論語に「過ぎたるはなお及ばざるが如し」があります。「何事もやり過ぎることはやり足りないことと同じようによくない」ということです。日本語ほど豊かに表現出来る言語は無い、といささか自意識過剰かも知れませんが、誇りに思っている私です。例えば、雨という文字を使った表現は400以上あると言います。このことからも、如何に表見が豊かか、推察出来るというものです。
そんな言葉の中で日々を過ごしていて、最近良く使われる言葉で、「美し過ぎる」とか「美味し過ぎる」と言う言葉が気になります。先の論語によっても、これは「美しい」「美味しい」を過ぎているのですから、言わば良くないと言っていることになります。もし、美しさや美味しさを次第に高めて行く曲線で描いてみると、頂上を過ぎた状態を表現していることになり、言わばピークを過ぎた状態です。
最高の美しさより、行き過ぎて下りに掛かっています。この表現を「これ以上の美しさは無い位」とでも言いたい時の、感動の言葉として使っているところに、間違いがあります。
某国大統領の娘さんは、私には、ウットリする位美しいと思われます。昔活躍した名女優の、イングリッ・トバーグマンの「カサブランカ」の別れのシーンでの、あの霧にけむるような美しさも、想い出されます。「美し過ぎる」と言ったら、失礼にあたりませんか。
又、最近の官僚の国会答弁を聞いていますと、何時の間にこんな言葉が国会で使われるようになったのか、と気になる言葉があります。
それは、「○○と聞いてございます。」などの言葉です。末尾に「ございます」をつければ、丁寧な返答になっているとでも言いたいようですが、最高学府を出た人とも思えない言葉遣いで、とても残念です。「聞いています」で十分だと思います。心を尽くすつもりなら、嘘やごまかしのない正確な答弁が最良の方法だと思っています。
日本人とてしての「正しい言葉づかい」をこのような人であればこそ、そしてテレビなどを通して多くの人達に伝えたい事であればこそ、一層正しく使って欲しいと願うのは、私一人ではないでしょう。「言葉の乱れは心の乱れ」で、だんだん品格が下がってしまいます。
言葉など、どうでもよい、という訳にはいきません。簡潔でも誠実に答えれば、心は伝わります。嘘で言いくるめようとしたら、一層反感を持たれるばかりです。立場上言えないこともあるのかも知れませんが、それを率直に言ってお詫びすれば多分理解されるのに、「記憶の限り存じてございません」とは・・・。何時から突然に、この方は記憶喪失症になったのでしょうか。更に自己に都合の良い事は、鮮明に記憶しているのは不思議な事です。 残念なことですが、記憶の限りと限定すること自体が、已に疑わしい言い方ですね。こういう事が国民の政治不信を高める原因になっていると思います。
記憶力も下り坂の状態に近い私の記憶の方が、もしかしたら正確なのか、と不安を感じる位です。優れた能力を持っておられる皆さんなのですが「はやくかえってきてくだされ。はやくかえってきてくだされ。」とようやく書けるようになった平仮名で書いた、野口英世の母親の真実の叫びには、遠く及びません。国民が安心して頼れるような、正直で正確な議論を、正しい言葉遣いでしていただきたいと願いつつ、テレビを見ています。
学問を積んだわけでもなく、本を沢山読んでいるわけでもない私のような一介の老女が、このように物を申すのは、生意気で恥ずかしい事だと思っています。しかし私の亡き後を生きる、この国の全ての人達の幸せを願う時、今言わなければ、とも思うのです。
優れた言語を使っている日本人が、常用語としている言語を正しく使うことをしないのは、とても残念です。自ら進んでこれを踏みにじり、訳の分からない言葉へと変えていく現状に、たまらない焦燥感を感じながら、何とか正しい方向に、と願っています。
そんな言葉の中で日々を過ごしていて、最近良く使われる言葉で、「美し過ぎる」とか「美味し過ぎる」と言う言葉が気になります。先の論語によっても、これは「美しい」「美味しい」を過ぎているのですから、言わば良くないと言っていることになります。もし、美しさや美味しさを次第に高めて行く曲線で描いてみると、頂上を過ぎた状態を表現していることになり、言わばピークを過ぎた状態です。
最高の美しさより、行き過ぎて下りに掛かっています。この表現を「これ以上の美しさは無い位」とでも言いたい時の、感動の言葉として使っているところに、間違いがあります。
某国大統領の娘さんは、私には、ウットリする位美しいと思われます。昔活躍した名女優の、イングリッ・トバーグマンの「カサブランカ」の別れのシーンでの、あの霧にけむるような美しさも、想い出されます。「美し過ぎる」と言ったら、失礼にあたりませんか。
又、最近の官僚の国会答弁を聞いていますと、何時の間にこんな言葉が国会で使われるようになったのか、と気になる言葉があります。
それは、「○○と聞いてございます。」などの言葉です。末尾に「ございます」をつければ、丁寧な返答になっているとでも言いたいようですが、最高学府を出た人とも思えない言葉遣いで、とても残念です。「聞いています」で十分だと思います。心を尽くすつもりなら、嘘やごまかしのない正確な答弁が最良の方法だと思っています。
日本人とてしての「正しい言葉づかい」をこのような人であればこそ、そしてテレビなどを通して多くの人達に伝えたい事であればこそ、一層正しく使って欲しいと願うのは、私一人ではないでしょう。「言葉の乱れは心の乱れ」で、だんだん品格が下がってしまいます。
言葉など、どうでもよい、という訳にはいきません。簡潔でも誠実に答えれば、心は伝わります。嘘で言いくるめようとしたら、一層反感を持たれるばかりです。立場上言えないこともあるのかも知れませんが、それを率直に言ってお詫びすれば多分理解されるのに、「記憶の限り存じてございません」とは・・・。何時から突然に、この方は記憶喪失症になったのでしょうか。更に自己に都合の良い事は、鮮明に記憶しているのは不思議な事です。 残念なことですが、記憶の限りと限定すること自体が、已に疑わしい言い方ですね。こういう事が国民の政治不信を高める原因になっていると思います。
記憶力も下り坂の状態に近い私の記憶の方が、もしかしたら正確なのか、と不安を感じる位です。優れた能力を持っておられる皆さんなのですが「はやくかえってきてくだされ。はやくかえってきてくだされ。」とようやく書けるようになった平仮名で書いた、野口英世の母親の真実の叫びには、遠く及びません。国民が安心して頼れるような、正直で正確な議論を、正しい言葉遣いでしていただきたいと願いつつ、テレビを見ています。
学問を積んだわけでもなく、本を沢山読んでいるわけでもない私のような一介の老女が、このように物を申すのは、生意気で恥ずかしい事だと思っています。しかし私の亡き後を生きる、この国の全ての人達の幸せを願う時、今言わなければ、とも思うのです。
優れた言語を使っている日本人が、常用語としている言語を正しく使うことをしないのは、とても残念です。自ら進んでこれを踏みにじり、訳の分からない言葉へと変えていく現状に、たまらない焦燥感を感じながら、何とか正しい方向に、と願っています。