ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

「神田川」嫁へと続くチャーハンの味

2022年07月17日 | 随筆
 南こうせつの歌に「神田川」という歌があります。この歌は私にとって特別な思い出があります。
 学生時代荻窪から中央線で通学していましたから、車窓から神田川が当時ほんの少し見えたという記憶があります。今は見えるのか見えないのか知りません。多分多くのビルの為に見えないでしょう。
 大学を卒業後私は東京で勤務して、やがて郷里に戻って公務員として本格的に人生を歩き始めました。郷里に戻ってから縁があって夫と出会い、結婚して現在の県都に家を建てて住みつきした。思えば長い年月の様でもあり、またアッと言う間の年月でもあった様な気がします。
 「神田川」という言葉に郷愁のような感情を未だに持ち続けています。「南こうせつの<神田川>の歌」が、結婚後の忘れられない思い出と繋がっているのです。
 
 私達夫婦が結婚した当時は、地方の市としては未だ珍しかったアパ―トに住むことになりました。下の階に玄関やキッチン・食堂があり、階段を上ると6畳二間にそれぞれ押し入れと箪笥置き場の有る部屋が並び、何かとゆったり収納出来ましたし、南北に窓がありました。北の窓の下は地続きで大家さんの広い屋敷と豪邸がありました。
 結婚当時は私と夫の勤務地が離れていましたので、二人の生活は別居でのスタートでした。アパートは夫の勤務場所に近い所にありましたから、私は月曜日の早朝に列車に乗って私の勤務先に出勤し、通勤は不可能でしたからその近くの下宿に週末まで泊まって勤めていたのです。今思うと大変そうですが、若かったですし土帰月来(どきげつらい)の生活も、あまり苦にはなりませんでした。
 南こうせつの歌には「若かったあの頃、何も怖くなかった」とありますが、本当にその通りの「何も怖くなかった」楽しい暮らしでした。
 ところで土曜日の夕食は私もアパートへ帰りましたので、二人で良く外食に出掛けました。駅近くで一山公園という贅沢な環境の良い地でしたから、夕食時に近くの公園の散策も楽しかったのです。
 公園の近くにはお風呂屋さんがありました。当時のアパートにはお風呂が付いていませんでしたから、良く銭湯にも出掛けました。アパートのすぐ裏の大家さんが、普段はご自宅のお風呂に入るように声を掛けて下さって、入れて頂いたことも度々でした。
 大家さんのお風呂に入らない日は、「神田川」の歌のように銭湯に通いました。ですからお風呂から出ての待ち合わせ時には「小さな石けんカタカタ鳴った」寒い日もあったのでした。
 行きつけの食堂には、お嫁さんとお嫁さんの義両親が立ち働いていたのです。お嫁さんが丁度私と同年配に見えるので、親近感をもって接して頂いたように思っていました。
 こうして来し方を偲ぶと、娘が早逝した事が返す返すも残念でしたが、現在は穏やかな有り難い時間を頂いたものだと「小さな幸せ」に感謝しています。
 人間の運命とは、予期していない方向へ自然に流れて行っている事にふと気が付くともありますが「これで良かったのだろう」とも思えますから、有り難いことです。
 一山公園というその公園に、その後何十年かして夫と二人で訪れた事がありました。なだらかな低山に木々が茂り、神社も大きな池も、高く上がる噴水もそのままでした。暫く池の畔の緑のもみじの木陰で休み、お店で冷たいところてんを食べ、新しく出来た沢山の石碑などを鑑賞しながら、並んで歩くには丁度良いなだらかな山道を奥のあづまやまで回って来ました。
 あの若いお嫁さんの居た食堂へも寄って見ました。食堂には客は一人も居ませんでした。すっかり高齢の老女が一人、食堂の隅で編み物をしていました。多分あの時のお嫁さんに違いないと思いましたが、お互いに顔を見合わせただけで何の反応もありませんでした。私は迷わずチャーハンを注文しました。二人の間には何十年かの時間があり、音を立てて流れて行くのを感じながら、じっと耐えていました。
 やがて白髪まじりの婦人がチャーハンをお盆に載せて持って来てくれました。私はお礼の一言を告げて最初の一口を味わいました。そして思わず夫と顔を見合わせました。あの頃お姑さんと彼女が作って出してくれたチャーハンと全く同じ懐かしい味だったからです。何十年も「あの頃のチャーハンの味」が続いて居た事に感動しました。

 時は廻り私達も高齢者になりました。健やかに過ごせている事に感謝しています。彼の地に行くには電車かバスに乗らなくてはならず、今はもう行く元気はありません。まだ同じように池のほとりには木陰に椅子も並んでいるのでしょうか。銭湯へ行くことは無くなりましたが、古き良き時代の想い出を大切に持ち続けたいと願っています。私達にとって南こうせつの「神田川」は特別の想い出を誘う歌なのです。

 幾十年時は流れて「神田川」
         義母から嫁へとチャーハンの味  (あずさ)