ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

連続する奇蹟

2014年10月30日 | 随筆・短歌
 何故か解りませんが、家族がそれぞれとても不思議なことに出会い、それが全く偶然でありながら、もしかして神の意志に依る必然なのか、と思えるほどの出来事に立て続けに出合いました。
 それは私達を思い掛けない方向に導いて下さったり、思うようにすらすらと何の支障もなく、困難なことを達成させて頂いたり、そして次の良いことに連なるという体験です。
 作家の遠藤周作も、そういう何とも説明出来ない不思議な体験をして、そこから人生が変わったりした経験があり、多分誰もが一度や二度は、同じように不思議な、奇蹟としか言えない出来事に遭遇しているのであろうと書いていますから、皆さんもきっとそんな経験をなさったのではないかと思います。
 最近心に残ったのは、遠い祖先のお墓を今年初秋に訪ねた時に、予め地図に依って教えて貰った道が、今はとても通れない草深い道になっていて、正しいと思って入った道が、どうやらお墓の在る位置からどんどん離れていくのに気付きました。そこで少し戻った時、たった一軒小高い所に建っていた家のおばあさんが、偶然ひよっこりと外に出て来られ、お聞きすることが出来、無事にお墓に辿り付きました。
 人が家から外に出るのは、掃除や花鉢の水やりだったり、外出は、ほんの限られた短い時間で道路に出てしまい、この家の住人として認識される時間は本当に僅かな時間でしかありません。たまたまその好機を与えて下さったのは誰なのか、等と後々まで家族でその不思議について話し合いました。そこでお聞きしなかったら、長い年月の間に変わってしまった場所をうろうろするばかりで、私達はお墓にたどり着けなかったでしょう。
 雷雨の予報の日の朝に、未だ降って来ないからと歩きに出て、40分歩いて、あと家の門まで5メートルくらいの所で急な雷になり、家に駆け込んだ途端に大雨になったとか、お天気に関する危機一髪の体験は良くあることてす。
 列車一本遅ければ、次の列車が事故で予約の飛行機に乗れなかったとか、何故か遙か遠くに住む、全く無縁で過ごして来た見知らぬ人に巡り会い、その方の親切に触れて、自分の進む道が変わったとか、これはもう誰かのお陰としか言いようの無い出来事と言えます。
 以後誰がそのように導いて下さったのか、全く説明出来ない不思議の連続でした。日頃は考えも及ばない人達との交流も生まれ、本当に不思議だらけと言えます。
 格別気にしないでやり過ごせば、それはそれで気付かずに過ぎてしまうということも多いでしょうが、それを大いなる方のご加護と考えれば、何という有り難いことかと、その奇蹟とも言える出来事に感謝します。 
 私達は日常の生活の中で、数々の「偶然」に出会っている筈ですが、これを単に運が良かったと思うだけでやり過ごしてしまうのですが、これを何かに助けられたと考えたらどうでしょう。心の温もりも感謝の気持ちも、より深まっていくことでしょう。
 幸不幸はあざなえる縄の如しと言われますから、不幸も矢張り突然にやって来て、何故私が、と思うこともあるでしょう。しかし、不幸な経験もその後の自分の生き方に無駄ではなかったと思え、過ぎてしまえばかけがえのない経験として、苦難も必要なものだったと理解出来ます。
 そう思えば、私達の人生も、一見昨日の続きであり、何の変化もなく、続いているようですが、じつは奇蹟的な事の連続なのではないか、とさえ思えます。
 毎日、新聞・テレビ・書物等様々なものから情報を得て、自分なりに解釈して生活していますが、何を見るか、何を聞くか、そしてそれをどの様に解釈するかで、その先の人生が変わってゆくのですから、矢張り一つ一つの小さな出来事も偶然であり又奇蹟の一つで、その連続が人生だと言える気がします。
 ではやる気を起こす力は全て自分の努力か、と言えば、それも誰かの手によって背中を押されたりしていて、100%自分の力とは言えません。多くの人達に陰に陽に励まされ慰められ、お世話になっていると言えましょう。
 そして月日を重ねて老いた時、遅ればせながらでも、そこまでの人生を、目に見えない力に支えられて来たことに気付き、感謝出来るようでありたい、と思います。
最後に坂村真民の詩を載せて、生きる意味を考えてみたいと思います。
  
