ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

天使のような幼児達

2021年09月30日 | 随筆
まだあどけなさの残っている子供達の姿は、とてもも可愛いです。何がそのように眺める人々を魅了するのか分かりませんが、とにかくあどけなさは万民に一種特有な「うっとり感」を与え、思わず惹きつけられて抱き寄せたくなるような魔力が有ります。
 もしかしたら「故知らず保護したくなる」感情を抱かせるのは、幼い子供が持っている本能の類いなのでしょうか。最近特に「可愛いなあ」と私が感動したのは、テレビのBSアサヒの「こども達に残したい美しい日本の歌」で歌っている「村方乃々佳ちゃん」です。ご存知でしょうか?
 毎日親しんで観ている幾つかのニュース番組の他は、フォレスタの歌や週1~2編のドラマなどの録画でしかありませんから何とも言い難いのですが、とにかくこの乃々佳ちゃんは、歌い終わって礼をするのに両足を揃えてしっかり立とうとして思わずよろけたりする様子が一層可憐で、いつの間にかそのよろめきさえも期待して観るようになりました。音程が3歳前にしてはしっかりしていて、歌詞も間違う事がありません。明晰な頭脳の持ち主なのでしょう。
 番組の最後の方に出演していますから、つい乃々佳ちゃんの出演まで観ていたくなります。恐らく全国に可成りのファンが居られるのでしょう。視聴者を最後迄テレビに釘付けさせるには、最後の出演が効果的かと納得しています。
 何時の事でしたか、この番組の他にも四人のタレントさんが旅行している番組で、父親と歩い来てすれ違った男の子が、突然戻って来てその四人にハイタッチした様子が映りました。矢張り3歳位の年齢でした。再び父親と手をつないで、何事も無かったように立ち去って行きました。
 以前このブログに私達がウォーキングの途中で出会った女の子が、何を思ったのか、すれ違った後に親御さんの傍を離れて走って戻って来て、夫にハイタッチした事を書きました。ニコニコと笑って飛び上がるようにハイタッチして、とても嬉しそうでした。思わず声を失って立ちすくんだ経験があります。年齢的に同じ位の子でしたが天真爛漫というか、その子の家庭にも日頃から親しい高齢者がいたのか、理由は分かりませんが突然の嬉しい経験でした。
 幼い子供のしぐさはどの子もどの子もあどけなく可愛いですから、これは幼い子供が保護されて育つように「神のお計らい」なのかも知れません。同じような状態の再現は、私達をとてもハッピーな気持ちにさせてくれました。
 人間ばかりで無く動物も可愛いです。毎日欄間に来る雀が二羽、今日も来て止まっています。二羽は身体を寄せ合って、とても仲むつまじい様子です。
 つがいなのか兄弟なのか不明ですが、兎に角仲良しで欄間から居間を覗き込みます。ガラス窓を開けて米粒をごく僅かガラス戸の外の庭に撒いてやるのですが、夫が庭掃除に出ていて直ぐ傍に近づいても逃げません。居間でいつも私が掛けている椅子から最短距離の欄間に止まのです。夫の椅子は私より少し部屋の奥になりますから、窓際の私が餌をねだりに来た事に気付いてくれるだろうと思っているようです。実に利口でその智慧には脱帽です。始めはピイピイと鳴いて私が気付くのを待っていたようなのですが、有る時雀が不在の時に餌を少し撒いておきましたら、いつの間にか鳴かないで静かに待つようになりました。其処がまた不思議です。かつては欄間を右左にせわしく走って鳴いていましたのに、今は静かになって欄間のレールをコツコツと嘴で叩いて、来た事を知らせるのです。教えた訳ではないのに、どうしてこの様な智慧があるのでしょうか。人間も動物も愛する事の意思表示はタッチしたり身体を触れ合うことなのだと再認識したところです。
 この世に生まれて未だ人間社会の汚れにけがされていない幼な児の心とは、こんなにも美しいものだったかと教えられます。外からは見る事の出来ない幼な児の美しい心は、その行為や澄み切った瞳の中に見つける事が出来るのだと思います。
 外出して幼な児と出会うのが楽しみになりました。
 

