出でて様々な暮らしをした後に、一茶のように晩年は住み慣れた故郷に戻って過ごす人も多かったようです。ましてや人生の大半を過ごした人の故郷は「此処が日本で一番住みやすい」処だと思えたのでしょう。
 都会のどんな素敵な高層マンションや、避暑地の大邸宅よりも、こぢんまりとした地域の中にある自宅が、「住めば都」でいつの間にか第二の故郷になっていて、心が落ち着き、住みやすい地域になってしまいます。
 最近偶然に、私が住んでいるご近所の人達と「老後は何処で住みたいか」ということが話題になる機会がありました。少し雪の積もるこの辺りは、10センチ以上の積雪があると、早朝に除雪車が通ります。家の門前と車庫前に残された雪掻が朝一番の仕事になりますが、そんな時丁度朝のゴミ出しに出て来た人達と出会うことが多く、つい他愛ない立ち話になるのです。
 今年は例年になく連日雪が積もりましたので、朝の除雪で近隣の方々と顔を合わせる機会が多くなって、日々の会話も弾みました。幾人かの人との会話の中で「将来もずっと此処で暮らす」と言う人が多く、いささか驚きました。「夫婦二人だけれども、独りになってもここに住む」とか「子供も孫も関東圏に居るのだけれど、子供達のところへは行かず、最後までここで暮らす」という人もいます。已に奥様が他界されてお一人で住んで居る人も「ここで最後を迎えたい」とのことでした。
 戸建ての古い住宅団地ですから、最初から一人で暮らしで居た人はいません。残されてお一人の方が少し増えつつあるのが現実の姿です。
 「住宅事情が許さないから」と云う事ばかりではなく、子供達にはそれぞれの暮らしがあるし、気心の知れたこの地域の皆さんと仲良くして、ここで暮らすことが最良だと考えている人が多かったのです。
 最近は人口減で市街地でも空き家が多いと聞きます。確かに、お隣が「空き家」では寂しいです。わが家のお隣も、親しくおつき合いしていた奥様が亡くなられて、ご主人お一人で鉄筋のしっかりしたお宅に住んでおられたのですが、たった4~5日の入院の後に亡くなられてしまいました。
 塀を隔てていても、お隣から歌声や物音が聞こえて、生活の気配があったのに、急に無くなると途端に寂しくなります。しかし、やがて住み替わりがあり、また新しいお隣が出来て喜んでいます。
 先月一つ隣の小路に救急車が来て、そのお宅のご夫婦が見えなくなりました。お元気だった奥様の方が急の病で入院され、独りでは暮らせないご主人が、二週間ほどショートステイに行って居られたと後でお聞きしました。今は又揃って戻られたそうで、ホッと安心しました。
 直ぐ近くに働き盛りの子供さん世帯が住居を構えていても、病気のお年寄りを二人引き受けて暮らすことは、共働きでは所詮無理な事です。かといって、急にホームへ行くことが出来る程には、ホームも空いていませんし、介護保険を適用して貰うにも条件があって、そう易々と自宅での介護保険の利用は難しいようです。
 夫婦二人でいれば、どちらか健康な人が頑張って支えるか、他に交替出来る家族が居れば安心して自分の家で暮らせます。ですが、そうした暮らしが出来る家庭はそう多くはないでしょう。
 戦前は、小さな町には、一人か二人の内科医師が居られればそれが普通で、殆どが寝たきりになってから、往診をお願いして過ごして来ました。その頃は大家族だったり、主婦は概ね家庭にいましたから、誰かが家で身の回りの世話が出来、何とか過ごすことができたのです。
 今は身近に医院や介護施設があって、一時的に預かって貰える施設もあります。しかし、自宅で何とか最後まで過ごす為には、往診出来る医師が居て下さらないと不可能です。
 しかし、往診出来る医師は、私の住む地域には、いないのが現状です。全国的には、往診専門のクリニックも出来つつあるやに聞いていますが、医療財政の面からも促進して欲しいと願っています。老人医療の将来を考えると、そうしなければ立ちゆかなくなると思えるからです。
 宮沢賢治は「一日玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ・・・」と「雨ニモマケズ」に書きましたが、今は身近ににスーパーやコンビニがあります。去年入院して、途端に家族の食事が支障なく対処出来るか心配でしたが、歩けさえしたら、全く不安が無いことを知りました。
 たとえ一人暮らしでも、歩くことさえ出来れば、身近に便利屋さんもあり、ちょっとした修理等も頼めて、食べることも暮らすことも、一応生活には不安はなさそうです。当然のことですが、やがて皆一人暮らしになる可能性があることを考えると、「一人暮らしの孤独にどう向きあうか」そこさえしっかり考えておけば、晩年の暮らしも楽しいものにすることが出来る気がするのです。
 ただ健康管理だけは、日々の努力が必要です。スポーツジムなどに通ったり(此処では人との交流もありまので、精神面での効果も大きいと思っています)自宅でも、毎日歩く、体操やストレッチなど折りにふれて積極的に行う、そして老いる程に車に頼らずに、出来るだけバスなど使って、図書館に通ったり、音楽会やお芝居などを親しむ機会を持ち、健康で死ぬ迄歩けるようにする事が、大切だと私は考えています。私もそのように実行して居るところです。
 終の住みかを何処にするか決まったら、次は一人になったらどのように生活設計を立てるか、そして次には難問である孤独にどう対処するかを、そろそろ考えておかなければならないでしょう。
 孤独にっいては、様々な先人訓があります。
 