「老いること」

老いることが
こんなに美しいとは知らなかった
老いることは
鳥のように
天に近くなること
花のように
地に近くなること
しだれ柳のように
自然に頭のさがること
老いることが
こんなに楽しいこととはしらなかった


「念じてください」

念じてください
日に
月に
星に
手を合わせて

念じてください
木に
石に
地球に
額をつけて

念じてください
病に苦しむ人たちのために
貧しさに泣く人たちのために
痩せ細りゆく難民達のために

念じてください
少しでもお役に立つことのできる
人間になることを
そして生きてきてよかったと
自分に言える一生であるように
二度とない人生だから
かけがおのないこの身だから



スーパームーンに寄せて

2014年10月20日 | 随筆・短歌
 今年9月の満月をご覧になりましたか。普段の黄色い月と違って、オレンジ色に近いとても大きい月でした。旧暦の8月15日は今年は9月8日に当たり、この日が十五夜でした。でもスーパームーンは9月9日でした。
 我が家では十五夜の日は、遠い祖先のお墓参りを済ませての帰り道に当たり、ある温泉ホテルに一泊していました。屋上の露天風呂から、白く冴えた月見をしましたが、満月とはいえ、やや欠けている感じがしました。帰宅した日の夜に、スーパームーンが登りました。16%も大きく明るさは30%も増えたと言われる今回のスーパームーンは、ゆらゆらと重そうに少しずつ登って行き、その大きさと神々しさに、思わず手を合わせて「幸せを頂き、又お守り頂いて有り難うございます」と心でつぶやきました。前夜の満月よりもずっと大きく見えたのは、月が地球に近づいた為だそうです。登り始めた地平線の近くの時が特に大きく感じられました。
 この次に今回のようなスーパームーンに出会えるのは、2034年だそうですから、多分私は見られないと思います。
 小林一茶の俳句に「名月を取ってくれろと泣く子かな」という一句があります。空に在る月が手や竿で取れたら、と幼い頃に思わない人はいなかったのではないか、という気がします。 
 月はどれ程眺めていても眩しくないし、三日月も立待の月(陰暦17日の夜の月、出が遅い)も、細い上弦や下弦の月も、様々な月齢の月が、それぞれの趣を持ち、短歌や俳句に詠われています。月を眺めながら物思いに耽る人は、今では少なくなってきたのかも知れません。余裕の無いすさみがちな心を、月の雫で濡らして欲しいと思いました。
 小林一茶の有名な俳句は皆さんもご存じだと思いますが、秋~冬の季語から拾いますと、
仰(あふ)のけに落ちて鳴きけり秋の蝉
けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ
木曽山へ流れ込みけり天の川
露の世は露の世ながらさりながら
これがまあ終の栖(すみか)か雪五尺
等を思い出します。
 一茶の住んだ土蔵の家もずっと以前、長野県の戸隠高原並びに戸隠神社への家族旅行の時、帰りに見て来ました。
 苦労が多く、折角生まれた娘も幼くして亡くなり、財産争いもあって、気の毒な生涯だったようですが、ひょうひょうとして、自然を楽しむ豊かな心にユーモアを交えた俳句を詠み、その生き様は、まるで悟りきった禅の高僧のようであったようです。
「這えば立て立てば歩めの親心」未だ幼い我が子を詠んだ一句ですが、子供に対する親の留まることのない期待感と愛情を表しているものだと思います。率直で飾り気の無い一茶の俳句が好きです。推敲をつくしてこれ以上推敲の余地が無いと思われる芭蕉の完成された俳句の見事さと、一茶のゆとりのある温かみと素直さが何とも言えません。
 この度御嶽山の噴火で、亡くなられた方達とそのご家族、未だ雪に閉じ込められたままで、来春まで待たなければならない行方不明の人のご家族の方達の辛いお気持ちを察しつつ、「木曽山へ~」や「露の世は露の世ながら~」をしみじみとかみしめています。
 最近「盥から盥に移るちんぷんかん」と言う一茶の俳句に心を引かれています。産湯を使った盥、死んで湯灌をする盥、どちらも盥ですが、生まれて初めて使う盥と最後に使う盥と、その間にある人生が「わからない」といっているのだと思っています。「人生とは何ぞや」と問う哲学者達や文学者達が大勢いますが、これは、人間存在の永遠のテーマであって、100人居れば100通りの人生観があります。一茶はそれをひょうきんに、しかも端的に言い表していて、心が引かれます。
 「生まれ生まれ生まれ生まれて生の初めにくらく、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」と言ったのは、弘法大師空海ですが、幾度生き死にを繰り返しても、何故生まれるのか、何故死ぬのか知らないし、人生とは何であるのか解らないということのようです。一茶の俳句の「ちんぷんかん」は、同じ意味を一茶らしくユーモラスに表現していて好きです。
 そんな事を思いつつ、月を眺めていますと、月の引力に依って潮の満ち引きがある、という学生時代に教えて頂いた科学が思い出されたり、出産も夜中から早朝に生まれるということから、これも自然の力に導かれているのでしょう。最近は出産の時刻は薬で調整でき、医師が真夜中に起こされることが少なくなったと聞きます。多分蝉の羽化が外敵に見つからないように夜中に行われるのと同じように、きっと生まれる時間も大抵自然界の節理によるものかと思います。
「月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」という、月を8回繰り返した短歌もあります。旧暦八月の中秋の名月を差していますから、中々機知に富んだ歌ですね。
 今日は月齢27日ですから、下弦の月で細く、しかも朝方でないと見えません。まるで行方知れずのこのブログに似ています。
「一日の日程終えて見る暦十年先を推し量りつつ」
これは2004年の夏に某誌に載った私の歌です。10年が経った今思うことは、想像していた年月よりも短く感じられた事、でも沢山の新しい事を勉強出来て、ほんの少しではありますが、知識の貯えが増えたこと、生きていく上での苦労もあったので、その分人に優しくなれたこと、と数え上げてゆけば、矢張り年月の重みを感じます。月の満ち欠けを幾度眺めて、来し方を考え、行く末を思って希望を貰って来たことでしょう。
 
