ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

良い医師とは

2020年01月25日 | 随筆
 私達は一生の間に多くの医師のお世話になります。私は小さい頃は比較的弱いかったのですが、成人して後元気で勤めていた頃、10年以上一度も病気で医療機関にかかったことがありませんでした。少しくらいの熱でも職場を休む事はしませんでしたので、医療保険の支出が0だったのです。当時は10年間一度も医療保険を使わなかった人には「銅製の菓子皿」が賞品として頂ける制度がありました。そんななシステムがあるとは全く知らずにいましたので、送られてきてとてもて驚きました。今にして思うと、新型ウィルス性肺炎が蔓延しそうな現在、このように熱があっても勤めに出る行為は、決して褒められる事では無かったのですね。
 「病気になったらお医者さんに診て頂く」のは当然ですが、私達も「救急箱」で治らなかったら直ぐに医師に診て頂いていました。子供達は良く医師のお世話になりました。本当に様々な医師のお世話になったのです。皆さんとても優しく温かく時間外であっても診て下さって、未だに感謝と尊敬の念で想い出す医師が何人かおられます。
 先日夫が定期購読している「日本医事新報」の2020年1月4日号に面白い記事が載っていると云って、見せてくれました。著者は東京都の医師会長の尾崎治夫氏ですが、以下にご紹介します。
 『最近、霞ヶ関の若手官僚の能力や、やる気が落ちて来ているのでは、という話を聞いた。優秀な人間が官僚にならなくなったとの政府関係者の嘆きも聞こえて来る。進学校の上位が皆医学部を目指すようになったという現状が影響しているのでは、と与党の有力国会議員の方から聞いたこともある。進学校で有名なある私立高校では、同級生の半分近くが医学部に入学しているという。将来同期会を開いた時には、半分くらいが医者で占められる、というのは異常ではないか。』とありました。確かに医学部の予備校でもないのに、異様にも思います。それとも医師がそんなに良い?職業なのでしょうか。ぐっすり眠る暇もなく、疲弊している医師を身近に見ているといささか考えさせられます。
 読み進めると『様々な医者を見て来たが、いわゆる受験戦争を悠々と勝ち抜くような能力を持っていたと思われる医者には立派な研究者はたくさんいるが、臨床家として評価出来る医者は少ないように感じる。それはなぜか、往々にして彼らは、理数的な面では極めて優秀であるにもかかわらず、人間に対する興味やコミュニケーション能力に欠けているという共通した面があることがわかった。それ反し、ぎりぎりの成績で私立大学に入りいろいろな遊びを経験し、辛うじて医師国家試に合格して医者になったような人物が、患者さんから感謝され評価される医師として活躍されていることは少なくない。未来の医者に求められる資質は、人間愛とコミュニケーション能力であろうと思っている。有名進学校の進路指導の先生方、優秀な官僚がいなとこの国は滅びます。医者に求められるのは、人間愛とコミュニケーション能力と、ほどほどの頭の良さです。「君は頭がいいから医者になりなさい」はもうやめましょう』
 最近私も、このような事を思わせられる事態に出会いましたので「頭脳よりも人間性」だと二人でひとしきり話しが弾みました。
 人間の一生とは何でしょう。みなどなたか目に見えない方の計らいで、「現在」があり、上手くいっているのだと思います。親も子も必死に努力して引き寄せた道ではなく、何だかこう在ることが決められていた道をひたすら歩いて来た、という気がします。ノー天気と思われるでしょうが、振り返ってそう思える人が幸せな人だと思います。

 貧弱な私の記憶から推察しても、病気の身体や悩んでいる心を救って下さった医師に対する尊敬の念は未だに消えません。つい先日も、手指が痛むので、近くの整形外科へ行きましたら、「痛みの原因は腱鞘炎です」と云われて、レントゲンで右手を撮影した結果「貴女の骨はスカスカでこのままでは短命ですよ。将来は悲惨です。」と宣告されました。
 たかだか腱鞘炎でかかった医師に、「貴女の人生は絶望ですよ」と宣告されては、二度とかかる気になりません。かつて私達がお世話になった医師達は、「こんなに熱心に治療して下さるのだから、一日も早く治ることが恩返しだ」とさえ思ったものです。この違いは一体何処からくるのでしょう。
 素晴らしい医師については、何回か書きました。黄泉の国で笑っておいでのように思えます。本当にありがとうございました。
 

