ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

「偶然」に見る「意味」と「無意味」

2021年02月14日 | 随筆
私達の身の回りでは未知で不可解な現象にしばしば遭遇します。私が今ここに生きている事にも「何故今ここに?」と考えると、それは既に不可解なことではあります。ですから、不思議な体験をしたとしても、「未知の世界に生きているからだ」と云えばその通りですが、過去の経験を振り返ってみると、どうにも説明の付かない事が幾つか起きています。疑問に思わずに流してしまえば、そのまま過去に埋もれていく体験なのですが、「何故」と疑問を持てば、それは何とも不思議な体験となって甦って来ます。
 
 古い話ですが、こんな事がありました。当時我が家は、義父母と私達夫婦と子供二人の6人家族でした。ある日私が一人で居間の長椅子にもたれて、無念無想の状態で天井の白いクロスを眺めていました。その時の事です。見上げていた私の頭の上に、義父母と娘の笑顔が3つ、顔を寄せ合うように見えたのです。
 義父母は私達の娘・息子の二人の孫をとても可愛がって育ててくれました。娘の笑顔は何とも言えない幸せそうな顔でしたし、義父母も笑顔でした。何故か3つの笑顔がくっついて見えたのです。ハッとした時にはその顔は消えていました。
 今見えたのは何なのだろう?と気になって、居室にいる筈の義父母の安否を確認しようとしました。折しも義父はかかりつけの病院へ出かける予定で、居室から出て来ましたし、病弱で留守居の義母も元気でしたから、その時の出来事が何を意味するのかは分からずじまいでした。ただ私の記憶の底にしっかりと、今でも三人の笑顔が焼き付いています。この時の三人は現在は全員故人です。笑顔の三人を心に焼き付けてくれたのか?とも思える出来事ではありました。
 またある日、夫が目覚め際に見た夢だそうですが、娘が夫の足のふくらはぎを揉んでくれたというのです。とても心地良く感じて目覚めたそうですが、気付くとそれは丁度娘の命日だったと云います。「もう来られないからね」と、娘は理解出来ない不思議な言葉を残したそうですが、それ以来二度と夢に現れなかったと云います。ただ娘に揉んで貰ったという足が確かに温かかった、今でもその時の足の温かさを忘れないと云います。図らずも娘の命日に当り、「偶然」で片付ける事の出来ない何か大きな意志が働いたに違いないと夫は云いますし、私も素直にそう信じています。
 もう一つ、旅好きの私達夫婦は、良く京都や奈良などの名所旧跡を訪れました。四国や九州の旅・北海道(12日)や東北の旅など、多くは一週間前後、短くても3~4日はかけました。振り返って今思い出しますと、それはとても楽しい時間ではありました。
 広島から宮島方面への旅の途中で、岡山の後楽園に可成り早い時間に立ち寄りました。広い公園を巡って、人気の無い静かな時間を楽しみました。静かさ、小鳥の鳴き声、そして風もなく穏やかな朝でした。芝生の小道を歩いて、やがて左手が竹林の道になり、奥へ奥へと歩いていた時のことです。
 突然バサッと音がして、目の前に左から竹が倒れて来ました。驚いて立ち止まる私達の目の前に、前進を阻止するように真横に青々とした竹が一本倒れて来たのです。左の竹藪の竹が一本、地上50㎝位の所で綺麗に切断されていました。まるで「この奥へ行ってはいけません。」と云われているように思えました。
 不気味な予感を感じた私達でしたが、今更戻る気持ちにはなれませんでしたので、思い切ってそれを跨いでその先に進みました。「誰か人がいるのか?」と思いましたが竹林に人の気配は無く、突然一本の竹だけが倒れて来たのです。
 私達の故郷では突然皮膚が裂けて、鋭利な鎌で切ったような傷ができる現象を「かまいたち」と呼ぶようです。空気中に真空の部分が出来た時に、それに触れて起こるといわれます。未だ見たことがありませんが、竹もそんな現象によって切れたのでしょうか?今でも説明の出来ない出来事です。

 私達には、33歳で突然の病で神さまが連れ去ってしまった娘がいました。東京の外国語大学でドイツ語を専攻しました。二年生の夏休みには、「オーペア」と云ってドイツでホームスティーをする制度があります。娘はドイツのケルンの近くで、小学校教員夫妻と小学生・未就学児の二人の子供のいる家庭に、一ヶ月余りの短期留学をさせて貰いました。得難く貴重な、そして楽しい想い出だったようでした。
 後にベルリンの壁が壊された時も、娘はたまたま共に学んだドイツの友人宅に滞在していて、早速ベルリンへ行こうとして最寄りの駅に駆けつけたそうですが、到着する列車は全て超満員で、その先へは行けなかったと残念そうでした。
 当時は東ドイツへ「学生という身分」で行けた事もあった、という事も神のお計らいでしょうけれど、その後一人で世界一周の旅に出て、多くの国々をゆっくりと見学できたのも、また神のお計らいでありましょう。
 娘は結婚後にニューカレドニアへ行って、美しい白砂と碧い海を、二人でゆっくり楽しんで来て、私に不思議な貝のネックレスを土産にくれれました。ずっと後に「ニューカレドニアの波の音」と云うCDを、この市の図書館から借りてきて聴いたことがあります。今もそのネックレスを耳に当てると、「天国に一番近い国」と云われているらしい島の、とても静かで、優しく美しい波の音が聞こえて来るようです。
 
 ある日娘が久し振りに帰省していて、「お母さん残りのシチューある?」と聞いて来ました。何故かホワイトシチューが大好きで、帰省の折は良く作ったものでした。「あら残念、さっき残りを食べてしまって」と云うと「そう、じぁあ良いわ」とあっさり云いましたが、その後十年位して娘が亡くなりましたので、シチューも今は「命日に食べる」懐かしい想い出の献立になりました。
 その命日が近づいています。家族の命日には、それぞれの家族の好物を作るのが、我が家の長い間のしきたりとして今日に繋がっています。
 義父の命日か゛1月19日でしたから、普段からご飯よりもお粥が好きな人で、毎日米から焚いたお粥を食べてもらっていましたから、今は「中国風の五目お粥」を作るのが習わしです。
 以前或るホテルのレストランで、そのホテルの名物の中国料理のコースを何人かの友人達で食べました。そのグループが集まると何かと食べ歩いたのです。最後に五目お粥が出るのですが、それがとても美味しくて、私も自宅で手作りするようになっていたのです。
 偶然の重なりですが、このようにして各家庭の習わしが出来て行くのですね。皆様のお宅では、どの様なエピソードと習慣があるのでしょうか?。
 春になったと感じる良いお天気です。茅ヶ崎の友人からも「乾燥気味なので、冬ですが水撒きをしました」というメールが届き、今年の冬の暖かさを感謝しています。
 私達は日々何事もない平凡な暮らしをしていますが、考えてみれば幾つかの「偶然」と言われる不可解な現象に遭遇しています。一つ一つの偶然を分析してみると、そこには深い意図が見つかる場合があるようです。
 それは何かの示唆であったり忠告であったりするのですが、それに気付いた時には、既に過去の現象となっているのが残念です。人類は未知のウィルスにより、今や存亡にかかわる重大な時期になったとも云えそうです。叡智を絞り恩讐を越えて、一体となって困難を克服して、輝かしい歴史を刻みたいものだと「建国の日」を過ごして思っています。