忍耐に依りて成される業(わざ)もある欠けたる月の満ち来るように(あずさ)    
   

顔が語りかけて来るもの

2014年10月09日 | 随筆・短歌
 図書館から、また日本の名随筆集を借りて来ました。今回は、「顔」について、市川崑が編集したものです。今から28年前に第一刷が出されています。過ぎ去った時間がもたらしたものや価値観の変化を考えたり、その中の普遍的なものに思いをめぐらせつつ読みました。
 表紙を開くと、初めに土門拳の中宮寺の弥勒菩薩の、お顔の部分を写した写真が入っていました。これは私が一番好きな仏像です。「顔」と言った時に直ぐに編集者の脳裏に浮かんだのが、この微かに微笑んでおいでの菩薩像だったのでしょうか。私は嬉しさのあまり、しばし呆然と見つめていました。
 私は、他人の顔について興味が薄い方で、出会っても直ぐに忘れてしまいます。歳を取って比較的狭い社会に住むようになって、これでは二度目にあった時に気づかず、失礼にあたる事があると思うようになりました。覚えが悪いのは昔からですがそんな自分を嘆いています。
 市川崑は、「顔は人間の表玄関である」と書いています。そして映画監督として、人間の顔を写しただけで、「その人物の感情や心理や、ある時は環境まで描く」とありました。そして「重要なのは眼であり、アップになった顔を見るとき、だれもが無意識に眼をみている」といいます。さすがに名監督だけあって、鋭い観察眼です。
 眼は口ほどにものを言い、と云う言葉がありますが、その通りであることは、ある年齢になれば誰でも気付くことです。
 私は、若い頃の自分の顔に比べて、老いた自分の顔を鏡で見る時、その輪郭も眼も次第に実母に似てきたと思うようになって、嬉しくもあり、またDNAの不思議さを思います。丸くて大きかった眼と長かったまつげは、眼の周りの皮膚がゆるみ、まつげは薄くなり、眼はだんだん細くなった感じです。年々皺が増えて来る顔を鏡で見る時、「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言われますから、この顔がこの眼が、これ迄過ごして来た私の生き方を映し出している訳で、来し方の様々を感慨深く省みることになります。
 家族に度々完全主義だと言われます。それが自らを苦しめることになっているので、もっとゆったりと生きるようにいわれます。どうもきちっとしていないと気が済まない、ほんの僅かな失敗でも気にして自分が許せない、確かにそんな性格だと感じています。完全を求める性格というのは、ある意味では幼稚であり、心にゆとりを持てない性格だと言えます。
 今日は息子が何気ない会話の中で、「歳をとることは、そう悪い事ばかりではない筈だ」と言いました。「そうだ」と思い、歳を取るにつれて、良い事を心の中で探し続けて行きたいと思いました。
 随筆の中で、石井鶴三(彫刻家・画家)は「顔は人を偽ることが出来ません。話しを言葉だけで聞く人は、真相を誤る事がありますが、顔から聞く時は、先ず誤ることがありません」といっています。三島由紀夫は「美容整形この神を怖れぬもの」という題で、当時有名だっ東京の美容整形病院について書いており、この病院で働いている人が皆美しいこと、院長も「私も直しました」と言います。三島の一番素朴な疑問は「親から貰った生まれながらの顔をそんなにいじくり回して」という古くさい疑問だと書いています。 しかし、さすがに三島は、「美容整形」の思想が、未来社会の一つの重要なモラルになりそうな予感さえもっている。