私達は一生の間に多くの医師のお世話になります。私は小さい頃は比較的弱いかったのですが、成人して後元気で勤めていた頃、10年以上一度も病気で医療機関にかかったことがありませんでした。少しくらいの熱でも職場を休む事はしませんでしたので、医療保険の支出が0だったのです。当時は10年間一度も医療保険を使わなかった人には「銅製の菓子皿」が賞品として頂ける制度がありました。そんななシステムがあるとは全く知らずにいましたので、送られてきてとてもて驚きました。今にして思うと、新型ウィルス性肺炎が蔓延しそうな現在、このように熱があっても勤めに出る行為は、決して褒められる事では無かったのですね。
「病気になったらお医者さんに診て頂く」のは当然ですが、私達も「救急箱」で治らなかったら直ぐに医師に診て頂いていました。子供達は良く医師のお世話になりました。本当に様々な医師のお世話になったのです。皆さんとても優しく温かく時間外であっても診て下さって、未だに感謝と尊敬の念で想い出す医師が何人かおられます。
先日夫が定期購読している「日本医事新報」の2020年1月4日号に面白い記事が載っていると云って、見せてくれました。著者は東京都の医師会長の尾崎治夫氏ですが、以下にご紹介します。
『最近、霞ヶ関の若手官僚の能力や、やる気が落ちて来ているのでは、という話を聞いた。優秀な人間が官僚にならなくなったとの政府関係者の嘆きも聞こえて来る。進学校の上位が皆医学部を目指すようになったという現状が影響しているのでは、と与党の有力国会議員の方から聞いたこともある。進学校で有名なある私立高校では、同級生の半分近くが医学部に入学しているという。将来同期会を開いた時には、半分くらいが医者で占められる、というのは異常ではないか。』とありました。確かに医学部の予備校でもないのに、異様にも思います。それとも医師がそんなに良い?職業なのでしょうか。ぐっすり眠る暇もなく、疲弊している医師を身近に見ているといささか考えさせられます。
読み進めると『様々な医者を見て来たが、いわゆる受験戦争を悠々と勝ち抜くような能力を持っていたと思われる医者には立派な研究者はたくさんいるが、臨床家として評価出来る医者は少ないように感じる。それはなぜか、往々にして彼らは、理数的な面では極めて優秀であるにもかかわらず、人間に対する興味やコミュニケーション能力に欠けているという共通した面があることがわかった。それ反し、ぎりぎりの成績で私立大学に入りいろいろな遊びを経験し、辛うじて医師国家試に合格して医者になったような人物が、患者さんから感謝され評価される医師として活躍されていることは少なくない。未来の医者に求められる資質は、人間愛とコミュニケーション能力であろうと思っている。有名進学校の進路指導の先生方、優秀な官僚がいなとこの国は滅びます。医者に求められるのは、人間愛とコミュニケーション能力と、ほどほどの頭の良さです。「君は頭がいいから医者になりなさい」はもうやめましょう』
最近私も、このような事を思わせられる事態に出会いましたので「頭脳よりも人間性」だと二人でひとしきり話しが弾みました。
人間の一生とは何でしょう。みなどなたか目に見えない方の計らいで、「現在」があり、上手くいっているのだと思います。親も子も必死に努力して引き寄せた道ではなく、何だかこう在ることが決められていた道をひたすら歩いて来た、という気がします。ノー天気と思われるでしょうが、振り返ってそう思える人が幸せな人だと思います。
貧弱な私の記憶から推察しても、病気の身体や悩んでいる心を救って下さった医師に対する尊敬の念は未だに消えません。つい先日も、手指が痛むので、近くの整形外科へ行きましたら、「痛みの原因は腱鞘炎です」と云われて、レントゲンで右手を撮影した結果「貴女の骨はスカスカでこのままでは短命ですよ。将来は悲惨です。」と宣告されました。
