ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

蘇る時間

2018年12月28日 | 随筆
 先日、私の50年来の友人のご主人の手による、茅ヶ崎市の海岸から富士山を描いた絵画を額に入れて、私の机の前の壁に飾りました。波打ち際に打ち寄せる波、ゆるくカーブした海岸や薄いピンク色に煙るような桜の木々、遠くの富士山を背景にして、全体がうまく融和して心が安らぐ良い絵です。
 毎年前年の賀状を見ながら、今年の文面を考えるよすがにするのですが、今年も気早の夫に合わせて、12月5日には書きあげていました。前年の賀状の絵が素晴らしくて、私は下半分の写真を切り取って、机上に飾っていたのですが、そのことを電話のついでに話しましたら、「では、原画を送ります」ということになったのです。
 届いた箱の中に、厳重に包まれたA4の大きさの原画と、加えて友人のお庭になった柚子や、名物のお菓子、料理好きな私に手早く出来る珍しい調味料等、様々を詰め込んで次から次へと出て来る小包でした。このようなに沢山の心の籠もった数々の贈り物が出て来る小包は、珍しいものでした。「玉手箱です」ということでしたが、とても感動しました。「玉手箱」とは言い得て妙だとその言葉も嬉しく頂きました。 
 私は「頂いたハガキ」の中でも特に取って置きたい、絵や写真などはポストカードアルバムに納めて大切に保管しておきます。その友人はクラシックの歌曲を歌っているのですが、彼女の公演の記念のハガキも納めていました。
 また、今年亡くなられた恩師が、趣味で描いた絵画が印刷してある、折々のハガキも綴られていて、思いがけない幾つもの過去に出会うことになりました。
 一枚一枚想い出深く、少し時間を忘れて見入っていました。過去が一度に取り戻せたような感覚が、胸を温かくしてくれて、まるで時間が蘇ったようでした。
 もう賀状投函も年末で終わりですが、年賀ハガキが年々需要が減っていると聞いています。メールなどは、スマホで簡単に出せますし、そちらに移ったようですけれど、私は矢張り一枚一枚手書きの文の入った、心の籠もった賀状の習慣を是非残したいと思っています。
 人間関係が希薄になりつつあると言われて久しいですが、一年に一回くらいは近況をお知らせしたり、旧交を温める心の籠もった賀状のやり取りが、血の通ったおつき合いとして、とても良いのではないか、と思っています。
 綴られた賀状には、遠くの姪親子の家族写真(姪が家族一人一人の近況をユーモラスに紹介してある)もあり、昔の同僚が写真展に出品した迫力のある波濤を写した賀状、又以前近くに住んで居られた女性からの色鮮やかな季節の絵手紙の数々(県や市の図書館に在る、有名な写真家の血筋をひいて、美術の才能豊かな方からのもの)等々が納められています。
 賀状は出してくれた人の近況を知る、私にとっては大切な想い出です。年を取ると「高齢になった事」を理由に賀状を終わりにする事もあるようですが、本当に親しい人達にも、一律に賀状を止めるのは少し寂しい気がします。
 私の亡母も年老いてからは、友人が次々と先立ち、生きている方も病気を抱えておられて「寂しいけれどこれでもう終わりにする」と本当に惜しい様子で最後の一枚の賀状を書いていました。その後の人生は子や孫達の賀状があっても、友人からの消息がなくなったので、矢張り一抹の寂しがあったように思います。
 年末に恩師の娘さんから「父が亡くなりました。」と欠礼のハガキが届きました。卒業以来のやり取りが続いていた恩師からの、最後に近い数枚の絵入りハガキには、60年の歳月の重さが伝わって来て、一層の寂しさを感じさせられています。
 皆さまも、それぞれに古い友人知人が居られると思いますが、学生時代の友人や恩師には取り分け長いおつき合いのある方も多いと思います。
 又お若い方達からの賀状も、おつき合いが半世紀を超えた人達も居て、皆々遙かに私を乗り越えて立派になっておられます。老いる一方の私と違って、現在大変な活躍をして居られる人や(例えばスマイルアフリカプロジェクトの活動から、「捨てられた犬たちに家族を」というDog Life Savingの活動を実践されている女性等)更にこれからの社会で活躍される方達ですから、それはそれは頼もしく思えます。
 始めから飽きたら捨てようと思って飼い始めたのではない筈なのですが、飼えなくなって処理される気の毒な犬たちも沢山いるのですね。少しでも助けようとする努力も、「言うは安くして行うは難し」です。
 このような立派な方達(お人柄もその行いも)にお付き合い頂くことの有り難さと喜びを、しみじみ感じています。この方達にお会いする事が出来たのは、一見偶然と思えるのですが、その偶然が次の偶然を産み出し、次々と偶然が連なって行くとしたら、余りに都合が良過ぎるのではないでしょうか。私には、目に見えないどなたかの意志によるお引き合わせだ、と思えてなりません。偶然にしては、余りにも出来すぎているからです。
 人間は、何時までも生き続けることは出来ないのですから、この出会いに感謝して、残された年月を身近なお手本にならいつつ、心豊かに過ごせるように努めたいと思っています。