 世界の賢人達は、孤独をどのように捉えたか、以下に2~3紹介致します。

☆孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。 バルザック(19世紀フランスを代表する小説家)
 
☆現在なお人生の美しいものにふれうる事をよろこび、孤独の深まりゆくなかで、静かに人生の味をかみしめつつ、最後の旅の道のりを歩んで行こう。その旅の行き着く先は、宇宙を支配する法を、少なくとも高齢の人は直観しいるように見える。
            神谷美恵子(精神科医)「こころの旅」

☆孤独ほどつき合いやすい友達には出会ったためしがない。我々は自分の部屋にひきこもっている時よりも、外で人に立ち交じっている時のほうが、たいていはずっと孤独である。考えごとをしたり、仕事をしたりする時、人はどこに居ようといつでもひとりである。孤独は、ある人間とその同胞とを、へだてる距離などによっては測れない。
           ソロー(アメリカの随筆家)「森の生活」

 春が近づいてきました。雪の嵩が日に日に減っています。あんなに純白であった雪が、消える頃になると灰色に染まっているのが、やゝ寂しさを感じさせますが、春はすぐ其処まで来ています。
 一茶の土蔵の家の屋根雪も、もう少しになったでしょうか。
 

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不安からの脱出

2018年02月07日 | 随筆
 定年後の人生を、楽しく生き生きと過ごして居られるような方でも、おそらく「私には不安が全く無い」と言い切る方は少ないのではないでしょうか。
 南こうせつの「神田川」と言う歌に「若かったあの頃何も怖くなかった」というフレーズがありますが、私にも「確かに何も怖くなかった時代が在った」と半分は懐かしく、半分は失われた時間を惜しんで、過去を振り返ることがあります。この先の人生を見据えた時に、いささかの不安が兆すのは、当然のことでしょう。
 『「私はたえず、漠然と悩み恐れ、ふるえ、おどおどし、何であるか自分にもわからないものを案じていた」トイフェルスドロックのことばは、不安というものの姿を良くあらわしています。
 不安とは「何であるか自分にもわからないもの」を案じているところにその特徴がある』と神谷美恵子は、「生きがいについて」(みすず書房)に書いています。
 「何であるか自分にもわからないものを案じる」ことは、果てしない自問自答の渦に、身を投じたようなものです。際限なく湧き起こる様々な不安を抱えながら、人生を全うした先人のことを考える時、日頃から不安を感じやすい私は、それらの人々に畏敬の念さえ感じます。
 ティリッヒによると『「実存的」不安には、三種類ある。第一は死の不安、第二は無意味さの不安、第三には罪の不安である。これらの不安は、平生は生活の忙しさや、もっと浅いよろこびや悩みによって覆い隠されている。それが生きがいを失うような限界状況において、あらわされる』と言います。
 私に最も身近なものとしては、やがて訪れるであろう「死の不安」があげられるでしょう。しかし、私は「人間誰しも死の不安を抱えていても、老いて自然に死を迎えた時には、苦しみや恐怖は恐らく無いだろう」と思っています。
 生む人に苦痛があっても生まれる人(赤ちゃん)には苦痛がありません。病気であっても、死を迎える最後は、恐らく安らかで不安は無い、と私は看取りの経験からそう感じています。(アメリカの精神科医であるキューブラ・ロス博士も「死ぬ瞬間」で同じことを言っています)
 一番身近に見送った義父母や父母の場合も、朝にバッタリ倒れてそのまま亡くなった義父以外は、病の床に着いていましたが、最後の最後はみな苦しまず安らかでありました。この三人は多分自分は間もなく死ぬであろう、と気付いていたと思われます。(その証拠に義母も母も最後の日に「有り難う」と看病していた私に言い、私には忘れられない感動の記憶として残っています)
「生まれ出づる苦痛も死にゆく苦痛も無く、人間の生死は上手く出来ているのだなあ」と思います。
 そこへ行き着く間の介護や看病の時間に、「有り難う」とか「すまないね」とか「あなたと結婚して良かった」とか、口にする家族は可成りあるようですし、私も「有り難う」だけは前記の記憶から是非言って死にたいと願っています。
 しかし、これからは未婚の単身者が増えたり、離婚や死別によって、人生の後半をたった独りで過ごす人が増えて来ると言われています。人生の最終章を「孤独に、或いは家族以外の人に見取って貰う」ことになりそうです。
 家族ほど良く自分を理解し、無償の愛を持って尽くしてくれる者は居ません。現代の日本人の家族の形から、家族揃って見取るような家庭は少なくなりました。
 神谷美恵子はまた、「精神的苦悩は他人に打ち明けることによって軽くなる。――聴いてくれる相手の理解や愛情にふれて、慰めや励ましをうけるということもあろう。しかし、なによりも苦しみの感情を概念化し、ことばの形にして表出するということが、苦悩と自己との間に距離をつくるからではなかろうか。――いい加減な同情のことばよりも、ただ黙って悩みをきいてくれるひとが必要なのである。そういう聴き手が誰もいないとき、または苦しみを秘めておかなくてはならないとき。苦悩は表出の道をとざされる。――文章に書くと言うのも安全弁の役に立つ。――苦悩をまぎらしたり、そこから逃げたりする方法は沢山ある。酒・麻薬・かけごと・・・しかし逃げただけでは、苦悩と正面から対決したわけではないから、何も解決したことにはならない」と。
 人間はもともと孤独な生き物ですから、孤独に耐えられなければ、生き続けて行くわけにはいきません。日頃からそういうことについて考えたりして、自己をしっかりと保てるようにしたいと私も常日頃から思っています。
 良寛禅師は「草堂集」に