精神のことなんか置き去りにして、外面だけ美しくしようという考えは、人間の抱く一等浅はかな考えのようだが、この「浅さ」が曲者なのだ。あらゆる「深い」思想が死に絶えたあとに、もっとも「浅い」思想に「深み」が宿るかもしれないのである。といっているのです。これは三島独特の鋭さのように思えます。しかし、一方では、この美容院の美容整形のいかがわしさを指摘していて、モラルの体系も深いところでガタガタと崩れていくような気がする、といっています。
 私は、現在のグループ歌手の二重まぶた、パッチリ眼をつくるアイシャドウ、つけまつ毛などを思い出します。今や、男性までも整形したり、化粧するのがさして珍しくない時代になりました。
 テレビを通して、女優や歌手の化粧から、私もあのように、と思う人が増えたといえます。高齢者の中にも、美容整形が忍び込んで来ました。
 福原鱗太郎(英文学者・随筆家)は、既に「日本の女の人は、顔の流行型に従って、みんな同じようになってくる傾向があり、まことに味気ない。イギリスでは、ただ美しいだけではなく、性格を持った顔というのがよいのだそうだ」と述べています。
 私も年老いた人の、有りのままの皺の一つ一つに、自分の歴史が刻み込まれていると思うと、そこに手を加えることは、自分の生きて来た歴史を改ざんするように思えます。私の敬愛する人達も、矢張りそうだと、テレビや写真を見てそう思っています。 
「自分の顔に責任を持てる人」とは、表玄関である顔と、奥の間の生活とが一致したことを言うのではないか、と市川崑は最後に書いています。共感を覚えると同時に、私もそうありたいと思うのです。
 顔は、その表情を変えるとき、眼が語り、顔が語り、心の中からにじみ出てくるものが美しい時、その人の本当の良さに気づき、その考えに感動したり、真価が解るというものではないでしょうか。それは皺も語りかけるものの一つであり、老いた人間の美しさの一つである気がします。
 スポーツ選手はみな美しいと感じるのは、私一人ではないでしょう。一途に頑張るひたむきさが、その顔にはつらつとした輝きを持たせ、心の中からの美しさが、人々を引きつけるのでしょう。
 伊丹万作(映画監督・伊丹十三の父)は、「生まれたままの顔というものはどんなに醜くくても醜いなりの調和がある。医師の手にかかった顔というものは、無残や、もうこの世のものではない。もしこの世の中に美容術というものがあるとすれば、それは精神的教養以外にはないであろう。顔面に宿る教養の美くらい不可思議なものはない。」と言い、「人間が死ぬる前、与えられた寿命が終わりに近づいたときは、その人間の分相応に完全な相貌に到達するであろう。・・・要するにその人の顔に与えられた材料をもってしては、これ以上立派な顔を造れないという限界のことを言う」と書いています。
 もしそうだとしたら、私ももっともっと教養を深めていく必要があります。しかし、美しくなるために教養を積むわけではなく、日々の生活の質を高めて、その積み重ねを大切にして行きたいと考えています。年齢に相応しく無理をせずにです。
 赤ちゃんの澄みきった清純な瞳を通して、その奥の間に仏を見る思いがします。盤珪禅師の説く「赤児の仏心」を思うと一人一人の子供が尊い存在、そして大切な存在に思えます。私も歳老いて、その心に再び近づけるように努力しなければ、と思うのです。
  
言ひさしの言葉に心透けたるか若葉映せし君の深き眼(某誌に掲載)