 今年も他愛のないことを書き連ねて一年が経ちました。皆さまが読んで下さっておられることに、背中を押されるようにして書き続けて来ましたが、無事に一年を終えることが出来ましたことを、心から感謝申し上げます。また来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 読者の皆様全てが、健康でお幸せな年であますようにお祈りして、今年最後のブログといたします。有り難う御座いました。
 

仲良きことは

2018年12月17日 | 随筆
「仲良きことは美しき哉」これはずっと以前、武者小路実篤が好んで色紙に書いていた言葉です。私も随分以前ですが、数人のグループから最後のお別れの時に、記念にこの色紙を頂いたことがありした。それは和気あいあいの集まりでした。
 度重なる住所移転で無くしたものか、額に入れて飾っていたのですが、今は手元に在りません。当時そのグループのお仲間だった人達も、殆ど鬼籍に入られたり離散して、気が付けばもう誰も居られません。
 私達は夫の両親と共に暮らした三世帯家族でしたから、その両親を最後までお世話して見送った時は、ご恩返しが無事に出来たという安堵感がありました。夫の単身赴任も多かった暮らしでしたから、子育てには本当に長い年月を大変お世話になりました。
 義父母は夕方良く二人で歩きに出て、帰路の公園のベンチで暫く休みを取っていました。其処がやはり歩きに出て来る老いた人達との社交の場でもありました。二人共亡くなる一ヶ月前までは、自分の足で元気に歩けました。夕方の公園の二人は、ご近所でもかなり有名だったようで、私達も後々までいろんな方達から往時をお聞きしました。
 義母は倒れて後、一ヶ月近く入院しましたが、亡くなる前日まで意識があり、お見舞いに見える友達などと親しく話しをしていました。義母の処へ来られるお友達は、義父のお友達でもありました。義母が逝って4年後に、義父が朝食後に突然倒れて入院して、そのまま翌日に亡くなりました。
 どちらも苦しい日々を長く強いられた訳ではなく、「あのように死にたいものだ」と親戚や知人達も言うくらいでした。
 義父はとても愛妻家でしたから、義母の部屋に布団を敷いてあげて、横になると布団の回りを手で押さえて回り、肩からも冷たい空気が入らないようにして、電気を暗くしてから自室に引き上げていました。外地への赴任や引き上げの苦労もあり、様々な苦楽を共にした夫婦らしい晩年でした。
 義母が亡くなってからは、概ね自室で過ごしていた義父には、広めの廊下から季節の花を咲かせる庭を、気分良く眺められるように、椅子とテーブルを置いて、そこが義父のお気に入りでした。
 毎日必ずせっせと町内をウォーキングして、最晩年の雨や雪の日は、応接間の端から廊下に出て、キッチンまでを何度も行ったり来たりして、根気良く足を鍛えていました。その根気良さは、感動に値するくらいでした。
 夜は肩の回りに寒気が入りこまないように、襟元をU字形に深めにくり抜いた毛布を手作りしましたら、喜んでくれました。
 お粥が大好きだった義父には、晩年は別にお粥が炊ける電気釜で、三食共お粥を炊きました。義父は孫(私達の子)を可愛がり、お小遣いを余るほどに与えましたから、それらはみな高価な書籍等をあがなうのに役に立ったようです。今でもその時の喜びを聞くことがあります。
 ところで私達夫婦は、二人共職を退いてから、毎朝のウォーキングが日課になりました。帰りはスーパーへ回って、その日の買い物をします。一周約3キロくらいでしょうか、わざわざ遠回りして歩くのです。
 先日も行きつけのスーパーの外で、二人で買い物をリュックにまとめ直していましたら、見知らぬ男性(年齢が近いと覚しき高齢者)が、突然「いつも仲がいいですね。」と声をかけられました。夫が「外見だけですよ。」と返しましたら「それでも仲よきことは美しいです。」と仰られて、私達はドッキリしました。このような場所でこのような言葉を掛けられる事が意外だったのです。
 その人は私達が何時もリュックを背負って、二人で買い物をする習慣を度々見かけておられたのでしょう。私達は何時も話しながら歩いて居る事が多いので、(私の方が遙かにお喋りです)目立ったのでしょうか。毎日同じコースを歩いていても、話題も・風景も・行き交う人も日々違うので、これがストレス解消に結構役立ちます。
 しかし、四六時中一緒に居るわけではありません。朝朝の仏壇への読経、ラジオ体操、庭に出て掃き掃除や草取りをした後に (夫はとてもきれい好きで、雨の日も僅かな小降りの時には掃除に出ます。)、共に歩きに出ますから、そこ迄は一緒ですが、午後はそれぞれ別々の部屋に居て、自分の為だけの時間を確保しています。夜も週4日くらいは居間で一緒にDVDを見たりして過ごしますが、他は個々の時間です。
 夫は趣味の読書か、イヤホンで好みの映画や政治番組など、私は短歌を作ったり、ブログを書いたり、時には共に録画を観て過ごしています。それで丁度お互いに満ち足りた一日になっているのです。
 願わくばもう少しの年月を、お互いに元気で自分の足で歩き、自由な生活がしたいものだと考えているのですが。果たしてそのように都合良く行くものでしょうか。
 スーパーで出会った老人の「いつも仲がいいですね」という言葉は、様々な人達に言われる言葉なのですが、続いて「仲良きことは美しい」と云われた老人の感性に胸を打たれる思いでした。
 度々目にする「手押し車」に買い物を入れて、老いたご夫婦が代わる代わる押して通られる姿や、幼稚園児などが、仲よく遊び戯れている姿を「美しい」と捕らえる心の豊かさを、私も持ちたいものだと思いました。
 