たかだか腱鞘炎でかかった医師に、「貴女の人生は絶望ですよ」と宣告されては、二度とかかる気になりません。かつて私達がお世話になった医師達は、「こんなに熱心に治療して下さるのだから、一日も早く治ることが恩返しだ」とさえ思ったものです。この違いは一体何処からくるのでしょう。
素晴らしい医師については、何回か書きました。黄泉の国で笑っておいでのように思えます。本当にありがとうございました。
「病気になったらお医者さんに診て頂く」のは当然ですが、私達も「救急箱」で治らなかったら直ぐに医師に診て頂いていました。子供達は良く医師のお世話になりました。本当に様々な医師のお世話になったのです。皆さんとても優しく温かく時間外であっても診て下さって、未だに感謝と尊敬の念で想い出す医師が何人かおられます。
先日夫が定期購読している「日本医事新報」の2020年1月4日号に面白い記事が載っていると云って、見せてくれました。著者は東京都の医師会長の尾崎治夫氏ですが、以下にご紹介します。
『最近、霞ヶ関の若手官僚の能力や、やる気が落ちて来ているのでは、という話を聞いた。優秀な人間が官僚にならなくなったとの政府関係者の嘆きも聞こえて来る。進学校の上位が皆医学部を目指すようになったという現状が影響しているのでは、と与党の有力国会議員の方から聞いたこともある。進学校で有名なある私立高校では、同級生の半分近くが医学部に入学しているという。将来同期会を開いた時には、半分くらいが医者で占められる、というのは異常ではないか。』とありました。確かに医学部の予備校でもないのに、異様にも思います。それとも医師がそんなに良い?職業なのでしょうか。ぐっすり眠る暇もなく、疲弊している医師を身近に見ているといささか考えさせられます。
読み進めると『様々な医者を見て来たが、いわゆる受験戦争を悠々と勝ち抜くような能力を持っていたと思われる医者には立派な研究者はたくさんいるが、臨床家として評価出来る医者は少ないように感じる。それはなぜか、往々にして彼らは、理数的な面では極めて優秀であるにもかかわらず、人間に対する興味やコミュニケーション能力に欠けているという共通した面があることがわかった。それ反し、ぎりぎりの成績で私立大学に入りいろいろな遊びを経験し、辛うじて医師国家試に合格して医者になったような人物が、患者さんから感謝され評価される医師として活躍されていることは少なくない。未来の医者に求められる資質は、人間愛とコミュニケーション能力であろうと思っている。有名進学校の進路指導の先生方、優秀な官僚がいなとこの国は滅びます。医者に求められるのは、人間愛とコミュニケーション能力と、ほどほどの頭の良さです。「君は頭がいいから医者になりなさい」はもうやめましょう』
最近私も、このような事を思わせられる事態に出会いましたので「頭脳よりも人間性」だと二人でひとしきり話しが弾みました。
人間の一生とは何でしょう。みなどなたか目に見えない方の計らいで、「現在」があり、上手くいっているのだと思います。親も子も必死に努力して引き寄せた道ではなく、何だかこう在ることが決められていた道をひたすら歩いて来た、という気がします。ノー天気と思われるでしょうが、振り返ってそう思える人が幸せな人だと思います。
貧弱な私の記憶から推察しても、病気の身体や悩んでいる心を救って下さった医師に対する尊敬の念は未だに消えません。つい先日も、手指が痛むので、近くの整形外科へ行きましたら、「痛みの原因は腱鞘炎です」と云われて、レントゲンで右手を撮影した結果「貴女の骨はスカスカでこのままでは短命ですよ。将来は悲惨です。」と宣告されました。
たかだか腱鞘炎でかかった医師に、「貴女の人生は絶望ですよ」と宣告されては、二度とかかる気になりません。かつて私達がお世話になった医師達は、「こんなに熱心に治療して下さるのだから、一日も早く治ることが恩返しだ」とさえ思ったものです。この違いは一体何処からくるのでしょう。
素晴らしい医師については、何回か書きました。黄泉の国で笑っておいでのように思えます。本当にありがとうございました。