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ひと言の温もり

2020年01月08日 | 随筆
 明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申しあげます。

 私達は顔見知りの人に出会ったりすると、すれ違う時には短い挨拶を交わします。時には黙礼だけだったり、時には短い言葉を掛けたりで、つき合いの濃淡によって様々です。黙礼だけの場合でも、ごく短い一言でいいですから、言葉が付けば、一層心が通じるように思います。
 身近な例を取り上げますと、例えば町内会長さんが、町内を自転車で巡回しておられる事がありますが、そのような時私は「お世話になります」と声を掛けることにしています。「ご苦労さまです」でもいいのでしょうが、やや上から目線の物言いになる気がして、何時も「お世話になります」と云っています。
 もし私が同じ役割を果たしているとしたら、黙って頭を下げられても、その心は通じますが、やはり一言ことばを加えれば、一層心地良く労をねぎらって貰った気がするのではと思うからです。
 最近八千草薫の「あなただけの咲き方で」(幻冬舎2019年11月25日第四刷)という本を求めました。何時も穏やかな笑顔の八千草の、優しさ伝わってくるようで、心が温かくなる本でした。
 そこには「品位とは、相手を思いやる気持ちのこと」などとあり、私は自分自身に品位があるとは思えませんが、他人の品位には尊敬の念を持っていて、私も近づきたいという思いがあります。このように「相手を思いやる気持ち」だと云われれば、それは努力して身に付けることができますから、素直に心に入っても来ますし、励みにもなります。

 我が家では、夫が毎朝庭を掃き掃除しています。車道まで出て掃除しますから、時間的にゴミだしの方達が通る時刻なので、「何時も綺麗にしておられますね」とかアプローチの花鉢に「見事に咲きましたね」等と言葉を掛けて下さる人も多いのです。
 感じたままの一言ですが、それがとても嬉しいようで「今日は○○さんに出会ったら、このような事を云われた」と楽しそうに話します。さしたる話しでも無いのですが、ご近所の心の繋がりに役立って、人と人が繋がって行きます。
 雪はほとんど降りませんが、時には車のために、車がすれ違えられるだけの幅の道路の確保をすることもあります。車庫の前も空けなければなりません。皆さん快く働かれて、町内はみるみる綺麗になります。「車の有る人がやれば良い」ではなく、車の無いお年寄りも率先して道路の確保に汗を流して居られます。日頃の言葉の交流からか、人の繋がりは可成り強い方だと思います。この様子だと災害があっても、きっと助け合う町内に成るであろうと、心強く思われて嬉しいです。
 ○○さんが亡くなられたとか、施設に入られた、といったニュースをお聞きすることもあり、変わり映えのしない毎日のようでも、何かと心を騒がせる出来事に出会うこともあります。
 最近体が不自由になられて、ホームへ入られた友人から、「価値観が同じような人が少なく、普通の話しが出来ない、電話が欲しい。」と頼まれました。お安い御用なので、生活ダイヤに支障の無い時間を見計らって、電話で話をします。「有り難かった」と云われて、「ホームに入ると、このような不便もあるのか」と知らなかった事に気付かされました。ホームではお金が持たせられない、と云う不便もあるようで(全てのホームではないでしょう)怜悧な頭脳の持ち主である友人の、関心のありそうな本を送って上げて喜ばれました。本はその人の関心がなければ役立ちませんので、この先どうしたら良いか考えているところです。
 県立図書館があり、市立図書館があり、夫の車があった頃は本を読みに通う事も自由自在でしたが、夫は車を早く手放しましたので、最近はバスで10分位の市立図書館へ行くことが多くなりました。
 更に最近は、hontoで読む事も増えて、パソコンが友達になって来ました。紙の本が良いことも、電子図書が良いこともありますね。
 しかし、短くても良い、心が直接届く電話の話も、生きている人間には大切なのだと、改めて思わされたことです。
 今までこれほど言葉のやり取りが大切だと気が付かなかくて、不自由もなかったのでしたが、これからはもう少し他人の心を察しられる人間になりたいです。これから先は出来るだけ行き交う人に言葉をかけようと思います。「冷え込みましたね」の言葉が、温もりを感じさせのですから、言葉とは不思議な力を持っているものだと改めて思いました。
 今日は寒い日で、珍しく白いものがチラチラと舞っています。風も強くて(25m位?)午前中に買い物も済ませました。
 とりとめも無い生活雑感になりました。これかしばらくフォレスタのDVDでも聞いて心を温めて・・・と思っています。今年もどうぞよろしくおつき合い頂ければ嬉しいです。

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