心のよりどころ

2018年12月04日 | 随筆
 私達は「成人}であれば皆個々に自己の意志によって、自立して生きて居ると思っています。しかし、それは希望的観測であり、現実はそう単純に割り切れないようです。
 最近、凶悪な犯罪が増えたように思いませんか。私は特に、家族間の殺人や傷害事件が増えたように思いす。身近な人達も同じように感じて居られるようです。
 念のために、内閣府統計局の調査を開いて見ました。それによると平成16年以降、親族に対する事件が親族以外の面識者に対する事件よりも多くなっています。
 平成23年の「被疑者と被害者との関係別、検挙件数・面識率・親族率の推移」というグラフを見ると、面識率87.8%の内、親族率が52,2%で、件数を見ると、親族が489件、面識ありが333件、面識無しが114件で合計936件となっています。親族が半数を超えています。
 最も親しい筈の親族間の事件が増えていることに、驚きと不安を覚える人は多いでしょう。
 原因は概ね、憤まん・激情・報復・怨恨・痴情・異性間のトラブル・介護疲れなどのようです。どれも哀しい現代社会の実状を現して居て、心が痛みます。
 このように親族間の殺戮が増えた原因について、私は心についての教育が不足しているのではないか、と感じています。勿論私は乏しい経験と知識しか持っていませんので、一市民としての感想を述べるに過ぎません。
 でもこのような実状を、黙って眺めているだけで良いはずがありません。私の浅い経験の中においても、出会った苦しみや悩み、喜びや感謝などを通して、数え上げればいくつかの教訓を賜りました。
 生きとし生ける人々の心が、穏やかで人を傷付けず、温かく愛情に満ちているようにするにはどうしたら良いのでしょう。全ての人間は母親のお腹から生まれます。ですから、第一に接触するのは、医師や助産婦さんなどを除けば、母親であるはずです。その母親の心が、幸福に満たされていて愛情が深ければ、身体中の感覚を通して、赤ちゃんもきっと同じように感じる筈です。育つにつれて、感覚は一層確かなものになるでしょうから、母体を通して愛情とか安心や喜びが伝わっていくのではないでしょうか。そして長い時間を通して、人間としての最も基本的な意識の基礎が出来上がっていくのだろうと思います。
 私が産後一月が経ち、付き添って下さった方も帰られて、私と夫が借家で慣れない育児をしていた頃のことです。在る日の真夜中近くに目が覚めました。すると娘が目を開けずに、口元を少し開いてちよっと歪んだような苦しいような顔をしました。授乳時間ではありませんでしたし、「何処か具合が悪いのでは」と、夫と二人で心配しました。お医者さんに連れて行かなければならないとしても、少し離れた医院までは、タクシーになります。真夜中ですから、どうしたものかと娘を見下ろしてただオロオロしていました。すると又娘の顔が動いて、こんどはハッキリと笑っているように見えました。
 「なあんだ笑っている」と思った途端心配した事が可笑しくて、タクシーを呼んだり真夜中にお医者さんを起こしたりせずに良かった、とホツとしました。
 後にこのような事は新生児に良くあることで、「むし笑い」というのだと聞きました。何にも知らず全てが初めての経験でしたから、笑い顔を苦しい顔ではないか、と勘違いしたのでした。知らない事の不安と勉強不足をしみじみと味わされました。
 このような初めての育児をする人達は、現在増えて来て、きっと心細い事であろうと思います。私達は間もなく新築なった家に夫の両親に引っ越して来て貰って、共に育児を担ってもらいましたから、経験豊かな義父母に助けられて、安心して育児が出来ました。
 現在の家族は、核家族化で、私達の様な大家族では無い事が多く、孫育てに協力して貰えることが少なくなりました。比較的狭い住居などで、話し合える友達も少なく、孤立無援の育児をしなければならない事も多いようです。此処は一層しっかりとした行政の援助が欲しいところです。人間を育てる事程大切な仕事はありません。
 健康に育てる事も大切ですが、心の教育がとても大切ではないでしょうか。それは誰が為すべき仕事でしょうか。私は先ずは家庭教育の充実だと思っています。幼稚園や学校教育ではありません。生まれたその日から始める「親」による心の教育です。
 過日、BS11で、寺島実郎氏が、「これからは、AIがどんどん発達するだろうが、その反面宗教がとても大切になってくる。自分の心が依って立つしっかりした教育が大切で、それを培えるのは宗教しか無い」と言っておられました。私も同感でした。何宗と言うのではなく、温かく安定した心をしっかりと培う必要があるということです。キリスト教では「愛」が教えの根幹となりますが、仏教では「慈悲」の心が強調されています。
 釈尊は次ぎのように説いています。(中村元訳 スッタニパータ・第一章)
 「目に見えるものでも、見えないものでも、
  遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
  すでに生まれたものでも、
  これから生まれようと欲するものでも、
  一切の生きとし生けるものは、
  幸せであれ。

  あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように、その  ように一切の生きとし生けるものどもに対しても、
 無量の(慈しみの)心を起こすべし

 と云っておられます。

私は一介の老いた人間でしかありませんが、乏しい経験からも、この依って立つ心の教育の重要さは解ります。日本人は礼儀正しい、とか穏やかで温かいとか、いわれますが、それは過去にそうして育てられた長い実績がものをいっているからだと思っています。
 過去には、お寺がそのような教育に大きな役割を持っていたこともありました。保育園の原型のような子育てや、学校教育の原型のような論語の教育など、お寺での人間教育はかかせないものだったように思います。
 年老いた人達も、私の実家では、ご近所の皆さんが、時に僅かな米や小豆を持って集まり、我が家の菩提寺の住職さんに来て頂いて、お説教がありました。お年寄りの方達は喜んで時に涙を流して聞き入っていました。集まった穀物は菩提寺にお送りしました。確か「お講」といったと記憶しています。
 これからも、心を育てる教育の一環を、お坊さんに担って頂きたいものだと思います。
 私事ですが、長兄がアメリカの原子力研究所に居た頃、「アメリカの人達は、日曜日は家族して教会へ行って、牧師さんから様々なお説教をしていただき、幼い内から人間性を育てる教育をしているけれど、日本人はどうしたらよいのか」と嘆いていました。60歳で亡くなりましたが、懐かしく、又身につまされて切なく思い出されす。
 これからの日本を背負って行く人達の為に、私達がしなければならない事を、しっかり果たしたいものだと考えています。
 人類は今や実証主義にどんどん突き進んで行っています。この世の事象のうち、実証出来ないものは信じない、と公言する人が増えて来ました。
 聞く処によると、この世に現れている事象のうち、実証できるものは、約10%だと聞いています。かつてノーベル物理学賞を受賞した物理学者は「この先は神の分野だ。人間の智の及ばない分野だ」と云われたと聞いています。
 慈悲の心を持たない人間が、科学技術にのみ走ったら、その先に何が待っているか、考えるだけで背筋が寒くなって来ます。
 広島・長崎の悲劇がその一例だったのではないでしょうか。