独りで生まれ
独りで死に
独りで座り
独りで思う
そもそもの始めそれは知られぬもの
いよいよの終わりそれも知られぬ
この今とはそれもまた知られぬもの
展転するもの全て空
空の流れにしばらく我がいる
まして是もなければ非もないはず
そんなふうにわしは悟って
こころゆったりまかせている

と言っています。良寛禅師にして初めて到達した人生観です。極限まで自我を捨て切った人の人生観です。このようにしてゆったりと暮らせたらさぞ心は穏やかでしょう。私も大いに学びたいと思っていますが、なかなか難しいです。
 柳沢桂子(生命科学者1938年~)は「癒やされて生きる」(岩波書店)の中で、
 私は苦しみの中で苦しさを感じないで生きて行く道を体得した。苦しみも悲しみも私の中にあるものである。苦しみを苦しみにしているのは、ほかならぬこの私なのである。
 何でもないことであった。この一つのことに気づいたことで、私の心はすっとほどけた。悲しいと思う心も、恥ずかしいと思う心も、すべて私が作り出している。それを作りさえしなければ、そのような心にしばられなければ、私はいつも安らかでいられる。

 今回は私自身が日頃とらわれやすい不安から、どのような心で生きて行ったらよいかを考えて、少し本も読み資料から引いて、考えてみました。
 完全癖や、過去へのこだわりや不安など、私自身のこだわり性格を知っている家族から、そのこだわりから解放されることが大切だと言われて、簡単に実行できる解決方法の一つを教えて貰いました。
 それは「いけない」と思った時に、腹式呼吸をする事です。そうする事によって、気分が落ち着く、と教えられたのですが、確かにこれも有効な手段だと思いました。
 世の中には、坐禅によって自己コントロールする人も居られるようですが、仏典を学んで居た頃に、曹洞宗の道元の「只管打坐」に共感して、座ってみたりしましたが、私のように思いが乱れる人間には、結論として不向きでありました。続かなかったのです。
 ゆったりと過ごしたいと思いつつも、常に何かしなければ・・・という気持ちに駆られて、つい「忙しい日々」にしてしまう私です。
 全て自分の心が苦しみを造っているのですから、それを捨て、そこから離れる工夫も、みずから努力しなければならない、と自戒を込めて思っています。
 不安を作り出す根源を自ら断ち切って行く以外に、不安をなくする方法は無いとすれば、先ず大きく息を吸って静かにはき出してみることに致しましょう。


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