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陽炎の揺らめき

2021年09月07日 | 随筆
 かなり歴史の古い家で育ちましたので、土蔵の二階に保存されていた古文書や地図などの書類を出してきて、父母と読んだりした記憶があります。戦後まで土蔵の二階には「名主」の看板も残っていて、大昔の嫁入り支度の衣類や男性の紋付き袴や「かみしも」も保存されていました。長持ちの衣類は年一回母が家中の部屋に張り渡した麻縄に、衣類を掛けて虫干しをしました。年一回の大仕事でしたし、私達姉妹も手伝った記憶があります。
 可成り沢山の古文書は、和紙に筆で書いてあって私には判読する力もなく、今は僅かな記憶に残っているだけです。
 後にその大きな空き家に住む人が無くなって、家を壊して取り払い、やがて土蔵も壊す事になりました。古文書の類いは専門家などの目通しがあったり、歴史好きな方達の参考に処されたりして、善処されたと聞いています。私はそれらの行く末に関わることもなく、書類の解読にも携わらず、今は遠い過去の記憶だけです。(NHKの生涯学習講座で古文書も学びましたが、実際の古文書の崩した文字は、私の学習能力を遥かに超えていて、解読出来ませんでした)それらは、まるで陽炎のきらめきのように、土用の陽光に一時輝いて消えていきました。
 長持ちの中の衣類は、襦袢から長着・帯・打ち掛けまで白や赤の一式が揃えてあり、そのほか裾模様の付いたあずき色や紫や黒などの着物が幾そろえか、幾つかの桐の箪笥や長持ちに納められていました。それらを全て出してきての虫干しは、幾日か掛けての一年の大仕事でした。
 この時とばかりに母は正しい着物のたたみ方やはかまのたたみ方を教えて呉れました。着物や袴の正しいたたみ方を習うのは楽しくもありましたが、全てを丁寧に畳むのは腰が痛くなって重労働でした。 
 秋の取り入れがすっかり終わると、一年間お世話になった人達や親戚を招いてお取り越し(法要と感謝の会)を催しました。娘達は着物を着せられて、専らご馳走運びやコの字形に並んだ酒宴にお礼のお酌など一回りして、この日は主客転倒でお礼を述べて回りました。最後はそのまたお手伝いの人達の、お台所のささやかな酒盛りがありました。幾重にも続くもてなしは本当に古いしきたりの一こまです。 
 後日使った膳腕をお湯に浸して、仕上げは絹の布巾で膳腕をしっかり拭いて(作業の人達は並んで順に手渡しで、水分がなくなるまでしっかり拭き上げました)また和紙で包んで箱に収めて、土蔵に片付けるのです。土蔵から出してきてまた元通りに片付けるまで、幾日か懸かったのでした。
 土蔵の一階は持ち込まれる米俵を、昔は祖父が大福帳に記しつつ受け取って、びっしり積み上げるのです。その様な仕事の日は、作業の人達は直接お庭を通って土蔵へ運び込みましたので、私達は邪魔にならないように離れた部屋に静かにしていました。荷物を持ち込む人達と顔を合わせないように引っ込んでいるのも、仕事の一つだったのです。今はもうその様な古いしきたりは残っていませんが、住む人の無くなった家の庭にあった大きな石灯籠(笠の直系が一メートル余り)などは、集落の公民館の庭に移築されて展示されています。
 本当に陽炎のゆらめきのように、一時輝いて消えた昔の思い出です。夜の庭に虫の声がします。間もなくこの虫も鳴かなくなるのでしょう。あれほど暑かった夏を思うと、やや寂しさがこみ上げて来るのを覚えます。体力の衰えを感じながら、日々歩く事に精をだしているこの頃です。

 鳴くために生れしと思えば鈴虫の命の挽歌のことさら愛し (あずさ)


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